夏に潜む影
53.「……なんと。ミツキはこの事を知らないと申すか」
「ああ。ミツキには、話してねぇ」
ひとしきり目を見張った後、貞女はその眼を急に鋭くさせた。
「主人に心配を掛けたくない気持ちはわらわにも分かる。無駄に主人を傷心させるのは、辛いものがあるからな…。だがな、主人に対して何かを隠すという事は、我らを信じてその身を預ける主人に対する、最大の侮辱だ。そしてそれが悪化すれば、やがて裏切りになる。例え、そんな事を考えていなくともだ。ミツキに対して強い想いがあるのならば、隠し事などしてはならぬぞ、陽よ」
貞女の言うことは、くやしいけど全てが正論だ。
それでも、俺は言わないでくれと頼み込んだ。
やがて根負けしたのか、貞女は溜め息を吐きながら頷いた。
「後悔しても知らぬぞ」
そんな言葉を残して。
……後悔なんか、しない。
だってこれを言ってしまったら、ミツキは本当に俺から離れてしまうだろうから。
そんなの、絶対に嫌だ。
言えない。
どうしても、言えないんだ。
だから、了解してくれた貞女の協力は本当に助かった。
「ありがとうな。貞女」
「黙れ。こんな不服な礼を言われたのは、生まれてこの方初めてじゃ」
「……そーかよ」
貞女の機嫌が猛烈に悪くなっちまったが、仕方ねぇ。
もうあの嫌な気配は消えていた。
さぁ、さっさと買い物を済ませて帰ろう。
俺の帰りを、待っててくれる人がいる。
俺の、大切な人がいる。
帰るべき、場所がある。
「よっしゃ! 待ってろよ、ミツキ!」
イリュージョンを解き駆け出した俺の背に、貞女の視線を感じた。
それは温かくもなく冷たくもない、遠い過去を見る様な、不思議な温度だった。
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