夏の夜と彼

 2.

「こんばんは」

からりとした声で言われた。
湿った夜と私には、合っていない声だった。

「こんばんは」

それに返す私の声は、やはり湿った辛気臭い声だった。
ひどく久し振りに言葉を発した気がする。
振り返ると、見事な赤髪の青年が微笑んで立っていた。
今まで見たことの無い、奇抜な赤色だ。
頭髪については、今更驚かない。
この辺りの人々の頭は、中々にカラフルだ。

「こんな時間に、何してんすか? おねえさん」

「……いえ、別に。」

ああ、よくあるナンパというやつかもしれない。
時間も時間だ。気を付けよう。
そう私は身構えた。

「あっ、ごめんな、いきなり話しかけて。びっくりした?」

「……」

びっくりも何も、君のそのフレンドリーさにびっくりだよ。
心の中で呟いた。
黙っていると、青年が話し出した。何だか楽しそうだ。

「いや、おねえさん一人でロビーにいたからさ、目立ってたんっすよ。ポケモン、一匹も連れてなかったからさ」

「……そうなんですか?」

「そりゃそうだな。ポケモンがいないのに、ポケセンにいるって」

「ああ、それは……」

それは仕方がない。
とにかく仕方がないのだ。
でも、その経緯をこの青年に話しても良いのだろうか。
話したところで、どうにかなるのだろうか。
考え答えが出る間もなく、青年が話を続ける。

「ポケモン連れてねーと、危ねえぞ?」

「……そうなんですか?」

「そうなんですかって……。おねえさん、どっから来たんだ?」

驚いた様な、呆れた様な顔で尋ねられる。
その質問には、とても応えにくい。
本当の事を言っても、絶対、まともに取り合ってもらえない。
沈黙を決め込んだ時だ。
ふと、急に夜風が強くなる。
湿気で淀んだ私を、風は少しだけ軽くした。
その風に押される様に、私の口からは不思議と

「あなたの知らない世界から」

言葉が、こぼれ出てしまった。

「……」

「……」

青年は、言葉を発さず目を見開いて驚いている。
私も、つい黙ってしまった。
言わなければ良かった。
何故、言ってしまった。
冷静に考えてみて、こんな意味不明で恥ずかしい言葉、よく言えたものだ。
思わず俯いてしまう。

「あははっ。何だかよく分かんねーや」

やっぱり笑われてしまった。
ああ、本当に恥ずかしい。
顔が熱くなっていくのが分かる。

「ああっ、わりぃ笑っちまって。でもやっぱ、何かで困ってんだろ?」

「え?」

顔を上げると、青年は先程の楽しそうな、嬉しそうな表情で言った。

「なあ、ちょっとの間でいいから、俺のトレーナーになってくれよ」


prev / next

[ back ]