33話 頑張るけどうまくいかない


 朝の訪れを告げる女官の声に飛び起きた。夢だと思いたい数日前の出来事は現実らしく見知らぬ天井に当惑し、尚もかけられるお付きの声に寝乱れた姿を自覚して、急ぎ髪を撫でつけ身なりを整えた。天蓋式の寝台から飛び出る寸前で、周囲を布で覆われているため見られはしないとようやく気づき再度寝台に突っ伏した。
 聖廟に来て二日目、マリカは体調不良で休むと事前に連絡を受けていた。起きたらすっかり忘れてた。思い出せてよかった。
 前日、張り切り過ぎたマリカに引きずられ聖廟の施設を次々に案内されたが案内人が体調崩すってどうかと思う。正しくは、マリカの体調が崩れたわけではなく疲労が蓄積した体では十分に護衛の務めを果たせないと申し出を受け快く休むのを了承したんだっけ。主の私がうっかりしてどうする、しっかりしないとと頬を叩き気合を入れた。
 右近衛邸では家人は外に控えるのが常だったがここでは違うらしい。女官は寝室まで入ってくる、覚えとかないと。身なりを整え布をはぐり頭をたれる女官たちにおはようと声をかけた。
「おはようございます帝妹様」
 感じる違和感を飲み込み笑みを作る。上流の暮らしに慣れなくてはと意気込むがなかなかどうして上手くいかない。

「おはようございます帝妹殿、気持ちのいい朝ですな」
「おはようございます殿下、今日も見目麗しく何よりでございます」
「おはよう、皆々も恙ないようで何よりである」
 身ごしらえを整え仕事に没頭したいからと部屋で朝食を頂き、訪ねた双子に先導され自室から出れば職務に励む高官達とぶち当たる。内裏ならいざ知らず聖廟内にまで高官の立ち入りを許すのは多少雑事を任せているからと帝から送られたメールの文面にはつづられていた。気になるなら近寄るなと言いつければ向こうから避けるから命令していい、と許可を得たが通りすがりかち合うだけのヒトを邪険にするのは可哀相だ。なので、挨拶程度の交流は目をつむり気軽に答えるのだがたまに挟まれる賛辞がきつい。
「殿下は今日も一段と輝いて、私卒倒寸前にございます」
 ああうん、さすがに過剰すぎやしないかその反応……
 苦笑いで意欲に貢献できたなら何よりだ、と適当に切り上げ急いで廊下を進んだ。

 これでもマシな方だと聖上から過去起きた例を教えてもらっている。出待ちが続いたそうだ。帝に取り入りたい者とそれを抑えようと並ぶ配下そしてよく知らず便乗する者が寝室前に控えるようになり、勅命で上役の寝所への出待ちを封じたとのこと。前例を作ってくれて有難い、おかげで寝室から出る際びくびくせずに済んだ。

 自室を出るとき女官から報告を受けた。高官の誰誰からお手紙が上級貴族の誰誰から貢物がと報告を受けるもまずは遺物関連の情報収集に取り掛かりたいからと後で報告するよう頼んだ。安全を確認した後自室に置くよう手配してもらい、女官に見送られ部屋を出た。
 帝妹発表まだされてないのに賄賂に勤しむ官僚共の抜け目なさにドン引きはするが荷を改めもせず跳ね除けるのは不味い。ひとまずは受け取りお礼の手紙を書いて今後交流するかどうかを決めよう、

 資料を取りに行く前に、近くの部屋で臥(ふ)せるマリカの見舞いに赴(おもむ)く。ポッドは外傷をすぐ治せても病魔の類(たぐい)は継続して治療が必要で、再三遺物を使うのをマリカは渋り寝れば治ると寝付いていた。尋ねればまだ床についているらしく、心配した聖上のとりなしで世話をする女官も付けて貰えていたから雑事は女官に任せ仕事に専念しようと部屋を後にした。
 自室で朝食を頂いたとき、小腹が空いたとき用に卓に盛られていた椀からマリカが好きそうな砂糖菓子を見繕っていたので、栄養補給に食べさせてやってくれと女官に言付ければ主に大切に思われてマリカ様も嬉しく思われるでしょうと余計な注釈がつく。そんなに大層な事なんだろうか?病人を気遣うのは普通のことではと首をひねるがわざわざ口にする話題でもないからありがとうと部屋を辞した。


 内裏に用事はないが、必要な文献の確認をしに廊下を歩けば対面する高官達からの賛辞が雨あられと降り注ぎ当惑するほかない。ちなみに文献とは衛星軌道にどれほどの集落が点在するか地図を確認したくて部屋を出たのだが、目的の書庫は内裏にある。聖廟に置いてくれたら鍵に呼び掛け転送し出向く手間を省(はぶ)けたのだが、所長が必死に国政や弟探しに明け暮れていた日々を想うと文句なんて言えるわけがない。使いやすいように内裏に蔵書室を作ったんだろうが聖廟内に不特定多数の亜人を招くのも気がとがめたのかなと邪推するが余計な勘繰りをしても辛くなるだけだから思考を打ち切る。
 旧人類の書物は悪用されてはいけないから聖廟に、内省に携わる文書は必要なものが読めるよう内裏に分けてあるとマリカから又聞いたが、情報は確かだった。
 自室で遺物から聖廟内のデータ網にアクセスしても小さい集落はデータ化されておらず過去の文献に乗ってないかなと探しに出向いているのだが、役職もない無冠の妹に高官達は嫌に低姿勢で出迎えてくれている。背後に控える双子の影響も大きいのかな?二人は今日も律儀に外套を被り私を守ろうと同伴してくれた。
 事前にマリカが休むと連絡を入れたためか危ぶんだ帝のご厚意で双子が付いてくれてるけど無視してくれてもいいのになあと胸中で嘆息すれば、それは無理と口々に双子が異を唱えた。わかってる、脳内でぐらい思いあがるのは許してほしい。ただ単に疲れを感じただけだ。

 口々に声をかけるヒト達に私も仕方なく支障のない範囲でにこやかに応対する。かち合う官僚たちが挨拶だけでいいのに事あるごとに褒めそやすから歩くだけで疲れる。最後はあきらかにおべんちゃらだろ、お前結婚報告に上がった際野暮ったいとかほざいた奴だっての私覚えてるからな!
 私の返事は、いい天気だな、そう思えてもらえて何よりである、その調子で仕事も頑張ってくれ、等々だ。素っ気ないと自分でも思う。でも他にどういえと言うんだ、昨日の今日だぞ、文官武官程度の差は来てる服装で分かるけど、どこ経歴の何々だとか個人名まで分かるわけないじゃんと胸の内で不満を零した。
 幸い急いでいると見て取れば挨拶だけですませてくれるから楽だ。
 高官達だって好きで私におもねている訳じゃないもんね。マリカに代わり鎖の巫が急遽私の護衛として参じてくれた件も大きいんだろうな。鎖の巫を手にしたものは聖廟を得たも同然、なんて俗説が流布するから後ろに双子を控えさせる私は結構な重鎮にでも見られてしまっているんだよね、重鎮だけどさ。重すぎて潰れそうだわ。たはは……
 なんて胸中で嘆く私の憤懣なんて通りを行く人は知らないわけで、武官に合えば会釈をされるは出世欲の強い奴はおべんちゃらご機嫌伺いに付いて来ようとするはで自然足並みも早くなる。 


 忙しいから、ちょっと用事があるから茶会の件はまた後日。なんて話を切り上げて(しつこい高官は鎖の巫が帝妹殿の邪魔だてをなさるお積りかとぴしゃりと切り捨ててくれるから有難い)
何度か官僚と似たような挨拶をやりとりして、ようやく書庫に飛び込んだ私は疲労困憊。幸い利用者もまばらで文献の探索や本に熱心な者たちはこちらを見もしない。何人かは私に気づき慌てた様子を見せたが、私が首を振り人差し指でしっと囁けば通じたのか小さく会釈し距離をとる配慮を見せてくれた。
 内裏には官僚向けの書籍を集めた図書館によく似た施設、蔵書室と書庫があると端末で見た。需要の高い書籍は蔵書室、そうでないものは書庫に集められている。薄暗く乾燥した室内は確かに貴重書類の保管には適しているようで、人気の少ない雰囲気にほっと息をつく。
 歩くだけでこんなに疲れるなんてと溜息をつき、目的の目録がある箇所を双子から聞きさっさと用件を済ませようと無駄に高い書棚に目を向ければ、そういう時に限って会いたくもない人に会ってしまうわけでして。

「おはようございます殿下、今日もご健勝そうで何よりでございます」
「……おはようオシュトル、おまえも変わりなく何よりであるな」
 何か探していたのか、ふいに書棚の影から現れたオシュトルは一瞬目を見張り、だが横手に避け胸に手を当て片膝を付けき堂々とした挨拶をする。模範的な臣下の振る舞いにオシュトルは立派だとしみじみ思う。対して滑稽なことに私は気圧されて棒立ち障りのない返事しか返せない。
 あの後大丈夫だった?なんて尋ねたい衝動を抑える。藪をつついてどうする、人目もあるんだぞと胸中で言い聞かせ障りのない挨拶を返したが妥当かまでは分からない。
 幸い常識内の回答は返せたのか、頭を下げたままオシュトルは流してくれる。
「これもひとえに帝の御威光の賜物です。帝都の治安を維持すべく今後も一層精進致します」
 帝の威光怖すぎ、大丈夫全部詭弁なのもわかっている。深々一礼するオシュトルに頑張ってくれ〜と渇いた笑みを浮かべ手を振りさよならを仕掛けたところで、珍しいなと思った。オシュトルは武官の大将で外回り多い筈だよね、と思ったのが顔に出たのか、治安に関する業務で調べものがありと答える言葉にそうかと頷く。
 ではと再度頭を下げ去ろうとするオシュトルに後ろ髪をひかれてしまう。子の名前も教えていない。トリコリさんの治療や皆の様子そして今後どう動けば迷惑にならないか、子供の今後についても尋ねたい事象は山ほどあり躊躇いがちに声をかけた。
「あ〜、ちょっと話したいことがあるんだが良いか」
 もちろんこの場で話せる内容じゃないのは熟知している。都合を聞きたくて尋ねたが途中で双子から待ったが掛かった。
「進言」
「人払いをすませておりません、人目に付きます」
「そっか悪い。なら都合のいいときに……え〜っと」
 言い掛けて都合のいい時とはいつだろうと困り首をひねった。
「某が後で使いを寄こしましょう。内々の話はその時にでも」
 見かねたオシュトルの助け船に私は賛同し労いの言葉をかけるところで、目ざとい誰かが囁く声を聞いてしまう。オシュトルを誹(そし)る悪口だ。身分違いとは言え情のない振る舞いだの、また寵を得ようと画策しているのかだの、精錬とは名ばかりだの言いがかり甚(はなは)だしい。
 むっとするが軽率に声を掛けた私が悪いと心の内で反省して、そ知らぬ振りで申し出に応じた。
「配慮嬉しく思う。ではその時に」
「失礼を承知で伺いますが書庫に何か御入用のものでもおありでしょうか。微力ではありますがよろしければ某がお手伝い致します」
 優しいオシュトルはこんな時でも迷惑をかけた上司を気遣ってくれるようだ。有難いがこれ以上迷惑をかけてはと私は申し出を辞退する。
「いや、お前の手を煩わせずともよい。目星はついてる」
 離れていいと公言するのは気が引けて、相手が去るのを期待して待つ。数秒無言が続く、オシュトルは動かない。
「……用事があるのではなかったか?」
 暗に退席を促すがオシュトルは目を伏せ、殿下の難事を放り職務には戻れませぬと宣言されてしまった。ええ……
「難事、というほどではないのだが……」
 本探しに来ただけだし。難色を示す私に認識を正そうとしてか、オシュトルが苦言を呈してきた。
「恐れながら申し上げます。オンヴィタイカヤンである殿下は尊き御方。神々でなければ処理できぬ事態もあると聞き及んでおりまする。殿下はまず御自身の都合を優先するべきかと。某は一介の臣下にすぎませぬ。ゆえに御自身の大義に励むよう進言いたします」
 大義扱いされるような大したもんじゃないんだが、進言してくれた気遣いを無碍にするのも酷かと軽く息をついた。気を付けると謝意を表明し、八柱のオシュトルなら公然と遺物を披露しても驚きはしないと認識を改めて声をかける。
「場所は分かるから手助けは無用だ。探すところだった。ちょっと失礼……あった。あ」
 双子から教えられた蔵書の正確な位置を知りたくて宙を指で切りスクリーンを展開した。指で払った箇所に小さく現れた盤面をクリックして広がる書庫内の位置情報を確認する。目的の本を置いている書棚は近くにあり目視で場所を確認した。ちらりと視線はやれば相対するオシュトルに動揺の気配はない。杞憂だったなと胸をなでおろし、本を取ろうと目線で書棚のタイトルを確認して気づいた。視線を上げる、高すぎて取れない。よりにもよって身長倍以上の位置に戸籍情報が置かれていた。誰だ管理してるやつ、必要ないからって手の届かないところに置くなよ。
 梯子でも借りてくるかと嘆息したところで双子が力こぶを作ったのが外套越しでも見て取れた。
「術を使えばお手の物」
「我らの手にかかればあのような書物やすやすと打ち落とせます」
「貴重な戸籍情報だからね、大事にして!」
 とりあえず梯子を持ってこよう。展開したスクリーンを閉じようと指を中ほどに上げたところで、失礼ながら拝見致しますと横から急にオシュトルが映像を覗き込んできた。近い位置にぎょっとして神代文字を読めないオシュトルが題名を尋ねる。助太刀はいいからと言うが控える双子がタイトルを教えてしまい、抗議する私を無視してオシュトルは膝を屈したかと思うと勢いよく空中に飛び上がる。止める間もなかった。
「……」
 オシュトルは目的の蔵書がある位置に手をかけ棚に足をかけて数冊片手で見繕う(凄い跳躍力、本を踏んでないのもさすがだ。踏んでなくても官僚共の書籍の管理なってないと帝に進言するつもりだけどさ)。懐に数冊本を抱えると、手を書棚から離し落ちる勢いのまま近くに着地した。風圧凄い、怪我してないんだろうか?
「どうぞ」
「あ、ありがとう助かった。その……」
 平静に差し出された書籍を受け取る。目視で確認すれば探してた本が全部あった。ぱっと見大きな痛みもなく、配列に関しては難があるが貴重書類の管理には不備がなくて何よりだと思う。聖上に進言はやめとこう。たまに見直してはどうか程度にする。でも前聖廟に結婚の挨拶に出向いた時も感じたが、あんな高いところから落ちて痛くないんだろうか? 聞くには遠慮がありしどろもどろしているとまだ必要な本があると思われたのか再度声が掛けられた。
「お探しのものが他にもございましたらお手伝い致しますが」
「いや、そうじゃなくてだな……」
 礼を言いさっさと去るべきだ。でもやせ我慢していると思うと去りがたく、時間を取らせるのも悪いかと迷いを絶ち気遣う言葉をかけた。
「……どこか傷めてはいないか? 結構な高さから落ちたが」
 合点がいったのかオシュトルは跳躍した高さまで目線をやった。
「遠慮はいらぬぞ、気になる点があるならば医務室に行くといい」
 労わる言葉は武人に非礼かとびくつきつつ尋ねれば、無事を豪語する予想は外れた。
「……少々膝をくじいたかもしれませんが大したことは」
 私は驚いた。まさかの弱気な発言にこれは相当痛めたに違いないと動転してしまう。聖廟の天井よりは低くても今までの疲れが出たのかもしれない。瘦せ我慢させてたかもと青ざめて禄に考えず声をあげてしまう。
「大事じゃないか!どこだ、お前のことだから酷くはないと思うが医師にでも診てもらった方がいい。良ければ私から医務室にでもっ……っ!」
 薬師が一般的な世界でも帝室と高官を治療するために医術に長じたものが数名内裏にいるとデータにはあった。医者を呼ぶ方が早いか、まずは容体を確認してからか、いややはり医者を呼ぶ方がいい、素人が手を出して悪化したらと背を向け駆け出す寸前で、腕を強く引かれそのままの勢いで下に引っ張られる。背中を押さえ込まれオシュトルに膝をつかされた。背にオシュトルの体温を感じる。どうやら私と同じように膝をついた体勢を取っているらしく目の前の双子が両手を構え油断なく警戒する様と相対した。
 事態がわからず呆然とする私に近い距離のオシュトルが更に体を寄せてきて感じる体温に当惑した。何をと開いた唇は追ってきた掌で塞がれる。触れる程度だ、痛くはない。懐かしさを感じるぬくもりに自然涙が出そうになるが我慢してゆっくり振り向いた。私事ならいざ知らず殿中で軽率なふるまいを好んでオシュトルがするとも思えない。そっと顔を仰ぎ見ればオシュトルは薄く微笑み妙なことを口にした。
「殿下が確認するほどの事でもありませぬ」
 ?
「このような些事某にはよくあること、大事ありません」
 ??
 まるで会話をしているような流れに少し考えて沈黙が訪れる。途端オシュトルを妬む物言いが耳に飛び込み合点がいった。聞き耳を立てられている、内々の話をしたくて一計を案じたと。話を合わせろってことね。頷き唇を抑える掌に手を重ねそっと押しのけるとこちらの意図は通じたのか、オシュトルは掌をどけてくれた。目撃されたさい帳尻を合わせるために向かい合いそれらしい体制をとる。
「ならば良いのだが。お前には世話になったのだ、手を煩わせ怪我をさせては申し訳ない」
「皆に殿下の素性をお伝え致しました」
 一段小さくした声は確かに私の耳に届いた。皆とは白楼閣に滞在する隠密衆の面々だろう。覚悟はしていたが動揺で固まる私にオシュトルは平坦に皆の反応を教えてくれる。
「ご厚意痛み入りまする」
「憤るものもおりましたが仕方がないと皆承服した次第です」
 顔を耳元に近づけ囁くオシュトルにそうかと小声で呟いた。近すぎる距離に思わないところがないわけでもないが意識から追い出し言葉を脳内で反芻する。
 憤るものもいて、仕方ないと受け入れた……か。確実に傷つけただろうに皆優しいなあと心から思う。負わせた心痛が早く癒える日が来ればいいと無責任にも願った。
「殿下の杞憂をこれで晴らせたかは矮小な身では判断が尽きません。ただ御身を案じる言葉が多かったとご報告申し上げます」
「ありがとう。叶うならこの様な形になり申し訳なかったと、伝えてほしい」
 そろそろ内緒話を切り上げないと怪しまれる。声を潜めて返事をした後は少し大きめの声で話を区切った。
「小さな傷でも見くびれば大怪我に繋がる。大将であろうと驕らず今後も職務に励むように」
「お言葉痛み入りまする」
 じゃあまたな。平坦に返しさようならを仕掛けたところで鐘の音が聞こえてきた。内裏の外、昼を告げる音だ。時計がまだ発明されてないヤマトでは時刻を鐘の音で知らせると市井で聞いたがそれは官僚たちも同じらしく、業務の区切りと見て休憩を入れようと近くにいた数名が足早に去る音を聞く。全員ではない、でも悪口に勤しんでいた全員分の足音を私は確かに聞いた。
「殿下、もうよろしいかと」
 オシュトルの言葉にもう声を潜める必要はないと知り緊張がほぐれそっと息をつく。だが油断は禁物、傍で聞き耳をたてていない保証はないんだし。
「図々しいがもう一つ頼まれてくれるか」
 私は立ち上がり片膝を未だつくオシュトルに、周囲に聞かれても支障のない範囲で打ち明ける。
「文を認めるつもりだ。書けたら渡してくれ。嫌なら捨ててくれてもいい」
 誰にとは言わない。注目を買い隠密衆が表沙汰になるのはまずい。
「必ずお渡し致しましょう」
 深々と頭をたれるオシュトルにトリコリさんに送った文に関して補足を付けた。官位に就くオシュトルならいざ知らず、聖上の身内が気にかける無冠の者を悪戯に害する馬鹿は官僚の中にはいないと状況から察している。
「御母上といっていいかは分からないが、御母堂のことは気負わずとも良い。聖上も好きにせよと仰った。私が外に出ずともお越しになれば聖廟内で治療を受けることも可能だ」
 連れてきてもいいよ、治療も忘れてないからねと後押ししたのだがオシュトルはなお頭を垂れて異を唱える。
「その件に関してですが、昨日(さくじつ)某のもとに断りの文が届きました」
「……そうか」
 昨日の今日だ。息子の妻が聖上の血縁だと知るには距離が遠すぎる。早馬を飛ばしたか、単に遠慮されただけだと思いたい。
「その文も後ほど使いに届けさせましょう」
 礼を言い私は詫びの文をトリコリさんにも書かねばとこっそり意気込んだ。今後知る機会があればきっと心を痛ませる。オシュトルに非はなく身上を損ねはしないと伝えたい。平民出と気負わぬよう配慮してくれた方の気遣いを無碍にしたままで関係を終わらせたくはない。
 ではと立ち上がるオシュトルに一歩近づき小声で打ち明ける。この機会を逃せば当面に先になると見越しての暴挙だ。
「子の名はスバルとシンジュだ」
 由来は言わない。情報を与えこれ以上オシュトルを縛りたくはないから。
「仔細はいずれまた伝える」
「御存命はどちらでしょうか。墓を用立てるのに御名が要りますのでお聞かせ願いたく」
 見下ろす平坦な瞳に私の方が動揺してしまう。
「っ……どちらもだ、殺しきれなんだ。笑えっ、豪語した者がこの始末だっ……!」
 瞳を滲(にじ)ませ歪む表情はさぞ醜く見えたろうに、オシュトルは微笑んでくれる。
「意を汲んでいただき心から感謝いたします」
 まるで子の生存を望むような返答に背中を押された気がした。許されたように感じた私は首を振り浅ましい未練を恥じる。怒れ恨め、お前にはその資格がある。続けようとした言葉は双子の進言、人が来るとの申し出に引っ込んだ。
「では後ほど、失礼いたします」
「ああ、これ以上傷めるなよ」
 互いに距離を取り一礼して去るオシュトルを見送る。共に出れば余計な勘ぐりを生むからその場に留まり視線を下ろした。オシュトル手ずから渡された蔵書に目をやり間違いがないか確認して見立て通りにほっとする、また鉢合わせる機会がないよう書庫で時間を潰した。

 面白そうな本はないかと並ぶ本を幾らか手に取り(実際興味深い本が幾つかあり)、管理を行う役人に手続きを済ませ借りた本を手にいそいそ自室に戻った。食事は自室に届けてもらうよう事前に頼んでいたからそろそろ用意も整ったかと部屋に戻ると、控える女官が配膳の準備にいそしむ真っ最中。用意が遅くなり申し訳ありません!と平身低頭の姿勢にいいからと退席を促す。食事の時ぐらい人目のないところでゆっくり過ごしたい、なんてのは余計な一言だと自分でもわかるから、貴方も食事を今の間にゆっくり済ませたら?と使用人思いの主人を偽る。女官は狼狽えたが双子が私の言葉を後押ししたのもあり、彼女は感激した風に頭を下げ嬉々として退席した。そりゃ疲れるよね、朝から晩まで壁際に棒立ちで仕える主は宮廷の新参者、地雷を踏まないよう緊張しっぱなしの姿は見てるだけでも辛そうだった。用向きがあればすぐに応じれるようにと言っても限度がある。この機会に存分英気を養ってくれ。

 椅子に腰かけ深く息をつく。どっと疲れた。双子が早速私の肩を揉んでくれる。ありがたやありがたや。
「これが遺恨にならねば良いのだが」
 独り言まで偉そうだ。帝妹の振りも板についてきたということだろう。何よりであるが平民のままの方が気楽だったなと遠い昔に思いをはせ、食事が冷めないうちに頂こうと手を合わせ箸で摘まむ。口にやったところで宮中の食事は毒見を何回もしているから冷めたいと思い出した事実に肩を落とした。美味しかったからいいけどさ。

 ◇◇◇

 夕刻、諸々の業務を済ませて疲労から寝台に横たわっていると室外から声が掛けられる。双子は聖廟内の維持管理業務で退室している時だった。控えていた女官が対応し入室の許可を求められたので誰か確認して上がる名前に身を起こす。応じ、天蓋をめくり寝台から出ると現れた尋ね人は一礼し挨拶した。
「オシュトル様の使いで参りました、ネコネという者です。どうぞお納め下さい」
 ネコネちゃん……
 いつもよりしゅんと耳が垂れている。平時ならいざ知らず帝妹として顔を合わせるのは初めてだ。緊張するのも当然だし私と同じく顔を合わせるのに気まずさを感じているのかもしれない。どこか気落ちした面持ちにつっつくのも可哀相かと淡々と応じた。
「ありがとう」
 気負いを晴らそうと微笑み差し出された文を受け取ろうと近づけば、やはり表情に元気がない。私の心配も知らず彼女は務めを果たそうとしてか、きっと口を引き結び気丈にも顔を上げた。視線が合えば当惑し少しだけ悲しそうに眉根を下げ、それでも弱みを見せまいと再度口を一文字に引き結んで声を上げた。
「オシュトル様からの伝言です。明後日、昼の音が三度の折にそちらに伺うとのことです」
 渡された文に視線を落とせば綺麗に封がされている。エンジ色の包みにそういえばと思い出した。庶民ならいざ知らず貴族や武家商いに携わる家は手紙一つにも気を配ると、行儀指導で習ったな、目の前の当人に。私もトリコリさんに文を送る際は失礼がないようオシュトルにお伺いを立てて紺色の包を用意してもらったっけ。数日しか経ってないのにもう随分昔のように感じる。トリコリさんの優しい笑顔まで脳裏に描いてしまった。無駄な感傷は無視無視。
 郷愁から目を背け、ありがとうと礼を言い文を受け取るが、はいすぐさようならは無情にも思えた。
 では私はこれでと退席を申し出るのを待てと制し、卓に文を置いて控える女官達に退席を命ずる。女官たちが静々部屋の外に出るのを見送り扉が絞められたところで、怯えた風に縮こまるネコネちゃんに案じる言葉をかけた。
「今回は私のせいで大変な迷惑をかけた。呼びつけて言えることではないが謝罪したいと思う。迷惑をかけて申し訳ない」
 椅子に座る状態で頭を下げるのは失礼だから席を立ち床に膝をつくと、頭を下げる前に慌てたネコネちゃんから止めが入る。
「止めてくださいです、許しを請われるような覚えはありませんのです。御顔を上げてくださいませ、妹君を妹君と気づけずにいた私たちの方が謝るべきかと存じますです」
 膝をつき腰をかがめ目線を私より下にするネコネちゃんにそんなことはないと言い募る。
「何を言う、お前たちは良くしてくれたではないか。お前たちの親切あって私は兄と再会できたのだ。謝られる理由はないよ」
「罰しはしないと?」
 先行きを案じる物言いに不安を晴らそうと私は顔を上げて深く頷いた。
「当然だ。献身を労いこそすれ厭う理由はない」
 ネコネちゃんが顔を上げるのを見て私も目線を上げる。膝をずっと付かせるのは可哀相だ。私が立ち上がるのに合わせてネコネちゃんも腰を上げた。目上の人に習う姿は配慮が行き届いておりさすがだと思う。私もネコネちゃんは無理でもそつなく立ち回れるようになりたいと頑張ってたなあとまたしみじみ。
 ネコネちゃんの不安も多少晴れたのか表情のこわばりが消え安堵の吐息を零す様に私もほっとして気が大きくなった。そういえば、小腹がすいたとき用に聖上が卓にお菓子を用意してくれていたなと気がそれる。
「使いの職も大変だろう、菓子の類がある。良ければ駄賃代わりにどうか」
 ネコネちゃんはまだ子供だ。才女で大人ぶりはするが甘味好きでよく通りを歩く際店に並ぶ菓子に目を向けていたのを私は覚えている。大人ぶる彼女の意を汲みからかう真似はせずにいたが、人払いを済ませているから内々に菓子を振舞うぐらい許されるだろう。内々だし。
「殿下の持ち物を頂くなんて恐れ多いのです……」
 ネコネちゃんは遠慮するが、お菓子に興味はあるのか視線がちらちらと卓と私を行き来する。可愛いなあと私はほくそ笑み、当人が良いと言うのだから甘えておけと卓の椀に手を伸ばす。
 取り出した幾つかの包みを解いて念のため自分の口に放り込んだ。聖廟で振舞われる食べ物は全て毒見されていると聖上から伝え聞いている。控える女官たちも身元が確かな者たちだから害する可能性は低い。何かあれば一族連座で責任を取らされるからまず毒殺はないとも豪語されていたっけ。原作のウォシスはやらかしたけどな。今のウォシスがやらかすとしたらネコネちゃんじゃなく私の方が妥当でしょう。でも万一があってはいけないから試しに一口齧ってみたがただ甘いだけで安心する。遅効性なら積むけどな。その場合作った人や運んだ女官も責任を問われかねないのが身分制の怖いところだ。亜人より劣る人類が食べて害がないならネコネちゃんも大丈夫と判断しておく。
 砂糖菓子の一種なのか菓子は口に入れた瞬間からふんわり蕩け優しい甘さを口内に残した。少し酸味は残るがこの程度問題はないだろう。
 菓子を進められ困った風のネコネちゃんに(それも当然の反応か。いくら甘味好きでも元義姉でしかも兄の上司の身内から嬉々として頂くのは非礼と感じたのかもしれない)こちらは酸っぱいから止めておけと、どぎつい色をよけて淡い色を差し出す。
「過分な配慮恐れ多く……」
「そんな事はない。童子の身でよくぞ大役を務めていると労いたいだけだ」
 兄を想い引く姿勢の彼女にこれぐらいは問題ないと掌の菓子を差し出した。
「宮仕えは酷と聞く。幼い身でよく務めるものだ。さすがオ……右近衛府に重用されているだけはあるな」
 だからいいんだよ、詫びにもならないけどちょっとぐらい良い目を見せてあげたいんだと微笑めば俯くネコネちゃんが何事かを呟いた。
「……です」
 遠慮してる、律儀な子だ。せっかく元義妹と培った接点を失いたくなくて私は遠慮はいいからと躊躇う手を取り可愛らしい掌に二三菓子を落とす。
 ネコネちゃんは俯いたままだ。掌も握らない。芳しくない反応に機嫌損ねたとみて私は慌てた。ネコネちゃんは子ども扱いされるのを極端に嫌がるから、労いの言葉をかけて押し付けたけど強引な手法が苛立ったのかもしれない。菓子がダメなら何で機嫌を取ろうと考えて知識欲の強い子だったと思い出した。クオンと打ち解けたのも遺跡巡りが趣味の彼女と歓談し知識の探求が趣味というのに同調、そこから仲良くなり義姉妹の契りを結んだと原作で書かれていたっけ。
 私古代の知識に実は長けているんだよ!と打ち明けるのは今更過ぎて気が引ける。なので軽いジョブから切り出そうと私は壁際に置かれた文机(ふづくえ)に近づき引き出しを開けた。
「菓子が気に入らないのならこういうのはどうだ。ちょっと古代の知識を思い出してね、私の国の言葉でネコネちゃんってどう書くか知りたくない?」
 気やすすぎない?と思わないでもないが、人目がなければ構わないだろう。筆を走らせるには時間がかかる。だから引き出しから取り出したボールペンと雑紙で簡単にネコネちゃんの名前を書いた。古代の知識をひけらかすのは重罪と聞くが帝妹が披露するには問題ないと聖上の文に認められていた。だから大丈夫。ハクだって今より先の未来、フタハクで落ち込むネコネちゃんを励まそうと簡単なひらがなを教えて絆を深めていたから名前ぐらい聖上も見逃してくれる、筈だ。原作主人公のPRポイント横取りするほど教えはしないから、このぐらいいいだろうと私は少々思いあがった。
「ネコネちゃんの文字は私の国でこう書くんだよ」
 私は喜色満面で手にした紙を掲げ、きっと知識欲で目を輝かせると予想した義妹に振り返り、当惑した。
 ネコネちゃんは、明らかに変だった。俯くのをやめた彼女は笑顔どころか無表情。感情が消えた面持ち、いや憤りすら感じる空気に慌てて背に紙を隠す。押しつけがましかったかな、余計な入れ知恵が気に障ったかな。構わないと色々自問してたけどオシュトルに倣いまずは意見を伺うべきだったと内省する。今更素直に尋ねるのも憚られ要らぬ世話で悪かったと苦笑してその場を取り繕った。
「……菓子の方が良かったか?」
 握りはしたものの腕を降ろしただけのネコネちゃんにおずおず尋ねれば、急に表情を一変させ、怒り一色で手にした菓子を床に打ち払った。カンカンと響く音に外に聞こえたらと狼狽え菓子を取ろうと手を伸ばしたところで、触られると勘違いしたのか手の甲を強く打たれてしまう。
 勢いを殺せず膝から床に倒れる。何が逆鱗に触れたのか、激高したネコネちゃんが叫んだ。
「何もいらないと言ってるのです! 何ですか一々上から目線で鬱陶しい! 望みもしないものを押し付けて余計な事ばかり、あれほどの不義理を働いてよくもっ……」
 堰を切ったように彼女は思いの丈をぶちまける。
「どれだけ兄様が心を砕いたと! どれだけ窮状に陥られたか知りもしないでどうして、どうしてナナコさんだけがっ!!」
 ネコネちゃんはこちらを見ていない。堪えきれない鬱憤を私の声掛けで爆発させてしまったのか宙に向かって吠(ほ)えていた。分かるのは、私のせいでオシュトルを望まない立場に貶めてしまったという点のみだった。
「いつも通りなんて! ナナコさんだけいつも通りなんて! どれだけ当家を馬鹿にすれば、この、恥知らずううぅぅっ!!」
 ペチペチと腕を叩かれた。すぐに彼女は手を止め己を落ち着かせようとしてか荒く息を付く。加減はしたようでさほど痛みは感じない。ただ立てなかった。驚きから構えもとれずバランスを崩した私は衝撃から立てない。恥知らず、早く立たなきゃ困らせると思うのに体が強張り脚に力が入らない。叩かれ、罵倒された、義妹と認めてくれたネコネちゃんに。
 ネコネちゃんは多少叫んだところで冷静になったのか、我に返ると青ざめ私を様付けで呼び、謝罪を言い募(つの)り助け起こそうと手を伸ばした。彼女の叫びは外にも聞こえたようで、女官たちが外から様子を伺う声を掛けてくる。焦り硬直するネコネちゃんが何か言う前に、大事ない、菓子を取り落としただけだと宥め片づけを申し出るのを辞退した。自分のことは自分でしたいと口にすれば彼女たちもそれ以上深入りはしない。お節介をと遜(へりくだ)る女官たちに気にかけてくれて嬉しいと声をかけ、立ち上がる。散らばる菓子を片づけなきゃと床に手をやったところで固まるネコネちゃんは我に返ったのか、慌てて私にさせて下さいなのですと申し出て止める間もなく掌で菓子を集め始める。いいよと辞退を促すが私のせいなのですと引かない。御手は大丈夫ですかと更に近寄り手と顔を交互に覗き込まれたところで顔を背けるが遅かったのかまたネコネちゃんが固まってしまう。気にしないでと背を向けて散らばる菓子を拾うのに集中したいのに、止まらない涙腺が自分でも嫌だった。
 目に見える範囲でも片づけようと動く間にネコネちゃんの硬直も解け結局二人で片づけてしまった。壁のゴミ箱には色とりどり綺麗な菓子が転がり胸が痛かった。
 手伝ってくれてありがとう綺麗になったと、裾についた菓子の欠片を両手で払うが私はネコネちゃんに視線をやれず俯いたままだ。
「も、申し訳ないのです」
 怪我は?状態の確認をさせてくださいと神妙に申し出るネコネちゃんにこれ以上迷惑をかけたくなくて辞退した。
「平気だ、気にかけるほどではない。こちらこそ押し付けるような真似をして悪かった。安心しろ、お前の主を誹(そし)る理由にはならない」
 先ほど叫んだ言葉に謝意は表明しない。聞かれたくなかったことを蒸し返す権利加害者側にはないし、そう思われても仕方ない振る舞いをしてしまったんだ。責めを甘んじて受けとめるのが元凶の責務とも思っている。
 緩む涙腺を見られたくなくて視線を床に落とす。失敗した、中途半端に散らばる菓子の欠片が己の粗忽さを突きつけてきて胸が苦しくなる。恥知らずか、本当に恥知らずな振る舞いばかりしてるなあ……
「尊き御方が謝る理由などどこにもないのです。どこか傷めてはおられないでしょうか?」
「大事ない、おまえの手で傷つくほど私は弱くもない。気を使わせて悪かったな」
 打たれた手を見せないよう背後に回した。いつもだったら擦り傷で済む話だ。でも今の私は帝妹殿下、臣下が損ねたと周囲に知られれば苛烈な責めを負うのはネコネちゃんだ。可能性の話でも彼女を想うなら何もなかった事にした方がいい。
「殿下……」
「大事ない、こんなの大事な訳がない。あと大事なことを忘れているぞ、これを皆に渡してくれ」
 自責の念に区切りをつけ、文机の二段目の引き出しから何通か取り出し傷めてない方の手で差し出した。顔はまだ見えない。
「え? わ、わかりましたです。その、これはどなたに?」
「オシュトルに渡せばいいと聞いた。御母堂だけでなく不義理をした者は他にもいる。その者たちにも詫び状をついでではあるが頼みたかった」
 受け取るネコネちゃんが文を捲る音がする。誰宛か一通一通確かめているんだろう。だが当人の前で検めるのもと遠慮したのかネコネちゃんは裾を握り深々と頭を下げた。
「申し訳ありませんです。殿下のお気持ちを考えず軽率なふるまいをしてしまい大変申し訳ないのです」
「いや大事ない。受け取って貰えればいいんだ」
 オシュトルもしかして伝えてなかった? 受け取る気はないということか、はたまた私に送る資格元からないと……やだな、嫌な方向にばかり思考が傾いてしまう。小さく息をつき自嘲してネコネちゃんに背を向けた。話したくないないですよポーズじゃないよ。しゃくりあげてボロ泣きする情けない姿を元義妹に見られたくないだけです。
「返事は、いい。読もうと破り捨てっ……ようと……届けば、それでいいから……」
 だから、もう帰っていいよ。頬を拭いそう背中で示すのに人目がないのをいいことにネコネちゃんは中断した宛先確認でもしてるのか文を捲る音がした。
「殿下、これは……」
 ちょっとの間の後、ネコネ宛にどうしてと震える声に耐えきれず言葉を被せた。
「悪かった、書いてあるのはそれだけだ。お前がどうこうオシュトルがどうこうなどは書いていない」
「母にはまだ届いてはっ……」
 長男が迎えた妻が実は帝妹だった、との知らせはエンナカムイにまだ伝えられていないと零す声に私は答える。
「それでも傷つきはするだろう。詫びの文ぐらい、いれるべきだっ。私が……、……私が軽率にふるまったから、こんな事になったんだし」
 ネコネちゃんが私の前に回り込んできた。ボロ泣きする醜態を晒したくなくて体ごと視線をずらすが追ってきて見上げられてしまった。再度逃げかけたところで彼女の瞳に責める色はないと気づき、真摯なまなざしに逃げるのは失礼だと思い直す。零れる涙を拳で拭い何とかネコネちゃんに視線を戻す……瞳に宿る感情はこちらへの気遣いだけだ。
「悪かった。おまえにも皆にも、機会があればと願いはするが直接謝れる機会があるとも思えない。だから、だから謝意をせめて届けたかったんだ」
「ごめん、ごめんネコネちゃん。こんなこと聞かされたって迷惑なだけなのに……っ」
 耐えきれず顔を覆い視線を隠す。恥知らずと言われてもその通りでそうだよなと自問するほかない。誠意に答えたいのに脚を引っ張ってばかりの自分が情けなかった。
 ネコネちゃんは当初の怒りはどこへやら、こんな情けない帝妹にも優しい言葉をかけてくれる。
「迷惑ではないのです! 殿下のお気持ち、私がわからないわけないのです!」
「姉様だったのですよ、ずっとずっと一緒にいたのです。こんな事になってお辛く思わない方じゃないの知ってます。ネコネを見くびらないでくださいなのですよ!」
 そうだよね、ごめんね見くびっちゃいけないよね。だってネコネちゃんはオシュトルの妹だ。年齢に甘えず勤勉で、私とは天地の懐の広さを見せる才女だ。最初は反発してたのに、実妹の件で落ち込む私を一人にできず何かにかけて構い倒し、からかわれても反抗する程度で不義理な元姉を心配してくれる本当に優しい子だった。優しい子だったのに罵らせてしまった、私が悪い。
 ネコネちゃんの労わる言葉に私は泣いた。ボロ泣き所ではない雄叫び泣きだった。うわあんどころかうおおん。みっともない泣き声に内心では相当呆れたろうにネコネちゃんは沈黙に徹し背中を撫でてくれる。オシュトルに撫でられてるみたいだ、兄弟だもんね、そりゃ似るよねと思えばまた涙腺が爆発して止まらない。
 何思われても仕方ない受け入れようと決めたのに速攻掌返しする自分が情けない。ごめんねごめんねと言い募り嗚咽を零す私に押し黙るネコネちゃんは気になる点でもあったのか、唐突に指摘した。
「……食べれているですか?」
「……毎日たらふく食べてるよ」
 顔から手を離せばネコネちゃんはお腹を見ていた。顔を上げ切々と訴える。
「嘘です、前々から思っていたですが殿下は食が細すぎるのです。沢山食べて体力をつけるべきなのです」
 視線が腹に戻る。彼女は心配してくれているらしい。
「御子にも障ります。ネコネを案じるならせめてその分食べてくださいなのですよ。だってその子は……」
「甥っ子か姪っ子になったかもしれない、方なのですから……」
 案じる言葉が胸を締め付ける。妹のネコネちゃんから見てもオシュトルは相当やばい立場に追い込まれた筈なのに憤る相手にも情けをかけてくれるなんて、なんてネコネちゃんは優しいんだろう。子供のことはオシュトルから聞いたのかな?あの人のことだから多分細部は伝えず投げっぱなしの伝言でしょうね。それでも心配してくれるなんて、ネコネちゃんは本当いい子だよなあ。気に入らない相手の子供でも血縁に数えてくれるなんてさ。
 でもごめんねネコネちゃん、私、気遣いはもう山と貰ってお腹一杯なんだ。これ以上は申し訳なさ過ぎて潰れちゃうからもう気遣わなくていいんだよ。自分でもいい加減怒られてしかるべき状態だと思わないでもないんだし。
 なんて胸中でのたまい、言葉足らずを承知で付き合わせて悪いからとの一点のみで、私は笑みを作り真実を打ち明けた。
「もういない。出した」
 無言の間を数秒経て、え?とネコネちゃんが当惑する。出したと再度追い打ちをかけるとネコネちゃんは嘘と呟く。念のためもう一言後押しすると色々実感が湧いてきたのか、口をだらしなく開けて、数えるほどの時間硬直しやがて唇をわななかせて呟いた。
「……ひ、ひとごろし?」
 信じたくないのか語尾の声音が若干高めで疑問符が付いている。声を発したネコネちゃんは自分の言葉に傷ついた顔をして両手で口を覆った。また数秒の無言の後、いよいよ実感が湧いたのか、可愛らしい尻尾を逆立たせ見開く瞳からポロポロ涙が零れ出る。ネコネちゃんは瞳をキツく瞑り呻(うめ)いた。
「知らない、ネコネは何も聞いてないですよ、あんなにあんなに楽しみにしていたのにどうして……っ」
 受け入れられないのか首を左右に振り声を絞り出す。
「兄様の、だったのにっ……皆、楽しみに、してたのにぃ……っ!」
 そうだね、何事もなければ双子はオシュトルの子として無事に生を受け嫁いだ私ともども安穏と暮らせて行けただろう。言葉にこそされなかったが楽しみにしてくれて嬉しいなあ。私が神だったばかりにこんな事態を招きほとほと申し訳ない……なんて口にしはしない。
 私はそうだねと相槌を打つだけで、それが余計ネコネちゃんの神経を逆なでしたようだ。
「知りませんお姉さまなんて……お姉さまなんか、宮中でずっと恥知らずのまま生きていけばいいですよぉ!」
 拳を握り叫んだネコネちゃんは滂沱の涙を零し転身、入口目指して駆け出した。
「う、うなああぁああああぁぁぁぁっ!!」
 扉を開け放ち飛び出る彼女に平素の面影はない。乱心したと思われても仕方ない態度だが、渡した文はしっかり懐に仕舞っていたから熱が冷めればいつもの冷静な彼女に戻るとみて私は声をかけずに走り去る背を見送った。
 開け放たれた扉から外に控える女官がそっと覗き込み、何があったか問うてくる。私は鼻を鳴らしさも不満です的な態度を取り誤魔化した。
「年端もいかぬ幼子の癇癪は怖いな。知恵比べをしたら泣かれてしまった」
 なんだその程度の諍いかと口にこそしないが女官たちはほっと息をつき、幼子のふるまいを歪曲的に嘲るから余計神経が磨り減る。
 右近衛府の面々は女官の評判も悪いのかと尋ねれば失言を悟ったのか口々に言い訳と理由を教えてくれた。評判は悪くないむしろ良い方、ただ隙がなさ過ぎて近寄りがたく思われ遠巻きにされているとのことだった。文官と武官だと所属が違うもんね、色々垣根があり相互理解が難しいのかなあ。いつか解消できるといいんだけど。
 胸中のみで自問して他力本願な考えにまた溜息、ここに来てから私溜息しかつけてないなあ。
 溜息をつく私に女官たちは途端に青ざめ確認してくる。何か機嫌を損ねてしまいましたかと遜る彼女たちに首を振り大丈夫だと宥めた。
「気安くしてくれていいからね。私あまり上流の暮らしになれてなくてこういうの苦手でさ、怖がらせる気はないから貴方達も好きにしてくれいいよ」
 帝妹様……と女官たちは瞳をにじませ感じ入るようにこちらを見た。仲良くなりたい、なんてのは無視がよすぎる考えだから口にはできなかったが、楽しく仕事に専念してほしいと心から思っている。

 落ち込むのに区切りを付け気分を変えようと控える女官たちに部屋に戻っていい、マリカのところに行くから何かあれば連絡を頼むと申しつけて部屋を出た。
 万一事実を確かめたネコネちゃんが部屋に戻り問いだたされる可能性を考えて飛び出たのだが、ある意味その判断は正しかった。


 寝てると目星をつけて護衛の部屋を訪れるとばっちし起きていた。目を開け暇そうに寝台に横になり脚で布団を蹴飛ばしてる。お行儀が悪い。私は綻んだ顔をいかめしいものに変えてえへんと咳ばらいをして気が緩み過ぎじゃない?と小言を飛ばした。すぐさまマリカは布団を直し喜色満面飛び出てくるから私は圧倒されて、慌てて横になってと命令する。不満そうに寝台に戻るマリカに苦笑して多少気が晴れた。それでさよならも何だから、マリカが寝ている間にこんなことがあったよと寝台脇の椅子に腰かけ障りのない範囲を明かす。
「ご主人様、何かありました?」
 大人しくベッドに横たわるマリカだが目ざとく確信をつく言葉に、私は用意してくれた果実を控える女官たちにはらはら見守られながら包丁で剥いて素知らぬ顔をする。
「何かないと私は配下を見舞いもしないのか?情のない主と思われるのは心外だなあ」
 これでも色々気にかけて動いてるんですけどね。自分だけじゃなく近しい人、たまに無関係の善良な亜人たちにも多少気には掛けているんですよ、指先ちょっとの配慮しかしてないですけどね。ネコネちゃんとかネコネちゃんとか。
「逆ですよ〜。ご主人様はあらゆる方に情けをかけるから心配なだけです」
 例えばこの果物みたいにとマリカは私が斬った果実を楊枝で突きさし口に含んだ。美味しいと相貌を崩す。美味しくてなによりだよ。
 リンゴに似た果実は聖上からの差し入れだ。控える女官たちは私が刃物に触るのを嫌がったが(自死する恐れがあると聖上から聞き及んでいたのかもしれない)、私がマリカのためにしてあげたいんだと力説すると無理矢理拒否するのもどうかと思ったのか最後には許してくれた。
「朝、私が寝込んでいた時にお菓子を届けてくれたでしょう?女官の方から聞きました。マリカ、嬉しかったです。味もとっても良かったですよ」
「美味しく食べてくれて私も嬉しいよ」
 もうちょっと食べる?と尋ねればもうお腹いっぱいですとマリカは首を振る。剝きすぎちゃった。捨てるのはあんまりだけど置いてたらしなびて鮮度が落ちる。私も食べていい?とマリカに尋ねれば意外にも断られてしまった。
「マリカのために剥いてくれたものをご自分で片づけようとしないで下さい。全部マリカの腹に収めるので横からつまむのは禁止です」
 意地汚い真似なんてしてないのに、何故かめっと叱られてしまった。
「いいよ、部屋に持ってきてもらうから」
「間食もダメです。決まった時間に用意された食事を済ませるよう努力してください。四六時中だらだら食べてるとどこぞの八柱みたいに崩れますよ」
「いや何も四六時中食べたりはしないって」
「約束!はい指切りしましょ」
「ええ〜……」
 指切りまで乞われてしまった。病人を悩ませるのもなんだから仕方なく小指を差し出せば、調子っぱずれの声で指切げんまんの歌まで歌ってくれる。懐かしい。
 子供じみた振る舞いに思わず苦笑して、豚は嫌だから気を付けると頷けばマリカは嬉しそうにほほ笑んでくれた。マリカはいつも楽しそうで羨ましい。誰かに胸の内を聞いてもらいたくなり、でも病人に相談するのもなあと迷ううちに内心を汲み取ってくれたのか声が掛けられる。
「その気になればいつでもマリカにお伝えください。愚痴でもなんでもご主人様から話しかけて頂ければマリカは天にだって登れるんです。信頼される実感は何物にも代えがたいっ!」
「わかった、わかったから大人しく横になって立ち上がるな。寝台は寝るところ、貴方は病人」
 布団を指させば大人しくマリカは寝台に横たわった。放っておけば空めざし跳ね飛びそうな勢いを宥められて一安心である。
 信頼してなかったらそもそも見舞いにも来ないってと嘆息し、でもそうか、信頼されてないと思わせていたかと内省する。途端ご主人様が反省する必要はない、そう思わせたマリカの責任と豪語されては失笑するほかない。
 しばし無言の後、念話で意識を覗かれたのを承知で、寝台に顔を突っ伏し深く溜息をついた。降りるとき体を傷めないよう寄り掛かる程度の位置に倒れ込んだけど幸い痛みはないらしくマリカも特に突っ込まない。好きにさせてくれるようだ。
「上手くいかないなー……」
 顔を横向きにして嘆けば柔和な表情でマリカがこちらを見つめ諭してくる。
「思うとおりに行かないのが人生だとウォシス様が言ってました」
 そうですね。ってかいつの会話だそれ、気になる。
「だからこそ人生は面白いんですよ。ご主人様」
 流さないで、いいけどさ。
 ……思うとおりに行かない、だからこそ人生は面白い、かあ。至言だね。でも私は心が狭いからそれは人生が上手くいく奴の詭弁だと心のどこかで僻(ひが)んでしまう。
「思う通りがいいよ、泣かせたくないのに傷つけて迷惑のかけ通しだ。おまえにも」
「気にかけて頂いて嬉しいです。でもねご主人様、ご主人様が笑顔でいてくれるのがマリカには一番のご褒美なんですよ」
 マリカは腕を伸ばし私の頭を優しくなでた。後頭部を撫で頬に掛かる髪を払う。労わりに満ちた手つきに自然と涙が湧き出てしまう。
「早く元気になってくださいね、マリカは心配です」
 なら早くマリカが元気になってよ。貴方が傍にいないと寂しくてしょうがないんだ。
 口にしない思いはマリカに拾われ、勿体ないお言葉痛み入りますと伝う涙を指で拭い、しばらくそのままマリカの傍に横たわり甘えるのを許してくれた。
 現状が辛くて不義理しか出来ない状況がただただ悲しかった。

 ◇◇◇

 病人の傍でだらけて病状を悪化させても行けないので甘えるのは適当な所で切り上げた。自室に戻った後はご飯を食べて適当にくつろぐ。英気を養った後は抜け目ない貴族達から届いた貢物を戻ってきた双子と共に見分しお礼の手紙を書くためにひたすら筆を滑らす。
 危険がないよう検めた貢物は山と置かれていた。検めても部屋いっぱいの量だ。金銀財宝反物螺鈿細工の山々にひたすら圧倒される。どうしろっていうんだ、いきなり財宝持ち込まれてもどうすればいいのか分からない。宝の持ち腐れ過ぎる。豚に真珠過ぎてにこんなにいらないと半泣きで呟けば双子が帝に頼んで控えるよう口伝しましょうかと尋ねてくる。やめて、余計私の居場所なくなるから。
 私は嘆息し、子供の調子を確認したいところだけど要人を粗略に扱ってはいけないと卓につく。双子が貢物の名簿と文を並べざっと検(あらた)め引き出しから筆記用具を取り出した。
 正直に全部要らないと返せば恨みを買うから、ありがとうでも私には過分な品々だから今後は要らないわと要約した書を認め女官たちに渡すよう頼んだ。文を書き終えるたびに双子が該当の品を山から取り出しどのような品を送られたか確認して御礼状を認めたほうがいいと忠告してくれたので指示に従った。全部同じ文面だと何かの折話題に上がったとき不興を買うもんね、文句もないので静々貢物の特徴を文面に綴りたまに間違った箇所は双子がこのような書き方が望ましいでしょうと新たな書を用意してくれたので指導に従い御礼文を書き綴った。驚いたことに八柱からも文が送られていた。デコポンを除き哀悼を示す文ばかりで労わる文面が多い。本心かどうかは知らないが気遣いは有難く頂こうと、返礼の文に御礼とヤマトの繁栄に尽力していこうと締めた。ちなみにデコポンは茶会の誘いがほとんどだったので体のいい断り文句のみ書き綴っておく。オシュトルからの文がないのが気になるが、昨日の今日しかも当事者に労う文を書かせるのはあまりに酷でしょと判断して気にしないようにした。
 お礼の手紙を用意するのにかなり時間が掛かったが仕方ない。断り文句として角が立たない文例を双子に聞きながら挨拶状への返事を全て認(したた)められたのは、鐘の音が成り女官が本日の業務終了を申し出る夜半だった。
 書き終わったところで帝室に近づきたいものは今後あらゆる手段で近づいてくると双子から忠告を受ける。何もしないよりマシでしょ、だから貴方達も手伝ってくれたんだよねと窘めれば同意された。女官に勤続の礼を言い、双子にも本日の業務終了ご苦労様帰っていいよと促すが子息のところへは行かないのかと聞かれて迷い、本当は今行くつもりでしたと白状した。いいじゃん、母と子供だけの時間が欲しかったんだし。
 内心の呟きを双子は拾い上げそれでしたらと双子は揃って退席、自室で待つよう指示され困りつつ従うとほどなくして配膳台に豪華な食事を乗せて戻って来た。食堂を行き来するのも大変だと思いましてとこちらを気遣う言葉に礼を言い、付いてこなくてもいいのに聖廟深部へ三人で赴く。女官たちの何人かは勧めに応じて退席するも古参の何人かはもうしばらく滞在させてくださいと留守を買って出た。邪険にするのもなんだから適当に切り上げていいと声をかけておく。勤勉なのは結構だが根を詰めすぎないよう後で注意しないと。どいつもこいつも働き者でおちおちのんびり出来ないのがきつい。

 たどり着いた部屋で目視とデータを確認、本日も異常なし。ミリ単位の成長でも嬉しいなあ何でかタタリの子供もミリ単位増えてるのが嬉しくもあり悲しいなあと綻び、双子が机に並べた食事を頂いた。精密機器が並ぶ仕事用のデスクでいいのかなと思わないでもないが双子がいいならいいんだと流しておいた。本来の用途じゃなくても使えるものは何でも使う精神にたまにドン引きもするが嫌いじゃない。なんか一端の研究者にでもなれた気がしてちょっとだけ楽しかった。
 ご馳走さまをしてもう帰っていいよと再度双子に休むよう促すが私も疲れていると心配されて自室の寝台で寝ると誓うまで帰らないと宣言されてしまう。これ以上酷使するの気が引けて流れに乗り誓うと双子は得心し食器を片付け去っていった。
 机に残り私は帝から出された宿題、遺物のプログラム確認問題を説こうと意気込むが自力で解けたのは半分のみ、答え合わせをすれば合っていたのは半数以下で出来の悪さが嘆かわしい。嘆いたところで何かが変わるわけもないので今日はこの辺にしとこうと区切りをつける。胎教にさほど興味はないが少しでも安らげたらと何曲か口ずさんだところで終わりにした。
 無反応でも可愛い子供たちにまた明日ねと手を振り、双子の勧めに応じるのが得策と深部を出たところで、出口から出てすぐ廊下の隅に跪くオシュトルを見つけてしまった。
 ……明後日(あさって)昼頃に訪(たず)ねると言ってなかったっけ?
 固まり自問する私にオシュトルが頭を下げたまま断りのない来訪を詫びる。
「こちらに居られると鎖の巫方からお聞きし失礼を承知で控えておりました。叶うならば今ここでお伝えしたき事案がございますがよろしいでしょうか?」
 聞きたくないなあ。火急の知らせが何か大体想像つくし。隠密衆とか隠密衆の誰かさんとか。深夜とはいえ抜け目ない連中が草やら術やら仕込んで網はってそうでいやだわ。意見するのに、触れ回る危険人物の芽に止まらない状況つくりはしたんだろうけどさ、内容多分私へのお𠮟りだから正直断りたい。
「人払いは?」
 済ませてるよなと立てた予測に狂いはなく断言されてしまった。 
「済ませておりまする。この時刻出回るのは警護の者のみ、外部に話が漏れる恐れはありません」
 ウォシスは出来る、だから嫌だと明言できればいいのに、不義理を働き元義妹まで泣かせた私はオシュトルに強く出れない。今話したいってことは急ぎの件か、今後話す機会もなくなるから今のうちに話しとこうとの気概を汲み了承する。
「ならば良い。寛(くつろ)いで好きに申せ」
 意気込まずとも良いと促すが、オシュトルは姿勢を崩さず平伏したまま理由を明かす。
「部下に泣かれました」
「……そうか」
「何故嘘を付かれたのか某にはわかりませぬが無用な配慮と進言申し上げます」
 事実を話したところで楽しい話題でもない。正しく理解されるとも思えず理解されたとしても双方共に傷ができる。語る私も辛いし、何故力になれなかったとネコネちゃんが自分を責めてもいけない。だから言わずにいた、ううん本当は誰かに罰してほしかっただけ……なんて本心は胸の内に留め別の懸念を口にする。
「手元に残らないんだ、死んだも同然だろ」
 殿下と咎める声に事実だと被(かぶ)せた。
 娘は帝室の一員だ。血が繋がらずとも帝が明言した以上ヤマトではそう扱われる。帝から実父を名乗る許しをオシュトルは得ていない、だから深く関われない。護衛だの何だの折に触れて姿を見る程度の交流はあっても、それ以上は無理だ……帝が寄こした手紙には直々にそう書かれていたし。問題ないなら私を嫁がせて終わりの話だったからね。問題があったから聖廟に招かれたんですよ。血縁が近くにいても公の場で明かす許しは私以外誰も許可されていないんだわ。オシュトルがダメなら当然ネコネちゃんもダメなわけでして。姪っ子でも叔母と公言できないヒトにこの子が貴方の姪っ子だよーって、薄い希望見せびらかして泣かれるのは私も御免なんだわ。
 こちらの葛藤などどこ吹く風、オシュトルは沈黙を貫く。数秒待ちもういいかと話を切り上げかけたところで、頭を垂れたまま仔細を教えてくれた。
「事実を教えたところまた泣かれました」
 ……そっか、泣き虫だねネコネちゃん、私もだけどさ。
「言付けを頼まれておりまする。恐れながら聞き届けて頂いてもよろしいでしょうか?」
 断る理由はない。
「いいぞ、誰も恨み言の類を言わないから刺激に飽いていた。存分に言うと良い」
 罵詈雑言か大穴で慰めか、構える私にオシュトルは淡々と伝言を伝える。
「お姉様なんか知らないと。詫びにいつか古代の知識をご教授頂かねば気が済まない、と」
 ……そしてまた沈黙が訪れる。ややあり私は尋ねた。
「……それだけか?」
 頷かれて苦笑した。
「たくましいな。おまえの配下は」
 ちよっとだけ、跪くオシュトルの口角が上がった気がしたが突っ込むのも無粋だから流しておく。オシュトルはもう元通りだ。
「殿下の御体を案じておりました。折角の気遣いを無碍にして申し訳なかったとも聞いております。配下に代わり謝罪致します」
 静々頭を傾けるオシュトルに私は話が大げさすぎると苦情を述べる。
「大事ないというに、怪我もない。大げさなのが右近衛府達の欠点だな」
 そう笑い捨てるが万一があっては成りませぬと諫める言葉に頷き、だからこそ私が上手く立ち回るべきだったと胸中のみで反省する。
「謝意はもういい。今後も職務に励み報いてくれれば何も問題はない」
 ネコネちゃんはそうでも、私がこなさなければならない課題は山とある。彼らの努力に報いるためにも下手な動きは取らないよう内心で一層気を引き締めた。
 オシュトルは、ご温情配下に変わりお礼申し上げますと平身低頭。区切りと見て私は話を切り上げる。
「ネコネの成長を楽しみにしていると、まあ聞き流してくれて構わん。私はそう思っている」
 必ずお伝えいたしますとオシュトルは了承し立ち上がると部屋まで護衛すると声をかけてきた。
「マリカ殿が伏せっているとお聞きしました。代わりにも成れませぬがお部屋まで護衛いたします」
 謙遜なんだろうが一介の護衛と将軍を同列に語ってはいけない。どちらにも失礼だ。
 業務の一環でも時間帯が不味すぎる深夜だぞと注意するが部屋に入らねば問題ありませぬとオシュトルは首を縦に振らない。だからついでに教えた。ついでで申し訳ないが対面で話せる機会は多分そうないと見て取ったからだ。
「娘がヒトの形を保っている。許嫁にウォシス殿が立候補なされた。私は……それに了承している」
 オシュトルは特に動揺を見せずそうですかと視線を落とす。
「帝の保護を受けてはいるが今後どのような事態が起きるかもわからない。血縁でない者を臣下たちが今と同じように敬うとも限らないからな。彼の方を選んだのは一番身の安全が保証されると見て選んだ。しかし許しなく決めたのは申し訳なかったと思っている」
「殿下の御身内です。某が意見できる立場ではありません。ですが」
 意見が許されるならばと申し出るオシュトルに私は即行好きに話してくれていいと促した。数秒沈黙したオシュトルが口を開く。
「勝手な見解ではありますが、最良である……と某も賛同いたします」
 オシュトルは続けて賛同する理由を述べた。身分に実績、悪人ではないゆえにと話を締(し)めるが本心はおそらく違う。まっとうな親ならば生まれる前から年の離れた男に嫁がせる話を喜びはしない。非公式であろうと目上の者に禄に後ろ盾のないオシュトルが反抗できるとも思えない。言わせたか、言うような流れを作り申し訳ない。オシュトルの痛みは私の咎と引き受け、妥当でもなく最良と言い切ってくれた男の気概を汲み、せめて子供が幸せに、幸せだと思い生きれるような環境に整えてやりたいなあとひそかに思う。

 ありがとうと礼を言い、仕事が終われば愚痴る友人、ハクやマロロミカヅチなんかとだべって肩の荷を多少は降ろしてほしいと内心で思うにとどめ、ではと手を振り背を向けるがやはり足音が付いてくる。
 私は振りむき、妙な誤解をうむから護衛はいいと正直に明かし辞退を申し出たところで色々汲んでくれたのか、オシュトルは考えが至りませんでとまた頭を下げた。謝罪はもういいからと取り成したところで、オシュトルはそれではまた後日と頭を下げ引く姿勢を見せたのに、何故か棒立ちで視線をこちらに向けている。意図がわからず困惑していると殿下の前には立てませぬとはっきり言われ先に帰ってほしいんだなとようやく察した。そういう事ならと私は慌て、先に戻るよ、今後も頑張ってくれと踵を返すが再度足音が付いてくる。しつこいな。振り返ればオシュトルは立ち止まり、某のことはお気になさらずとまた頭を下げるから気にしないことにした。私が歩けば再び後ろで付いてくる足音に付き合わねば時間を無駄にさせると考えてお節介が過ぎると嘆息する。
 ……お優しいことだ、いい加減見限ってくれてもいいのに。本気で見限られたら大泣きしてやるけどさ、一人でこっそりね。醜態これ以上晒したくないし。
 試しに止まれば同じように立ち止まる。振り返り視線をやれば胸に手を当て一礼。私が進むまで一定の距離感を保つオシュトルに苦言を呈するのは気が引けて、流すのが最善とそのままにしておいた。


 黙々と進み自室の前まで来て振り返る。
「ありがとう」
 いえとオシュトルは頭を下げる。今度会えるのはいつだろうと会えない期間に胸を痛めるが感傷をわきにやりおやすみと別れの言葉を私はかけた。おやすみなさいませと丁重な挨拶を返したオシュトルは次いで妙な言葉を口にする。
「では明後日(みょうごにち)、昼の音が三度の折にまたお訪ね致します」
 会う約束なんでまだ続いてるの?えっ?と呆ける私を尻目に踵を返すオシュトルに私は慌てて近寄り袖を引く。
「っ、……殿下、そのような振る舞いは褒められたものではありません。お気を付けください」
「何か、話し合う事って他にあったっけ?」
 咎める言葉を流し尋ねれば訝(いぶか)し気に瞳を瞬(またた)かせる。
「約束を書庫で交わしましたが?」
「もう話終わったんじゃないの?」
 合点がいったのかああとオシュトルは頷き聖廟で別れた時の話を蒸し返す。
「確認すべき事項が幾つか他にあるかと。細かな荷までは某も承知しておりませんので」
 どう処分しても構わないと許したのに勝手に処分する判断を下せなかったようだ。私は苦笑しおまえの好きにしていいと微笑めば視線を落とされる。会話の途中視線を逸らす理由が何か不思議に思いオシュトルの視線をたどれば袖口を掴んだままだった。ごめんなさいと慌てて手を放し相手の出方を伺うが視線は未だ左右下を行きかい迷うそぶりを見せた。何か言いにくい事でもあった?と水を向ければ明かす気になったのか、オシュトルが躊躇いがちに口を開く。
「宝物と以前小耳に挟み……その、乙女小路の蔵書が幾つか」
 私は飛び上がる。隠していた秘蔵本、オシュハク関連のあれこれそれを昨日の今日帰投した際にオシュトルは見つけてしまったらしい。片づけの最中か私を懐かしんで探るうちかまでは知らない。オシュトルのことだから隠し場所前から知っていたかもだけど、これきりになる可能性を考えて宝物と公言していた私を思いやり荷をどうするか確認してくれたんだろう。ウォシスを通して聞けばいいのにと考えて、私をからかう材料に扱われてはと危惧してくれたのかもしれないと思い至る思考に胸が一杯になる。
 無礼に無礼を重ねて立つ鳥後も清めず、後始末まで任せるなんてひどすぎる。私は動転して謝罪の言葉を繰り出した。
「聞いてくれてありがとう!ごめんね確認させて。邪魔なら放り捨ててくれてもよかったのに、いやだめ燃やして!作家さん特定させたら申し訳なさすぎる。ああでも宝物が、せめて同担の士にでも、いや押し付けて不興を買ってはうぐぅ……」
 三者三様困惑する様しか浮かばない。揚げ足どころか泥かけまくる行為にただただ恥じ入るしかない。捨てるのが一番だが家人を介してと考えるとオシュトルの評判にかかわると思えば二進も三進も行かなくなる。困った、いざという時は私が捨てればいいと考えてたけど、まさか同人誌の始末をネタ元に任せる羽目になるとは思わなかった。
「他にも以前拾われた貝殻や押し花が数点、小瓶に」
 乙女書の処分方法に苦悩する私にまた新たな問題が与えられた。オシュトルが言うそれこそ私にとっては宝物だ。ヤマトを自由に回った際にせめてもの思い出にとウコンと一緒に拾った数々の品を脳裏に描き、よく考えず捨てないでと叫び、でも私は家を出た身だしと意見を翻す。
「それも宝物だけど、だけどぉっ……!持ってくるの大変なら捨ててくれていいからねえっ!」
「捨てませぬ。殿下の宝を許可なく打ち捨ては致しませぬゆえどうぞお楽に」
 お楽にしまくってるよ。心労が凄すぎて疲労感感じてるだけだから気にしなくてもいいのにオシュトルたちは本当優しいよなあと顔を覆い、心配掛けてはいけないと飛び切りの笑顔を作り答えた。
「では明後日(あさって)その時にでも仔細を話そう。気にかけてくれてありがとう」
 オシュトルは帝室の方を敬(うやまう)うのは臣下として当然と恭(うやうや)しく一礼し、ではと廊下の奥に去っていった。

 姿が壁に隠れるのを見て私はよろよろと自室に戻る。扉を開けると女官たちが慌てた様子で近づきお声掛け頂いたら私共が開けますのにと非難じみた文句を食らう。深夜というのもあり控える女官は少ない。二人ほどしか残ってない、でもそれぐらいの数が有難いなとも思う。ごめんと謝れば余計な口出しをと平身低頭、本当に疲れる。
 一々確認する方が面倒なだけだよ。
 口にはしないが態度にでも出てたのか、寝間着を取ろうとすればもう片方が箪笥を開けてこちらをどうぞと手渡してきた。礼を言いシャワールームへ行く間、つらつらと語られる。雑事をこなすのが我らの務めで帝妹様のお役に立つために我らがいるのですと注釈を付けられれば文句も言い様がない。今度は声をかけると明言すれば安心したのか礼を言われた。ご理解が早くて助かりますだって。今後も下の者の仕事を取らないよう気を付けてって進言だと解釈しとこう。何をするのも一々命令しなければならないなんて、上は上で大変だな。

 さすがに入浴中は一人がいいと固辞したためかバスルームまでは女官もついてこなかった。やっと持てた一人の時間に私は心から安堵し、シャワーで身を清め寝間着に着替えた後ようやく女官達は本日の職務終了を宣言し部屋を出ていく。私はほっと肩の力を抜き寝台に倒れ込んだ。
 どっと疲れた……
 今日も濃い一日だったと嘆息して引き出しにしまっていたトリコリさんからの文を開き目を通す……特に変わった点は書かれていない。トリコリさんの文には旅に体が耐えられない、治療を断る旨を詫び心遣い嬉しく思う、今後もよき関係を息子ともども築けていきたいと結んでいた。
 私もずっと仲良しでいたかった……
 泣き言を零しても仕方ないのに私は嘆いてばかりいる。前を向きたい、引き上げ案じてくれた聖上のためにも、気にかけてくれた人達に報いるためにも立派な帝妹を演じたいのに空回りしてばかりだ。

 うつ伏せから横向きの体制になり、空中を人差し指で一文字に切りスクリーンを展開させる。そういえばネコネちゃんが言ってたな、オシュトルが窮状に追い込まれてるって。大丈夫か心配になり、何の気なしに監視カメラの映像にアクセスしてオシュトルの名前を入力すれば該当者の映像が何個かスクリーンに並べられて表示される。遺物って便利!便利すぎてそれ頼りになりそうなのが怖いんだよなあと自嘲して、警護に書類仕事、部下の指導にあくせく働くオシュトルを眺めてみればまあ色々出てきた。
 高官達と通り過ぎる際何か言われたのかちょっとだけ固まったり、声をかけられて首を振り一礼し去る背を睨まれてたり酷いのだと数人に囲まれて色々言われてる。音声の扱い方までは覚えてないから内容はわからない。オシュトルは流し横手を抜けようとするが手を掴まれ引っ張られた。あっと思う間に数人に掴まれ姿が倒れるように壁奥に消える。
 無音の間が数秒続きこれ以上見たくなくて映像を消した。内裏で国のお偉いさんが何やってんの、いじめかよ、絡み方が低能過ぎる。酷い同人誌のお約束パターンな展開まで連想して思考を打ち切る。
 オシュトルは武人だ。嫌な態度をとる連中は文官ばかり、鍛えているオシュトルが御されたなど微塵も思えないが万一もあり得るとウォシスにメールを送った。
『カメラ映像でオシュトルの窮状を確認したけど使い方よくわからないから後で詳しく教えてくれない?』と。
 次いで、『殺すまではいかなくても責任取らせたい、不味い?』と入力を打つ間に顔文字で『詳しくキボンヌ!』と速攻返信が来て笑ってしまった。死語やんけ。すぐに笑ってる場合じゃないと不謹慎な態度を内省し、『監視カメラ映像見て』と画像ファイルの名を打つ間に『ネタキタ―――ッ!』と歓喜する文面が到着。ウォシスネラーだったの?人類滅びた後に誕生した数少ない生き残りがネラーだなんて神様って残酷と嘆息する。私もだけどさ。
 推しが蹂躙されるのは乙女書だけでいい、リア犯マジ無理どうしよ、どう詫びよと震える指でメールを打つ間にまたウォシスから返信が来た。送った後で内容を確認する。『音声拡大機能ここです、確認するのも巻き込んだ者の義務ですよ』と指示する内容に嫌な気持ちを押し込めてそれもそうだと納得し恐々従った。問題の映像の音声を拡大してもう一度再確認すれば高官共の語る内容は私の予想通り、ただ壁際に隠れた際の反応が予想の斜め上だった。

 話の流れはこうだ。文官の一人が妻と引き離されお寂しいでしょうと声をかけた。絡まれたオシュトルが障りのない挨拶を返すと慰みに一族のものをどうかと進め卒なく断られる。絡む高官は目くばせをし帝妹殿の件で均衡を保つ勢力に一石が投じられ我らも迷惑している。詫びにくわえろだの御慰めしようかだの、この機に弱みを握ろうとしてか体面かなぐり捨て過ぎだろと思わないでもない侮蔑交じりの妄言を繰り出した。オシュトルは相変わらず涼し気に御家中通し同担の者たちでご存分に御慰め下さればよいでしょうと切って捨てる。生意気なと息巻く誰かがオシュトルの腕を取り壁向こうに消えた、ところで悲鳴が上がる。何をと抗議する声は文官たち、それもすぐにいなされたのか。オシュトルが近くの者に憂さ晴らしに町でか弱いものを襲いたいと申しておられた故捕縛いたしますと宣言するのが聞こえた。言いがかりやんけ。高官達は異を唱えるが、某に女子の影を見るぐらい鬱憤がたまっておられると先ほど申されましたなと微笑めば事実襲おうとした手前反論できず口ごもる素振りを見せた。オシュトル殿の勘違いではと一味の一人が抗議するが、手刀でも叩きこまれたのかぐえっと悲鳴を上げて以後は静かだった。またも悲鳴が上がり私は関係ないと一味の一人が言い募るが、止めるほどの人望はないのか、それとも近衛大将に逆らう気概を持つものはいないのか野次馬の誰かが衛士を呼ぶ声がする。駆け付けた衛士達が伸びた三人を背負いカメラ映像端に消えた。オシュトルは野次馬の官僚共に頭を下げる。好意的な反応や同情する者の中に数名迷惑だと詰る者たちもいた。オシュトルに肩入れする私から見ても周囲の反応は当然だ。迷惑でしかない。
 オシュトルも理解しているのか頭を下げ続ける。殊勝な態度にそれ以上の糾弾はなく批判的な官僚たちは去り、残る者たちはオシュトルに頭を上げるよう促し同情する言葉をかけた。感謝と無様な姿を見せたと再度オシュトルは詫び、詮議をせねばと一礼しその場を去る。静々見送られたオシュトルは画面外に消え、別の監視カメラ映像に写るとどうやら一人になったところで立ち止まった。いや本当迷惑ばかりかけて申し訳ないなと見ていると、面倒極まりないと呟き手を組み前に伸びをするところで映像が終わった。反応が、暢気(のんき)すぎる。でも……
 よ、よかった―――――っ!
 可哀相な目に合わせたかと滅茶苦茶気にしてたから何事もなくて良かったと本心から安堵した。いや起きたけどそもそもそういう目に合わせないのが一番な訳でして、今後のためにちょっかい掛けた奴には重罰が必要だなとも私は考える。未遂でも実行した時点で罪は罪だ。専門家ではないからヤマトの法にのっとり帝に訴えよう。私に独断で処罰する権限はなくても記録映像があるから言い逃れはさせないぞ。鞭打ちかな? 閑職に回されるかな? 少なくともオシュトルと顔合わせしない部署に飛ばして心の安定を取りはかりたい。オシュトル自身に被害意識がなくても一度でもタガが外れた奴は二度め三度目を試みる可能性が非常に高い。鍛えた武人なら身を守れても文官、まして市井のものなら身分差から怖気づき被害が出る可能性を考えると、良かった良かったで流していいとも思えない相手だ。
 溜まった鬱憤都合のいい相手に全部ぶつけてやろうっと♪
 なんて私は内心で下卑た謀を企みつつ、教えてくれたウォシスにしこたまお礼のメールを送り関係者に十分な罰をと申し出たのだが……
 『妹君の件で責めるなと厳命した御上の威光に逆らったため、極刑が本日付けで御白州裁きもなしに決まりましたよ☆』とウォシスが事もなげに教えてくれた。ドン引きである。今日の朝議で言い渡されたらしい。私が見る前に帝もウォシスも確認済みだったんですね、仕事早くて何よりです。色々かっ飛ばした身分制度怖すぎ。
 『死刑でないだけマシだと思いますよ』とウォシスは返事をくれたが罪状がどんなものかはどれだけ聞いても教えてくれなかった。死刑の次にキツい沙立と下されたヒントに深入りするなとの線引きを見て取り私は追及するのを諦める。藪をつついて蛇を出したくはない。
 てか無事なら教えてよね、遺物使わせる実地訓練なのは分かるから指摘はせずにおくけどさ。
 夜も遅いのに付き合わせてしまった旨を詫びると『本当ですよ、でもネタ提供感謝します、出来上がったらお見せしますね』と嬉しい言葉を掛けてくれた。同担の士でもカプの好みは違うから凌辱はいいわと辞退するが『密偵殿が蹂躙される側で責め監禁試みるのがオシュトル殿です』との言葉には速攻掌を返した。『貴方の創作が私の生きる糧です!』と送れば『そのいきで頑張ってください私はもう寝ます』と適当なエールといい加減にしろや的なメールを受けて私も床に就く。
 ……いや本当、一日が濃すぎて全然寝れないんだけど!
 うだうだ転がるのもなんだから再度スクリーンを展開し映像をタッチして聖廟深部ポッド内部の様子を寝ても見える位置に並べた。親子共寝はまだ先でも気分でも味わいたい。私とオシュトルの子供はトリコリさんの孫でネコネちゃんの姪っ子でもあるんだから大切にしたいと考えて姪っ子かあと胸が痛む。
 甥姪を断定する言葉は二人の違いを突きつけるから物思いに浸るのをやめて浮かぶ二人に視線を戻す。
「早く大きくなってね」
 一人で寝るのにこの部屋は広すぎて辛いんだ。親子三人とはいかない、せめてもう一人ぐらいいてほしい。元気になったマリカ一緒に寝れば多少心の洞(うろ)も埋まるだろうかと考えるが、オシュトルの許可なく護衛と一緒に寝るのもなあと迷ったところで自嘲した。関係はすでに断たれているのに今更何を。
 しつこい物思いにケリをつけ見知らぬ部屋で一人寝るのは嫌だが仕方ない、そのうち慣れると自分に言い聞かせる。世の中にはどう仕様もないことがある。ただそれだけの話なんだ。
 揺れる子供を見るうちにはっきりしていた意識もまどろみ幸い夢も見ずに濃い一日を終えた。

 ◇◇◇

 翌朝、女官の声で起こされた私は今日もマリカが寝付いたため鎖の巫が護衛としてはせ参じてくれると説明を聞く。聖廟に来てたった二日、それでも私には随分長く感じる体感時間にうんざりしつつ、平穏を勝ち取るためのモラトリアムに励もうと教えてくれた女官に礼を言い天蓋を捲り外に出た。



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風と行く