1. a chained moon. in the deep end. like a child.
a chained moon.
――頂上戦争から、一年。
本部主催の追悼式典、その形式だけの招待状を処理しつつ思いを馳せる。
事務部所属の私は、非戦闘員として裏方に徹したけれど……医療棟で補助活動を行った際、痛みにうなされる負傷兵達から何度、手を握られた事か。
文字通り、死への恐怖に救いの手を求める者も居た。
けれど大半の者が繰り返し呼んだのは、女性の名前――各々にとって大切な、妻や恋人だったのだろう。
その手を握り返しても、すぐにほどくしかなかった私は……彼等に安らぎを与えられたのか。
答は、出ない。
「ぷるぷるぷる、ぷるぷるぷる」
――01部隊の電伝虫が、着信を知らせる。
がちゃ。受話器を取った途端、本体が可愛らしくも慌てた困り顔をかたどる。
「もしもしっ、こちらG-5支部01部隊です!文書監理にて問題発生、至急サクラ三等兵の派遣を要請します!」
……特にトラブルメーカー揃いの部隊で、必死に頑張る年下の上官だ。
素早くヴェルゴ中将の許可を取り、つとめて足早に向かいながら落ち着いた声音で応える。
「此方サクラ三等兵、現場へ急行します。――では、担当者の方のお名前をお聞かせ頂けますか?」
……あえて笑みを含んで尋ねれば、またハッと慌てる言動。
「あっ!はいっ、此方たしぎ少尉です!」
素直で真面目な年下女子は、名乗り忘れもご愛嬌。
***
「……では、ご報告頂いた件に関しましては、此方で完了となります」
想像以上に分厚くなった始末書の束を、中将の元へ無事ファックスし終え。
「サクラさん、度々すみません。ありがとうございます」
申し訳なさそうに頭を下げる上官へ、より深く一礼してから手元のアタッシュケースを開いた。
「実は――もしご入用であればと、01部隊に多く見られる案件につきましてマニュアルを作成したのですが」
ご覧になられますか?……と言うより早く、突如煙った視界と宙へ浮く書類。
「……仕事が早ェな」
おい、コピー取っとけ。
数ページまくって閉じた後、たしぎ少尉へ放ったスモーカー准将が、ご自分の立派なデスクへドカッと腰を下ろす。
ちょうど立っていた私と、目線が合った。
「……んな格好で暑くねェのか」
チラと全身を一瞥した准将は、いつお見掛けしても素肌が剥き出しのジャケット姿。
対して私は、制服の上にナイトブルーの軍製ケープを羽織っている。室外では制帽も欠かせない。
「いえ、極度の冷え性と敏感肌ですので」
ひとりの女としては紫外線を浴びたくないのだし、日陰に居られる事は好都合、だけれど。
――“せっかく綺麗な黒髪が”――
……軋む様に傷む姿は見たくなくて、長くは伸ばせずにいる。
「あっ」
ふと、一枚の書状漏れに気付いた少尉の表情が、静かに曇る。
後付で返送されて行く招待状のサインは、やはり“不参加”だった。
「サクラさんは、どうするんですか?」
そっと問われた意志に、微笑を返して。
「私はプライベートで弔います」
半休ですので、と空気を変えた。
***
後日、……当日。
昼過ぎに基地を辞し、自宅で制服を脱ぐ。
落ち着いたカラーのメイクを整えて、クローゼットを開けて。
自分でも不気味なほど青白い肌に、亡き者へ寄り添う色を纏った。
「運命の日、……X-Day……」
――とうの昔に泣き疲れた身体で、未だ賑わう白昼に遮光カーテンを引く。
この色が似合う時刻まで、眠りについた。
***
……薄っすらと浮上した意識で、日没後特有の静けさを悟る。
するり。部屋中の夕闇を進み、玄関前の姿見で全方位、確信した。
今の私は、この夜に溶ける。
***
「――それで?見当はついてるの?」
「何処にせよ辛気臭ェがな」
表通りの酒場。
基地へ帰艦後、連絡の入ったヒナと銘々にグラスを煽る。
――サクラ・サユキ。
“海賊”ドレークの部下として檻にブチ込まれた挙句、濡れ衣で左遷された女海兵。
不遇、かつ危うい。
元“少将”を含め知る同期として、珍しく見解が一致した。
「まさか、馬鹿な事考えてないわよね……ヒナ憂慮」
諦観に翳った目が、脳裏をよぎる。
一線を超えて“諦める”とすれば、今夜だ。
「アイツは“弔う”と言った、とすりゃあ必ず供え酒の一つでも持って行くだろう。日向を嫌う分、真っ昼間から出て来るとも思えねェ」
どの裏道も此処へ通じる。
海賊共ですら、麦わら以外に逃がした事は無かった。
――来い、サユキ。
***
「准将も一緒にいらっしゃるとは……恐縮です」
「プライベートだっつったろう。せめて名前で呼べ」
……読み通り、すれ違う人影に紛れ来たサユキは、普段以上に夜へ溶け込む姿をしていた。
玄人好みのボトルを携え、そうでしたね、と淡く笑む横顔を見下ろす。
僅かに覗く首筋の白さが、妙に目についた。
「やはり大佐……失礼。ヒナ嬢は、お酒にお強くあられますね」
「アレは酒乱だ。お前、下戸だったか」
「その部類でしょうね。いわゆる“ちびちび”飲まないと、すぐに眠ってしまいますので」
到着した、満月の浜辺。
「……より深く、潜ってしまいたいものですが……浅瀬に留めておきましょう」
黒靴とストッキングを脱ぎ、几帳面に仕舞う間も、冴える様に照らされた素足が目を惹く。
では、と会釈しボトルを開けたサユキが、波間で一直線に反射する月光へ踏み入って行く。
その脇に一つ、海面へ出た岩に腰を下ろすと、細いシルエットが蒼白い“ムーンロード”へ酌を始めた。
さざめく潮風の中、子守唄に似た柔さで耳に届く軍歌。
――死に逝く海兵を讃える、どうにも好かねェそれを、サユキは幸せそうに歌い終えた。
「ありがとうございました」
「………………」
「……?どうかされましたか」
わざわざ聞くまでもねェ。
コイツは、かつての“少将”を――いつかヒナに打ち明けたという“初恋”を、今でも慕っている。
「何か、粗相がありましたでしょうか……?」
不安になると一度、髪へ触れる癖も変わっちゃいねェが。
「――あァ」
ただ独り、周囲を線引く恭しさが癪に障った。
in the deep end.
「ぇ」
思わず漏れた声、――視界が暗転する。
「お前、家族は」
……何故、耳元で准将の声が?
「ぃえ……先に、海へ還りましたので……」
「何の未練もねェってのか」
熱い……違う体温と、響くような拍動を感じる。
「……そう、ですね」
「んじゃ其処へおれを入れとけ」
逞しい、身体。
この
男は、一体、何を――――
***
「……っ、んぅ……は、ぁ」
裏通り……の、宿。
私には強すぎるお酒と、生ぬるい葉巻の苦味を、何度も、何度も流し込まれる。
……シーツに滲みた一抹の赤が、私の戒めを、あられもなく破った証。
「ッ……おい……力、抜け……ッ……」
「い、っ……ぁ!」
――汗ばんだ肌よりもザラつく、うねる熱源が滴り落ちて、呼吸もままならない。
「っん、……ぁ、ああっ……」
「……此処か……ッ」
腰が力んで、弓形になる背中を、更になぞられて。
彼が与える強弱の波に、酸素を求めて上向く首もまた、噛まれては溺れていった。
「……サユキ」
蒼白い逆光の中、唸り声に似た声音が、繋げた
女を呼ぶ。
……はい。と、鈍い反射で応えた唇を、覆い被さる影が喰んでいく。
「……っ、……ふぅ、……んっ、ぁ」
昂ぶる熱を逃がす為の吐息が、互いの輪郭を、更に溶かし合ってしまう。
――どうして。痛かった。苦しい。熱い。温かい。優しい、……きもち、いい。
そうして昏迷しては、何もかもをこの
男に包まれて。
嗚呼、また。
押し寄せる、互いにまみれた身体。
「……ッ……ぐ……!」
「ん、……ぁ、ふっ……ぅああぁっ……!」
――猛る飛沫を片頬にまで感じた時、意識が凍りついた。
***
「……ぇ……」
『せっかく綺麗な黒髪が、勿体無いだろう?』
……ギシ、と怠く痛む身体を起こして、髪に触れる。
ベタリ。……指先の間、糸を引いた白濁色が、徐々に震えて霞んでいく。
『……そう、でしょうか?』
『あぁ。……その、口説き文句の類を口にするのは苦手なんだが、髪は潮風で傷みやすいだろう?』
『そのまま、自分にも丁寧にな』
「………っ、ひ、っく……ぅ……っ」
両膝を立て、頭を抱え、引き裂く様な“初恋”の断末魔に耳を塞ぐ。
「……みません……ぅし訳、ありませ……っごめんなさ……っ!」
とめどなく溢れ出す感情の洪水から必死に謝罪を絞り出せば、……ゆっくりと、包み込む人肌。
「謝るな。……悪かった。てめェ自身の欲に負けた、おれの責任だ」
違う。違います、准将。
だって、それは。
「……っそれ、は、……わ、たしも、同罪……です」
「……んな時くらい、野郎のせいにしろ……」
「だ、って、……本気、でいや、でしたら、……さいしょ、の時点で、……拒、んで、おります」
「……押し切ったのは、おれだろうが。違うか?」
整う呼吸を、……心を、待つ様に。
広いベッドの上、うずくまった私を、緩くかいた胡座で囲って。
背中に回された片腕の、触れ合うだけに近い力加減が、何故か苦しく思えて。
もう片方――ただ彼自身の膝へ置かれている手を、自分から握った。
「……比較、……対象がおりません、ので……正確には……把握、しかねますが……私、ほんとうに……いや、では……なくて……」
「……あァ」
「……じゅん……しょう……」
「あ?」
「あさ、まで……お手を、……はいしゃく、しても……?」
「……お前が、それで良いっつうならな」
確かに握り返されて、ふつりと途切れた。
***
……力尽きた様相で寝息を立てるサユキの、汚して濡れた頬を拭ってやる。
いつしか互いの体温が馴染んだ一室で、その繊細な身体を横たえてから隣へ寝転ぶ。
――望み通り、その手は繋いだまま。
「……ハァ……」
湧き上がる罪悪感に、目元を覆う。
心は承知の上で抱いた。
……つもりだった。
――だが身体まで、野郎そのものを知らねェ程とは。
「トラウマ、か……」
前回おれの
艦へ来た時、部下のバカ共が揃って『元人魚の未亡人』だと噂し、凝視していた様を思い出す。
……当たらずとも遠からずだ。
責め立てる事そのものを嫌い、まず自分の非を探して落とし所をつける。
コイツは、いつもそうだ。
てめェ自身が傷に敏感なせいだろう。
生きてりゃ避けようがねェ“傷”そのものを、独り内々に抱え込む。
それが限界に達した時――根底の“古傷”が表出して、パニックを起こす。
……そうやってブチ抜くトリガーを、今回おれが引いちまった。
「……ん……」
寝返りを打ったサユキが、モゾモゾと此方を向く。
すり。……そんな音を立て、繋ぐ手に手を重ねると顔を寄せて来る。
おれの指に、繰り返す呼気がかかった。
「…………寝るか」
再び撫でた頬は、枕で乾いていた。
――あァ、ねじ込んだ有給。起きたら言うか……
like a child.
パチリ。久々に熟睡した感覚で動……こうとして、絶句した。
静かに呼吸している、厚い胸板。
両手で握っていた、温かい手。
――眉間にシワもなく目を閉じている、准将。
触れ合う感覚は、……素肌だ。
その手を離し、上体を起こして見渡せば、明らかに白昼の室内。
――遅刻だ。
「っ、ヴェルゴ中将」
跳ね起きた瞬間、ヒュッ、と息が詰まる。
…………腰が、恐ろしく痛い。
「仕事、……子電伝虫」
床にへたり込みながら散らばっていた服を弄り、いつも私のポケットで眠っているその子を起こす。
「ぷるぷるぷる、ぷるぷるぷる」
コールを待つ間、正座でより増した痛みと緊張に、深呼吸。
そんな、細い――おれの痕が色濃く残る背中を見ながら、黙って葉巻を咥える。
……当然食い違う会話。おれの名前が出た時、サユキが振り向く前に通信を切った。
「お取り計らい頂きまして、ありがとうございます……」
怯えた様な表情で見上げる、その顔へ手を伸ばし頬を摘む。……柔い奴だ。
***
に……睨まれてしまった。
状況を整理する前に、仕事で頭が占められて。
一日ゆっくりすると良い。
ヴェルゴ中将からありがたいお言葉を頂いた直後、あァ。と背後から一言。
同時に、がちゃ。両手の平で再び目蓋を下ろした子電伝虫から、そうっと上げた視線が結び付いて。
……しばらく頬へ触れる内、目つきは和らいでいたけれど。
その後シャワールームで、うなじからデコルテへかけて特に集中しているキスマークや、エントランスで時折ぎこちない歩行を招く要因に顔を覆いつつ、表通りへ出た。
「おい、腹減らねェか」
好みそうなイメージの
大衆食堂を紹介すれば、正解。
あ、頬張る食べ方をされるのか。と、自然と笑みが浮かんだ。
***
屋外は、ちょうど昼下がり。
最も日が高く、陽光降り注ぐ頃。
……私だけ真夜中を切り取った様な色、そのフードストールを深く被る。
彼の歩幅を追いながら、斜め後ろから見上げた銀灰色の髪は、月光の方が映えると思った。
***
――中心部を遠ざかるにつれ、人波も退く。
道端にはサワサワと風にそよぐ草花が増え、脈々と茂る樹木の陰が、肌にも耳目にも心地良い。
ひとつ木漏れ日の下、ふと彼が立ち止まった。
「……お前、
家は何処だ」
普段通りに見えるけれど、何となく察する。
この
男は、私の住まい――単なる
家ではなく、暮らしぶりが気になるらしい。
……また。別段おかしい事でもない振る舞いに、不思議と笑んでしまう。
「……ふふ。ご覧になれますか?あちらの、高台にある……」
歩き慣れた故郷の島とはいえ、此処からは少し距離がある。
高台ゆえ駆け下りる夜道は心躍るけれど、太陽へ向かう登坂は常々キツく感じる。
まぁそれも良いか、久々のお客様だ。
と、お出しするコーヒーカップの柄や挽く豆の種類を選考し始めた所で、空いていた手を取られる。
「行くぞ。――しっかり捕まっとけ」
ぶわり、一瞬で広がった煙に抱き寄せられ、靴の爪先が地面を離れた、その時。
「…………!」
雲に溶け込む様でいて、確かな熱を持つ彼の手指……一晩繋いだ五本の輪郭が、私の指と全てを絡み合わせた。
――初めて知った故郷の絶景、その風に乗るパノラマビューよりも高鳴ってしまった、この胸。
遊覧する余裕は何処にもないまま、鳥に似た軽やかさで飛行が終わる。
自宅の扉は、もう目前だ。
「…………捕まって、しまいました」
ほんのひと時。大して触れ合ってもいない頬が、耳が、こんなにも温かい。
***
……あの戦争から一年を経た、今。
夢現の
負傷兵が求めてしまうもの――その“答”へ、視線を向ける。
ともすれば、ほんの一時だとしても。
本気で応えてくれる手は、確かな救いを生んでいく。
――こんなにも晴れやかな“降参”は、生まれて初めてだ。
「――――スモーカーさんに!」
自分でもいつぶりか思い出せないほど、心底からの笑顔。
目を見開いた彼、ほんの一瞬の隙に玄関アプローチを駆け抜けた私は、ポーチの上で鍵を開け、くるりと待つ。
「さ、どうぞ。……お入り下さい?」
――まだその場に立っていた彼が、ガリガリと首筋を掻いて。
何故か空を仰ぎ、深く一息吐いてから、ようやく家へやって来た。
彼は、白猟。
私は、――恋人。
thank you for your time!
(これが、“惚れた弱み”か。)
end.
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