初めての感情

こんなに学校が憂鬱で、部活がないことが嬉しいと思ったのは生まれて初めてだった。
後ろのドアから教室の中を覗き、影山の様子を窺う。既に席に着いていて頭がゆらゆらと船を漕いでいた。見た感じ、いつも通りだ。
昨日の今日でどんな風に振る舞えばいいのか、考えれば考える程胃が痛くなってくる。

「ごんべ子おはよう、早く入りなよー」
「ぎゃあ!」

突然、友人に背中を押されて悲鳴と共に教室に飛び込んだ。まだ心の準備が出来てないのに!恨めしげに友人を見つめるも、事情を知らないので私の気持ちが汲み取られることはない。それどころか「朝から何の遊び?」と、私が遊んでいると思ったようだ。
さっきの悲鳴で周囲の視線を集めてしまったけれど、影山だけは相変わらず船を漕いでいて全く気づいていない。…それはそれでどうなんだ?と思うものの、ひとまずホッとした。

「具合悪いの?」
「いや、全然大丈夫」

動かない私を心配そうに見つめてくる友人に大丈夫だと伝える。具合が悪いわけではなく、影山と顔を合わせるのが気まずいだけだ。
このまま突っ立っているわけにもいかないので、意を決して自分の席に向かった。
一歩、一歩と近づく度に心臓がドクドクと脈打つ。少しでも落ち着かせようと小さく息を吐いた。

「……おはよう、影山」
「はよ」

思いきって挨拶をすれば、影山は少し眠そうに返事をした。特に動揺した様子もない。むしろ、いつもより落ち着いてみえる。……なんで、平気なんだろう。
昨日、私と喧嘩したことはなかったことになっているんだろうか。確かに影山にとって重要なのは、日向との速攻のことだと思う。でも、昨日のやりとりをスルーされるのは納得がいかなかった。

だってそれは、私の存在がその程度だということじゃないの?

不覚にも、じわじわと目の奥が熱くなる。と、同時に私だけが影山との関係に悩んでギクシャクして全然眠れなかったことに腹が立ってきた。影山のバカ!口に出して言えないけど、私の気も知らないで!と詰め寄りたい。多分めっちゃ怒るんだろうな…。
その気持ちと言葉を呑み込んで、私もいつも通りを装うことに神経を集中させた。


「ごんべ子、影山くんと席離れちゃったねー。残念」
「……別に残念じゃないよ」

昼休み、友人にそう言われて私は苦し紛れに呟いた。これでは、残念すぎて拗ねています。と公言しているようなものだ。そう思うものの、心は正直で全く笑える気分ではなかった。何でもないフリをするには、まだレベルが足りないようだ。

「どうみても残念そうだけど……」
「……」

友人の言葉に、私は黙り込む。影山とは朝の挨拶以降、一度も言葉を交わしていなかった。更に先ほどの時間に行った席替えで席まで離れ、完全に話すきっかけを失っている。
自分の気持ちに整理がついていないし、何より余計な事を口走るかもしれないと思うと到底話しかけられそうにない。

「やっぱり喧嘩中なの?何か今日は二人とも静かだったから、そうなのかなと思ってた」
「私と影山の喧嘩の基準はそこなの?」

友人はいつも騒がしい私と影山が全く話さなくなったことを不思議に思ったようだった。前にもちょっと気まずくなった時に同じようなこと言われた気がする。まあ、今回は本当に喧嘩してしまったんだけど……。
影山はどういうつもりで私に怒ったんだろう。言い返せなかった私に呆れたようにも見えた。でも、だからって一方的に怒られたって…私だってもっと言いたいことがあったのに!言えなかったけど。

「……喧嘩だったのかな」
「違うの?てか、凄い怖い顔になってるよ!何かごめんね」

きっと影山は私が居ようが居まいが関係ないんだろう。だって一人だけ解決しましたみたいな態度だったし、向こうから私に話しかけてくることもなさそうだし…。授業が終わるとさっさとパンを食べて教室を出ていったので、今頃バレーの自主練でもしてそうだ。もう日向とは仲直りしたのかな。また、一緒に練習してるのかな?
……二人のことを考えると、自動的に昨日のことも思い浮かんでしまう。

「……」
「本当に大丈夫なの?怒ってる……?」
「いや、怒ってない」

悲しくなったり悔しくなったり腹が立ったり寂しくなったり恥ずかしくなったり…一人で負の感情を発動させすぎて、自分がよく分からない。ただ、あの時もう少し気持ちを伝えていればこんなにモヤモヤすることがなかったんじゃないか、と少し後悔した。
もう泣くもんか!と眉間に力を入れて堪えると友人はそんな私の顔を見て驚く。これ以上は詮索しない方がいいと思ったようで影山の話をふってくることはなかった。


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放課後、友人たちは部活に向かってしまったので私は一人とぼとぼと校門に向かって歩いていた。影山に話しかけようかと悩んだけれど、さっさと一人で帰宅してしまったので悩むだけ無駄だった……。
ラブラブなカップルや二人乗りしている不良っぽい人、どこに遊びに行くか悩む帰宅部に混じって歩くのは少しいたたまれない。

「あれ?変人マネージャーは友達いないの?」
「ちょっとツッキー…」
「ぼっちですが何か」
「はぁ?」

随分と聞き覚えのある声だ。振り返らずとも誰だか分かってしまった。私が昨日と違って反論しなかったので、二人は大袈裟に驚いている。

「部活ないからって、普通そこまで落ち込む?」
「…落ち込まない」
「ななし野さん、何か元気ないね?」
「…ある」
「そんな殺し屋みたいな顔して何言ってんの?」

……殺し屋?一体どんな顔してるんだ、私は。心配そうなグッチーと、怪訝な顔を向けてくるツッキーには私が部活に行きた過ぎて落ち込んでいるように見えているらしい。普段ならそれなりに残念がるかもしれないけど、今日に限っては違う。でも、二人はそれで納得したのか深くは聞いてこなかった。
それに、流れで一緒に帰ってくれるようだ。

「ねぇツッキーたちって喧嘩することあるの?」
「いきなり何?」
「俺たち、喧嘩したことあるかなぁ?」

いつも一緒にいる二人なら喧嘩のひとつやふたつくらいするだろう。その仲直り方法を知りたくて尋ねたけれど首を傾げられてしまった。入部してから二人が言い争ったりしている姿は見たことがない。むしろ、不機嫌なツッキーにグッチーがあわあわしているところはよく見る。

「ないんじゃない?山口すぐ謝るし」
「そ、そうだっけ」
「確かにグッチーは余計なことは言わなそうだし、あんまり喧嘩するイメージないかも」
「余計なことかどうかは、言ってみないと分からないこともあるけどね」
「…?」

ツッキーが少しだけトゲのある言い方になった気がした。グッチーも何となく感じ取ったようで、少し困ったように眉を下げている。
昨日の私と影山もこんな感じだったんだろうか。ふとそう思った。


「二人とも一緒に帰ってくれてありがとう!」
「全然いいよ!じゃあ明日、部活で」

二人と話していると、いつもの自分に戻れた気がして気持ちが軽くなった。分かれ道で二人に手を振ると、振り返してくれたのはグッチーだけだった。予想通りだ。

「明日部活楽しみだね!じゃあ、また明日!」

明日になれば、私も少しは落ち着くだろう。それに部活で体を動かせば、こんなにごちゃごちゃと悩むことも減るはず。私さえ普段通りにしていれば、誰も影山と揉めたことに気付かないだろう。

「ねぇ」
「うわっ!?」

二人に背を向けて歩き出そうとしたところ、突然腕を掴まれ振り返る。ツッキーだった。
予想外の行動に驚いていると、ツッキーが私を見下ろして言う。

「君さ、嘘つくの下手すぎ」
「え!?な、なにが……」
「君が大人しいと気味が悪い」

それだけ言うと私に背を向けてグッチーのもとへ歩いて行った。ポカンと立ち尽くす私に目もくれず、やがて二人は見えなくなる。
もしかしてツッキーなりの励ましの言葉だったのかな…?いつも素っ気ないくせに、こういう時に優しいのはズルい。


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家に帰宅した私は、何も手につかずただボーッとテレビを眺めていた。こんな時こそ未完成のマル秘ノートを纏めたり、自分なりにバレーの研究をすべきなんだろう。分かっているけど気分がのらない。
普段は部活で見られないドラマの再放送で、丁度見逃した所だったのに何も頭に入ってこなかった。宿題もやる気が起きないし、誰からも連絡はきていない。……一人くらい遊びの誘いあってもいいじゃんか!

「……おもしろくない 」

ついにドラマの台詞が雑音に聞こえてきたので、スイッチを切る。すると部屋に静寂が訪れた。目を瞑るとやっぱり影山のことがぐるぐると頭の中を巡って昼寝をすることも出来ない。次第に考えることに疲れた私は、ケータイを手に取った。アドレス帳の一番上に表示された番号を呼び出す。
今日は月曜日だ。

「もしもし、岩ちゃん」
『ごんべ子か?珍しいなお前が電話なんて』
「急にごめんね。今忙しい?」
『いや、別に忙しくはねぇけど。お前、部活はどうしたんだ?』

家でじっとしていてもネガティブになるばかりだ。なので同じく部活が休みなはずの幼馴染みに電話を掛けると、声で驚いた様子なのが分かった。普段なら部活中である私がこんな時間に電話できることが不思議だったようだ。

「今日休みになったんだ。だから東京のお土産持って行こうかなって思って」
『遠征昨日までだっけか?』
「うん、夏休みにもあるけどね。今から家行ってもいい?」
『構わねぇけど』

岩ちゃんの返事を聞き、私はお礼と共に立ち上がる。東京土産のついでに借りっぱなしになっていたタオルも一緒に持っていこう。いつでも返せるように洗濯はしてある。

「ねぇ、今徹ちゃんも一緒にいる?」
『いや、あいつは甥っ子のバレー教室の付き添いで居ねぇよ』
「あ、そうなんだ」

もし一緒に居るなら徹ちゃんの分のお土産も、と思ったけれど別行動しているらしい。そのことに私がびっくりすると「部活ねぇ日まで一緒に居ねぇよ」とちょっと不機嫌になった。
……休みの日もよく一緒に居るじゃん、という言葉はのみ込んでおこうと思う。


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