夏の月に陰
193.*****
「眠ったか」
薄明かりが灯ったナガアキ達の部屋に入ると、少しだけ夜の雨の匂いがした。
窓からの涼しくて湿った風が、カーテンを静かに揺らして流れてくる。
「ああ。なんだか泣き疲れて寝ちまった、って感じだった」
「……そうか」
ナガアキは椅子に腰掛け、深く溜め息を吐いた。
分厚い眼鏡を外し、両の目頭を押さえる。
おそらく、ナガアキも慣れないことをして疲れているんだろう。
「ナガアキ、ありがとう。零、八里(ヤサト)も……。助かったよ。本当に、ありがとう。」
零と、アズマの手持ちポケモン……ピジョットの八里の方を向き、礼を言う。
二匹とも今は人の姿になり、ナガアキと共に部屋の椅子に腰掛けている。
本当にこいつらには、頭が上がらない。
八里においては出会ったばかりの俺たちの為に、メガシンカまでしてくれた。
どうやらナガアキやアズマと話して、あらかじめそうすると決めていたらしい。
ナガアキの腕には、メガストーンの埋め込まれたブレスレットが身に付けられていた。
……しかし、夢の跡地へ行き着く直前、八里が上空からミツキを見つけた途端、あの屋敷に向かってメガシンカしながら突っ込んでいったときは、流石に肝が冷えた。
俺も、そしてナガアキも。
「いやーでも、上手くいって良かったやーん。陽くん、これでもう安心やなー」
間延びした気の抜ける声で、八里は言った。
「八里さんの驚くべき動体視力と、見事な空中ファインプレーの成果ですね」
「……」
零はひとしきり感動していたが、ナガアキは今日何度目かになる溜め息を吐いた。
「……メガシンカは、トレーナーとポケモンの同調によって起こるものではなかったのか……?」
「もーう、細かいことは気にせんでええやーん。ミツキちゃん、助かったんやしー」
「もしかしたら八里さんは、セッカシティに居るミスターアズマと、同調したのかもしれませんね」
「ああー、それかもしれーん! なんかこう、びびっときたんよねー!」
「…………何を馬鹿なことを。第一、メガストーンを持っているのは私だぞ」
どうにも煮え切らない、といった風なナガアキを他所に、八里は俺に振り返る。
「ミツキちゃん、目ぇ覚めて一人やったら不安になるやろうし、はよ戻ったげー。うちらーんことは、もうええけー」
そう言うと、八里は右手をひらひらと俺に向かって扇いで見せた。
早くミツキの居る部屋へ戻れ、という意味だろうか。
八里は切れ長の目を更に細めて、俺ににんまりと微笑んだ。
つんとした形をした目元だが、八里の目は、不思議と冷たい印象を与えない目だった。
「うん……。分かった。じゃあな、また明日」
「うん、おやすみー」
「おやすみなさい。陽さん」
「……早く寝ろよ」
それぞれの言葉を背に、俺は部屋を後にした。
扉を閉めると、その先には真っ直ぐなひんやりとした廊下が、ただ当然のように長く、長く続いていた。
小窓の外にはしとしとと、夜の雨が優しく街に降り注いでいた。
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