30話 挨拶と謀


 今日は朝から晴天で小鳥がさえずる気持ちのいい始まりだった。いつも通り屋敷の家人は忙しく働くが私は緊張から用意してもらった着物もうまく着こなせない。オシュトはそつなく身ごしらえを整えてぱっとみ動揺の欠片もないのがさすがだ。
 どうして私がこんなにも落ち着きがないのかには理由がある。今日は特別な一日だ。何がって、聖上に公式の場でお目通りする日がやってきちゃったのである。

 もしかしたら一生内縁の妻かも、それでいいと半ば覚悟していたのに、オーゼン皇との一件で参内の日取りが決められ数日前に拝礼する際の手ほどきを受けた。いよいよ現実味を帯びた話に、食事中ではあるが時間がないオシュトル直々に指導を受けたのも記憶に新しい。

 膳をつつく合間復習しようと上の空でいると、知らず手を動かしていたようで箸を取り落とす。すぐさまネコネちゃんが怒るけど私以上に興奮して、失礼のないよう振る舞うですよと意気込みすぎて拳を握り同じように箸を落とした。二人見合って苦笑するのが新鮮で可笑しかった。
 日取りは十分あったからやれこの仕立てが良い髪型はこれでとネコネちゃんに着せ替え人形のごとく着替えさせられ出した結論は、いつもの服が逆に失礼でないかもとのこと。今までの苦労はなんだったんだ、楽しかったからいいけど。化粧の色決めも確認のため塗っては消しを繰り返しやっとこれという色に決まった。途中途中確認に来たオシュトルが一々似合っている美しいと褒めそやすものだから恥ずか死にそうで実際私の羞恥心は死んだ。
 用意してもらった着物はこれからの用向きで使うことになり長持ちの奥に眠らせるつもりだったのに、正式に嫁として聖上の許可が出た曉には仕立てた服を着て逢い引きがしたいとオシュトルに面と向かって言われれば断りもできず、仕立てた着物は優秀な家人の手によって虫干しにされ、ネコネちゃんの許可もありバッチリ着飾る羽目になった。馬子にも衣装、でも綺麗に着せて貰って嬉しい。

 妹君の激励を受け留守番のマリカに泣きながら見送られた。用意された御者に二人乗り込み息をつくが、内裏についたときには緊張からもう一杯一杯だった。

「体調でも悪いか、少し休まれるか?」
 現実逃避もそこそこに、オシュトルの一声に我に返り首を振る。至って元気だと微笑んで足を速めた。私のせいで歩みが遅れていた。わざわざ上の方が挨拶する時間を割いてくれたのだし、遅れでもしたらオシュトルが裏でどんな誹(そし)りを受けるかわからない。政敵に餌をやる気はないし恥をかかせるのも御免だ。
 急いで彼の後を追い、内裏の一角を歩くのだがすれ違う人や離れた位置から結構な頻度で視線を感じる。別に変な格好はしてないしむしろ華美でない程度に飾り立てたけど場違いじゃないはず。なのに私の場違い感は相当凄いのか通り過ぎる女官や武官がこっちを見てくるのが気になってしまう。中には芋臭いとすれ違いざま吐き捨てる奴もいて苛つく。
 水中庭園で随所に咲く睡蓮が綺麗でそっちに集中したいのに渡り廊下を歩けばすれ違いざまに女官の一人にクスクス笑われてまたイラっとくる。胸中で悪態をつくに留めたけど振り向いたオシュトルには気付かれていたのか微笑まれた。
「引け目に感じずとも良い、其方は十分に美しい。珍しくてナナコ殿を目で追ってしまうのだろう。気にせぬのをお勧めする」
 頷くが納得いかない節(ふし)が顔に出ているのか苦笑気味に慰めてくれた。
「陰口を叩く者共は聖上にお目通りする其方を妬(ねた)んでいるのだ」
「いや私お目通りするだけだよね?挨拶だけに来た奴がどうして一介の臣下に知られてるわけ?」
「聖上が会う者達は全て予定が組まれ下々にも周知されている。理由は警護のためだ。内々でのお目通りを隠れ蓑(みの)に命を狙う者が稀(まれ)にいるのでな」
「現人神なのに?」
「建国以降国が安定するまで数度刺客に襲われたと聞く。警戒するに越したことはなかろう」
 そうだね、でもそれ数百年前の話だよね?帝愛されてて何よりですわ。おかげでこうして再会できたわけだし。にしても暗殺か⋯⋯そりゃ触れ回りますわな。こっそり会わせて知らぬ間に神様殺され掛けました、なんてまずないけど、事が起きただけでも大問題だもん。これは身をしっかり正さないと意気込むが、別の理由で消沈したと勘違いしたオシュトルがまた慰めてくれた。
「戯(ざ)れ言に心を痛める必要はない、と言っても無理なのも承知している。其方は美しい、自信が持てずとも某の言葉を覚えてくれれば今はそれで良い」
 うひ〜、口説き文句さらりと素面(しらふ)で言うから心臓に悪いわ。脈拍急上昇勘弁して。本音は嬉しいもっと言って。言わないけどさ。
「後々(のちのち)、某の言葉が其方の支えになれば良いのだが」
 苦笑いの私に励ましは功を奏(そう)さなかったと案じたのか、寂しげにオシュトルが呟くものだから安堵させようと袖(そで)を引き聞いてと声を掛ける。
「清廉潔白にお褒め頂けてもうとっくに自信満々です」
 力こぶを作るがここは内裏、オシュトルは微笑むだけでいつもの筋肉ムキムキ巨大マッスルなんて悪乗りしないのが悲しい。ウコンの時限定だけど。いや場違いの私が悪いんで無反応止めて。周り誰もいないの確認してふざけただけだし。うん、雰囲気を明るくしようとふざけた私が悪いです。
「なれば良いのだが」
 何がですかね?
「なに、某とて人よ。助けようと振る舞えどそれが良からぬ結果に収まる時もある。どのように塞(ふさ)ぎこもうと起ち上がる其方の強さが時折羨(うらや)ましくなるのだ」
 そんな強さ微塵(みじん)もありませんが、ハクならいざ知らず。凄いな大いなる父の遺伝子操作、錯覚(さっかく)と説明したのにオシュトルほどの男が未(いま)だ私を美化しまくる。内心は審美眼狂わせてごめんね一色なのだが困らせたとみてオシュトルは聖上に話を戻した。
「帝は尊き方だ。慈悲深く道理を弁えヤマトの民を常に暖かく見守る、まるで太陽のような御仁だ。だが時折、同じような方が他にもいるのではと血迷うときがある。某の近いところにも」
 オシュトルははっとした顔をして口を閉じた。血迷いすぎですよオシュトルさん。入れ込む間にまたうっかり敬愛する帝経由で私達の評価漏らすんだから、大いなる父のチャーム怖いなあと私の内心は白目だ。指摘なんてしない、わからないし訂正されて悲しくなるのは目に見えているから。
「喋りすぎたな、先を急ごう。そうだ、道は覚えたか?」
 覚えるわけないじゃん。堂々と大門通って参内したわけじゃないんだから。私は首を振りそこまでの記憶力はないと注釈をつける。
「まったく。また来ないといけない用でもあるの?」
「まさか。あの方はナナコ殿を気に入られている。単身で参内(さんだい)する機会があるやもと思案したまでよ」
 来るのは構わないけど針のむしろやん。嫌だわ、誰かいないと怖すぎ。うっかり内情漏(も)らして失礼なことしたくないし。私はそういうのはなしにしてくれと道すがら訴える。もちろん辺りに人がいないときに限ってだが。
「一人で来たくない。それに多分内々で済ましそうだから杞憂だと思う」
「今日其方は公(おおやけ)の元で某の妻と表明される。今までのように行けば良いが、大手を振るって子を披露せよと気を回される可能性もあるのでな、それを考慮したのだ」
 出来てないし先走りすぎじゃないですかね?右近衛大将の妻単身呼びつけて臣下に披露って内紛の火種にもなりそうだわ。公的な場に出たくないなあ。
 嫌そうな顔でもしてたのか苦笑交じりでオシュトルに諭されてしまった。
「子でも出来て顔が見たいと願われれば連れて来ぬ訳にもいかぬ。常に同行が適(かな)えば良いが、妻子だけでも良いからと申されればさて誰を同行すべきかと思案してな。適当な人選が決まらぬのだ」
 オシュトルの言葉に府が落ちず、相応しい人は山といると仲間達を思い浮かべるが、確かに最適格かというと悩ましい面々ばかりだった。
 マリカ、説明すればいけそうだけど何かを切っ掛けに牙向きそうだからなし。
 ネコネちゃん、オシュトルの妹隠してるのに魔窟に放り込んでどうすんだ。
 クオン、他国の姫で跡取りだぞ、問題あれば戦争になる論外。
 ハク、平民連れ込んだと反感買う。しかもそんなに強くない。第一隠しておきたい帝弟(ていてい)目立たせてどうすんのよ、却下。
 アトゥイは父親煙たがる年頃で父ほどの分別を期待しちゃいけないし、キウルは幼すぎでノスリ姉弟はそもそもまだ会えてない。
 ⋯⋯ろくな人材がいない。自分を棚上げして申し訳ないが皆癖(くせ)がありすぎて安心して帝に会わせられないわ。てかあれだよ、そもそもがそもそもなんですよ。私はまだ出来ていません、机上の空論絵に描いた餅無用の心配でしかないんですよオシュトル様。
「ごめん、まだ」
 子が出来た兆候はない。目線を下におろし未だ宿らない腹をそっと撫でた。そろそろ出来てもいい頃なのに子を抱きたいオシュトルの望みを叶えられない自分が歯痒かった。
 不備を詫びたところで、オシュトルは仮面越しでもわかるほどはっとした顔をして苦笑する。
「良いのだ。某が先走りすぎているだけだ。其方といるとつい先々を想像してしまってな。いつ果てても良いよう心がけていたものを家庭を持ち色々と惜しくなってしまった。
 妻を得て信頼できる配下を得て、もうこれで良かろうと思うのに、次にあれを得たい、得ればこんな事が起きるやも、不測の事態に備えねばと欲の制御に歯止めがきかぬ。不相応の地位にいると言うに某もまだまだ精進が足りぬ」
 己を恥じ寂しそうに微笑むオシュトルをどうにかしたくて、その認識は違うよと口を挟んだ。
「精進が足りないとは思わない。普通のことだよ、変じゃないよ。貴方はとても立派にやれてる」
「……そうか。なれば良いのだが」
「尊き御仁って私だったりして?」
 場の空気を変えようとあえて避けた話題を振ってみるがすまし顔で呆れられる。
「其方は傲慢が過ぎるのが欠点だな、子のためにも直した方が良いぞ。真似をすれば恥をかく」
 さすがに直答は避けられたか。冗談を返され私は気が良くなり調子に乗ってみる。
「ひどーい。悪い見本になっていいと思ったのになあ」
「それもそうか、ではそのままで」
 いや、そこは子のためにも直した方が良くない?
 態度が顔に現れたのか、オシュトルは鼻で笑い私は憮然(ぶぜん)とするも互いに顔を見合わせて苦笑するのもいつの流れだ。
 緊張はほぐれたか?と聞かれて頷けば、某もほぐれた、礼を言うと会釈された。お互い頭を下げたところで後は無言で道中を進んだ。


 ほどなくして私達は大門へと辿り着いた。ここから先は政治を取り決める中枢、謁見の間であるから不用意な発言は慎(つつし)むよう言い含められる。頷き、ここが原作でハクが圧倒されてた扉かあと見上げて思う。
 ビルの高さぐらいあって無駄にごつい。ハクがこれ見たら原作と同じ感想を思うのかなと考えてみるけれど分かるはずもない。
 そうだハクだ。原作でハクがここに来るのはもう少し後だった。誘拐された姫殿下を助けた礼を帝直々に言うために呼びつけられて滅茶滅茶困惑してたっけ。
 主人公より先に参内するのは嬉しくもあり優越感も感じるが、同じくらい不安や当惑後ろめたさもある。せめてハクが来たとき無駄に怯(おび)えないようにしっかり見て怖くないよと伝えよう。怖いけど。
「ナナコ殿、大丈夫か?」
「ごめん、緊張しまくりで禄(ろく)に聞いてなかった、なに?」
「圧倒されるのも無理はない。ではもう一度よく聞くように」
 怒っても良いのにこちらを見ていたオシュトルは笑顔で流し作法を復唱してくれた。
 私は頷き緊張で飛び出そうな心臓を沈めるために手に人文字を三度書き飲み込む。プラシーボでも効くなら何でも試(ため)しとこう。
「……それは?」
「?ああ、お呪(まじな)いの一種だよ。思い込みって言うのかな?失礼がないよう落ち着いて対処できますようにって自分に暗示を掛けたんだ。確実に緊張が解(ほぐ)れるわけじゃないから気休めだけど、ないよりマシかなって」
「聖上は一時市井(しせい)に身を置いていたと聞く。民の呪(まじな)い毎(ごと)に理解があるが他の方々はそうでもない。もし次に聞かれた際は呪(まじな)いではなく気休めと言うが良かろう」
「くれぐれも気を付けますオシュトル、じゃないオシュトル様」
 言い直すとオシュトルはふっと笑い注釈を付けた。
「そう畏(かしこ)まらずともよい、下手(したで)に出る者を無為に傷つける方でないのは其方も承知だろう」
 そうですね。でも配下が全部そうじゃないのは知ってるよ、言わないけどさ。
「そもそも其方は聖上の同族、公の場で知己を痛める方ではないゆえ安心されよ。某は他の方に関しての振る舞いを注意したまで……ナナコ殿にとって聖上はどのような御仁だ?」
「ちょっと怖い所もあるけど、優しくて気の良いご老人、かな?」
「率直な意見悪くはないナナコ殿が知己ゆえ某には好意的に感じられる。だが聖上を神とあがめる方々はそうは受け取られまい。其方も承知しているな」
「十分」
 舞台でちょっとでも帝が悪者に味方する素振りを見せたら観客からヤジが飛ぶからね。下手打ったら物が飛んできたし。実は聖上利用されてました設定から騙された振りで勧善懲悪狙ってました設定に急遽(きゅうきょ)変えたら納得しておひねりの雨あられ。大衆が文化の良い測(はか)りになる。帝の威光効(き)きまくりで超怖い。
「ならばこれ以上の補足は要らぬだろう、現人神に対して非礼でない態度で臨(いど)むよう、お頼み申す」
「もちろんそのつもりだけど、格が違いすぎて気後れしまくり。無礼な態度する気はないけど色々不安です」
「某も同感だ。だが道理に反した行いはされぬ。安心せよと言っても通じぬだろうが、心安らかにいるといい」
「此度は挨拶に出向いただけ。すぐに終わる、其方は某の後に続き動きをまね、某の合図で受け答えをすれば良い」
 了解でーす、遂行できる自信ないけど頑張るとおどければあまり時間もないのか流された。
「では、参ろう」
 扉に向き直りオシュトルが名乗りを上げると、衛士だろうか、扉の向こうで控える方々に来訪を伝える声がする。
「右近衛大将オシュトル殿、並びご親族の方がお見えになりました」
 銅鑼の音が鳴り響き同時に軋む音が辺りに響き扉が開いた。いよいよだ。知らず生じた唾(つば)を飲みこみ目の前の光景に視線をやる。
 おそらく私の前方に並ぶ数十名は軍の精鋭達だ。黒塗りの鎧を身につけた兵は聖廟直属の精鋭達だとアニメで言っていたっけ。手前から奥に向かう絨毯を何列かで囲むように佇(たたず)む姿に圧倒される。
 その果てに、均等に一列で立つ七人の亜人は噂に名高い八柱将だろう。それぞれ出で立ちが違い中程にウォシスが立っている。
 背後の階段に視線をやれば、階上、御簾の先に座した人影が見える。公式の対面は初めてで威圧感が凄すぎてもう帰りたいけど、オシュトルが頭を垂れて某に続けと先導するので行くしかない。

 こうなるまでは、ハクいいなあ〜なろうじゃん、帝直々にお褒めの言葉頂いて格好いい、八柱将間近で見えて役得〜。VRで再現されないかなあ。その場にいたら周りの調度品とか居並ぶ格好いい軍人さん眺め回して目の保養にするのに。私がハクなら煙たがれない程度にアピールして自分の有能さ示して重用目論むんだけどなあ。帝に認められてオシュトルと肩並べて戦場に立つとか超格好いいもんね〜!
 ⋯⋯なんて血迷いもしたけれど、いざ目の前にすると自分の考えの浅さを思い知らされる。威圧も凄いけど重責がきつい。一挙一動見られていると感じる。自分の失態で雇い主や慕ってくれる人達がお咎め食らうと考えれば下手打てれないからそりゃ緊張するよね。一人の失態で一族郎党打首とか考えただけでも辛いもん。ハクがあの場で無難に終わらせるのに専念する気持ち、今更ながらよく分かる。私も無難に終われるよう頑張りたい。

 周りを堪能する余裕なんて無い私はオシュトルに習い、ひたすら頭を垂れ視線を下にやり躓(つまづ)かないよう気をつけて進んだ。不備なんてないはずなのに兵の背後でさざめく陰口が辛い。振り返る余裕なんてないけどどうやら兵の横手に控えるのは文官らしい。会話から推測を立てたが、国の官僚かもしれない。八柱将の嫁取り高官関係ないのに出迎えに出席するなんてきっちりしてるなあ。
 視線をずらし失礼でない範囲で流し見るが、顔はいいのに渋面ばかり。なるほど、歓迎はしてないのね。
「みすぼらしい」「田舎者」「野暮ったい」「品性がない」「さすがオシュトル殿が選んだ方、慎ましい」「田舎侍が選んだだけ合って不格好」
 不格好は同意。着飾るの慣れてないからさぞ滑稽(こっけい)でしょうね、言われなくても用さえ済めば帰ると胸中で毒づく。フォローしてくれた方ありがとう。
 でも最後呟いた奴いつか覚えてろよ。田舎侍じゃないよ、オシュトル様は超格好良いんです!
「聖上におかれましてはご機嫌如何でございましょうか。右近衛大将オシュトル、参内の命に従いお望みの者をお連れ致しました」
 八柱将の近くまで共に進み膝(ひざ)をついたオシュトルを真似て膝をつき、彼の口上に耳を澄(す)ます。結婚の挨拶、失礼のないようにと自分に言い聞かせた。
 頭を上げそうになってまだだとそっと指摘されて堪(こら)える。何秒か過ぎて面(おもて)を上げる許可が出て頭を上げたけど、下げたままの方がマシだったかもしれない。視線はこちらを見てないが八柱が間近過ぎてきつい、怖い、超泣きそう。優しそうなのってムネチカさんとウォシスだけじゃん。一名腹黒で一人後々腐るけどさ。ウォシスは手でも振りそうなのにさすが公では真面目、こちらを見ずいやにまっすぐ視線を前に向けていた。
「その方、名は?」
「ナナコ殿、ご挨拶を」
 逃避しても現実は容赦(ようしゃ)なく訪(おとず)れるわけでして、今日この日のために何度も練習した言葉を思い返して最敬礼で私は答えた。
「拝謁(はいえつ)の機会を賜(たまわ)り嬉しく思います。ナナコにございます」
 よし、本日のお題終わりっ! 後はオシュトルがいつも通り何とかしてくれるはずだ。会話の糸口から流れの持って行き方まで完璧な夫殿は期待通り打ち合わせた解答をつらつらと語ってくれた。
「この者はオーゼン皇のご息女、病弱故静養に務めていた所を某が見初(みそ)め妻に頂いた所存にございます。こちらの都合でお許しを願い出る許可が遅れ申し訳ございませぬ。順序は狂いましたが何卒(なにとぞ)、この者と縁戚を結ぶ許可をお願い申し上げまする」
「ふむ……そこの者よ」
 オシュトルの噓吐(うそつ)き!関心もたれたじゃん。内心の動揺を堪(こら)えつつ私ははいとうやうやしく答える。
「オシュトルは優しいか」
 すぐにオッケー出すと思ったのにまさかの質問!突然話を振られて驚くが答えないのは不自然だから差し障りのない範囲で答えよう。きっと心配で声を掛けただけだ、そうだと思いたい。
「はい、とてもお優しいです。いつも大切にして頂いてます」
「それは重畳(ちょうじょう)であるな。夫婦仲が良いに越したことはない。家族仲が良ければがその分ヤマトの守りが番石になる」
「聖上、ならば結婚の許可をお願いしたく」
「順序が狂うた理由は何か」
 まさかの追撃!固まる私と反対にオシュトルは流暢(りゅうちょう)にさもそれらしい言い訳を述(の)べた。
「某が急(せ)いたのです。この身はヤマトの治安を預かる身、おいそれと帝都を離れるわけには参りませぬ。輿入れの準備を整えるうちに月日が過ぎ焦りました。病弱なこの方を迎えるには早いほうがよいと、狂うたのです」
「そちほどの男が我慢できなんだか」
「恥ずかしながら某も人の子です。お役目に関わらぬならば多少の無茶も通るやもと焦りました」
 背後でまたさざめきが起きた。オシュトルを侮(あなど)る声、聞くに耐(た)えない悪口だ。オシュトルは涼(すず)しい顔で聞き流しているが私のせいでオシュトルが動きにくくなるのは嫌だ。
「少し宜(よろ)しいでしょうか」
「ナナコ殿」
 かすかに戸惑いと、余計なことは言うなと牽制する声音(こわね)に私は大丈夫だからと頷き返す。私のせいで足を引っ張りたくはない。
「よい、聞こう」
「ありがとうございます。オシュトル様は先ほど急いたと言われましたが事実は異なります。私が、渋るオシュトル様を急かしたのです。我が身は病弱でいつ果てるやもしれぬ身、治療が優先と説(と)くこの方に連れ添えば気力も湧いて元気になるやもと」
 ふむと頷く風な帝、オシュトルは仕方ないという風に若干呆(あき)れた面持ちで視線を下に外した。どうよ、これでオシュトルに文句はないよなと内心で胸を張るけど、残念背後の悪口は止まなかった。女の意見に靡(なび)くなど大将の名が泣くだとかどのようにして大国の姫を篭絡(ろうらく)したのか、中にはじゃじゃ馬に出しゃばらせてオーゼン皇はどんな教育をしてきたのか、とんだお鉢まで回り始めた。
 ……余計なことはするもんじゃない。どこの時代でも足引っ張るのに熱心な御仁は居るんだなあなんて呑気に構えていたけれど、義父にまで迷惑が掛かるのは計算外だ。慌ててオシュトルを見れば仕様がないなと言いたげに少しだけ責める色を滲(にじ)ませてこっちを見てる。苦笑気味なのが救いだ。ごめんと囁(ささや)けば溜息で流してくれるんだから、うちの旦那様は良く出来た人だ。今はどうにかオーゼン皇の評価を正す流れにしないと。
 沈黙に焦っていると並ぶ八柱将から懐(なつ)かしい声がした。
「聖上、発言の許可を頂いても?」
「オーゼンか、好きに申せ」
 礼を言いこちらを見る皇(おうろ)の目には非難の色はなく逆に暖かい色が滲(にじ)んでいる。
「ありがとうございます……ナナコよ、しばらく見ないうちに健(すこ)やかになったな。顔色がとても良い。急な縁談ではあったが心寄せる者と連れ添えたのも大きいのだろう。病(やまい)は気からと言うが、大切にされているなら何よりである。おかげでこうして支えなく立てる娘と会えるとは思わなんだ。長生きはするものだ……風邪など引いておらぬか?」
 オシュトル達の間でどんだけ病弱設定盛られているか検討つかないのが怖いけどせっかくの助け船だ、乗るしかない。
「お父様、お気遣いありがとうございます。お陰様でこの通り大分良くなりました。オシュトル様の元で過ごす内に力がついたようです。風邪も拗(こじ)らせず立てるようになりました」
「それは幸先(さいさき)が良い。儂は武人ではあるが学は強くなくてな。オシュトル殿は武芸だけでなく博識とも聞く。滋養に良い物もよくお知りなのだろう」
「山里育ちの山猿故某の知識など帝都の者達に比べれば劣(おと)りまする。自慢の技も病魔を滅するには至らず。ひとえに、ナナコ殿の努力あっての賜物(たまもの)です」
「何を仰(おっしゃ)る。恋いうる方と連れそう幸福はそうないでしょう。この者も都育ちとは名ばかりで外にも出ず伏(ふ)せるばかりであった。それが今やこうして独り立ちできるほど逞(たくま)しくなり、感謝しておるのだオシュトル殿」
「微力なれどお役に立てたなら幸いにございます」
 オシュトルが跪(ひざまず)いたまま頭を下げた。仲の良さを後押しする言葉に羞恥心から顔を覆いたいが、我慢して彼に倣(なら)い頭を下げる。良い流れだ。これでそろそろ話を切り上げて本題に戻れると頭を上げるも、色々補足しようと思ったのだろう、好々爺(こうこうや)の顔で頷くオーゼン皇が話を逸(そ)らしていく。
「ヤマトは滋養に良い物も多く届く。食事も其方に合ったのであろう。色艶が増し先々(さきざき)が楽しみだ。子はまだか?」
 ……どいつもこいつも、思いつく話題がそれしかないのかっ!分からないでもないお節介だけど人によっては傷つけるんだからね子の催促(さいそく)って!オシュトルに視線をやればちょっと渋い顔だ。多分同じ気持ち、共感する。途端に後ろの高官達の悪口が聞くに堪えない物になり始めたぞ。種なしだとか仕事一徹で独り寝通例だとか、知らぬが花言わぬが仏。余計な見当違いで激昂しても意味ないから聞き流しておこう、今の奴の声覚えたからな!
「あいにくと。こればかりは天の采配にお任せするほかないかと。某もまだかまだかと心待ちにしているのですが」
 ?今帝がちょっと動かなかった?
「ナナコ殿?」
「あ、いえ。私も早く欲しいのですが、中々……」
「若いのだ、機会は幾らでもあろう。そうだ帝都の屋敷に里の物を取り寄せておるのだ。精がつき力がつくぞ、良ければこの後儂の屋敷で久久に食事でもどうだ?」
「オーゼン皇、親子の歓談はこの後でも宜しいでしょう」
「これは失敬。つい嬉しくて余計な世話を焼いてしまった。どうぞ続けて頂きたい」
 この流れまだ続くの?余計なお節介が過ぎるし人を大食漢みたいに言わんでくれや、なんて引いてた私の心情が通じたのか、見守るに徹(てっ)していたウォシスが水を差してきた。ありがとう大老!普段ならガッツポーズでもしそうなのにガン無視なのは公の場だからだよね、そうだと言って。なんで八柱将揃(そろ)い踏みのうえ武官文官両隣に控えてんのかさっきからひやひやしてるんだけど、結局未(いま)だに答えはないしさあ。

 ハラハラ成り行きを見守る間に冷静さを取り戻したオーゼン皇が帝に申し出た。
「帝都の治安を預かるオシュトル殿に娘をやれるのは儂にとっても光栄な話にございます。文武両道のかの者に見劣りするのは承知の上、どうぞ可愛い娘を嫁(とつ)がせる許可をお願い申し上げまする」
「格が違うと申したな、確かにその者は格が違うであろう」
 そうですね。私お姫様の扱い受けてますけど只人ですもんね。平民と下級とはいえ貴族様、それも努力一徹で一般兵士から大将にまで上り詰めた御仁に娶(めあわ)せるなんて身分不相応なのはよく分かってる。でもそれは、帝だってご承知だったはず。内々ではあるけれど私がオシュトルと祝言を挙(あ)げたのを喜んでくれていたのに、どうして今になってそこを指摘するの?
 オシュトルも疑問に思ったんだろう、訝(いぶか)しみながらも失礼にならないよう尋ねた。
「何か行き違いがお有りでしょうか?若輩の身で妻を娶(めと)るのは不遜(ふそん)と仰るなら確かに否定は出来ませぬ。我が忠誠は聖上に捧(ささ)げて久しく身命を賭(と)してお仕えする所存にございまするが、所帯を持たぬ触れはないはず。何か聖上の気に障(さわ)る点があるのでしたら僭越(せんえつ)ながらお聞かせ願いたく」
「何もかもが気に入らぬ」
 なんで?
「何もかもとは」
「何もかもだ。其方もオーゼンの物言いも余には我慢ならぬ」
 ……とんでもない物言いに驚いたのは私だけではないはずだ。居並ぶ八柱の何人かは怪訝(けげん)な顔をして悪口に励んでいた高官のさざめきも少し大きくなる。聞かずにはいれなかった。
「わ、私が何かしてしまったのでしょうか?もしそうならば謝罪させて下さいませ。お二方は聖上の忠実な臣下であらせられます。お気に障(さわ)ったというなら私以外考えられません」
「無礼にゃ、聖上の許可も得ず平民風情が呼びかけるにゃどあってはならぬ事態にゃも」
 居並ぶ八柱将の一番端っこに立つ玉体系のデブが文句を飛ばしてきた。八柱将の一人デコポンポだ。町行く人の噂通り本当に太ってる。そして見た目通りの人物なら原作と同じく裏で悪事に勤しみオシュトルを目の敵にしているのは間違いない。証拠に蔑みを隠しもせず罵ってきたし。
 七光りだのデブだの当人を前に嘲るのは愚行は侵さない。親が偉大すぎて潰れて気の毒だの、フタハクでは最後ライコウに利用され挙げ句の果てにガウンジという獣に食われてお粗末様、なんて胸中で罵るのみで堪えておく。いつか隠密衆がデコポンの悪事を曝きお縄にしてくれるだろうと私は楽観視してただ静々、非礼を指摘する声に平服した。指摘も尤もだしね。
「も、申し訳ありません。出すぎた物言いでした」
「これは失礼を、妻に代わり謝罪致す」
 同じように手を床につけてオシュトルも深々と頭を下げてくれた。ごめんよオシュトル、よりにもよってデコポンポに頭下げさせてさ。足引っ張ってばかりだよね私、お嫁入りの許可貰ったらしばらく大人しくするからね、と胸中で手を合わせるがデコポンは裏で悪事を潰される憂さを晴らそうとしたのか、嬉し気に更なる追撃をかけてくる。
「嫁が嫁ならオシュトルもオシュトルにゃも。聖上の不興を悟ったなら即刻立ち去るべきにゃも」
 おーい、嫁入りの許可取りに来た奴を部下が認めてどうするんよ。デコポンポは嫁の品位が下劣だの粗野だの親の顔が見てみたいだのさっき娘宣言したオーゼン様が傍にいるのに見えていないのか好き勝手罵ってくるしさあ。
 そもそも貴方に帝の言葉代弁する資格がある? 帝後ろにいるんすけど。
「儂の娘が無礼な振る舞いをしたというなら親である儂も頭を下げねばなりますまいな」
 きたー!あんまりな言い様にオーゼン様が庇いに出てきてくれたわ。ご厚意有難いなあ。デコポンもやっと私が息女と公的な場で明言されたと思い出したのか、慌てて言い訳を募り始めるし。
「にゃもっ!べ、別に親の教育がどうのとは言ってないにゃも。オシュトルと連れ合い粗野になられたかもと可能性を述べただけにゃも、御息女に悪い影響を与えるから帝に早く別れさせた方がいいと進言しているだけであるからして」
「先ほど帝の許しなく進言するなと聞いた気がするが我の聞き間違いか」
「にゃ、にゃんのことかも。それよりも青二才の愚妻を早くここから叩き出すにゃも!」
 あんまりな言い様に隣で付していたオシュトルが顔を上げた。しかも結局認めてるじゃん、まあ単に脚引っ張れるから話に乗っただけなんでしょうけど? ライコウも助け船サンキュー。理由知らないけどひとまずオシュトルを止めないとね。焦り声を上げかけたところで貴族の名折れを恥じたのか、ライコウがまた口を挟んできた。
「聖上の代弁をする資格が貴様にあるのかと問うている。豚とて状況の判断はつこう、口を慎(つつし)め豚(ぶるたんた)これ以上平民の前で恥を掻きたくないのなら黙るのが賢明というもの」
「にゃ、にゃにおう〜〜っ!」
 ダメだ忠告が聞いてない。真っ赤に膨らむデコポンポに八柱一同うんざりし気味で顔を逸ら視線を下に向けた。何度もあったのねこんな状況、毎度毎度ご苦労様です。
 私だけでなくライコウまで罵り始めたデコポンポだがライコウは冷たい視線で一瞥するのみ。収拾の付かない事態に私ははらはら見守るしかない。
 グダグダになりかけた場を収(おさ)めたのは帝の一声である。
「余はまだ認めておらぬのだが」
「にゃ、にゃもっ、失礼しましたにゃも」
 七光りの八柱将は潔く引き下がった。八柱将の内何名かが口角を上げるのを見てしまう。中には原作で敵対するトキフサまでいて色々迷惑してるんだなって妙な同情まで湧いてしまった。
「……ナナコ、と申したな」
「は、はい」
 気を取り直し、疑問は提示せず受け答えに応じようと粛々(しゅくしゅく)返事を返した。
「ではそう呼ぼう。ただのナナコよ、其方の言動一つで余は機嫌を損ねはせぬ。今後もそしてこれからもな」
 ……妙な物言いだ。気に障らないではなく、元から機嫌を損ねる振る舞いをするはずがない、との自負心が感じられる言い様に官僚達も腑(ふ)に落ちないのか当惑する声が出始めた。下々(しもじも)の戸惑いもなんのその、帝が理由を語り始める。
「そもそもがだ、余は初めから気に入っておらぬ。その方等が忠実な臣下というのは否定もせん。余も其方等を信じておるしこれからも任せられる範囲はその方等に任せるつもりだ」
 では何故、邪魔をなさるのか。胸の内に生じた疑問に私を快く迎え入れたはずのかの人は断定する。
「此度(こたび)は婚姻の許しを得るために参内したのだったな。簡潔に言おう、認めぬ」
 ⋯⋯言葉の意味が理解できない。助かったと思ったら崖から突き落とされた気分だ。
 あまりにも突然で平坦な物言いに動揺したのか周囲でどよめきが起こる。
「何が理由か、伺いたく」
 オシュトルの声に少し剣が混じった気がした。それも当然か、この場は婚儀の許しを得るために設(もう)けた席で、あけすけに言えば了承される前提で開かれた会合だ。関係者にとっても暗黙の了解だったはず。内々で歓迎していた矢先、公(おおやけ)の場で妻を連れて来いと言われて来たらいきなりハシゴを外(はず)されて怒らない人なんていない。オシュトルが憤(いきどお)るのも無理はない。デコポンが青二才と喜色ばむのが正直カチンと……今はそれはいいや。
 私も動揺しきりだが理由はいろいろ予測出来た。同族だからとか倒れまくって心配だとか。でもいきなり呼びつけて取り上げれば恨まれると予見できない方でもないのに、どうして反対なんかするんだろう?
「明かす必要はない」
 それで端(はな)から説明する気もなしと来れば道理を知りたがるのも人の常。二度の追求を退(しりぞ)けられて分が悪いとわかっているのに尚も追求しようとするオシュトルに別の忠臣から待ったが掛かる。
「聖上の言葉に逆(さか)らうか。下がれオシュトル」
 ヤバい奴のおでましだよ〜。階段手前聖上に一番近い位置にいる半裸の巨漢威圧感半端ないから見ないようにしてたけど、ヴライじゃん。公式戦でオシュトルに一敗して目の敵にして、力こそ正義で闘争本能の塊(かたまり)だけど忠臣なのは確かの狂犬。それが視線をこっちに向けている。
 さっきまで見もしなかったのに、やだ超怖い。助けて神様オシュトルハクと願っても当然状況が改善するわけもない。帝は否(いな)と言った、ならどこに行こうと公で連れ添うのは無理と決まったわけでして。事態を打開するために脳内で思考を巡らせたけどここから挽回する手なんて思いつくはずもない、お手上げ状態だ。
「貴公に許しを求めてはおらぬ」
「帝か否というならば否と知らぬ貴様ではないだろう。下がれと言ったのだ」
 苦悩してる間に関係ないところは一触即発で睨み合ってるし。
 私は溜息をつきダメなら大手を振るわなければ良いかと諦(あきら)め妥協した。突っぱね反感買って死に別れるよりはマシだろう。まあいいかの精神である。生きてるだけで丸儲け、そう思うほかないでしょう、うん。泣きたいけど、実際半泣きだけどオシュトルを危険に晒(さら)してまで連れ添うのはなんか違うと自分でも思うし。
 怖すぎる睨みを無視して、内心で妥協した私は尚(なお)も食い下がろうと口を開けかけたオシュトルにここは一旦引こうよと、袖を控えめに引いて提案する。
「オシュトル様、私は日陰の身でも構いません」
「理由を知らねば引き下がれぬ」
 強めに袖を引いてもこっちを見もしない。
「オシュトル様」
「駄目というのがまだわからぬか」
 微妙な圧を感じる聖上の声に私はひえ〜と戦(おのの)きっぱなしだ。青ざめ縮こまる私とは対照的にオシュトルは背筋を正し疑問を呈する。
「愚鈍の身ではわかりませぬ。聖上はこの日を迎えるまで歓待されているご様子でした。何故今になって反故(ほご)になさるのか、愚かな某にどうかお聞かせ頂きたい」
「ふうむ……」
「オシュトル様〜私はこのままでも」
「良い筈がない。日陰で辛い思いをさせるのはもう沢山だ」
 オシュトルは顔は歪めたけど声を潜める理性は残っている。冷静さを取り戻そうと私は彼の腕に手を回しここは一旦引くだけだからと畳み掛けた。
「オシュトル、だから辛くなんてないから」
 気にしなくてもいいんだよ?続けるつもりの言葉は途中で振り返る彼自身の手に払われ引っ込んでしまう。
「其方は笑わぬではないか!」
 ……驚いた。突然怒鳴られて呆けちゃったけどそれは周囲も同じのようで、ちょっとだけ辺りがしんと静まりかえる。でも高官達の立ち直りは私よりずっと早くて、さざめく悪口に我に返ったんだろう、オシュトルが口を歪ませ悔しげにすまぬと謝罪をこぼし前に向き直った。声量はずいぶん抑えられているからさっきみたいにうっかり聞こえるヘマは踏まないはずだ。謝罪した後で堪えきれなくなったのか、ぽつぽつ心情を零し始め遮るのもなんだから私は聞き入った。
 周囲で寄せ来る悪口なんて聞きたくない。そんなものに意識を傾けるよりは何故か私以上に打ちひしがれた風情のこの人を気遣いたかった。
「友といるときの其方は自然だ。意図して表情を作らぬからな。笑い泣き怒り冗談を言い合うときもある。だが某とではどうだ?怯え恐縮しおもねる顔ばかり、たまに素を見せても長くは続かぬ。某は其方に心安らかにいて欲しいと言うに未(いま)だ……」
 溜息。そして顔を上げた夫殿はいつも通りオシュトルの顔に戻った。
「すまぬ、取り乱した」
「ううん、いいの。貴方は悪くない。それだけは確かだよ」
 重ねる視線に想う。私は彼を信頼しているけれどそう受け取られなかったなら不信を抱かせた私が悪い。敬意を持って接したつもりでも通じなければ意味がない。今度はもっとくだけた言葉を掛けよう。ハクみたいに、儲かってる?ぼちぼちでんな、なんて応酬を目指しても良いかも、なんてオシュトルの指摘から私は目を逸らした。
 オシュトルの弁も尤(もっと)もだ。妻側から好意を示したのに嫁いだ後は無関心、何か理由があると探るのも当然だろう。単に釣った魚に餌をやらないタイプだと幻滅しても仕方ないのに、自分に原因があると悩んで日影の身でいるからだと誤解するなんて。オシュトルは本当に真面目さんだなあ。
 ごめん、笑えないのは単にそんな気分なだけなの。違う人種だとか今後の不安とか皆の前で口にするわけにも行かないもんね。負担にならないよう気を遣ってるつもりだったけど、笑えてるつもりで出来てなかったとは、私って結構な大根役者だったんだな。今度は気をつけるよ、もっとちゃんと笑えるように努力する。
 なんて思いつつ、こっちを見て微笑むオシュトルに注視したいのに外野のやかましい事ったらない。幸い武人一同は悪口には参加せず沈黙を保っている。オシュトルに非がないとわかって静観に務めてるか様子見かはわからない。
 確実なのは端のデコポンポが女の趣味が悪いだとか聖上を前に醜態(しゅうたい)をさらすなど言語道断などと息巻いているのがイラッとしつつ妙におかしい。だって全部反面教師だもん、聖上が発言許可してないのにプンプン怒ってさ。デコポンポのの方が酷い。人目見ただけでもわかる弛(たる)んだ体、貴方の方がよほど醜態さらしている。
 オシュトルににっこり微笑めば色々と流す気になってくれたんだろう、オシュトルは前を向き取り乱した醜態を聖上に詫びた。
 ……さざ波は幾つか大きな嘲笑を背後で起こしたが「静粛に。聖上のお言葉を待ちなさい」と静観していたウォシスの指摘で小さなものに戻る。
 ややあって聖上は頷き戸惑うのも無理はないと同意した所で、現人神に従う彼等も沈黙に徹(てっ)した。
「格が違う、では通じぬか」
 オシュトルが頷く。
「よい、ならば言おう。
 そもそもがだ、この娘は其方等と何もかもが違うのだ。身分違いとナナコは臆(おく)したが余から見ればどれも同じよ。身分で断じるならばありえぬ、釣り合いなど取れようはずがない。例え誰を相手に連れて来ようとな」
 あ、あかん。思わず関西弁でドン引く程度にはヤバい事態を起こされた。この人私の立場を明かす気だわ。公(おおやけ)で当人の許可なく発表するのはやめてもらえませんかね。
「私は平民にございます、婚姻の了承が貰えないのも当然、よくわかりましたので失礼致したく」
 真正面から諫(いさ)めれば顰蹙(ひんしゅく)買っておさらばできると狙ったけれど、言い様一礼し席を立とうとするとオシュトルに責められた。
「ナナコ殿、話の途中で退席するのは非礼である。態度を改めよ」
「右近衛大将の言うとおり、ナナコよ跪(ひざまず)け」
「……」 
 逃がしてくれる気は端(はな)からない訳ですね。渋々立ち掛けた腰を落とし聖上の言葉を待つオシュトルに囁(ささや)く。
「戻りましょうオシュトル様。私は日陰で構いませんから」
「其方は日向(ひなた)を歩くのだ。手を回し公的の立場にたったからには今更日陰に戻すなど出来ぬ、したくもない」
「私はそれでも構いません」
「もう遅い」
「聖上、私に発言の許可があるならばこの度の婚姻の申し出は取りやめて頂きたく、むごっ!」
 立ち上がり意見したところ横の男に口を塞がれ跪(ひざまず)く態勢に逆戻り。どかそうと片手に両手を掛けて力を込めるがびくともしない。もごもご抗議の声を上げても視線すらよこさず流された。
「ほっほっほ、仲が良くて何よりである」
 楽しげに笑い声をあげる聖上だけど、周囲の雰囲気は怪訝(けげん)な物に変貌する。
 婚姻は反対するのにじゃれあうのを喜ぶ意図が分からない、そんな軽口が背後でさざ波引いていく。
 周囲が落ち着くのを見計らっていたのか、少しの沈黙が過ぎた後聖上がうむと頷いた。
「日影の身を望もうと余は許さぬ。其方は聖廟に来るのだ、来なければならぬ」
 どよめく周囲の反応もさほど気にならなくなる。聖上の言葉は私にとって中々に衝撃的だったから。
 はっきり断じる言いように後がないのをなんとなく悟った。いつか招かれるかも知れないと覚悟はしていた。だから大丈夫ではあるんだ。私は残り少ない人類の生き残りで最近まで忘れてたけど帝の知り合いだし。聖廟に呼ばれるまでは精一杯生きよう、そうなっても恨まず謙虚に、オシュトルのように誠実に向き合うつもりだった。恩義しかないんだ、私達の関係を祝福だってしてくれていたのに。
「何故、どうしてですか、貴方は私達を祝福してくれたではありませんか!?どうして今になって」
 問い詰めるような物言いに自分でもびっくりしたけれど止められなかった。言い切った後でああ私日影で良いって言っておいて結構ショックだったんだなと思い知る。感情の高ぶりから吹き上げる涙を拳でこすり無いものとする。常日頃その場にいれば肌を傷めるからと濡れた布巾で拭いてくれるオシュトルがこれ以上弱みを見せないために心配そうな視線をよこすのにすらなんだか申し訳なさを感じてしまった。こんな一言で動揺してごめん、言えない言葉は後で言えばいい。馬鹿だな自分、聖上がその気になればそんな機会なんて二度とないのに。
 静観に務める将達も事態の異常さに平民の声を留めて良い物判断が付かないらしい。顔を見合わせ眉を顰(ひそ)め、口々に疑問を零し始めた。
「おかしなことを言う。まるで聖上が知己のような物言いだ。気でも触れたか?」
「真(まこと)がどうあれ俺は芝居に興味はない。ですが聖上、道理を説(と)かねば納得いかぬ者も少なからず居る様子。不遜(ふそん)ながら我も正誤の判断に至らずきっかけでもご教授頂けませぬか」
「よかろう」
 即答っすね。ヴライにライコウさんっすよ?送りつけた雑紙にこの人達がどう動くか詳細知らせたけど特に対処してなさそうなのは何でかな?自分が手綱握ればいいってこと?傲慢さ満々っすね、さすが聖上格好良い!その調子で長生きしてね!マジでお願い。
「まずナナコよ。そなたは只人ではあるまい」
 は〜〜〜〜っ。直撃っすねえ。思わず溜息ついちゃったけど幸い後ろの高官達は神との発想には至らないのか、姫ではなかったか?だの、さる国の皇の隠し子?だの息巻いている。最後帝都の高官が知るぐらい素行悪いんですね、怖っ、偶然会っても近寄らないでおこう。
 元からバレてるのを偽っても指摘すれば恥の上塗り。オーゼン皇はさすが動揺の気の字も見せないが私は内心きょどりまくりです。ごめんオーゼン様、後で重々謝罪するからと胸中で拝み倒し、オシュトルが口を塞いでいた腕を離したところで、何でもない顔を装(よそお)い聖上に答えた。
「オシュトル殿はっ、ご存じありません」
「聖上、某はかの方が人でないのを承知しております」
 おバカーーーーーっ!援護される奴が横から撃ってくるなーーーっ!折角火の粉がいかないよう庇ったのに正体までバラされちゃ意味ないんだけど。
 後ろの高官共は滅茶滅茶オシュトルを侮る発言隠しもせずぶちまけだすし。あーもうっ!
「それを誹(そし)るならば道理。いかような罰でも受ける所存にございます」
 右近衛大将お咎め食らったら巻き添えでハクまでヤバくなる。断固阻止するために隠していたわけではないんですと私は情状酌量の余地を訴える。
「この方の主は聖上以外おりません。偶然知ったまで、適うならお見捨ておき下さい」
「他ならぬ其方の頼みだ、聞こうではないか」
 助かった、良かった〜〜。ふって笑わないでよ聖上。私相当面白い百面相でもしてたの?今素(す)で笑ったでしょ?まあいいけどさ。
「ありがとうございます」
 ほっと胸をなで下ろすけど清廉潔白殿は色々思うところがあるようで聞こえる程度にまた囁いてきた。
「庇う必要はない。全て身から出た錆(さび)に過ぎぬ」
「黙ってることがもう一つあるの、だから知らないのも同然かと」
「なるほどのう」
 聖上地獄耳〜〜。
「弟では不満か?」
 ……
「あれはそんなに頼りにならぬか?」
 背後の悪口が疑問に変わる。オシュトルに弟はおらぬ筈、では誰の?なんて問答に答える義理はないけれど、答えない限り返してはくれなさそうだから仕方なく答えた。
「御名を出すのはっ、どうかご勘弁を」
 地に手を着け頭を垂れたところで騒がしいお喋りぱたりと止んだ。
「きこう、続けよ」
「ありがとうございます……いいえ、彼の方に不満などありません。知らぬうちに我が身の不始末で巻いた種にございます。今回の件は殿下も予期してはおられなかったでしょう。傷つけはしないかと今更後悔しております」
 続いて周囲の疑問の声が大きくなる。戸惑いを強く含む声音にまだ来て欲しくなかったなと切に思う。
「あれも多少は感づいていよう。気にするほどでなはい」
「慰めの言葉、有難く」
 深々と頭を垂れた。これ以上周囲の疑惑の表情なんて見たくもなかったから。
 ハクは聖上の弟だ。身分が公(おおやけ)の場で明かされることはついぞ無かったが、原作では帝と兄弟として秘密裏に何度か邂逅(かいこう)を果たしている。八柱が知っていたかどうかは原作でも明かされていない。二次創作でも各自の判断に委ねられていて解釈も作者によって異なるから、こうなる前は単純に楽しんで読んでいた。原作ではこうなったけどこうしたら展開変えられたんじゃないかって。
 ハクの身分が明かされる過程を私も何度も考えた。オシュトルは驚くだろうか、それとも然(しか)りと頷くか。あるいは知っていて見守っていたパターンも面白い。クオンは意外とああやっぱりと頷くかも、皆はどんな反応を見せてどうやって彼を受け入れていくのか。
 ……他人事だからそういうのは楽しめるんだ。自分の身に置き換えたら辛いだけだ。そして確実に言えるのは、私のせいで彼が表舞台に引っ張られそうになっている現実。ハクの身分を明かすのは今じゃ無い、今で良い筈がない、もっと後だ。色々体験して一杯悩んで自分で結論を出すその日まで、ハクを表舞台に出したくなかった。
 そのためなら多少の我慢ぐらいなんてことない、筈だ。
 視線の先で耳を傾けていた聖上は否定もせず静かに頷いた。
「ライコウよ、先ほど真実の一端を知りたいと申したな」
 許しがなければ振り向けないのか、ライコウは静かに頷く。
「ならば明かそうではないか。余が認めぬ訳をな」
 一息間を置き帝が告げた。

「この者は只人ではない、余の妹だ」

 どよめきが、周囲を覆(おお)った。並ぶ八柱将はさすがに動きはしないが背後の高官達はもはや隠しようも無いほど動揺しきっていた。当惑に疑い、疑う事への蔑視、そしてまた大混乱。ちょっと気分がすっとして、そうだ私は偉いんだぞ、とふんぞり返りたいが自慢げに見えれば関係者が余計な嫉妬買いかねないから神妙な面持ちでいようと震える口を引き結んだ。でも、でも聖上言葉に一つ間違いがある気がするな。隣で固まった風情の男が気になるけど、申し分けなさすぎて対処は後回しにしよう。ごめん、本当は掛ける言葉が見つからないだけです。
「妹のように可愛がられた覚えはありますが実妹ではありません。血縁は何も」
「そうだな。だからこそ俺はお前を弟の妻に推薦したというのに、婚約を破棄したままだとは。あの愚弟はまったく」
 血縁なんて無いの、だから偉くないのとアピールしたけどそれを上回る爆弾が投下されまた周囲の注目を買ってしまった。妻、その単語を出すのはまだ先だと思いたかったのに。
「お、とうと君の、婚約者っ……」
 衝撃から思わず呟いてしまった彼を見る勇気なんて無いけれど無視は不実なように感じた。だから目の当たりにする前に目をつむり息を吐く。
 オシュトルに視線を向けるとまだ信じられない物を見た風に少しだけ目を見開きこちらを見ていた。狼狽(うろた)えきっている、あのオシュトルが。この反応は予想してたし上手く対処するための布石もある。それとなくハクから言質をウコンの目の前で取ったから大丈夫と思いたかったけど、やはり上司の身内の婚約者を妻に、と言うのは衝撃的だったらしい。もう前みたいに親しい交流を重ねるのは無理かもしれない、いや無理なんだろうな。妹だと明言されちゃったし、血がつながらないけど姿見せない弟君の婚約者だしさ。当人は、忘れてる奴が悪いって無かったことにしてくれたけど今は関係のない話だ。
 一抹の寂しさは感じるが全て我が身の不徳が招いた事態だ。いつかオシュトルにも咎められ糾弾される日が来るのかもしれない。重ね重ね申し訳ない、その時は甘んじて受け入れよう。
 兎にも角にも縁者に火の粉が飛ばないよう事態を収束せねばと、私は聖上に向き直り釈明した。
「聖上、不実を詰(なじ)る御積もりなら私だけでお願い致します。関係者の方々は何も知りません。私が、保身と欲を優先しこのような事態を招いてしまったのですから」
「何を言う。お前を詰る理由がない。それに婚約は解消しているだろう」
 そうですね。
「でも眠る前に約束をしました。もう一度目覚めたら夫婦になろうと、二人一緒にやり直そうと。なのに私はすっかり忘れて好きに生き、沢山の方にご迷惑をかけています」
「オーゼンよ」
「ここに」
「妹はこう言うが其方はどうだ」
「迷惑などとんでもございません。掛けられた覚えもありませぬ。逆に儂の方が妹君にご迷惑を掛けたやも知れません」
「ほう、どのような?」
「お力になれず心を痛ませました」
「お主の言葉程度で傷つくならば余の方がもっと酷い。この程度痛めた内にも入らぬわ」
「なれば良いのですが。末娘がよこす手紙に妹君の名をよく見ます。ずいぶん慕っている様子。このような状況になり我等が足を引っ張らぬかそればかりが気がかりです」
 オーゼン様、ルルティエちゃん……。
「足を引っ張るなど畏(おそ)れ多い。私こそ迷惑ばかりでお二方御家中方にも申し訳も出来ずただただ頭が下がるばかりです」
「ナナコ殿、我等のことは気になさるな。御身の立場を考えれば黙秘されたのも当然かと。大いなる父あっての我等、どうぞ些末(さまつ)に心煩(わずら)わせず自由でいて下され」
 自由に、些末……胸中で反芻(はんすう)する言葉に少しずつ心が冷えていく。自由など二度とないのだろう。今までも不都合が無い範囲で好きにさせてくれただけだ。それを悪いとは思わない。些末とオーゼン様は仰ったがお互いの立場を考えて口にしてくれたんだ。私は頭を垂れただただ感謝の意を示す。
「ふむ」
 頭を下げ合う私達を静観していた聖上が客観的な判断を下した。
「余の妹と知らず彷徨(さまよ)うていた所を保護したオーゼン、その方は誠に情深き男よ。おかげでこうして妹と再会できた。感謝しよう」
 あ、そういう風に事を納めるつもりなのね。謀(はかりごと)を企む奸臣がっ!って切り捨てられなくて良かった。さすが帝。でもオーゼン様は体を震わせ当惑する姿勢を見せた。黙っていれば良いのに、不義理を働くのを嫌ってか声をあげてしまう。
「っ……失礼を聖上、この方を儂は娘と言いましたがそれは偽りに過ぎませぬ。哀れに思い名をお貸ししただけで」
「オーゼン様はっ、路頭(ろとう)に迷う私に居場所を提供してくれたのです!」
「妹君……」
 恩人が自分のせいで窮地に立たされるのなんてごめんだ。無礼を承知で話に割り込み、背後で無責任に戯れ言をほざく高官共の懸念を払おうと、潔白を訴えた。
「身内もなく郷愁に駆られる私を哀れんで、身分を明かさない私に難儀するオシュトル様にいたく同情されて、名をお貸し頂いたのです!将軍としての名を軽(かろ)んじてもいませんし侮(あなど)ってもいません!」
「ヤマトに来たばかりの其方に、ヤマトの何が分かるというのか」
「わかりますよ!私はコンナで頭の出来も良くないけれど傍にいれば見えてくる物もあるんです」
「家族の身代わりに本質から目を逸らしておるだけじゃろう。欲など無いヒトはおらぬ。其方はメンクイじゃからほれ、顔さえ良ければすぐころっと騙(だま)される。苦労したじゃろうオシュトル」
 そこでなんでオシュトルに振っちゃうかな。オシュトルはもう落ち着きを取り戻して平伏しちゃってるし。
「苦労などとても。ナナコ殿は清廉な方、某の方が心労を多く掛けたやもしれませぬ」
「出来た解答よ。だからこそ本質をナナコは見ぬけぬ。都合の良い面だけ見て分かった気になるのが其方の欠点よ、改めよ」
「どういう意味ですか」
「そういう意味じゃ」
 いや訳分からないんですけど。
「態度を改めねば周囲に誤解を招くぞ」
「めちゃくちゃ改めてますけど。てか今まさに誤解振りまいてるの聖上じゃないですか。困らせてるのそっち、それに関してどう納得いく説明付けてくれるんですかね聖上?」
 ヤバ、挑戦的な言動に背後の高官共が不穏な言動をし始めた。妹君といえど帝に対して図々しいだって気をつけよ。
 狼狽える私の心情も知らず帝は好き勝手持論を述べ始めた。
「蓮っ葉な物言いは己の心を守るためであろう。其方は狼狽えるほど冷静さを欠いていたな。オシュトルに火の粉を振りかけたくなければ大人しく聖廟にあがれと言うに。まだ些事に興じるか」
 誤解を招く以前に今までの関係性聖上の爆弾発言で何もかも吹っ飛ばされたところですがそれに関して釈明は、なさそう。
「些事じゃないです。滅茶苦茶大事なことですってば!」
 とりあえずオシュトルを詰る言葉を正そうと蓮っ葉な物言いは封じて口を開いた、のだが。
「オシュトル様はっ、病弱な私を哀れみ保護しただけで利用する算段などもございません。まして裏切りなどとても。この方の忠誠は変わりなく。何も出来ず戸惑う私に、少しずつで良いから出来ることを増やそうと暖かく、本当に暖かく見守って頂いたんです。ただ単に、今にも死にそうな私を放り出せずずるずると。う、私はそれに甘え、このっこのような事態を招き、ほ、本当に申し申し訳ありません、う、うぅ……」
 色々明るみに出た衝撃からか思った以上に感情に波が出て最後はボロ泣きである。情けない。オシュトルは優しく某は良いのだだの、妹君のお役に立てて光栄の極み謝る理由はありませぬと微笑むものだから余計涙腺が爆発して情けないやら悲しいやらで涙が止まらない。
 聖上は溜息を付き、どこかの誰か、ハクに向けたぼやきを零した。
「こうなったのも奴の自業自得だ。どうせ何も言わず動きもしなかったのだろう」
「……あの方は自分のことで精一杯なのです。慣れぬ場で必死に居場所を作ろうと奮闘しておいでです。実の兄君が誹(そし)るような振る舞いはどうぞお控え頂きたく」
「其方どちらの味方なんじゃ」
「弟君に決まってるじゃないですか」
 瞬間、近距離に佇むブライさんから素人目にも分かるくらいの殺気が出てのけぞりそうになる。お互い聖上の手前なんとか堪えたっぽい。腕力も暴言もないから良かったけど、臣下の躾(しつけ)はちゃんとしてほしいとこっそり思った。悪口に忙しい高官達は和やかな雰囲気に速効掌を返し私を褒めちぎる。オシュトルへは分かりにくいイヤミを賞賛混じりでだべるから非常にうざかった。こちらの百面相に気付いているだろうに、聖上は何やら肩を震わせて楽しげだ。
「ほっほ、ほっほっほっほ……」
「せ、聖上?」
 正気ですか〜いや正気でないと困るけど。怖いよ〜。ビビりまくりの私に反して聖上は嬉しげに呟きを落とす。
「こうでなくてはな、こうでなくてはならぬ。お前はなんだかんだ言っていつも奴の味方だった。そう、こうでなくては面白くない。はは、ははは、はっはっはっははっは!!」
 大爆笑である。内心でドン引く私の前でひとしきり笑った後、落ち着きを取り戻した聖上が話を戻した。
「責めもせぬし罪にも問わぬ。逆に恩賞を与えたいぐらいよ」
 なら今まで通りにと私が訴える前に聖上が首を振り望みを絶つ。
「出来ぬ。余も心苦しいが今回ばかりは帰すわけには行かぬのだ」
 理由に思い当たる節がない、うんうん首をひねる。
「聖廟に来い。さすれば今後とも縁者に手は出さぬと誓おう」
 それは魅力的な提案ですね。
「此度のことで誰かを咎めもせぬ。其方の存在を触れ回り要らぬ心労をかける輩は余に反する逆賊とみなす。故に安心して余の元に下れ、ナナコ」
 ちっとも安心できない!気に掛けて頂いて有難いけどどうとでも解釈できる文言に私の脳内はお断りしたいの大盛況だ。でもわかってるよ、頷くしかないって事ぐらい。
 肩を落とす私の横でいつも通りの風体を取り戻したオシュトルがこっちを見て進言してきた。
「浅慮の意見煩わしいでしょうが、宜しいでしょうか?」
 ガン見されてたから聖上を見上げれば好きにせよと許可が降りた。なのにオシュトルは私の意思を優先したいようで視線を逸らさず無言を貫いた。視線に晒される中ようやく発言の許可を求めてると知り何を言われるか分からない不安に慄(おのの)きつつ了承した。
「…どうぞ」
「昇られるのが賢明かと。断る理由も有りますまい」
 まさかの後押し……いやこういう状況になればそうなると予想してたからあんまりショックじゃないけどさ。婚姻発表の席で夫役に実家(実家でもないけど)に背を押されるのって寂しいなあ。
 そもそも公の場で退路を断つからには相当の理由があるはずだよね。私を強引に引っ張る理由は何だろう?遺産を使わないといけない状況でも出来た?それなら素人じゃなく元からいる大宮司やウォシスに頼むはずだもんね。何でだろ?
 ひとまず聖廟に招く理由が知りたくて聖上に声を掛けた。
「……私に何をさせる気かお聞きしても?」
「よい。何かしても良いし何もせずとも良い。其方は自由にくつろいでくれ」
 理由ないんかーい!遺跡探索とか来ると思ってたのに。私の余計な介入でタタリが暴走しそうだから責任取って消せだのなんだの……なんなの、それならこのままオシュトルと娶せてお気楽隠密家業任せてくれても良かったじゃん(お気楽でもないけどさ)。なんかあるでしょ?何もないならなくていいけど、強制的に召し上げる理由が絶対ある筈なんだよ。
 聖上は人恋しさに道を誤るヒトじゃなかった。寂しくて召し上げる程私に入れ込んでもなかったはず。強制的に召し上げるなら私よりハクでしょ。実弟飛ばして義妹そばに置く方がおかしいんだよ。それで今日もハクは護衛も付けずに溝掃除の予定が入っただとかで休みたいってぼやいていたの昨日聞いてるし。
 事情を明かせないならそれこそこんな場なんて設けず右近衛邸に来たときと同じく問答無用で連れ去っているはずでしょ。明かせないわけじゃない、公的な場で立場を明言する必要があったんだ。守ろうとしてくれるのは有難いけど、意思の確認もせずこんな暴挙に出た理由を私は知りたかった。
 軽く頭を振って立ち上がる。さざめく周囲だが聖上は咎めず静観に徹しそれに倣(なら)い周囲の声も落ち着いた。私は未だ答えのくれない聖上に迫る。
「いずれはと思っていたので大丈夫です、ええ結構。でも聖廟に伺うのが今でないといけない理由って何ですか?私はまだそれを聞いてない。教えて下さい、聖上」
「兄だ、義理とはいえ身内に他人行儀で呼ばれるのは辛い」
 ……また煙(けむ)に巻く。
「兄さん、聞かせて」
「……どうしてもか」
「どうしてもだよ!静かに暮らすつもりだったのにどうして昇らないといけないの!?困らせたくなくてずっとずっと我慢してたのに。何でこんな事されてるか理由ぐらい説明してよ。立場ないじゃん私もこのヒト達も。迷惑なんて掛けたくなかったのに何でよ。分かってたはずでしょ、兄さんなんだから!」
 オシュトルを指差し理由を明かせと私は迫った。
「人は変わるのだ、妹よ」
「それでまた煙に巻く。ずっとずっと聞いてるのに何で濁すのよ、妹だって言うなら何で答えてくれないのよっ、妹なんでしょ!いつだって貴方は弟君に関することなら何だって教えてくれたのに、血が繋がらなければ結局私も皆と一緒ってことですか?」
「同じなはずがなかろう、お主は余の同胞である。命は誰しも対等であるが各人により価値は異なる。そのようなこと、妹ならば言わずともわかろうに何故今更尋ねるのか」
「ただ聞きたかっただけですよ!悪うございましたねごめんなさい。これでいいですか?!」
 半ばヤケクソで頭を下げるが機嫌を損ねもせず帝は元気がいいのうと楽しげに綻んだ。体よく流されはしたが、文明が滅びる前似たようなやりとりをお兄さんがハクとしていたのを思い出し変わらない態度に何故と疑問ばかりが噴出する。人は変わると告げた帝の態度こそ最初は警戒していたが以後は以前と変わらず親しげだったはず。私の身分を公に晒しても変わらない態度に冷静に尋ねようと口を開くのだが心情を吐露する内にまた言動が過熱していく。
「ああそうですよ人は変わりますよね、でもそれは誰だって同じでしょ!遙か彼方から見下ろす私達はさぞ小さいんでしょう兄さん? こっちに降りて来いなんて言いませんよ。安全のためだって私でもわかるし。でもさ兄さん、教えてよ、せめて理由ぐらい教えてよっ!考えてもわかんないのよ。私から全部取り上げるの見ない振りしてあげるからさ、騙し討ちしてまで私を呼んだ理由を教えてってば!兄さんっ!!」
 あああっ〜〜、冷静に問い詰めようと思ってたのにキレ散らかしてしまった〜〜。最後は泣きじゃくって俯いちゃうしもうグダグダやんけ。
 胸中で自省しまくる間にオシュトルは心配そうにこっち見てくるし、そっと謝っているとヴライが怖すぎる視線向けてくるし、もうヤだ〜〜。家に帰りたい……無理なんだろうけどさ。
「貴様、妹だからと大目に見ていれば」
 ひえっ〜〜。
「よいブライ。それも当然である」
 聖上助け船サンキュ〜〜。貴方が原因なんだけどとの指摘は胸の内に仕舞っておく。
「ナナコ、其方は己がオンヴィタイカヤンであるのを知っておろう?」
「そうですね」
「オンヴィタイカヤンは遠くへ去った、ヤマトでそう伝えられているのも知識で得ているな?」
「……文字の勉強で何度か」
「勤勉だな。奴に爪でも煎じて飲ませたいところだが、まあ今は良い」
 いやハクこそ勤勉でしょ、隠密業務に夜は文字の手習い。屋敷でぐーたらしてた私と一緒にしちゃダメ……だから今はそれはいいんだって。
「其方はオンヴィタイカヤン、大いなる父の一端である。其方が送りつけた雑紙には彼等がどのような歴史を歩み去ったか、原因含めて事細かに記していたな。言わずとも理解した前提で明かすぞ」
「どうぞ」
 オシュトルの視線が痛い。きっといつの間にだとか思ってんだろうな。不信感買わないといいな、無理か。
「其方をここに呼んだ理由は婚姻の了承ではない。彼等が去った原因と同義である」
「意味が分かりません」
 どういうこっちゃ?
  さっぱり見当がつかない。良くないことじゃないといいなと首を捻る私を前に、聖上は御簾越しでもわかるほど躊躇いながら口を開いた。
「……簡潔に言おう。大いなる父の特性が強く出た。諦めよ」
 いやだから何を、と言おうとして思い当たる節に私は固まった。視線を落とすのを寸でで堪える。誤解を招く行動は控えないと、関係者に迷惑が掛かる。
 目立った膨らみはまだない、なかったはずなんだ。もしもの可能性は考えてたけど兆候は何もなかった、だから大丈夫だと、高をくくっていた。
「兄は無力だ、すまぬ妹よ」
 震える声で繰り出される最高権力者の謝罪の言葉に高官達がまたざわめきだすが周囲を気に掛ける余裕はもう欠片も残っていない。助けてと泣き叫びたいが無理なのはすでに悟っている。呆然とする私の脳内は過去に巻き戻る。
 ウォシスの言葉を思い出す。腹の内はどうあれ、彼は私を人として死なせてくれようとしたのかもしれない。
「的中率オールナイン、例外はない。自由にさせて犠牲になるのはヤマトの民だ。其方を失うだけでも耐えがたいのに民に虐げられる身内を余はもう見たくない」
 続く帝の言葉に何も考えられなくなった。後ろで腑に落ちず雑談に興じる高官も、柔和な笑みを絶やさないウォシスが視線をよこさないのを不審に思っていたことも。
 膝から崩れ落ちて床に手をつく。少しだけ意識が遠のくけど、心配げに掛けられる二つの声にこれ以上負担を掛けてはいけないと踏ん張った。
 そもそも現実は物語みたいに上手くはいかない。切りのいいところで気を失い助けが来るのなんて漫画ぐらいだ。ウォシスという神絵師がいても正義の味方に憧れ実行するキャラは稀だ。だから意識が遠のいたところで都合よく奇跡が起きて万事解決なんて起こりえなかった。
 道理を説く帝と訳が分からず混乱する高官共のざわめきしか聞こえない。いや、胸の内でくすぶる憤りだけがよどみとぐろを巻いていた。噴出する黒い感情に身を任せたくて、でも耐えるしかない。クソ神と罵りたいが偶然で運が悪かっただけだ、ただそれだけの話しだ。ハクホロさんを恨むのはお門違いだろう。彼も言ってたじゃないか、摂理は変えられないって。だから、だから納得するほかない。ああもしや、墓所で聞いた地獄とはこのことだったのかもしれない。子を望んでも私の望みは適わないと。


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風と行く