31話 解けない呪い


 助けてと叫びたかった。誰彼構わず取りすがり子の助命を懇願したいが出来るはずもない。兄が、おそらく世界随一の技術を持つ帝でも無理なんだ、だから謝意を表明したと予測できたから。
 私の使命はあらかた果たした。だが各地に散らばるタタリはそのままで、新たなタタリまで宿したとあっては消せと言われるのも当然だ。子を下ろした後どうなるかなんて考えるまでもない。楽観的に考えれば隔離、最悪実験体として利用されることは簡単に予想できた。
 オシュトルと連れ添いたい、そんなのは私の我儘でしかない。いい加減諦めないとと拳で頬をぬぐった。
 きっと他の人なら上手くやれただろう。違う地獄があるとしても、私のように腹にタタリを宿す、なんてことはなかったはずだ。私がこんなだから子供まで。そう思うととめどなく涙が溢れ腹にボロボロ涙が零れ落ちていく。
「ごめんなさい」
 お腹を抱きしめれば気取られる。だから中途半端に構えた腕はそのまま宙ぶらりん。
 さすがにオシュトルも異変ぐらいは察知したのか、身を強ばらせ聖上に何か言おうと口を開くその隙に、帯から短刀を取り出した。

 いつか、オーゼン皇と杯を交わし床に着いた寝入りばな、婚姻の確かな証としてオシュトル直々に渡された物だ。武家の子女が有事の際潔く散るために用いるそうだが、身を守るためだけに使うようオシュトルから固く言い聞かされた業物だった。握る部分、柄は青く刀身に花模様の飾りが刻まれた可愛い刀の手触りはこんな時でもつるりとして握りやすい。柄(つか)の底にはオシュトルの家紋がある。
 振るう機会がないよう守ると、抱き締めてくれた温もりを私は今も覚えている。

「ナナコっ!」「ご主人様っ!」
 短刀を鞘から抜き間髪入れず喉を一突き、したつもりが、聖上の呼び掛けと同時にいつから控えていたのかマリカが突進しぶつかる衝撃から狙いが逸れ自決を阻止された。
「ダメですご主人様、それだけは絶対に。ちゃんと聖上の話しを聞いて。二度目はダメです、ダメなんです……」
 わなわな震える私に寄りそい腕を伸ばし抱き締めようとするマリカに叫ぶ。
「お……おまええぇ!私が、私がどれほど望んでいたと!」
 心の内を読める貴方なら私がどれほど絶望したかわかるはずなのに、待望の子を殺せと言われせめて諸共にと願う主の意も汲んではくれないのか。続けようとした言葉は刀身を滴(したた)る血が目に入り引っ込んでしまう。
「ま、マリカ……?」
 抜き身の刀を握るのはマリカの手だった。どれほど勢いをつけたのか掌の中ほどまで深く刀が埋まっていて、意図せず震えだした私の振動が伝わり刀も小さく揺れて痛いはずなのに、瞳に涙を滲ませ青ざめるマリカは安心させようと力なく微笑んだ。
「大丈夫、私は大丈夫です。こんなのっ、屁でもありません。マリカは丈夫なんです、だってご主人様を守るためにっ生まれてきたんですから」
 私が傷つけたのに恨み言一つ言わない。
「ね、だから今は落ち着きましょうご主人様。聖上の話を聞いて、それから決めればいいじゃないですか」
 穏やかにほほ笑むマリカに反し周囲の喧騒は相当だ。内裏を血で汚す醜聞を罵り聖上の妹を嘲る非礼を断じ静観に務めよと各々が声を張り上げ当惑しきっていた。横のオシュトルは狼狽え切ってなんの反応もない。酷いありさまだ。でも今は何よりもマリカの意を汲んであげたかった。
 掌から力が抜けて刀から手を離すが深く刺さる短刀はマリカの手に埋まったままだ。傷つけてごめん、手当を、ああマリカ。涙ながらに謝罪を述べ手を伸ばす私にマリカが優しく微笑んだところで、表情が緊迫したものに変わる。
「危ないご主人様!」「ナナコ殿っ!」
「神聖な場を血で汚した痴れ者めっ!」
 聖上が止めよヴライと言い切る前に体をマリカに押され同時に横から引っ張られ抱きとめられる。剛腕が目の前を吹き飛ばした。それだけは分かった。
「……余は、傷つける許可を出してはおらぬぞっ!」
「配下もとは思い至らず失礼を」
 ヴライは目の前に繰り出した剛腕を床に付け聖上に向き直り深々と頭を垂らした。マリカはヴライに吹き飛ばされ、したたかに体を床に打ち付け血を流していた。見ただけでも分かる、重傷だ。四肢は繋がっているが骨が、至る所からっ……
「マ、マリカ……?」
 かろうじて息はあるのか、血で汚れるのを疎(うと)い離れる高官達の中から親切な数名が手を貸し何某かの術をかけるのが見えた。容態を確認しなきゃ、と焦るのに肩を握る力に押しとどめられマリカの方へ行けない。振り返れば非難の眼差しを向けるオシュトルと目が合った。離してと言いかけた唇は怒りさえ感じる視線で言葉にできず口ごもる。彼の前で命を絶とうとするのは二度目だ。細かい点を考えれば死地に飛び込む真似を何度も彼の前で晒している。もうしないと約束したのに破ってしまったと考えれば簡単にオシュトルの手を振り払うのも気が引けて俯いた。マリカの元へ近寄れない。
 マリカは健気にもご主人様と吐息のようにか細い声を上げている。生きている、なら大丈夫だ。
 少しだけほっとして、ついで近くに転がる刀に目を移した。刀身は砕かれ柄から真っ二つに割れている。
「私の刀……」
 私の部下も。
「妹君が身に着けるには少々粗末。あるいはこの者妹君を偽る不届き者やもしれませぬ。何とぞこの者を詮議なさる許可を」
「必要ない」
「はっ」
 帝の言葉にこちらを見ていたヴライは視線を床に戻した。
「ナナコよ、命を粗末にするでない。許可なく臣下を傷つけた罪は儂が詫びよう、すまなんだな」
 高官共がまたざわめく。二度も帝が謝るなどあってはならぬとやかましいが事実なのか、未だ背後で私を抱きとめたままのオシュトルが強張るから事実なんだろう。
「いらない、それよりもまずは治療を」
 オシュトルの胸を押して尚も引き留めようとする彼から離れる。深く頷いた帝の指示で現れた双子がマリカに術を掛け、傷がふさがり始めたのか強張る表情が緩むのに安堵した。双子はまた外套を被っている。律儀なことだ。
 場が静まったところで立ち上がり元の場所に戻ろうとするヴライに声を掛ける。
「……八柱のヴライさん、だよね?」
「真に妹君であらせられるならば敬語は不要。思うまま口にするがいい」
「私を止めるならわかる。武器を抜いたんだ、責められるのは当然、だがどうして止めたものを帝の臣下が手を上げるのか、理解できない」
「貴様を損ねる許可は出ていない。殿中で鞘を抜くは大罪、見せしめに配下を血祭りに上げたまで」
「ヴライ殿かの方は聖上の妹君である、言葉を慎まれよ!」
 抗議の声を上げるオシュトルをヴライは一瞥し鼻を鳴らして嘲った。
「嫁の素性も知らず誘(おびき)きだされた貴様がほざくか。慎むのは貴様の方だ、何故止めぬ。状況にのまれ嫁の動向に気づきもしない貴様に諭される道理なぞない!」
「某を嘲るのは当然、ただ妹君への態度はどうかと申している。帝が御身内と認めた方を誹るような真似は」
 話の途中オシュトルに手を出して言葉を止めた。同業なんだ、遺恨を残してはならない。やっと私はオシュトルに顔を向け視線を合わせた。平坦だが微かに憤る眼差しに胸が締め付けられる。色々ごめんねと胸の内だけで謝り小さく微笑んで、道理を説くヴライに視線を戻し深々と頭を下げた。
「ひとまず謝罪しよう。我が身を討つためとはいえ殿中で刀を抜いたのは無礼が過ぎた。失礼した」
 ざわめく周囲、帝の妹が八柱とはいえヒトに頭を下げるのかと狼狽える反応に逆に困ってしまった。
「神であろうと起こした過ちを正すために頭を下げるのは道理……と思うたが、はて人の倫理は違うのか?」
 矛先を更ににずらすため挑戦的な物言いで背後を見れば皆一様に口をつぐんだ。勇気ある誰かが神は間違わないと伺っていますと恐々進言するものだから、私に対しての認識は正しとこうと口を開く。
「帝はそうかもな。だが私はこの通り未熟者で自分で言うのも何だが過ちを起こさない確信がない。現に色々間違えてここに居るわけで、絶対的に正しい道を選べたなら元からこの場にもいなかっただろうよ」
 仰々しく断じると反応に困る高官の中で八柱の一人ライコウさんだけがはっと笑い捨て道理だなと呟く。好意的な反応が逆に怖いが無視しとこう。触らぬ神になんとやらだ。
 無言のヴライに私はこれ幸いと勝手に区切りを付け道理を説く。
「面目もたった所で次はおまえだ。謝れ、この者は私の恩人だ。気づけないのは気づかぬよう誘導したからだ」
「はっ、軟弱者が」
「神の振る舞いに動じない方がどうかしている。皆私を敬う素振りを見せているがお前はどうだ?敬う振りも出来ないと?」
「我が崇めるは帝御一人。それ以外は全て些事に過ぎぬ」
「おまえの主人が誰かという話しじゃない。謝れと言ったんだが?」
「謝る理由がない」
 不遜なヴライの態度に私は長い溜息をつき、仰々しくヴライのプライドを逆撫でした。
「謝れないか、まあいい。頭を下げるのなんて子供でも出来るのに将軍ともなればプラ、誇りが邪魔して頭を下げれないとは思わなかった。子供でもできるのにな」
 挑発する物言いに誰も何も言わない、いや下で平伏の姿勢をとるオシュトルが殿下と口を挟むが帝が咎めないなら問題ないと解釈してヴライに追撃をかける。
「オシュトルが無理なら次はマリカに謝れ。おまえが崇める主の妹を、身を挺し救おうとした臣下を損ねた振る舞いをまずは謝罪すべきではないのか?」
「貴様は我の主ではない。道理を説くならば己が振る舞いを正してから説くといい」
 その通りだけど私は謝罪した訳でして。
「頭を下げて正したが?」
「下々の意見に躍らされる者が聖上と同類など有りえぬ」
 現人神に認められた頭を下げて正したといいうのに聞く気もない態度に、せめて聞けよと声を荒げる。
「私は、謝れと言ったんだ!」
 空気が震えた。怒鳴り声をあげたんだ、そりゃ多少は震えるよねとどんな意図を含んだか理解せず衝動の赴くままに言葉を繋げた。
「何度も言わせるなっ、頭を垂れて跪(ひざまず)け!目の前にいるのは誰だと思っている、私はお前らが王と崇める者の……っ!」
 目の前の光景に絶句する。
「さすが、余の妹であるな」
 壮観だった。皆一様に跪いていた。目の前に並ぶ八柱将どころか見回せば武官文官一同が示し合わせたかのように頭を垂れている。外套を被る双子も階上に佇んでいた大宮司ホノカさんまでも同じだった。おきているのは私と帝だけ。可愛そうに、立てる状態でもないのにマリカは体を震わせて跪いていた。
「き、貴様っ、何を……」
「さすが、御血縁でなくとも神の一派なだけは、あるっ……!」
「な、ナナコ殿……」
 ヴライが呻き、感嘆の声を漏らしたのはアトゥイの父ソヤンケクルか。当惑しきり思わず名を零したオシュトルを見て一杯一杯になった私はもういいと呟いた。もう沢山だ、身分だの神の遺伝子だのどうこうは。
「もういいっ、面をあげよ。マリカ、お前は伏せていろ!」
 重傷だ、悪化させてはいけないと無意識で放った命令を解きマリカの元へ駆け寄ろうとした。だが掛けだしたところで激昂したヴライの叫びに阻まれる。
「女狐が、どのような手を使い我に膝をつかせたああぁぁ――――!」
「!」
 伸びてきた両腕に体毎掴まれ脚が宙を切る。立つのを許してないからか、膝立ちで近くまで跳躍したヴライが私を掴み上げていた。人類の命令権効き過ぎて辛い。止めようとして間に合わず中途半端に片手を上げたオシュトルが戸惑う顔が見えて、煩わせるばかりの自分が不甲斐なかった。せめていきり立つヴライを沈めようと口を開くが悟られたのか、片手を喉奥まで突っ込まれて嘔吐(えづ)く。夫(元だけど)の前だぞ、乱暴止めて。
 魔女だのまやかしだの喧(やかま)しいヴライを咎める周囲の声で喧々囂々喧しい事この上ない。だが聖上が一喝するとヴライは罵るのを止めて一安心だが、いや拘束といてと願う私の意思は汲み取られず宙ぶらりんの状態が続く。
「妹の言葉に理由なく従い戸惑いを感じるのも無理はない。アレは自覚なくとも神に属する、其方等にはない特性を有しておるからのう」
 人類の強制権良い様に解説してくれてありがとう。
「皆の者、好きに動いてよい。只人である其方等は神の意志には逆らえぬ。ナナコは神意を示した……ただそれだけじゃ」
 お、平伏したままの衛士さん達が身じろぎしだしたぞ。さすが帝だって。ふ〜よかった良かった。少なくとも私の立場が帝より上と誤解されずに事を収められたのは不幸中の幸いだわ。内心で息をつく私だがヴライは依然腕を下ろす気配がない。
「ヴライよ、矛を収めナナコを降ろせ。妹と断じた余の言葉を疑うか」
「御心に抗うは不忠。是非もなし」
 やっとヴライは手の力を抜いて拘束を解いてくれたけど平民への配慮はないのか、自然私の体は重力に従い真っ逆さまに落ちしたたかに体を床に打ち付ける、のを覚悟したが、その前に横で控えていたオシュトルが手を出して受け止めてくれました。お姫様抱っこありがとう。
「……」
 返事もなく目を伏せ膝から降ろされる。そんで私だけ突っ立っちオシュトルは平伏するしさあ……仕方ないか、素っ気なくされてもしょうがない振る舞い山とした訳だし。
「聖廟に上がってくれるな?」
 帝の言葉に私は両手を上げてお手上げのポーズをとる。
「逃げ道全部塞がれましたしね。断れば部下の治療もしてくれないんでしょ、いいですよ。上がります」
 小走りでてとてと階段に近づく私は端から見ても威厳なんて皆無だ。縁者になんの釈明もせず帝の誘いに乗る姿は周囲にさぞ酷薄に見られただろう。階下に近寄る私だが何者にも咎められず、一段上がり八柱の前を通っても沈黙する周囲の反応に妹としていよいよ受け入れられたんだなと背中がヒヤリとした。
 内心で嘆く私に階上から声が掛けられた。
「其方を守るためなのだ。堪えてくれ」
「だから、いいって言ってるじゃないですか。こんなんで機嫌損ねたりしませんって」
 散らばる短刀の破片をせめて思い出に持っていきたいと手に取り袂(たもと)に放り入れながら返事をするが、気のない素振りがまたヴライの怒りに触れたらしい。
「何から何まで聖上の御身内とはとても思えぬ振る舞いだな」
 オシュトルが見かねて某が回収致します怪我をなさってはと苦言を呈する言葉に被せられ、私もまたカチンと来た。
「……お前がどう感じようと構わないがな、こっちは望んで上がっちゃいないんだよ」
「お傍に在れる幸福を喜ぶならいざ知らず、嘆くなど。それでもヤマトの民か」
「神だと言ったろ。帝の犬風情が私に吠えるか」
「殿下」
 離れた位置でも諫めるオシュトルの物言いに私は首を振り黙れと示した。犬呼ばわりされ驚いたのか、あるいは沸点に到達したのかややあって破片を回収しきる頃に怒りを滲ませてヴライが呟く。
「……訂正しろ」
「何故だ? 只人ならいざ知らず神の一派に犬と言われて喜ぶのが普通だと、今まさにお前が証明したんじゃないか。帝こそ、武人に尻尾を振られて喜ぶ変態だと、おまえの言葉でな!」
 殺気立つ周囲の気配に思う。いっそここで終わらせてくれよと。オシュトルの死亡フラグ要因道連れに出来れば私としては上出来な最後だし。
「我はいい。帝への数々の無礼、妹君だろうと捨て置けん!」
 痺れを切らしたヴライが拳を振りかぶり一歩踏み出した。それでいい、煽りに煽って激昂するヴライの追撃で私はこの命を終わらせるつもりだったのに。
 こちらの思惑など知らず、鞘から刀を抜き間に飛び込むオシュトルのせいでまたも本懐は遂げられない。
 馬鹿、殿中での軽率な振る舞いがどれほど危険か、教えてくれた貴方が刀を抜くのか。私なんて捨ておけばいいのに馬鹿オシュトル。
 刀の峰でヴライの拳を受け止めたオシュトルはこんな状況でも本当いい人で(悪く言えば甘ちゃんだ)阻まれよりいきり立つヴライに説得する言葉までかけ始めた。周りで乱闘騒ぎ咎める高官達の言葉が聞こえないわけないでしょうに。
 眉根をよせ、尚も追撃を繰り出そうとするヴライから離れるためか、振り返るオシュトルは断りなく私の体を抱き寄せ宙(そら)高く跳んだ。急な場面転換で白黒する視界にヴライが大きく空振りした余波で天上を支える柱にヒビが入るのが見えた。原作でこんな描写は欠片もない。私のせいだ。
「オシュトル……」
 私はいいから降ろして。並ぶ八柱将からも互いを止める言葉が上がるのに気に掛ける素振りもなく二人は睨み合う。視線すら寄こさないオシュトルに私は再度呼びかけた。一瞥(いちべつ)もせずオシュトルは柱に一度足を付け、跳躍したヴライの追撃を身をよじり避ける。またも轟音。天井にヒビ入ってないといいな。
「聞けませぬ」
 下から風を切り奔る暫擊を何度も躱(かわ)し、柱の間を飛び抜ける。響く轟音が聞こえるのに降ろしてと再三呼びかけてもオシュトルは答えてくれない。柱を蹴り跳び飾りに手をかけ私を胸に抱いたまま下の様子を伺う。
「勝手に命を絶つ方を離すなど某にはできぬ!」
 許せぬ、それも二度も、何度言えば其方は。続く憤(いきどお)りの混じる言葉に視線を上げれば怒りで歪んだ横顔を目にしてしまう。気まずさから視線を落とし、見えた先に人的な被害はないのにほっとした。しかし床は大きく破壊され帝の取り成しもヴライの忠誠を納めるには至らないようだ。殺さないから降りてこいとこちらに呼び掛けるが構えは解(と)いていない。許しがあればいつでも殺せると態度で示していた。
 視線を大門にやれば兵により閉ざされ逃げ場はなかった。初めから帝は私を誘い込みタタリを堕ろすまで逃がさないつもりらしい。ウォシスが駆け落ちを進めるわけだ、気遣いを無碍にして悪かったなと意識が逸れる。
 もういいから謝るからと私が言葉を重ねてもオシュトルは相変わらず無視を貫く。硬い表情に嘆息し原作を思い返す。
 原作では帝が崩御した際濡れ衣でオシュトルが投獄され脱獄する流れになったんだ。その時逃亡を阻止するヴライと戦いオシュトルが情けを掛けたせいで追ってきたヴライと再戦、勝利を掴むが力を使い果たしたオシュトルは塩になったと記憶している。このままヴライを挑発し討たれれば原作と違う展開にならないかなと魔が差したが、帝はどうも私の命を惜しんでくれるようで殺すなだの余の妹だと必死にヴライに言い聞かせていた。
 帝に抗い聖廟を血で汚す発端となった私を庇い立てるオシュトルが今まで通りの立場で動けるとも思えない。敵視する高官達の反目は必須、現に何人かの高官が冷めた目でヴライとオシュトルに視線をやっていた。例え帝が捨て置こうとも反感を買うのは必定か。どう動いてもオシュトルを無事で済ませられないのが辛い、全部私の自業自得だけどさ。
 暴れて多少落ち着いたのか、ヴライは拳を降ろしこちらを見上げていた。帝の呼び掛けに応えてオシュトルは飾りから手を放し、何度か柱に足をかけ勢いを殺して着地する。勢いに自然と目を瞑ってしまったが、オシュトルが聖上に一礼した際に私も目を開けて帝に頭を下げた。マリカに視線をやれば壁際に移動しており布を被る双子に術をかけられていて治療してもらえたのだと私はほっと息をついた。
「もう妙なこと言わないししない、ちゃんと謝る。だから、ね?」
 そう声をかけオシュトルも多少落ち着いたのか、深くため息をつき膝上から私を降ろし立ち上がると三歩前に出て背に庇われてしまった。ヴライは鼻を鳴らす。
「篭絡されたか、貴様ともあろうものが」
「帝に連なる方々を守るのも臣下の務め。いたずらに損ねる振る舞いは承服しかねる」
「仰ぐは帝ただ御一人、それ以外は塵芥にすぎぬ」
「意思に反すると聖上ご自身仰っただろうに何故思い至れないのか。仰ぐあまりに貴公は多くを見過ごしていると進言申し上げる」
「軟弱が、言葉でないと優劣を付けれぬか?」
「血で汚すのは愚行と先ほど申したのはブライ殿ご自身。そちらこそ言葉でなければ優劣を付けられないと臆しているようにも見受けられるが?」
「……試すか、ここで」
「ご冗談を。更なる血で汚しては聖上に顔向けできぬ」
「ほざけ、血に伏せるは貴様だオシュトル」
「お二方ともお止めなさい! ここは聖廟です。血で血で争うお積りならどうぞ外で存分に死あえばよいでしょう」
 挑発を挑発で煽りあい両者一歩も引かず睨みあう様はウォシスの一喝で納まった。しかしヴライは私の態度が気に入らないのか尚も妹にふさわしくないと喚き散らしついにはデコポンポまでもがそうにゃもと追随し始める。悪の親玉の一声で子飼いか一派か知らないが並ぶ高官達からも私が妹か疑わしいと声が出始めた。咎めいなす声は小さい。
 ちなみに私の心はさっきからずっとデットヒート。怖すぎて死にそうだが状況に置いてかれてドン引きの真っ最中である。真っ最中でも放っておけば事態悪化は免れず、せめてオシュトルの立場は良いもので終わらせたいと、私はない頭で穏便な締め方を考えるがハクじゃあるまいし思いつく筈もない。
 目の前で睨むヴライを見て冷静に考えないとと多分冷静じゃない頭で私は必死に考えた。帝の命に背き妹を討ったとくれば責を負うのは免(まぬが)れず八柱の籍を退かなければならなくなると見込んで、逆上したヴライに討たれついでに後顧の憂いを覗いとこうとの目論みは御破算らしい。オシュトルを挑発こそしたが冷静さを取り戻したのかヴライは帝に謝罪しろと五月蠅いことこの上ない。
 大人しく従えばその場は引くだろう、内心はどうだか知らないが帝が存命なら御せる。問題は崩御した後で只人の私に御せるかなんて考えるまでもなく無理だ。短い間に考えた。憤懣(ふんまん)を隠しもしないオシュトルの背に隠されヴライの罵声をバンバン浴びてドン引きする勢いで煽り返すオシュトルにビビりつつ考えた。
 ミジンコ並みの脳内で思いつけたのは、孕み腹としての価値をなくした今、妹としての価値を示し帝が亡くなられた後の憂いを断つ、それだけだ。
 神は他にもいて、今後も出ない保証はないと帝に縋る赤ん坊達に示そう。
 無礼不遜な物言いを聞き流しヴライがこちらを嘲(あざけ)る区切りで、階上で成り行き見守る兄に声を掛ける。
「変態呼ばわりしてごめん兄さん」
「よい。儂も影で其方を変態呼ばわりするから御相子じゃ」
「やめてって。冗談でも本気に取られるじゃん、立つ瀬ないんですけど」
「立たねば済む話よ」
 そうですね。立ってうろつくからこんな状況になるわけでして。帝との談笑を皮切りにヴライに視線をやり、謝ったからこれでいいよねと呼びかければ聖上が良いと言うならば口出しするは余計、とヴライは背を向け元の位置に戻った。
 ほっとしつつ再度疑惑が噴出しないようどの程度の行為が許されるか名ばかりの兄に問う。
「兄さん、兄さんの配下は私が妹に相応しくないってがなり立てたけどさぁ、どうすれば納得してもらえると思う?」
「騒動の発端が余に問うか。まあよい、疑念を払えぬなら妹たる証を示せ。命令でもなんでも言うがよいわ。まこと其方が神ならばどんな命令でも余の民に通じるだろう」
「首を切れと言っても、兄さんは許してくれる?」
 場が凍り付いた。覆水盆に返らずだが私の狙いなどお見通しなのか、自称兄はからからと笑い提案を飲み込む素振りまで見せる。
「忠臣を失うのは痛いのう。恨みを買っても良いならば見逃そう」
「ごめんね兄さん、冗談なんだ。恨み買って困るのはもうごめんだし」
 背後の何人かが安堵の溜息を零した。それを合図に上を見上げる。広い空間だが階下の夜光石以外光源がないため上部は真っ暗だ。まるで私たち人類の末路を表しているようで気が滅入る。
「ここ暗くてヤダ。空が見たい、窓作ってもいい?」
「阿呆、要塞に穴を開けてどうする」
 ちえーと残念がる素振りで内心で私はドンびく。やっぱりここ避難所ってだけでなく基地的な価値もあるのね。不用意に作動させてどっか攻撃しないよう気を付けよう。
「上の景色変えるのは?」
「ほう?良いぞ、やってみよ」
 転写許可を貰えた私は早速胸元のマスターキーに小さく呼びかける。どうせ隠しても耳のいい亜人たちに筒抜けなのは了解済み、発言と同時に発動すると思われないよう幾つかの補足をつけた。
「マスターキー、私が歌いだしたら三十秒後にここ謁見の間に上空の映像を転写して。私がここから出たら消していいから」
『了解しました。計測開始します』

 鍵の合図を皮切りに空気を読まず私は異常なテンションで神聖な場にふさわしい歌をと讃美歌もどきを口にする。もどきなのは正しい歌を知らないからだ。ゲームのテーマソングでもらしく聴ければ上等じゃんと恥を忍んで口ずさむ。
 当惑する周囲だが数える時間ぴったりに頭上に映し出された空の風景に明らかに動揺する声を上げた。そっか、今は曇天か。
「御業を、示したな」
 なんやねんそれ。帝の帳尻合わせなんだろうけどいいかげんな私には高尚すぎて似合わない。おそらく神の意志は絶対命令権を指し、御業(みわざ)は遺物を扱えるかどうかの違いしかないんだろう。それでも知識がない民にはらしく聞こえたのがよく分かった。
 帝の言葉に周囲がおおっとどよめく。好意的な反応の数々に私は後ろめたさを感じ視線を下に逸らした。元凶排除や四方に精霊っぽい映像転写よりマシかと思ったがやり過ぎただろうか?戸惑いから視線を巡らせば並ぶ八柱が狼狽える様を見てしまった。
「別にこれ、使い方さえ知ってれば誰だって扱える代物だし。神扱いされるほど大したもんじゃないよ」
 覚えのない称賛は居心地が悪い。ぼそっと言い訳すると聖上は私の認識を正そうしてか静かに諭すような言葉をかける。
「この者達は仕組みを知らぬ。そして資格なき者は扱えぬ代物を誰でもなどと豪語するのは傲慢な物言いとしか受け取れぬ。言動には注意せよ」
「何回も肝に銘じてまーす」
 片手を上げれば失笑された。
「にしても何故空なんじゃ?まさか二度と外に出られぬと危惧しておるのか?」
「違うんですか?」
「阿呆、日の光りを浴びねばヒトは生きられぬ。閉じ込めはせん」
 人類は地下で紫外線定期照射してたじゃん。
「庭園にもどこにでも空はあるじゃろうに」
 やっぱ町には出れないんじゃん。
「二度と見えないかもと思うとね。せめて最後くらい青空の下歩きたいなって……曇り空だけどさ」
 しかも時刻は夕刻だ。薄橙に暮れる雲を見上げてどうりでお腹が減るはずだわと呟く。
「神の力を使った感想がそれか」
 聖上は嘆息し一拍置いて譲歩案を出す。
「聖廟に呼びはしたが秘匿はせぬ。好きに振る舞うがよい。お主ならば線引きぐらいわかるじゃろうて」
 わかりませんって。精々、高貴な方々は奥に引っ込み雑事を下々にやらせる程度の理解しかありませんわ。
「一々外出るの面倒で」
 この状況で外に出ればお近づきになりたくない高官共に囲まれて疲れる。引きこもりたい心情を理解してほしいと帝に言うが軽くいなされた。
「明かりはあるじゃろう、我慢せよ」
 夜光石の薄ぼんやりした光源を明るいの範疇に加えないでほしい。青くまろやかな光を夜に見るのは好きだが日中ずっとこうだと気が滅入る。
「この程度で明るいなんて視力どうにかなってんじゃないですか? 一度精密検査した方がいいですよ。そのうち誰だ誰かもわかんなくなりそう」
 ぼけ老人扱いにまたヴライさんの怒髪天を突いたのを瞬時に悟り、刃傷沙汰(にんじょうざた)はもうごめんだから補足を付け足した。
「嫌ですよ、顔見知りに早々ぼけられたら結構きついんですからね。聖廟の仕組みもまったく理解してないし」
 さすがに大宮司ホノカさんは使い方知ってると思うけど、いざ政変起きたときお飾りにされたら困る。起こさないけど万一のため万全の態勢をと案に進言すれば素知らぬ顔で帝は軽口に乗ってくれた。
「暗くて湿っぽいところが昔から好きじゃったろうが、好みでも変わったか」
「陰鬱な出来事ばっか続くとねえ。多少は外の澄んだ空気味わいたくなりますって。ところで何でも願いを叶えてくれるとさっき言いましたけど、あれどこまでが許容範囲なんですかね?ふざけてうっかり聖廟からミサイル射撃とかどっかの皇帝みたいに風営法無視のピンク店経営したらさすがに怒髪天で粛正されますよね?」
 ちなみにどっかの皇帝とは歴史書で見た大陸の王でエロい脚色が多分にされているから真に受けては行けないと歴史の先生が補足してたな。今正に脚色どころか事実偉業を成しまくる帝が目の前にいるけど。口にした行為する気もないし。
 他の奴がやらかしたら止めるし説教は食らわせる。帝の配下も黙ってないでしょうよ。カタカナ語わからなくても宜しくない事態を想起したのか緊迫した雰囲気戻ってきたし。
 見限られるのを期待して吐いた文言だが、軽く流されてしまった。
「無為に殺したりぶち破らなければ何をしても構わん。帝室の、アンジュの威厳を損なわなければ見逃そう。空が見たければお主が許された権限の範囲で存分に堪能するといい」
 こっわ!認める発言にも引いたが後継の優位性と線引きを明らかに示された。
「お腹空いた、ご飯食べたーい」
 内心で引きつつ平静を保とうとあえて空気の読まない発言をすれば八柱の誰かが鼻白んだ。探る気はないから捨てておく。
「儂が聞きたいのは今後どうするかなのじゃが」
 若干当惑が混じる帝の指摘で口を尖らせ私は抗議した。
「そっちが考えてくださいよ。無理矢理引き上げといてノープランはキツいですって」
「好きにせよというたじゃろう。なんじゃ、今後も儂に丸投げか?」
「兄さんが築いた国ですからね、御上の意思に反する行動取りたくないし、そもそも権力闘争とか勘弁してですから。気ままにのんびり過ごしますわ」
 一区切り着いたところで腰をおろし床に尻を付けて文句を飛ばす。
「ひとまず脚疲れたから休みたいな」
「ならばさっさと引っ込め。お主がここにおると儂の威厳が下がって臣下に示しが付かん」
 いや、下がらせてるのは私の威厳だって。
「だからご飯」
 妹君の催促に背後の高官から失笑があがり始める。すぐに落ち着いたけど私は内心でしめしめとほくそ笑みおそらくまだ傍に控えてるオシュトルが小さく息をつくのを聞き流した。
 妹君の評判を落とし姫殿下の地位を盤石なものにする突発的な計画は順調のようだ。ついでにうっかり事故で私が死んでも評判の宜しくない妹君の関係者を責める選択も無くしときたい。結婚できないのは残念だが、後顧の憂いを減らす作戦が順調に進んで何よりだわ。
「勝手に行って妹だから飯を寄こせと厨房に行けばよかろう」
 帝は私の思惑も知らず図々しい義妹に鼻白んだ。上手い流れに私は嬉々としていつもより饒舌に軽口に興じる。
「行けるわけないでしょうが。なに人任せにしてんですか。言われた人困るの目に見えてるでしょうが。真に受けて違った場合責を負うのは厨房の人達なんですよ。そもそも私、厨房がどこかも知らないしどんだけ食べていいかも分かんないし第一身内認定した人放置して勝手に食事取らせるなんて、家族としてどうなんですか?食卓一緒に囲むべきでしょ、もしかして姫殿下もそうなの? はー、寂しい食卓ですねえ」
「自害せぬと誓うならば、幾らでも付き合おう」
 ……本題に、引き戻された。
 周囲の嘲るような空気がまた張り詰めた。動揺で言葉もない私に兄だった神は淡々と呼び掛ける。
「使命を果たす盟約はまだ生きておる。本懐適わぬならば己の価値を下げ折を見て自害し帝室の安寧を試みる算段、見事というほかない。さすが国主の妹よ。だが兄としては悲しく思うぞ」
 全部、お見通しですか……
 帝の言葉は絶対だ。背後の高官共の雰囲気が妹を嘲るものから不憫がるものに変わりつつある。拒絶し抗うには無理のある雰囲気だ。流すには真摯な言葉に私は仕方ないなあと本心で応じる。
「鍵は手に入れたでしょう?残りは資格ある方ならば誰でも出来る。ヤマトはあらかた片付けたので後は他の方々にお任せしますわ」
「押しつけてトンズラは恨まれるぞ。余と弟とあと何人かは確実に其方を恨むじゃろう。それでも良いと?」
 数えるほどしか残ってないじゃんと口を窄めれば他国はどうするんじゃと叱られた。
 したい人がすれば良いんですよと解決策を提示するが其方が名乗りを上げたんじゃろうがと呆れられる。ああ言えばこう言う聖上は心配から声を掛けているのも承知している。惜しむ声は有り難いが、弟君でなくとも、希望者いるじゃんと暗にウォシスをお勧めしといた。本人の許可は取っていません。名前明かしてないから不興買ってないと願いたいな。無理かなハハハ。私でないと出来ない断言されちゃったし。高官達は高官達でご助力が叶うならお手伝いをと申し出るけど帝がナナコでなければ許可できぬと断言して押し黙っちゃうし。逃げの手全部潰されたわ、つらー。
「私は死者です、後から見つかった者に怨みがどうこう言われても困ります。元々いなかったんですよ、私なんて」
 ついでに消えたところで影響は少ないと申し出るが、名ばかりの妹を惜しむ帝は更に言葉を続ける。
「其方を死者呼ばわりするものを余は許さぬ。其方は生きておる、闇に巣くう者共と違ってな」
 フォロー有り難いが、含みのある言葉に私は顔を上げた。
「どういう意味ですか?地下に巣食うど……闇は始末したじゃないですか」
  ヤマトのタタリは忌み嫌われる同胞を哀れみ帝が聖廟地下深くに匿っていたはず。私の手で消しはしたが国内のタタリはもう数えるほどしかいないと踏んでいた。未発見の遺跡ならいざしらず用意周到な帝のこと、二三漏れはあっても集落の奥地や洞穴なんかで静かに過ごしていたのを目覚めてすぐ私はハクと目の当たりにしている。トゥスクルは別だが、権力者のお墨付きを得ているからタタリを消すためなら誰であろうとマスターキーを持つものを彼らは歓迎してくれるだろう。
 私でなくても資格ある方なら使命を全うできる、だから終わらせるの大目に見てくれと訴えるのに帝はこれを見よと、先ほどの私と同じように宙を切り大きな映像を空中に現した。衛星データから収集したものっぽいが知識がなければ魔法にしか見えないんだろう、御業と動揺する高官達のざわめきを帝は気にも留めず現れた映像、立体的な帝都の街並みを指で縮小させ、山岳込みの帝都を横から見た全体像をめい一杯階段上部に展開させる。ぽつぽつ赤いのは遺跡か、もしくはタタリが住むポイントを赤く表しているのかもしれない。ほら見ろ、数えるほどしかないじゃん。
「地下は確かに。だが空はどうだ」
 えっ?と当惑する間に帝が指を下にやり映像が階段に吸い込まれた。上部を見せたいらしい。途端雲をぬって現れたのは赤い線、それも一つどころじゃない。帝が指で九十度回転させると映像が縮小されながら地図っぽいヤマトの全景が現れる。その過程で見えた、高低差様々だが絵の具で塗りたくったかのように地図が赤く染まり悲鳴に近い声を上げてしまう。
「あんまりだ、こんなのあんまりだっ!ああ神様……」
 空を飛ぶ機能はタタリにはない。衛星か、何を目的とした施設かは知らないがおおよその予想はつく。環境改善を目的に空から地上に照射だの投下だのしてた施設で巻き込まれたと私は見た。
 地上を出て成層圏を飛ぼうと人類なら呪いの対象に組み込まれる、例外はないと示された事実にまた私は打ちのめされた。空を飛ぶ技術はトゥスクルの亜人たち以外にはないし落とすには戦略兵器が必須。でもこれだけの量一気に落とせば地上の集落は壊滅的な被害を受ける。折を見て落としても被害は避けられない。マシロ様が具現化するわけだ。
「余にはできぬ。解放するには遺物の扱いに長けた者でなければ勤まらぬ」
 帝の言葉に我に返り抗議の声を上げる。
「巫方がおられるではありませんか!」
 気性管理衛星に関しての指摘はしない。タタリを滅するために地上を焼き払う選択を帝は望まなかった、わざわざ揺さぶる必要はない。
「あの者たちは聖廟の守りにも携わる。余の我が侭で国の安寧を脅かす訳にはいかん」
 先々で弟君にあげるつもりのくせにと内心で文句を飛ばすが、弟君にあげたのはヤマトを出ない確信と身の安全を取り計らいたい兄心からだと私でもうかがい知れた。今鎖の巫を表に出さないのは私にそれだけの価値がないか危険が伴い失うのを憂えてか、判断は付かないがタタリという闇が健在するなら手駒を失いたくないと自死を厭うのもよくわかる。
「浅慮をお詫び致します。いずれ任じられた曉には全て処断致しますので弟君はどうかお好きに成されるよう御配慮をお頼み申し上げます」
「使命を果たそうと自死は許さぬ」
 よかった、弟君は好きにさせてくれるのね。でも私は駄目と宣言され血縁じゃないんだけどなあと私は苦笑した。後ろで無力感から歯ぎしりでもしてそうなオシュトルの圧を素知らぬふりして帝に問いかける。
「……見捨ててはくださいませんか」
「ナナコよ、余は何も次など望んでおらぬ。こうしろああしろと命じて其方を苛む気もない。身内が死ぬのが耐えられぬと言うておるだけなのじゃ」
「私が、もうイヤなのです。私がまともでないからこんな事になってしまった」
「ナナコ……」
「最後まで頑張るからさ、その使命ってやつが終われば好きにさせてよ。血縁と離ればなれになるのもう嫌なんだって。いいでしょ兄さん、兄さんなら分かってくれるでしょ、ずっとずっと弟君を探してた兄さんならさ」
「……ナナコよ泣くな」
 泣いてない、こんなの感傷の内にも入らない。明言を避け頬を拭い切々と子の行く末を訴える。
「引きずり出して聖廟に冷凍保存しとけばいいから、お礼代わりにもならないけどっ、う……馬車馬みたいに働くし。元から生きる価値私にはないけどさ、飼い殺しでも頑張って使命を果たすよう頑張るよ。だから兄さん」
「最後ぐらい、せめて諸共でいさせてね……」
 死ぬときは子供ごと。最後の言葉は両手で顔を覆い殺す。タタリを殺す使命を果たすまでは子殺しを待ってほしいと要請する私のなんと浅ましい事か。タタリを殺すと宣言して尚、自分の子供は私の息がある内は共に生きたいと願うなんて、愚か極まりないと自嘲した。許しを得ない限り邪魔されると厭うての懇願だが、自死すら許しなければ阻止されると怯えて許可を求める意志薄弱な自分の性根が情けなかった。
 涙ながらに訴えるが帝は首を縦に振らない。それどころか。
「価値があるかないかは余の話しを聞いてからにせよ」
 と怒りをにじませ私の知らない事実を打ち明けてきた。


 繰り出される単語に私はまず呆けた。
 端的に言うと二人いたそうだ、それも双子。一人は私の特質が強く出たがもう一人はそうでもないらしい。先に荒ぶった方が守ったのだという。荒神に(本当はタタリなのだが統治に影響が出ないよう隠したとみた)包まれた第二子は影響を受けず腹の中ですくすくヒトとして育っていると帝は結んだ。神の特性が強く出た方もヒトの要素が出るのを待ったが改善の見込みはなく、放置すればもう一人もどうなるかわからない。このまま成長して腹から飛び出すのを待てば惨劇は避けられず、ならば犠牲を最小限に抑えるために騙し討ちに近い形で私を聖廟に迎え入れようと画策したと帝は語る。ついで然るべき処置を要請すると帝は言葉をつないだ。温情なのだろう、保護し経過を見ようと帝は決定的な言葉を最後まで使わず、突然の独白タイムは終了する。
  隠すべきと直答を避けた子に関しての指摘に、ようは堕ろせってことだと私は解釈した。ヤマトの民と家族達、私ともう一人の子を守るために、帝はずっと避けてきた選択を取るつもりだと訴える口調から察した。私を傷つけてでも同胞を殺す選択を選びたくなかった人に子を殺せと頼ませている。愛妻家で子煩悩の兄に……
 帝の配慮を目の当たりにしながら臣下たちは口々に憶測と誹りを囁く。帝の妹を孕ませたオシュトルを嘲るものもあるが忠臣はただ伏せて主の意を汲もうとしてか押し黙るばかり。文句の一つでも言えばいいのに、オシュトルは本当にできた臣下だ。
 帝の説明を聞き私が感じたことは様々だ。喜びと喜ぶ自分への憤りと恥じ入る感情、無事な方を殺めかけた不甲斐なさと子への哀れみ。ただ口を突いて出たのは謝罪の言葉だけだった。
 何に対しての謝罪か自分でもよく分からない。分かるのは、不甲斐ない私のせいで迷惑を掛けた全てに対してと言うことぐらいだろう。みっともない姿を隠したいのに恨めしくて悔しくて誰彼構わず喚き散らして胸の鬱憤を晴らしたくなる。
「ナナコは悪くないぞ。誰が悪い訳でもない。運が悪かった、それだけの話しなんじゃ」
 宥(なだ)める聖上の言葉に感情が爆発した。
「聖上っ!もう一人はいいのです。私がいなくても子は育つはずです。でも出来るならもう片方は諸共(もろとも)に、いっそひと思いにっ、う、ううぅ……」
 殺してほしい、タタリとして宿してしまった私ごと。
 言い切る前に声を殺して言葉を飲み込む。帝の血筋がタタリと関係あると悟られてはいけない。だからこそ特質という言葉で濁(にご)してくれたんだ。惜しまれた命を自分で投げ出す真似はしたくないのに舌をかみ切れば終われるかとまた血迷いもする。ああどの子もちゃんと産んであげたかった、神様!
 思考は支離滅裂だ。優先すべき事は多々あるのに感情の発露を優先する己の浅ましさが恥ずかしくて、再度顔を覆い項垂れる。今になっても私が一番に優先するのは腹の子ではない。それがまた悲しかった。
「ごめんなさいごめんなさい!私がこんなだからこんなことに、ごめんなさい」
 泣き濡れていると恐れながら失礼致しますと声がして背を撫でられた。馴染み深い感触だ。よく落ち込んでいると背中を撫でてくれたっけ。並ぶ八柱より高い位置に這い蹲(つくば)る私に近づくためか階段を上がってきたオシュトルに高官共の陰口が聞こえないはずないのに、非難を怖れず背を撫でる感触と温もりが嬉しくもあり悲しかった。目線はやれないまま温もりを受け入れる。
 貴方は父親になったんだよ、言えない言葉を飲み込み慚愧の念に耐えていると態勢を変えたのか、撫でる感触が前側腰元に来て顔を上げる。オシュトルは私を抱きこむぐらい近くにいて腹に視線をやっていた。顔を上げ触れてよいでしょうかと許可を求めるから、何度も頷けば子が宿る腹を撫でさする。労る手つきにたまらず、両手で手の甲に縋りオシュトルと顔を見合わせ涙をこぼした。オシュトルは静かに目線を伏せる。私も彼にならい邪魔にならないよう脇腹に手をやった。一家と括っていいかは知らないが、親子揃うのは今日が初めてできっと最後の邂逅なんだろう。しつこい自責の念に蓋をして今はただ寄り添うオシュトルの優しさに浸った。
 腹を摩(さす)る感触はしばらく続き涙を引っ込めると離れてしまった。けれど注がれる視線は温かく人心地着いた私は帝に頭を下げ直し取り乱した醜体を詫びる。帝は良いと聞き捨て、付け加えた。
「憎くはないか、妹よ」
「……」
 誰がとは帝は言わない。だから私も口にはしない。
「其方が戻り聖廟も完全な姿を取り戻した。今ならば呪いを掛けた者どもに一矢報いることも可能であろう。幾らでも余は協力するぞ、望むままに兵を出し屍を山と摘もうではないか」
 耳を疑った。当然の権利とでも言うように平然と主張する帝の言葉に頭が真っ白になる。臣下からも戸惑いの声が上がり始める。それもそうだろう、何の説明もしてないんだ。神を呪うなぞどこの何者かと不審がり戦費がどれほど掛かるか算段する声まで聞こえてきて青ざめる。トゥスクルは攻めないと一筆頂いたのにと憤り最高権力者の意向なら簡単に覆せると思い直し震え上がった。
「恩人の国を害するのを躊躇うならば鍵を使えばよい。鍵を持つ其方ならば敵地に日の雨を降らせるなり大海に鎮めるのも自在であろう。子を害された其方ならば資格がある」
「お断りします!」
 ほっとけば本気で攻め込みかねない談笑混じりの提案に私は慌てて待ったをかけた。
 大神はタタリ化の呪いを解けないと断じた。逆を言えば何度試みても不可能だったわけで。いきなり訪ねた無礼を見逃しマスターキーまで譲ってくれた恩人の國を責めたくはない。クオンの故郷だし、戦の結果はどうあれ血は流れるしたくさん死ぬ。誰かが泣くのを見るのは沢山だ。後味悪すぎ、そんなの原作だけでいいって。
「呪いを受けたのは私だけ。だからいいんです」
 一族と明言しなかった妹の気概を汲んでくれ。女じゃないハクなら貴方の希望を叶える先駆けとなるだろう。無事だった子には申し訳ないが亜人の血が入るから私のようにタタリを宿す確率は減るはずだ。
「恨みつらみは私たちの代で終わりにしましょう。遺恨なんてこれ以上残したくない」
「……そうか、おぬしが言うならば矛を収めよう」
「意思をのんで頂き感謝いたします」
 私が明かした呪いどうこうに高官達がざわめくが帝がらしい説明をするとすぐに納まった。
 曰く、大いなる父は女系のみに受け継がれる呪いがある。彷徨う妹を見つけ保護した際秘密裏に忠臣たるオシュトルに預けたが呪いを静めるには至らなかった。内々に張った結果が作用し幸い片方は無事にすみ妹の呪いも晴れ今日に至れたのだと。
 嘘八百のでたらめだ。さすがオシュトルは初耳でも動揺せず力不足で申し訳ありませぬと平伏する。面の皮の厚いことでと内心で呆れるが当然私も帝の言葉を鵜呑みにはしていない。
 ……呪いは解けてない。帝は今後タタリになる者が出たとしても個人の呪いで済ませるつもりで嘘をついたと私は推測した。訂正も確認もしない。正しい知識を披露すればアンジュ姫殿下の立場が危うくなるのが伺えたからだ。神の後継が女なのに何故呪われないのかと、それは彼女の立場が危ういとき致命的な一手になる。だから帝も明言しないんだろうと私は推測した。
 現に命知らずの高官が姫殿下がなぜ呪いを受け継がないか疑問を呈した。帝は淡々とヒトたる母の血を強く継いだからであろうと返し、母はどなたかとおそらく何度も聞いた問いにいずれわかるとのみ返す。
 帝の説明で混乱していた周囲も落ち着きを取り戻した。帝の命に背き軽薄な振る舞いに興じる妹への批判は引き裂かれる母子に同情する物になり、命に背く妖を庇うオシュトルは奸臣の徒ではなく妻子を守ろうとする家長としていたく同情されたようだ。変わり身と受け入れ早すぎだろ高官共、怖いぞその順応性。

 私が落ち着くまで見守ってくれた聖上が階上から声を掛けてくる。
「聖廟に上がり余を支えてくれるな。妹よ」
「……永遠ですか」
 おそらく何名か、特にライコウは表情にこそ出さないモノの確実に動揺しただろう言葉に帝は平然と応じてくれる。
「望むときに終わればよい。其方は若い。余と同等思うままに生きてもよいし区切りを定め時が来れば去ろうとも構わぬ。余が存命の内は許せぬがアンジュの代になれば見逃そう」
 いずれは身罷る発言に背後で八柱含め動揺の声が上がった。何も今すぐではないと帝が諫め、神とて寿命がある、今の臣下が仕える間は持つと断言する言葉に忠臣たちも多少落ち着きを取り戻したようだ。内心はどうか知らない、おそらくこの情報も初めて明かしたのは周囲の反応から見て取れる。反乱の火種にならないといいが、原作だとなっちゃったけどと懸念を懸念を隠し下を向く。
「長すぎると反発するのもわかるが事を起こすならば断りは必ずいれよ。ヤマトに徒なせば迎え撃つがそうせないなら何をしようと捨て置こう」
 死にたくないし反逆だってする気もないって。高官達狼狽えてるじゃん。誤解を解くべく嘆息し頷いた私は膝を付き平伏した。
「要請に応じましょう。子の安息を保証して頂けるならばこのナナコ、微力ながらヤマトの安寧のため尽力致します」
 おおっ、と何度目かわからない感嘆を聞き流す。最早逃げ道は塞がれ市井に縋る気も失せた。子を思うならば軽薄な振る舞いは慎み子の立場を盤石なものにしなければならない……多少の未練はあるがこれ以上縁者に迷惑を掛けたくもない。
 立ち上がる私に制止を掛ける声はどこからもあがらない。聖上が公(おおやけ)の場で身元を保証し神意どころか御業を行使したと表明したからか、帝妹殿下として表面上従う気になったのかもしれない。面従腹背ではないと祈るしかないのが辛いところだが、追々手は打って置こうとも思う。御業行使しまくってビビらすしかプランないけどな。絶対ライコウの不興買うよね。危険視されない程度に動こうと私の内心はビクつきっぱなしだ。
 私の煩悩も知らず背後からあちこちで賞賛の声が聞こえ始めた。
「帝妹殿」「ご帰還おめでとうございます」「聖上の縁石の方が戻られてヤマトもますます安泰ですな」「心中お察しいたします」「せめて恙(つつが)ない日々を送られますように」「安らかな日々を母子ともに」
 先ほどの乱闘などなかったような物言いに皆調子が良いなと呆れる。掌返しが半端なくて変わり身の早さに笑いたい気分になった、笑える訳がないけどさ。
 袖越しに集めた短刀の欠片に手をやると少しだけ空気が張り詰めて当惑する。もう自害なんてしないよと苦笑し手を離した。オシュトルから貰った短刀は彼の心の現れでもある。壊れたままは忍びない。粉々のバラバラでも刀工を訪ねる機会があれば治そうと思っただけだ。果たしてそんな機会作れるのかと自問するが長い時間ここにいていいと保証されたし、いつか直す機会が来ると信じたい。
 このまま刀貰っていい?と少し離れた位置で跪(ひざまづ)くオシュトルに視線をやらず尋ねれば、お好きなようにと返るので、ありがとうと頂いていくことにした。
 今回の件で関係者各位に掛けた多大な迷惑を詫びる文をいつ送るかは追々考えよう。一先(ひとま)ずは階上に上がり区切りを付けそれから動こうと私は歩く。
 ……いざ進まんと急勾配の階段に足を掛けるが、私を哀れんでくれたんだろう、聖上の横で侍(はべ)るホノカさんが聖上に一つ提案して歩みが止まる。
「聖上、ナナコ様は市井(しせい)で日々を過ごされました。心深き方もいたはずです。最後に縁者の方々にご挨拶なさりたいのではないでしょうか?」
 最後……やっぱり私はもう二度と町には。
 項垂れる私を前に一理あると感じたのか聖上が頷いた。
「ナナコよ何か言いたいことがあれば伝言を頼むと良い。言いにくければ他の者を検討しても良いぞ」
 針の筵(むしろ)になりませんかねそれ。でもお別れの言葉を他人任せにしたくないのも事実だしと気を取り直し手近なヒトに声を掛ける。
「オーゼン様」
「呼び捨てで結構にございます、敬われる立場に儂はございません故。ナナコ様、この度はご帰還真におめでとうございます。また数々のご無礼申し訳なく弁明の言葉も浮かびませぬ」
 礼儀なのか、前を見据え振り返らず頭を下げる姿に尊敬語は逆に失礼かと思い直した。尊大な方が気楽に受け答えできると解釈しとこう。
「謝る必要はない、逆に恥を掛けて申し訳なかった。貴方のような方を父と呼べて嬉しく思う……私にも家族がいてな。父は貴方みたいに立派ではないけれど、家族思いの良い父だった。おかげで貴方を見るたびに思い出せた」
「お褒め頂き光栄の至り」
 ……そうしてさっきまで娘扱いの女に再度頭を下げるんだから、オーゼン様は本当に出来たヒトだよね。異世界転生したら原作キャラに敬われるかも?素敵っ!なんて妄想してた自分とは大違いだ、出来た人格に感心する。でも家庭内では娘に甘々でなのに仕付けはしっかりしてて、子息に慕われる。良いな、私もこんなヒトになりたかった。
「こんな、こんな事にならなければ父と呼びたいぐらい心強かったよ。ルルティエちゃ、ルルティエは良い父を持った。ああそうだ、彼女にも礼を伝えて欲しい。可愛い妹が一時でも出来て幸せだったと」
「御意、力及ばず申し訳なく」
 もう一度オーゼンが頭を下げたところで区切りとし、静観に勤めていたソヤンケクルの名を呼んだ。
 八柱の一人、南国に座しヤマトに面する大海全ての治安を守護する緑髪の壮年はアトゥイの父親だ。胸元に鳥の羽を身に付ける男は一礼し光栄ですがと注釈を付けたうえで的外れの呼びかけに意見を呈してくる。
「申し訳ありませんが個人的な交流は一度としてないもので、お声をかけて頂くには不適当化と」
「御息女の名を出すのは不味いか?」
 後ろ姿しか見えないがちょっと首が傾いた。苦笑交じりの言葉に軽率を悟り恥じる。
「ああお聞きしております。あの子が色々ご迷惑をお掛けしたようで、謝罪なら逆にこちらの方が言い募らなければならないでしょうね」
 私は慌てて釈明した。
「違うっ! 御息女の明るさに救われていたと言いたかった。彼女の豪胆さは気弱な私には眩しくて。どうか今後も持ち前の明るさを失わずアトゥイらしく過ごしてほしい。ただ、そう伝えたかっただけなんだ……」
 尻すぼみする私の言葉に愛娘を溺愛する男は考え込むように首を微かに傾ける。ややあって理由を明かしてくれた。
「帝妹殿からのお褒めの言葉を娘はとても喜ぶでしょう。しかし悲しむやもしれません。恋に恋する娘には貴方もまた眩しく見えたようですので」
 眩しく見えた、か……実態はキラキラどころじゃなかったけれどそれを指摘するのは野暮でしょう。ありがとうと礼を言い互いに頭を下げあった。
「確かに承りました。お言葉一言一句、娘に伝えましょう」
 ソヤンケクルが頭を上げたところでウォシスに視線をやると少しだけ体をこちらに傾けて首を振られた。知られたくないのかと視線を逸らすと軽く頷き元の位置に体を戻す。お腐れ話に興じても彼は高官だ。殿中で新参の私と関わりがあると知られては弱みになると危惧して無反応を決め込んだと解釈した。世話になったんだ、足を引っ張りたくないからウォシスの望むように話しかけず済ませた。
 さてと、一番言いにくいヒトに視線をやる。
 数段離れた位置で控えていた彼は目上の者にするように深々と頭を下げていて、もう表情も見えない。でも逆にそれが一番やりやすかった。オシュトルには感謝と申し訳なさしかないのに今回のことで相当足を引っ張ってしまったし。
 私の軽率な振る舞いで立場をなくし協力者の顔も潰した。聖上が不問に処すと宣言したところで高官共の心証は最悪だろう。悪事を企む者どもは特にだ。水面下の謀(はかりどと)もやりにくくなった筈。この損失は計り知れない。後ろ盾が彼にはいる。今までみたいに黙認し静観に務める八柱だけでなく踏み込める上の権力が。それもちょっとやそっとでは動じない後ろ盾が。危うくなれば切って捨てても構わない、そんな役回りを詫び代わりに買うつもりで不慣れを承知で私は偽ることにした。
「オシュトル」
「はっ」
「おまえに手を出したのは都合がよかったからだ。殿下をお守りするのに丁度いい位置にいてな、それだけだ。おまえとの関係は遊びでしかないから此度のことはそう気に掛けずともよい」
「ご配慮有難く」
 平伏したまま顔を上げない姿に、逆に私が狼狽えて内心で動揺するなと発破をかける。何もかもが今更だ。
「っ、……いい男がいると聞いてちょっかいをかけたが、まさかの一本釣りには驚いたぞ。安々と誘いに乗るのは今後控えた方がよかろうよ」
「勿体ないお言葉、ですが某が挫(くじ)いたのは殿下の魅力が勝ったからに他なりませぬ。某もまだまだ未熟ということでしょう。釣られてくれるなとの殿下のご期待に応えられず、申し訳ありませんでした」
 酷い言葉を掛けたのに何でもないように返されて力が抜けた。ついでに憤る。なんで謝るんだよ、怒るとこでしょここ。あからさまな悪口も流せる度量には感服するけどね。
「なんか申し訳ないからもう一つぶっちゃけるね。私をいたく大事にしてくれたけどそれ呪いを掛けただけだから。好きになれって。んで、もう用済みだから呪い消しとく。今後は私のこと気にせず好きに生きていいよ」
「そうでしたか。有難い申し出ですが、洗脳の是非に関わらず聖上とヤマトにお仕えするのが某の本分にございます。これからも一層忠義を尽くす所存」
 そしてまた深々頭下げるし。止まれ涙線、こんな人を窮地に立たせて申し訳ないなんて感慨は蓋をしろ。妻にと恋うてくれたヒトを思うなら、後腐れなく終わらせて哀れな被害者に仕立てた方がこのヒトのためになるんだから。
 ふふんと鼻を鳴らし周囲にさぞ尊大に見えるよう髪を手ではらう。
「付き合わせて悪かったね。困らせたぶん面倒毎があれば頼ってくれてもいい。そんな力にはなれないだろうけど、ないよりはマシ、のはずだ」
 宮中で、実妹じゃない名ばかりの神の力がどれだけ通用するかはわからないけれど、それはオシュトルの方が詳しいからいざという時は任せよう。階上の聖上が拒絶の言葉を吐かないならそうなんだと希望的解釈をしておく。
「お心遣い痛み入ります」
「恨み言の類は後で山と言えばいい。書面で認(したた)めたら鼻で笑ってやる。陰口も刺客もお前ならば拒まない。貴方、っ……、お前の健闘をこれからも祈っている」
「ナナコ、身を損ねる振る舞いは」
 私は振り返り階上から振ってくる帝の窘めを途中で遮り叫んだ。
「全て身から出た錆(さび)にございます!まさに自業自得因果応報、この件に関してはどうか私の意のままに叶うよう御配慮申し上げてもよろしいか、よろしいですよね兄さん!」
「……刺客は余とて見過ごせぬが其方が望むなら来るのは構わぬ。返り討ちにするが、それでよいなら寄こすがいい」
「ありがと兄さん」
 オシュトルに向き直ると苦々しく送りませぬと首を振られた。来ていいのにと鼻白むが治安担当トップが暗殺公然と認めれば大問題だと思い直しそりゃそうだよねと嘆息する。
「そのような振る舞いは了承致しかねますが、健闘せよとのご期待には応えられるよう一層精進致します」
 更に深く頭を垂れるオシュトルによし、お別れはちゃんと言えたと安堵した。後はハク達に関して伝えとかないと。クオンは怒るかな、ルルティエちゃんは泣くかなあ、泣いてくれると嬉しいけど悲しませるのは心が痛いなあ、ハクはへえだのそうかだので心安らかに送りそうなのがシャクだなあとどんよりしつつ、平伏するオシュトルに伝言を頼んだ。
「謝罪ついでに頼む。関係者各位に伝えてくれ。楽しかった、私は元気に遊び暮らすから皆仲良くって」
「承(うけたまわ)りました。つきましては、御名の希望が叶うならば某の一字を入れて頂きたく」
 さすがに文句が来ると構えたが続く言葉に頭が真っ白になった。オシュトルは顔を上げず沈黙に徹している。我に返り惚けた返事をしてしまった。
「……え?」
「是非に、終(つい)の別れの慰めとして叶えて頂きたいと」
 顔を上げるオシュトルの視線には何の色もない。なるほどこの目で見つめられれば隠し事のある者は後ろめたく感じるだろう。ある程度関わった者は腹の内に企みなどないとわかるから澄んだ瞳に思うことはない。わかるのは、聖上が濁した原因を正しく察しちゃったってことぐらい。実妹を聖廟で焼き殺すところを見たんだから濁しても諭い奴なら察するよなと今更の、本当に今更の感慨に胸を切り裂かれた。オシュトルは正しく理解したようだ。一人は生かし一人は殺す。ああオシュトル、なのに貴方は責めも怒りもせず後のことまでちゃんと考えて……
「ど、どちらに?」
「殿下の判断にお任せいたします。どちらかにでも両方でも」
「……検討する」
「ありがたき幸せ」
 一礼するオシュトルが視界に入るが別の考えに気を取られあまり気にならなくなった。子を思う言葉に私は自分がどれだけ自分勝手かほとほと思いしらされる。何かしてあげたい気持ちはあるのにすぐには思いつかない。父親を置き去りに外堀を埋めて腹の子をどうするか勝手に算段つけるなんてあんまりだよなと思った。父親だけ放りっぱなしはあまりに不実だ。だから恐々問う、後の遺恨にならないよう小さな声で。
「墓は?」
「妹君共々今後も某が世話を致しまする」
「は、ははは……」
 淡々と返されもう乾いた笑いしか出なかった。高官達は妹との単語に首をかしげるが帝が何も言わないから追及できない。事が終わればオシュトルは高官共に囲まれ難儀するはずだ。去った後も迷惑ばかりかける事実に眩暈がした。
「妹殿下、微力ながら帰参の手助けがかないこの上ない幸運にございます」
「うん、そうだよね、そう。うん」
 ごめん、名付けや没した後の事なんて全く考えていなかった。子を望むくせに自分の辛さばかりに目が行く、こんな性格だからせっかく宿した子もちゃんと……
 早く聖上の元に行かないと、まごついても皆の迷惑になると内心で叱咤し転身しかけたところでオシュトルが待ったを掛けた。
「厚顔無恥甚(はなは)だしいですがもう一つよいでしょうか」
 ……珍しいな。様々な出来事に狼狽えるしかない私だが静々侍(はべ)る男の提案に意識が浮上する。何だろう?
「私物なら好きに処分してくれて構わないが。売るなり捨てるなり腹いせに壊しても咎めないし」
「殿下の品々を軽々しく扱う気はございませぬ」
 首を横に振られてしまった、では何が望みなんだろうと眉を顰(ひそ)めると顔を上げてもいいかと請(こ)われ了承する。許可なく再三上げてるじゃん、改まってどうしたの?
 オシュトルが顔をあげると同時に思わぬ提案をされてしまった。
「笑顔を拝見したいのです。慰みに一目、花のような笑みをどうか末期の思い出に」
 予告なく横面を殴られた気分になる。突然の要請に私は窮した。笑顔なんざ散々見せたろうにと考えて該当の場面に思考が追いつき、沸騰した。
「まだ言うか!偽れと、その場しのぎをおまえも望むか!あれを笑顔と、笑える状況など一度としてないものをよくも、っ……」
 拳で膝を叩き飛び出る言葉を止める。脳裏に隠密衆の面々と語らう場面がよぎるが今は怒りしか湧かない。
「殿下!御御足(おみあし)が痛みまする」
「些事だ、捨ておけ!」
 内心の罵りと気遣うオシュトルの言葉毎黙らせ息を整える。差し出がましい真似をと平伏し辞退する素振りを見せるオシュトルに制止をかけ顔を上げよとにこやかな笑みを作った。
 面(おもて)を上げたオシュトルの表情は仮面に隠れて分からない。でも数秒たって雰囲気から多少納得してくれたと私は見て取る。
「おまえだから、地を出せた」
 溜まらず絞り出た本心にオシュトルは深く頷く。
「心得ておりまする。ただ皆に向けられる笑顔を一目胸に焼き付けておきたかったまで。意にそぐわぬ申し出大変失礼……殿下、近づきすぎればよからぬ誤解を、殿下っ!」
 笑顔を張り付けた私がオシュトルの傍に近付き覗きこむように顔を近づけたところでさすがに不味いと思ったのだろう。私が膝をつき体を寄せるとオシュトルは身を引こうとした。それでも身を寄せれば手を出し押し返そうとするが触れるのに躊躇い、いよいよ体が触れ合う寸前で仰け反り肩を押すオシュトルの耳元に唇をやり囁(ささや)く。
「仮面の者の宿命を明かしもしない男に、どうして笑えると思うんだ?」
 普段なら分からないが近いからか、微かに強張る体に嗚呼やはり意図的に隠していたんだなと悲しくなった。宿命を知っていると伝えはしたが私は打ち明ける時を待っていたのに。
「明かすのは近しい者だけなんだろう?私は結局家族になれなかった、そう解釈したって仕方ないじゃないか」
「ナナコ、某はけしてその様な、其方に重責をかけたくないがためにっ」
 優しいオシュトルは殿中であるのに対面をかなぐり捨て焦りを顔に浮かべて私の問いに答えてくれた。なのに私はこれ以上の言い訳は聞きたくなくて必死に誠意を訴えるオシュトルの言葉を遮ってしまう。
「ならば言おう。家臣団を纏める将に余計な負担を掛けたくなかった。だから弟君の件は私の胸の内に秘匿した。お前だってそうだろ?余計な心労掛けたくなくて黙ってたんだもんね。常世までと誓った相手でもさ!」
「ナナコ……」
 責める文言が出るのは後ろめたさ故だ。本当は言い出せなかっただけ。ハクの身分を明かせばオシュトルが身を引くと予見して言い出せなかっただけなんだ。
 怒ればいいのに、身分制に囚われる男は悔しそうに口端を噛み殿下の言うとおりにございますと目を伏せ憤りを飲みこむ。
「お互い道理で仕方ない、そうだよね?」
「道理、でございますとも……」
 俯き力なく微笑む男の顎を掴み上向かせ口付けた。非難をにじませる瞳に思う。いつもはされる側だった、応えるだけの私が積極的に動いた意味はオシュトルには筒抜けだろう。自由に生きていいと促し、なのに縛る真似をする。私は本当に嫌な奴だう。もう随分馴染んだかさついた感触が今は只々悲しかった。
 数段下の高官からはオシュトルの背しか見えない、だから大丈夫と咎めるように目を細めた男に触れるだけの唇を放し、幸せだったと告げて身をひるがえした。だというのに、尚も声を掛けてしまうのは浅ましい未練からに他ならない。
「本当に迷惑のかけ通しでごめんなさい。貴方は望むままに生きていいからね。誰かを好きになって娶ろうとっ……責めたりしないから」
 だから嫌いにならないで。自己保身でしかない霞む言葉に流せばいいのに、オシュトルは応じてくれる。
「終生、貴方様だけにございます」
 同じような囁き声に堪らず今日何度目かもわからない涙腺を爆発させて私は歩き出した。
「っ、殿下を、頼む……」
 名を伏せたのは今後のためだ。聡いオシュトルはこちらの意図を汲んでくれたのか背後から了承する言葉を掛けてくれた。
 それを区切りに私は頬を拭い、せめて最後は晴れやかに、盛大に平穏な人生を締めくくろうと鍵に呼びかける。心中荒れ狂う恨み節は内に秘め荘厳な曲を選び、了承する鍵が聖廟の機能でメロディーと曲に合わせた映像を周囲に展開したところで口遊むのは昔好きだった歌だ。
 私が生きた時代が舞台の架空ファンタジー、異種族との恋がテーマの歌は亜人と神の別れに相応しく思えたんだ。亜人から見れば私は神に等しい存在でも心中は逆である。人が人外と連れ添う話のテーマソング、私も彼らと同じようにタタリ化する宿命を乗り越え死ぬまで連れ添いたかった。

 そうして私は思わぬ別れの感傷から、悲劇のヒロインになりきりノリノリで曲に合わせて歌った。最初はよかった、大体メロディーで誤魔化せた。原曲の趣旨と真逆だが幻想的で荘厳な曲は異種族との別れに相応しいとチョイスしたが、よく考えるべきだった。
 舞台に立つ経験はあっても素人が本格的な独唱を歌いきれるものではない、と。

 すぐに詰まった。固まる私をフォローするように、いつのまにか横手に現れた双子がバックコーラスと演奏までこなし、聖廟は実写風のCG映像、竜と少女が親睦を深め幻想的な光の中空を飛び交う映像を周囲に転写して素晴らしいフォローをしてくれた。原作にこんな動画はないしそもそもキャラが違うぞ、イメージ映像瞬時に構築するなんて聖廟凄いな、なんて目を潤ませたが体を重ねる映像に文字通り飛び上がった。おせっせ映像がモロに差し込まれ動転した私が濁せ――っ!と小声で叫んでからはぐだぐだである。
 モザイクは交じわる少女たちだけでなく全スクリーンに掛かった。全画面に飛び交う四角を直そうにもおせっせ映像を流すわけにはと躊躇い数秒固まると、肉声が流れないのを補おうとして伴奏のみ流す指定が解除された。原曲の素晴らしい美声も再現してくれたんだ。私は何を直せばいいか脳内はしっちゃかめっちゃか、せめて影武者っぽく聞こえる声に合わせようと努力したが相手はプロだ。正しくは肉声に聞こえるよう調節された機械音声なのだが私の独唱よりプロっぽいのは確実なわけで、直しは諦めた。原曲の方が当然美声だし。知る人が見れば滑稽な流れに色々と台無しである。不幸中の幸いか、それとも江戸時代に近い文化体系から色事には慣れてるのか、そういう描写に背後で動揺する動きがなかったのは幸いだったと思う。

「兄さんどうしよっ!」
 曲の終盤で音声に合わせつつ足早に御簾を潜り兄の元に逃げこめば呆れ顔で一喝された。
「阿呆、さっさと引っ込め聞こえておるぞ」
「ええ、小声なのにぃ!?」
「暗殺を防ぐために階下に声が届くよう声量を調整しておるのじゃよ。そもそも選曲の時点で大ポカじゃ、神聖な謁見の間で何を披露しとる!」
 怒られて私は涙目になり眉根を寄せるお兄さんに言い訳を言い募る。
「も、モザイク掛けたから精霊のフォロー入れたからノーカンで」
「馬鹿を言うな。んなもんないのは其方なら知っておろうが」
 だってだって、高官の誰かが私が慌てて階段駆け上がるとき精霊の宴って呟いてたんだもん。そういう曖昧なフォローぐらいしてくれてもいいじゃん。ってまだ演奏続いてるし!
「さっさっと曲を止めろ。五月蠅くて適わん」
「ひどい神曲なのに!」
 歌い手さんに失礼だ。もう皆没してるけど、辛っ!
「何も曲を批判はしとらん、お前にとってはそうでも儂には違うという話じゃ。それよりも早く鍵に呼び掛けよ、全部筒抜けじゃぞ」
 呆れ顔の聖上に謝罪して私は慌てて停止を鍵に呼び掛ける。荘厳だが四角の色彩アートが入り乱れる映像はすぐに消え暗闇が戻り謁見の間は静けさを取り戻した。階上からではあるが、居並ぶ高官も落ち着いた雰囲気に戻っている。何故かその場に留まるオシュトルが気になるがひとまず気を回してくれた方に礼をしたいと兄に向き直った。
「調子に乗って精霊騒がせてごめんなさい」
 そういう風に流してほしい。頭を下げたが聖上はいいからとしっしっと手で払う仕草をする。
「悪いと思うなら引っ込め、お主が引かねば始末が付けられんじゃろうが」
 あんまりだ、真摯に応対してるのに。緩む涙腺を誤魔化すために私は唸り抗議の声を上げる。
「うう、何もそんなに怒らなくてもいいじゃないですか。私頑張ってるのに」
「余が庇い立てねばならぬ結果を努力と?」
 もっともです。ぐうの音も出ない私に聖上の傍でにこやかに控える大宮司ホノカさんからフォローが入った。
「聖上はナナコ様を心配しておられるのです。御身が気負わぬよう世間話にも興じられますが心身共にお疲れでしょう。私の娘達がご案内致しますのでひとまずはお休みになって下さい」
「努力は認めよう、其方なくして余の悲願は叶わなんだ。ゆるりと休み好きに振る舞うがいい」
「考える時間も必要かと思います。この度は大変、大変力及ばず申し訳なく思います」
 ホノカさんに深く頭を下げられて、私は仕方ないから頭を上げてと促すが涙腺は正直で最後は言葉にならず嗚咽に呑まれた。何処からか現れた双子に支えられ玉座の奥、聖廟施設へと誘導される際オシュトルの声が耳に飛び込む。
「恐れながら、聖上に確認したき事項がございます」
 今度は何だと、疲れ気味に応じる兄の声が遠ざかる私の耳に届く。続けざま当事者にされてしまったオシュトルが帝に問いかけるのを意外に思い去りながら聞き耳を立てた。
「はっ、妹君をお連れした望みを叶えると先ほど聖上は仰いました。故に一つ適えて頂きたいのです」
「何でも言うがいい、叶えられる範囲で応えよう」
「お答え頂き望外の喜び、御側付きを某に拝命賜りたく申し上げまする」
 ええ〜、この状況でこの流れでそれ要求する普通? 呆れ半分喜び半分で私は脱力して立ち止まると巫にせっつかれ慌てて歩を速めた。。
「……オシュトルよ、その方の諦めの悪さは妹以上であるな」
「では」
「却下だ、出直して参れ」
「はっ、失礼致しました」
 帝に否定されたのに恩賞を盾に近い位置を望むなんて肝が据わってる。本当強欲なことでと私は失笑し、今度は杯の返杯で揉める二人のやりとりをバックコーラスに謁見の間を後にした。
「某の元にはありませぬ」
「粉々に砕き保管するには至らず野に打ち捨てました」
 途端驚きで沸き立つ喧騒と呆れ気味に笑い声をあげる帝に首を傾げるが、まずは治療が先決ですと双子に強く手を引かれ廊下を進んだ。
 御父上は豪胆だねと呆れつつ、聞こえるはずもないのに心の内で子供に呼び掛け腹を撫でた。調子に乗り胸中だけで子守唄を口ずさむ。虚しいし厚顔無恥甚だしいと憤るのに、一人じゃない事実が嬉しくて悲しかった。

 ◇◆◇

 よく目にする治療ポッドがある部屋に訪れると深手を負っていたマリカが裸で同タイプのポッドに入り眠っていた。やはり重傷だったかと焦るがぱっと見怪我の痕跡はなく危機は脱したそうで今は体内の損傷個所を癒す効果を上げるために睡眠剤を投入し眠らせていると双子が説明してくれた。大事はない?との問いに大事は過ぎましたと返され安心する。私の処置が終わるころには完治し希望なら共に目覚め用意された部屋に帰ってもよいと聞いたので、じゃあそれでお願いと双子の申し出を受け入れた。

 馴染みになりつつある治療ポットに服を脱ぎ入る際思い出す。そういえば、あの後慌てる声がそこかしこで聞こえたなと思い返し、調整するためキーボードを叩いていた双子に尋ねた。杯で揉めてたけど何があったのと。
 外套を脱いだ双子は顔を見合わせ少しだけ躊躇う素振りをし、言いにくそうに事の次第を教えてくれる。
「生涯独身」
「正式に離縁するには杯の返杯が不可欠です。現物の欠片もなく手元にないと来れば離縁も結婚も出来ません。市井の者は気にせずとも体面を気にする貴族階級で杯なき婚姻は正式なものと認められませんから」
 誰がと聞き返す前に該当者が浮かび息を呑む。
「帝には僥倖」
「貴方様は現人神、利用する算段を付けていた奸臣共は手札を塞がれ腸を煮えくり返しているでしょう」
「いい気味」
「私腹を肥やすのみの臣下は私どもから見ても気分のいい物でもありません。オシュトル様グッジョブです」
 神に属すると教えはしたが帝の妹との認識はオシュトルには無かった筈だ。色々危惧し引き離される懸念を払うためだろうが、よくも思い切れたなと身震いする。
 二人きりで飲み交わした杯は確かオシュトルが預かってたよなと思い返し、アレいつ捨てたんだろと考えて、オーゼン皇の居城を出る際路肩の雪になにやら放っていたけどもしやアレかと血の気が引く。砂だと思ってた。粉々になってたがいつの間に粉砕したんだろう。手が汚れて払っていたと嘯(うそぶ)いていたが面の皮どころか腹まで厚い所業に内心でドンびいた。そこまで執着される理由は大いなる父以外思い至れないけど、嬉しいと感じる私も相当だ。立場を省みなければ双子の賛辞には同意だけどさ。
「オシュトルは、大丈夫?」
 私を未亡人にして利用するための襲撃に悩まされないかな。疑念を向ければ双子は平然と心配は無用だと懸念を晴らしてくれた。
「修羅場は経験済み」
「刺客の類はあるでしょうが相手にはならないでしょう。足取りを掴ませるだけと悟る方が大半ですから襲撃も嫌がらせ程度に収まるかと。周囲の方々にもお声かけなさるでしょうし大事には至りません」
 それもあるけど懸念は別にあるのよ。
「でももう結婚できないんだよね?私以外に好きな人ができてもさ」
 悪いことをしたと思う、恥じる気持ちだってある。抜け道を探すべきか遠い未来帝が崩御なされた後にでも跡を継いだアンジュに頼み、結婚に杯は不要と勅命を出してもらうか思案する脳内に待ったが掛けられた。
「嘘はよくない」
「私共に偽る必要はありません。本心を吐露されてもよいのですよ?」
「……オシュトルに悪いから口にはしない」
 でも心の内では互いを縛る関係になれて嬉しいと思うぐらい許してほしい。
「本望」
「このような結果をオシュトル様も望んではおられなかったでしょうが、連れ添われた方を名目でも縛れたのは本望だと思います」
 そうだといいな。せめて彼の心の内で私が少しでも救いになれたならいいなと、仕事終わりに高官共に囲まれて難儀しているだろうオシュトルの憂さが晴れるといいなと暗い天井を見て思った。
 
 物思いに付き合ってくれた双子に礼を言い、それを区切りに上昇する装置に満たされる液体に身を任せた。
「いつか詫びを入れないとね」
 迷惑の掛け通しだ。配慮を申し出ても今回みたいに断られるから気に掛けて危うい場面があれば助け船を出そうと誓う。
 心の内でも双子には筒抜けなのか、空中に現れる映像に視線をやりながら双子は心中の吐露に応じてくれた。
「むしろ望むところ」
「憂さ晴らし露払い混みの周囲への宣戦布告ですので、ナナコ様に掛かる魔の手を減らせたならばオシュトル様も本望でしょう」
 それでも、迷惑の掛け通しで心が痛いなあ。
 心中で嘆息し、気持ちを切り替えようと筒内でぽこぽこ浮かぶ空気の泡越しに宙に展開された映像を見た。四角の中程にだらけた鶏ガラ体系の輪郭は私だろうか、臓器を囲う輪の中に小さな膨らみを見つける。指の長さにも満たない輪郭、それを覆うようにうごめく物体はタタリだろう。どうしてか目の前にしてもおぞましさを感じないのは化け物として宿してしまった後ろめたさか、それとも初めて見る我が子への感傷かは上手く言葉に出来ない。どちらも可愛かった。
 細部を見せてと要請し、躊躇う二人にいいからと説き伏せ、拡大する映像にグロテスクだなあと酷い感慨が湧く。映された内部映像は私の内蔵だから赤黒く気味が悪いのに、なのに子供だけはとても可愛い。
「いつか、報いてあげられるといいな」
 そんな日はきっと永遠に来ない。
 わかりきった未来を訂正する声はあがらない。双子は機械じゃないからあえて黙して静観に務めるつもりのようだ。
 体内の子供達に意識を戻す。私には母性なんてないはずなのに、豆粒ほどの、まだ人間の形すらなく体よりも尾が長い生命体はその小ささからとても愛らしく見えた。兄か姉か実は弟妹かもわからない、大事そうにあるいは捕食するように覆う赤黒いタタリはまるで下の子を守ろうとしているようにも感じられて、何故かこちらもひたすらに可愛く感じられた。哀れみも多少はあるんだろう。私の中でオシュトルの子が宿り息づいている、というのが胸に響き色々感じてしまうんだろうな。大好きなオシュトルの血を分かつ子がいる、
それも私の体内に。なんて素敵で美しいんだろう……なんでこの子だけ。
「後回しも可能」
「猶予はなくとも腹を食い破る確率は高くありません。望まれるならしばらく経過観察に務めてもよいと帝から伺っております」
 はっとして募る怨み言から目を背け何でもない風に提案した。
「今がいい、決心が鈍る。早く終わらせよう。その方がきっとお互いのためだ」
 嘘嘘大嘘、全部全部自分のためでしかないのにヒトのせいにした。だから私はダメなんだ。感傷が過ぎて自罰的になるのも私の悪い癖だ。
 オシュトルは私を許すだろうかと想定してありえないと苦笑する。うっかり遭遇しても表面上は朗らかに努めはするだろうが内心は違うなんて私でなくても至る発想だ。希望的観測は捨てよう。怨まれてもいい、タタリは殺す、帝に強制した選択肢が自分に回ってきただけだ。まさに因果応報自業自得。
 慰めの言葉を掛ける双子に礼を言い、胸元に下げた鍵に呼び掛けた。

 ヤマトの泰安のためと言い訳をして、感傷に蓋をして、嫌だ殺したくない嫌われたくないようやく血縁が出来たのにと叫ぶ内心全部胸の内に押し込めて、やっと私は子供を体内から引きずり出す処置を機械に命じ。
「っ……」
 命じなければならないのに、半開きの唇は震えるばかりで言葉に出来ず、ついに私は膝から崩れ落ち項垂れ首を振る。
「笑ってくれ……」
 同胞を、妹を、自らの手で殺しておきながら実子だけは嫌なんて虫が良すぎると自分でも思う。
 双子は両隣から私の背を撫で賛同の声を上げた。保護と秘匿、改善の見込みを待つのは逃げの手ではないと後押しまでしてくれた。改善の見込みが無いのは承知している。タタリの保身を選ぶということは、今までの行動は徒労と認めたにも等しい行為だ。タタリを殺すのを使命とするものがタタリを匿うなんて矛盾でしかない。

 割り切るべきなのに、判断を任せてくれた帝を裏切ることになると分かっても断れなかった。もしもに縋りたくて万一なんてないのを承知で悪手と知りながら私は小さく謝罪し、胸元のマスターキーに呼びかけた。
「マスターキーに命令する。私の体内の子供達を保護して。このままでは、皆死んでしまう!」
 鍵は瞬時にその可能性を否定した。タタリに包まれ亜人は無事だと。赤ちゃんの頃から優しいなんてオシュトルの子供さすがだなあと泣き笑い、では話を変えて皆が無事でいるためにはどうすればいいかを機械に問う。聖廟の演算はすぐに相応しい答えを出してくれた。
 私の体内に留めれば亜人でいられる確率は半々、現在の姿を維持するならば体内から治療ポットに転送し培養液で新生児クラスに成長してから外に出すのが好ましいと答えが返る。
 反論の余地はない。一刻も早くそうしてくれと鍵に呼び掛けたところで残るタタリはどうするか双子に聞かれて答えた。
「体内から出しもう一つはポッドに漬けて生かす。お腹の中でずっと一緒だったんだ。いきなり一人は、寂しいよね」
 撫でる腹は動かず当然答えは返らないが頃の内は穏やかだった。この子はとんでもない爆弾で後に大変な遺恨になると見当が付いてもやっと得た子を手離す真似は情のない私でも選べなかった。
 帝は嗤うだろう。内心の卑下を双子は即座に否定し決断した私に慰めの言葉をかける。あまつさえ用意してくれた急ごしらえの寝台に私を横たわらせ適格な処置をしてくれた。

 子供達をポットに移した方が良いのを承知で、掌に転移させて数秒抱き締める。
 正確には掌で覆ったと言うのが正しいが。豆粒みたいな物体と震える軟体物は簡単に手中に収まってしまう。人肌にしてはぬるすぎてヒトとして断じるにもぬめる感触が異形じみて悲しかった。でも触れた体温は暖かい。初めての抱っこにちょっとだけ気分が上向いて、そうだ、私は初めて初子(ういご)をこの手に抱いたんだと湧いた感慨から胸が打ち震えた。オシュトルに抱かせられないのが悲しいがいずれ機会も回るはずと、早くポッドへと促す双子に応じて鍵に呼び掛け子供たちを用意されたポッドに移した。
 人の子を乗せた掌はすぐに冷え対照的にタタリがいた箇所は痛みを残す。だがと揺れる子供たちを見て思う。痛みでも、肌を溶かす熱は子がここにいる確かな証のように感じられて、嬉しかった。


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風と行く