夏に潜む影
54.*****
結局、陽と貞女さんが帰って来たのは部屋を出てから一時間が経った後だった。
ホテルの場所からしてそこまで時間が掛かるとは思えず心配したのだが、そんな私達を他所に彼等は二人揃って何でもないと応えた。
まあ、二人とも無事に帰って来たので良いのだが……。
「おいフウロ、もうその辺にしとけ」
「いいじゃなぁい。もうちょっとだけぇ」
フウロさんと兵太さんが、陽たちが買ってきた酒の瓶を取り合っている。
重そうな瓶の中で、透明の酒がぼちゃりと揺れる。
今、部屋で起きているのは彼女たちと私だけだ。
アーティさんと遊んでいた結麻ちゃんはとっくに眠ってしまい、アーティさんのモンスターボールへと返された。
残されたアーティさんは、自分も眠くなった、と言ってベッドルームへ入ってしまった。
一応この部屋はアーティさんの部屋なので退室しようとしたが、フウロさんに止められてしまった。
……いいのだろうか。
因みに買い出しに出ていた貞女さんは気分が悪いと言って外へ出て行ってしまい、陽の方は少し横になると言って部屋の隅で仮眠をとっている。
何かあったのかともう一度問いただそうとしたが、陽は口をつぐんだまま目を開けなかった。
その強情な態度にむっとしながらも、部屋に備えてあったブランケットを拝借して陽に掛けてやる。
本当に、何があったのだろう……。
「ねぇ、ミツキちゃぁん」
「え? は、はい」
突然、フウロさんに呼ばれて驚いてしまった。
どうしたのだろう。
「あのカルネさんが、どぉーしてイッシュに来たのか知ってるぅ?」
……カルネさんが、イッシュに来た理由?
言われてみれば、私はその事について全く知らない。
あれだけ話す機会があったのに、私は彼女へ何故イッシュへ来たのか、何故PWTへ足を運んだのかを訊かなかった。
また、彼女も私へわざわざ話そうとはしなかった。
どうしてだろう?
それだけ、私もカルネさんも、あの熱狂の渦に魅了され、夢中になっていたのだろうか。
首を傾げていると、フウロさんは口角を上げながら話を続ける。
「ふっふっふ、実はねぇ、私、知ってるんだぁー」
「えっ。そうなんですか?」
「そうなのぉー! すごいでしょぉー!?」
そう言って、がばっと私の腰に腕を回すフウロさん。
豊満な胸が、ふよふよと私の脚に密着する。
そんな事を気にする様子も無く、フウロさんは私の腰に顔を摺り寄せている。
……女であるはずの私でも、流石にたじろいてしまった。
「ちょ、ちょっと、フウロさん……!」
「フウロ、いい加減にしなさい」
それを見かねてか、ひょい、とフウロさんを持ち上げる兵太さん。
ばかばかとその屈強な腕を叩き抵抗するフウロさんを他所に、兵太さんは平然としていた。
入っているお酒の量は、圧倒的にフウロさんの方が少ないはずなのだが。
「申し訳ないミツキ殿。うちのフウロが」
「いえ、大丈夫ですよ」
それより、私はフウロさんの言っていた事が気になっていた。
「あの、カルネさんがここに来た理由って……?」
そう尋ねると、フウロさんは嬉しそうにぱっとこちらを向いた。
しかし、その眼はとろんと今にも蕩けてしまいそうであり、何かを発そうとしている口はぱくぱくと動くだけで言葉になっていなかった。
「はぁ。もうフウロには無理だろうな……」
じゃあ、俺から説明させてもらおうかな。
そう言うと、こちらを向いてにこりと笑う兵太さん。
いつも引き締まった表情であまり笑った顔を見ていなかったから、少しどきりとした。
こんな表情もするのか、と。
兵太さんはフウロさんを横にさせて、その身体にタオルケットを掛ける。
「すまないなぁ。今日はどうもはしゃいじまっているみてぇなんだ」
心無しか、あの厳格な口調や雰囲気が崩れてしまっている。
酒が回り始めたのか、それとも主人が眠ったことで緊張が途切れたのか、明確には分からないが……。
フウロさんの髪を梳く手は優しく、壊れ物を扱うかの様だった。
その眼は暖かな光を帯びてフウロさんを見つめている。
その姿はまるで、美しくも力強い、一枚の絵画の様だった。
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