夏を追う朝
177.慌ただしく帰路へ着く足音がまばらになり、辺りは少しだけ静かになりました。
陽さんの言葉は、風と共に、人ごみの中へと紛れていきました。
「陽さん」
その想いを、このままどこかへ行かせてしまってはいけません。
悲しい想いは、ぬぐっても、振り払っても、どうしても、消えることはありません。
その事を、私は少し、知っているつもりです。
「私の話を、聞いて頂けませんか」
陽さんを見つめると、彼はこくりと頷いて返事をしました。
「少しだけ、昔の話です」
夏夜の風が、ひゅう、と、私の首筋を撫ぜました。
ああ。なんだか、とても懐かしい……。
「私とナガアキが、まだカントーの研究所に居た頃……。私のこの身体は、ポケモンでも、人間でもない……、よく分からない存在になってしまいました」
「……は?」
突然、何を言い出すのか。
そんな風に私を見つめる陽さんに、話を続けます。
「私の種族は、ジバコイルです。……いえ、ジバコイルだと思われる……と、言った方が正しいのでしょうか」
そう。こうして目を瞑っていると、当時の情景が思い浮かんできます。
「かつてのナガアキにとって私は、実験用のポケモンでした。ナガアキが研究していたのは、ポケモンの人工的な進化……。ポケモンを、人間の持つ科学の力で進化させる研究でした。その時に行われていたのが、当時レアコイルだった私を、ジバコイルへと進化させる研究だったのです」
「……」
「今思えば、とても理不尽な世界でした……。その時の私は、研究中に人間化しないよう、特殊な薬品と食事を摂取していました。でも、いよいよジバコイルに進化するという大切な実験の日より前から、数日間……。私、あんまり食事を摂っていなかったんです。なんだかとても、胸が苦しくて……。その時にもしかしたら、薬も摂取していなかったのかも知れません。私は、そこそこ優秀な実験サンプルだったので……、誰も、何も言わなかったんです。…………そして、実験の時、私は……」
「……」
「私は、強く願ってしまったのです。人間になりたいと。人間の姿になって、ナガアキと、共に生きていたいと」
目を開けると、何故か明るく見える夕闇がありました。
「実験は、失敗しました。……いえ、ある意味では、成功だったのかも知れませんね。私はジバコイルに、進化したのですから。……しかし、私はジバコイルの機能を持ちながらも、鋼と電気で出来た、人間の姿を纏った生き物になりました」
「……。それって、どういうことだ?」
「普通、どんな生き物でも、ポケモンでも、お腹が空きますよね。私には、それがありません」
「えっ、そうなのか」
「ええ。……ふふ、驚きましたか? あと、私はもう、ジバコイルの姿に戻ることが出来ません。本当は、ジバコイルに戻るための装置も在るのですが……。残念ながら、その装置はカントーの研究所に在り、私達はそこへ戻ることが出来ません」
「どうして?」
「私達が、逃げる様にその研究所を去ったからですよ。陽さん」
「え……」
「嫌だったんです。非人道的な実験を行う、その研究所が。私も、ナガアキも」
目を丸くする陽さんに、私は思わず笑って、言いました。
「私達は貴方と同じ、逃亡者なのですよ。陽さん」
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