7. brake. coffee break.
brake. coffee break.
「──long ago……and oh so far away……」
静かな海域に、冷たい雨が降りしきる。
昼も夜も曖昧な霧中を進む、
艦の一室。
海軍支給のコーヒー豆を挽きながら、気づけばふと口ずさんでいた古い失恋の歌に、ため息をひとつ。
「いけませんね、縁起でもない」
こんな天候は、確かに悲劇が似合うけれど。
──穏やかな幸せが続くにつれ、それまで頑なに塞いできた耳を人間相手に澄ます事も増えた。
その中で一つ、まことしやかに物語られていた噂が「“元人魚の未亡人”」で。
あまりの想像力と、いつの間にかおとぎ話の登場人物にされていた自分像が面白くて、可笑しくて。
やはり“私”と“喪失”はワンセットの間柄なのだと、周囲を通じ改めて認識してしまった興味深いエピソードだった。
「とはいえ、最後は“めでたしめでたし”で終わりたいものです。不運続き後の幸運は、また格別ですから」
誰に言うでもなく実感に浸った所で、ミルのレバーから手を離し挽き具合を確認。
さて。
新たに育んだ幸せ──私が淹れたコーヒーを気に入っている恋人に、温かい一杯を届けなければ。
ドリッパーを広げ、挽いた豆をセット。
ケトルを傾け、細くカーブする注ぎ口を使って一定の湯量を保ちながら、秒単位まで計算された丸い円を時間通りに描く。
合間に豆のひらく音を聴きながら、モコモコ膨らむコーヒードームと芳しいアロマに包まれて、正確に、じっくりと。
ポチャン。
最後の一滴まで抽出し終えたら、素早くポットに蓋をして香りと熱を閉じ込める。
淹れたてを、あなたのおそばに。
サクラポットサービス、と名付けられた彼女の姿が、“大佐ちゃん”とはまた違った意味でG−5艦内の名物になっている事など、早歩きでお届けに急ぐ当人はまだ知る由もない。
***
「……来たか」
この、凛とした規則正しい足音を響かせる奴は、ひとりしか居ない。
たしぎもそれを解っていて、露骨に顔を輝かせる。
……ガキか、お前は。
「失礼致します。ちょうどご休憩の頃合いかと存じまして、コーヒーをお持ちしました」
格式張った店のウェイトレスの様に、手際良く温めたそれぞれのマグにコーヒーを注ぐ。
無駄のない動きは好ましい。が、常に一分の隙もねェのは、こっちが肩肘張っちまう。
「お前の分の湯呑みは──アレでいいか。たしぎ、持って来い」
こいつはいつも、自分を勘定に入れねェ。
遠慮すんのは想定内だが、押し切れるのも想定内だ。
いい加減慣れろと言いてェ所だが、染み着いちまったモンはこの先溶かしていきゃあいいだろう。
お前が気に入ってるマグカップを、おれの私室からこの執務室に据え置いたのも、第一歩だ。
「はい、サクラさん。せっかく淹れて頂いたのに、ご本人が飲まないんじゃ勿体無いですよ。一緒に休憩しましょう!」
たしぎが椅子を引いた。トドメだ。
恐縮だか謙遜だかを礼で示しながら、やっとおれの向かいにサユキが座った。
ズズッ……と、湯気を立てるコーヒーを啜る。
支給品の豆なんざ、サユキの家で飲むブレンドの足元にも及ばねェと思っていたが。
淹れる奴が淹れりゃあ、それなりの味になるらしい。
「はぁ……美味しい。サユキさんって本当に、コーヒーを淹れるのお上手ですよね」
「ありがとうございます。と言っても趣味程度なのですが、お役に立てるなら何よりです」
淹れ方のコツがあるんですか?と教わる姿勢になり始めたたしぎを、サユキが自宅に招く。
……おい待て、家に来るだと?
「
艦の給湯室でいいだろうが。何でお前がウチに来る」
「良い機会なので、おもてなしさせて頂こうかと。ちょうどコーヒーに合うお菓子もいくつか作った所ですし……」
「それはおれが食う。──大体テメェは書類が溜まってんだろうが。人ん家でくつろいでる場合か?」
「なっ!私はこのペースなら間に合います!というか溜まってるのはスモーカーさんじゃないですか!サユキさんのご好意を邪魔しないで下さい!」
縄張り意識。
狼と小型犬の小競り合い。
真っ先に浮かんだ若干愉快なワード達は、我ながら的を射ている気がする。
現状認識が済んだ所で、どうにか丸く収めなければ。
……スモーカーさんたら独り占めしたいのかしら、なんて能天気な感想は、ひとまず頭の隅に追いやって。
「ではこうしましょう。既に作ってあるお菓子はスモーカーさんに差し上げます。その代わり、たしぎさんは私とお菓子を作ってコーヒーを淹れてみましょう。場所は私宅ではなく、港にほど近い宿の一室をレンタルスペースで間借りするというのは如何です?」
最近始めたサービスだそうで──と、頷くたしぎに説明を続けるサユキ。
立て板に水、ってのはこういう事だろうなと感心する一方、揃って丸め込まれた気がする。
複雑な心境で葉巻を咥え込めば、案の定ガキを宥める母親の様な眼差しを寄越して来る。
……今夜、覚えてろよ。
おれの視線の意味を悟ったのか否か、スルリと立ち上がったサユキは空になったマグを3つ片付けて。
2人分しか用意の無かったコーヒーは、見ればポットの底をついていた。
「それでは、私はこれにて失礼致します。──女子会、楽しみですね」
ささやかな、公私混同。
私らしからぬ台詞に、最高のバディ達はそれぞれ目を丸くする。
嗚呼、なんて。愛すべきふたり!
「はっ、はい!楽しみにしてますね!」
可愛らしく弾んだ声に背中を押されて、足取り軽く退室する。
────人生は、とても楽しい。
end.
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