夏に残る風
204.*****
「凄いですね、浴衣なんて」
「うふふ、私の趣味でね。この国の文化が好きなのよー」
なるほど、それならあの飴をわざわざ遠方から取り寄せ、祭りで売るのも頷ける。
浴衣を着付けてもらいながら、私は彼女の話を聞いて妙に納得していた。
私は今、屋台の奥さんの自宅に案内してもらい、浴衣を着付けてもらっている。
陽はすでに浴衣を着せてもらい、今は屋台で留守を任されている。
慣れない恰好に戸惑いながらも、私と奥さんが似合う似合うと囃し立てると、照れながらも嬉しそうに笑っていた。
よかった。このことが陽にとって良い思い出になれば良いと、そう思った。
そんな私に浴衣を着付けながら、屋台の奥さんは始終楽しそうに話をしてくれた。
「浴衣もどんぐり飴も知ってるなんて……。貴女、きっとこの国のことが好きなんでしょう」
「ええ、まあ……」
「そうだと思ったわー!」
嬉しそうに会話を弾ませる彼女に、私はただ笑って応えるしかなかった。
本当の事を言ってしまうと、いざ色々なことを訊かれたときに、上手く説明するのが難しいだろう。
話題を変えたくて、私から別の話を切り出す。
「あの、娘さんが旅に出たのって、いつぐらいなんですか?」
「たった三、四か月前よ。もうずいぶんと前に出て行っちゃった様な気がするんだけどね」
私の髪を整えながら、彼女は言う。
「娘の方はまだいいわよ。一週間に一回は連絡をくれるもの。息子なんて海外に居るっていうのに、ここ半年以上は連絡が来ないわ」
「ええ!? それって、大丈夫なんですか?」
「それがね、大丈夫だって分かるのよ。風の噂っていうの? 息子ってば私には連絡を寄越さないくせに、お友達や仲の良い先輩トレーナーには連絡を取ってるのよ。そのトレーナーやお友達のお母さんから話を聞いてね……。って、めちゃくちゃでしょ? 母親の私より近所のママ友の方が息子の近況を知ってるのよ。頭にきちゃう」
そう言って、きゅっ、と私の髪を縛った。
ちょ、ちょっと痛いです、奥さん……。
「心配ですか?」
「心配よー! でもあんまりしつこく連絡したら息子に嫌われちゃうじゃない? だからそこは私も我慢してるんだけど。でも流石にねぇ」
口を尖らせて、器用に髪を結っていく奥さん。
つい、お母さん、と声を掛けそうになった。
自分に少し驚く。
一人で勝手に戸惑う私を他所に、奥さんは言葉を続けた。
「まあねえ、どこへ行こうが何をしようが、私は一向に構わないのよ。ただ、元気に生きて帰って来さえすればね」
「……」
思わず息を呑んだ。
あっはっは、と豪快に笑う奥さん。
あっけらかんとはしているが、その口ぶりはどこか彼女自身に言い聞かせているようにも感じた。
ただ、元気に生きて帰って来さえすれば。
その言葉を、彼女はどれほどの想いで言ったのだろう。
…………。
ふと、自分の両親の顔が頭に浮かんだ。
・
・
・
「お母さん」
「ん? なぁに?」
「あっ……」
思いがけず返って来た返答に面食らう。
ごめんなさい、と謝ると、奥さんはいいのよいいのよ、と笑いながら言った。
どうしていいか分からなくなってしまって、私は俯いたまま、自分の髪が整えられるのを待った。
少し涼しくなってきた風が吹いて、窓際の風鈴が、ちりん、と鳴った。
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