IF:hotel ditch



原作沿い・分岐ルート設定。


“もしもサクラ・サユキが何もかも捨てて、独り自壊して行ったとしたら”





そんな前提からお楽しみ頂ける方は、どうぞ以下へとお進み下さいませ。

別角度から明かされる側面や、いかに。







***



脱色、脱色、脱色。
カット、シャンプー、トリートメント。

軋み傷んでしまったけれど、だから何だと言うのだろう。

確認、準備、針が刺さる。鋭い痛みがこの首を這う。

眉も髪も真っ白に、刈り込んだ頭と。

首の付根をぐるりと囲み、正面に小さくハサミマークを入れた、切り取り線のタトゥー。

誰も私とは思わない。

そんな一種の高揚感を覚えながら、事前に開けるだけ開けておいたピアスホールを撫でて、アクセサリーショップへ。

ギラギラ、びっしり彩って、仕上げはメンズのアパレルショップ。

キャップ、パーカー、デニム、スニーカー。背負ったリュックもオールブラックで纏めて、──完成。

時々ボトルを煽りながら、深く吸い慣れた咥え煙草で薄汚い街を歩いた。



***



軍規。平時、登録住所以外への滞在が4週間を超える場合は届出、報告義務がある。

裏を返せば、1ヶ月以内なら何処に居ても詮索されない、という事だ。……基本的には。


我ながら狡賢くなったなぁ、と他人事の様に思いながら路地裏へ入り、帰るのは常宿に決めた安いホテル。

酒屋と煙草屋に挟まれた好立地で、酔って眠りカートン買いする私にとっては最高の環境だった。

……たまに水しか出ないシャワー、今にも底が抜けそうなベッド、何より誰の“営み”も丸聞こえな薄過ぎる壁も、その内動じなくなったから。

勿論キッチンなんて無いけれど、私には軍支給の糧食レーションが有る。飛び切り大きな灰皿も備え付けて有る。


これで良い。これが良い。

少なくとも、丘の上──治安の良い、亡き家族との思い出が詰まった自宅エリア──に居るよりは、余程気が楽だ。

もう暫くは此処に連泊出来る。

1ヶ月経ったら一晩だけ自宅へ赴き、また舞い戻れば良い。

……その一晩が辛ければ、お酒を経口補水液で割った美味なる“禁じ手”も有る。

我慢ならない意識など、飛ばしてしまえば皆同じ。


何もかも捨てた割に洒落っ気は在り、軍規にも忠実な自分自身を嗤いながら到着したドアを潜ると、いつもカウンターで新聞を広げて居る宿主の御老人が口を開いた。



***



『客が来てる』



──バレた。

直感的にそう思ったけれど、別に何もやましい事は無い。

ただ。何者でもない、誰も知らない隠れ家を暴き立てられてしまった失望、落胆、嫌悪感ばかりが、この背に重くのし掛かった。



「ハァ…………」



仕方無い。
借りた部屋に先客として居る以上、無視も放置も出来ない。

職務は。職務だけは、確実にこなして居るのだから。
基地長に倣って、私生活は放って置いて欲しい。

私はただ……もう、楽になりたいだけなのに。


軋む階段を登って廊下を渡り、一応ノックしてガタつくドアを開けると──



「来たか。ハァ……出るぞ。隣の奴等が煩ェ」



其処に居たのは、顔馴染みの上官。

ラフな私服を着たスモーカー中将が、今日も今日とて“お盛ん”な隣人達にすっかり辟易して居た。



「どうされました」

「そりゃこっちの台詞だ。荷物それだけか」

「…………えぇ、まぁ」

「なら行くぞ。引っ越しだ」

「!──勘弁して下さい。住めば都と言うでしょう」

「こんな汚ェ都が在って堪るか。引き摺り出されてェのか?」



冗談じゃない。
貴方にそんな権利は無い。

喉元までせり上がった反発心を口内に押し留め、唇を噛んだ私に何を思ったのか。



「安心しろ。今のお前を放り出しゃしねェ。付いて来い」

「……煙草屋……」

「あ?」

「酒屋と煙草屋は、近所に在りますか」



それが前提条件だ。
意固地に見えるだろうけれど、それだけは譲れない。



「馴染みの店が在る。……良いから来い、おれァとにかく此処を出てェんだ」



勝手に来たんだから、独りで出れば良いのに。

内心そう思いつつ軽く部屋を片付け、名残惜しくも私の棲家に別れを告げる。

連れ立って階段を降り、宿主へ世話になった、と言い置いたスモーカー中将の後を追うと。



「ちょっと待て。あんた、1ヶ月分前払いしてただろ。──ほらよ。差額だ」



さっと暗算すると、丁度ピッタリ。


嗚呼もう、どうして引っ越しなんて。

後ろ髪を引かれながら御礼を伝え、恨めしく脚を動かした。



***



『スモ中将!!!!──話があんだ、大佐ちゃんも聞いてくれ!!』

『きゃっ!?もう!どうしたんですか?』

『それが、マジな話でよォ』

『チッ……おい何だ、今度は何をしでかした』

『ヴェルゴさんのトコの未亡人がグレて、枯れかけのモヤシになっちまった!!』

『!?』

『最初は別人だと思ったんだ。けど、一緒に居たヴェルゴさんが名前を呼んでて、おれ達ァもうビックリしてよォ』



血相変えて執務室へ飛び込んで来たと思や、コイツ等は一体何を言ってんだ?

……正直さだけが取り柄の、すぐ早合点しやがる喧嘩っ早いバカと、ひと息吐いて付き合うバカの訴えに、一先ず耳を傾ける。



『なァスモやん、何とかなんねェかな!?大佐ちゃんと違って何考えてんのかよく分かんねェけど、あれはヤベェって!!』

『えっ!?』

『おれ達、前に割れた爪を切って貰ってよォ。あん時ァ優しくて良い匂いがする美人だったのに、ずーーーっと煙草吸ってんだ。煙のあんたみてェに』

『あんたに憧れて頭も白くしたのかと思ったら、一人で歩きながら酒かっ喰らってんだぜ!?カッコは黒尽くめだしよ!!』

『……まさか、そんな……サクラさんが?』



思えば通信時、兆候は有った。

風邪かと聞けば酒焼けだと答えたサユキを窘め、愚痴ならその内聞いてやると言った。

変わらねェ微笑で切った直後から仕事が立て込み、このザマだ。



『裏でもっとヤベェ事やってんじゃねェかって追っ掛けたけど、完全に巻かれちまって。ヴェルゴさんはただのイメチェンだって笑ってたけどよォ……』

貧民街スラムのダチにも聞いたら、あの辺は似た様なナリの奴が多いから見分けが付かねェって。けど、一人ボロいホテルに入ってくトコを見たっつうんだ!!』

『ホテルの場所は。何処だ』



クソ。
だが、まだ間に合う。

──おれが間に合わせてやる。



『えっと……地図だと……此処だ!よし、行こうぜ!早いトコ取っ捕まえて吐かせねェと──』

『あ゛ァ゛?何をだ』

『ヒッ!いや、……何って、怪しいから……ちょ、ちょっと!ほんのちょーっとシメるだけだって!恩も有るし、傷は残さねェよ!?絶対!!』

『スモーカーさんっ!!尋問なら私が──!!』

『黙れ!!アイツの見聞色をナメるな。てめェ等如きに捕まる女じゃねェ……後はおれがやる』

『……わ……分かった。じゃあ、外の奴等にも話しとくぜ』

『だから言っただろォ、突っ走んなって』

『伝えとけ。──サクラに手ェ上げてみろ、全員まとめて海に沈めてやる』



アイツなりに突き付けた拒絶、その眼の奥深くに在る──真意を読ませねェ為の、砦。

サユキ。
お前、そのなかに何を囚えた?



***



「…………」



最悪。最悪だ。

海兵の居住区に入った時点で察しては居たけれど、その中でも此処は──将校以上が入居する官舎。

あの街には良く馴染んだ私のスタイルも、取り分けフォーマルな姿が行き交う此処では完全に浮いてしまって居る。

目に付く私服と言ってもジャケット姿が精々で、これでは悪目立ち、不審者も良い所だ。


ジロジロ、ヒソヒソ。

酒屋も煙草屋も確かに在った。
どれも海兵御用達の。 

……それに嫌気が差したから、私は答を出したのに。



「入れ」



顎で示されるまま或る一室に踏み入ると、シンプルかつ拘りが光る部屋が広がる。



「適当に座ってろ」



腰下に黒エプロンを巻いたスモーカー中将がキッチンへ入って行くのを横目に。

正面の大きな窓、レースのカーテン越し。

陽光が射し込むリビングの床に屈んだ私は、日向ぼっこを始めた。

交渉なんて無いに等しく、有無を言わさず連れて来られた先で大人しく椅子に座って待つのは、流石に不服だったから。


冷蔵庫が開く音。
重ための皿が並ぶ音。



「お前、ロクなモン食ってねェだろう。それ摘んで待ってろ」



コンロに続けて火を点ける音。

振り向くと、此方に背を向けるスモーカー中将は何かを焼いて居て、その内に香ばしい香りが漂って来る。

隣で温められて居るのは、土鍋だろうか。


ダイニングテーブルに幾つも盛られた、がっつりスタミナ系のおかず。

……此処の所ずっと、最低限の生命維持に必要な水と糧食レーション数口で済ませて居たから、こんな御馳走は胃もたれしてしまいそう。

対面の椅子を引き、座る。



「では、お先に……いただきます」



申し訳程度、取皿によそって口に運ぶ。
──意外にさっぱりしていて食べやすい。

また一口、二口、全く失せて居た食欲が戻って来たかの様な、箸が進む感覚。

とは言えお金を払った訳でも無い、他人様の食卓だ。遠慮し、セーブしつつ味わう。



「米も食え。茶碗は其処だ」



中将が片手で隣の火を止め、土鍋の蓋が開く。



「わぁ……」



湯気を立て、ふっくらと光る白いご飯。

指し示された食器棚から、茶碗……否、丼サイズの陶器を出すと、どれも大きいのに不思議と手に馴染む。



「素敵な器」



思わず漏れた呟きに、間を置いて。



「おれが作った」

「!」

「そら、メインだ」



熱々のチキンが二つ、それぞれ一番の大皿に乗る。

スモーカー中将がフライパンやエプロンを手早く片付ける間、濡らした杓文字でご飯をよそい、ほぼ同時に席に着く。

改めて、いただきます。

フーフー、ぱくり。
独特の風味としっかりした塩味が広がる鶏肉。
この料理、何て言うんだっけ……



「何だ。苦手か」

「いえ」



そうだ。思い出した。



「燻製、──スモークチキンですか?」

「あァ。おれはコレが好きなんでな」



納得した様なサユキが食べ進める所作には、そんなナリでも隠し切れねェ育ちの良さが出て居る。


まず、あの部屋にゃ何も無かった。

捜索。
本来の住所──丘の上、高台エリアの住人達にも聞き込みを行ったが、共通項は二つ。

最近全く見かけねェ、夜にも屋敷の灯りが点かねェ。長期の不在。

もう一つは直前に見られた家具の競売、衣服の配布、多額の寄付。……身辺整理だ。


お前は知らねェだろう。

酒浸りと女狂いの老けた街に身を浸し、酒瓶片手に帰ったお前を見て、おれがどれだけ戦慄したか。

痩せこけた身体、血の気の無い頬、何も映さねェ眼、──首元に彫られた、切り取り線。


あァ、認めてやる。お前は大した女優だ。

だがな。
てめェは。あんな街にみすみすくれてやるタマじゃねェんだ。



「旨いか」



よく噛んで、飲み込む。

顔を上げた私を見て笑ったスモーカー中将に小首を傾げると、伸ばされた腕──何かが口元に触れた。



「ガキか、お前は」



ぺろり。指に付いたソースを舐め取った仕草に、やっと理解して会釈する。



「どれも、美味しい……と思います。とても」

「なら良い」



普段通りの素っ気無い返事、なのに。このひと……



「どうした」

「い、え」



こんなに優しい声、してたっけ。



***



「お手伝いさせて頂けませんか」

「……これ拭いて置いとけ」



お腹一杯食べて、食卓を片付けて。

せめて洗い物位は、と声を掛けると、案外すんなり応じてくれた。

手渡される食器を順番に拭き上げて、丁寧に重ねて行く。


此処は、居心地が良い。
温かみが有って、血の通う感覚がする。

今迄だって生きて来た筈なのに、私は死んでいた様な気がした。

そう思った途端、怖ろしくなる。

放り出さない、とは言われたけれど、それは一体何時までだろう。


人間に永遠は無い。もう帰れと言われるかもしれない。私には自宅があるのだから。

更新される事も無い、色褪せて擦り切れる夢ばかり見る、独りには広すぎる家へ。

どんなに泣いたって誰も助けてくれない、この世に独りぼっちの家へ。



「シャワー浴びて来る。出たら風呂張ってやるから、お前はちゃんと浸かれ」



目が潤む。
鼻腔がツンとして来て、顔を伏せたまま頷いた。



「……あ、っ」



頭に何かが乗って、くしゃり。
これは、スモーカー中将の手。

そのまま何を言うでも無く行ってしまった足音が、バタン。

脱衣所に消えた所で、私はリュックに詰めた喫煙セットを手にバルコニーへ出た。


私は、過去に呪われて居る。

どんなに真っ当に生きようと努めても、後ろ指を指され続ける人生。

それでも、……それでも。

懸命にピンと張って来た糸が、ある日突然ふつりと切れた。

決定打があった訳じゃ無い。ただ、もう限界だったんだと今になっては思う。


それから、私は全てを手放した。

いつか褒められた私。
両親に顔向け出来る私。
きっと誰かと生きて行ける、甘い私。


あの街は気が楽だった。

女と見れば目の色を変える男達でも、この胸の無い、薄い身体に欲を覚える人間は居なかったから。

たった一人。

たった独り、冷たい泥の中でも生きて行けると知ったのは、不幸中の幸いで。

だから、……だから。新しい、思い出を。かけがえのないひと時をくれて、ありがとう。って。



「嗚呼……も、う」



顔が濡れて、鬱陶しい。

店で一番大きい携帯灰皿を買ったのに、大した量は入らなかった。



「おい」



窓が開く。



「風呂沸いたぞ。入って来い」

「……はい。すみま、せん」



洗い髪を晒すスモーカー中将の脇を通ったら、清潔な、良い匂いがして。

何だか堪らなくなった私は、足早に風呂場へ向かった。



***



ドンと置かれた大容量の全身洗浄剤で、頭の天辺から爪先まで一気に洗い流す。



「──……、ふぅ……」



少し熱めのお湯がなみなみと張られたバスタブは、足を伸ばしても十二分に余裕があった。

この身に巣食うどす黒さが少しずつ溶け出して、立ち昇る湯煙に、取り留めの無い思考が浮かんでは消えて行く。



「此処に居たい。永遠に」



化粧も肩書も取り払った私は、何時まで経っても子供のままで。

だから有無を言わせず、湯船から出た。



「他人の気持ちを当てにする事程、人生が惨くなる事は無いんだよ」



艶々とした長い黒髪。

真っ白な、凝ったレースのワンピース。

酷く傷ついた目で私を見上げる彼女わたしに、何度でも別れを告げた。



***



「あの」



風呂上がり、ソファで寛ぐスモーカー中将に頭を下げる。



「ありがとうございます。色々と、良くして頂いて」

「おれはやりてェ様にやっただけだ。お前も気楽にすりゃァ良い」

「……解りました。では、少し夜風に当たって来ます」



リュックを漁り、またバルコニーへ向かおうとするサユキの手には、煙草一式と──酒瓶。

何の気無しにコルクを開け、歩きながら直飲みしようとした細っせェ腕を掴む。……枝じゃねェか。



「おいてめェ、おれの好物は平らげといて酒は独り占めか?」

「……え、と」



かなり手加減してやってるが、それでも折れそうなサユキをキッチンへ引っ張り込む。

この野郎、どんだけ不摂生してやがんだ。



「ったく。おら、先にそれ飲め」



ジョッキにレモンを絞り、冷水を注いで突き付けると、目を白黒させながら大人しく飲み干す。



「良いか。約束しろ。酒が飲みたきゃ、まずはコレだ」

「レモン水、……ですね」

「ハァ……聞きたかねェが、一応聞いてやる。何でそんな呑み方してた」



沈黙。
黙りこくったサユキの真っ白な旋毛を見つめる。



「飲みながら。お話しても、良いでしょうか」

「……あァ」



空にしたジョッキと引き換えに手渡されたのは、それぞれ透明な氷山が浮かぶ二つのロックグラス。

私には大きく重かった酒瓶と、食卓を囲んだ椅子を二脚、軽々掴んだスモーカー中将は口角を上げて。



「付き合ってやるよ」



to be continued...


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