三日目ともなると、合宿での生活も大分慣れてきた。まだ半分しか経っていないのに、とても濃い時間を過ごしているせいかもう随分長い間ここにいるような気もする。むしろ私は森然高校の生徒なんじゃないかと思うくらいだ。……森然の選手とは話したことないけど。
そんな感じで合宿はおおむね順調だった。……ただ、個人的にはそうもいかず。昨日はドジをしてケガをするし、他校の先輩である赤葦さんに迷惑を掛けるし、影山とは全然話せていないし、ツッキーとは噛み合わない。マネージャーとしての自信は現在バキバキに折れていた。私自身、課題の多い合宿になっている。
「止めなくてもいいんですか」
ツッキーの一言に、全員が驚きを隠せなかった。梟谷との試合中、木兎さんのスパイクを止めなくてもいいと言ったコーチに対しての言葉だ。
これまでのツッキーなら、そんなことは言わなかっただろう。というより、積極的に発言することもなかった。
あの月島が…!?という皆の心の声がありありと聞こえてくるようだ。……少しだけど、ツッキーの意識は変わったのかも。昨日は何だかんだで最後まで自主練に参加していたし、木兎さんやクロ先輩のアドバイスも素直に聞いていた。私に対しての塩対応はあまり変わらないけど、見えない壁は薄くなった気がする。
やっぱりグッチーのあの喝が効いたんだ。そうに違いない!
キルブロックで木兎さんのスパイクを封じたツッキーは、誰が見ても明らかに今までとは雰囲気が変わって見えた。何だろう、闘志がみなぎる感じ?
「やったね、グッチー」
「え?何が?」
「あっ、いや何でもない」
幼馴染みの変化に気付いたグッチーに、こっそり親指を立てると首を傾げられてしまった。よく考えれば、私は昨日のやりとりを知らないことになっているんだった!
慌てて誤魔化すと、グッチーも深く考えずに流してくれたようだった。
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「みんな頑張ってるなぁ〜」
お昼休憩も半ば。ご飯を食べ終わり、束の間の休み時間に私は一人体育館裏の坂道を散歩していた。決してぼっちで暇をもて余していたからではない。断じて…。
日向や影山は食べ終わると即行で自主練しに走り出し、二人に感化された他の数人も体育館へダッシュしていた。朝起きてからバレーしかしていないのに、休憩中もバレーをするなんて凄いことだと思う。しかもペナルティ三昧で疲れているというのに。
「あ」
どこから飛んできたのか、1つだけポツンと転がっているバレーボールを見つけた。練習中に体育館から転がってきたのか、それとも誰かが自主練で使っていたのか。
それがどうして坂の上にあるのかは謎だけど、見つけてしまったなら取る行動はひとつ。
「……ちょっとだけ」
毎日みんなを見ているとバレーがしたくてウズウズしていたのだ。ちょっと使わせてもらおう!近くに誰も居ないことを確認して、そっとボールを拾い上げ構える。
「見てるだけで自分も出来るかもって思っちゃうんだよね〜……せいっ!」
サーブを軽く木の幹に当てて跳ね返ったボールをレシーブする、というイメージを思い描いた私は、生川の選手の強烈サーブを真似て空高く放り投げた。
木漏れ日でボールの位置を見失ったものの、きちんと手に当たる感触はあった。少し強かったかも!勢いよく幹にぶつかる音がして、少し焦る。
あ、これ顔面コースじゃない?
これまでの経験から自分へ降りかかる災難を予測した私は、咄嗟に目を瞑った。どこからともなく"ボールを見ろ!"と岩ちゃんの声が聞こえてくる気がする。そんなこと言われても!一人脳内で反論するも、一向にやってこない顔への衝撃。
「……なんで?」
おかしいな、確かにボールは幹に当たったのに。不思議に思って目を開けても、ボールは見当たらなかった。
「……イリュージョン?」
私、超能力発揮した?幹の回りをぐるぐると回り、三週したところで立ち止まる。もしかして、木に当たったと思ったのは錯覚で遥か遠くに飛ばしてしまったのだろうか。それはそれでヤバイ。
悶々と考え込んでいると、頭上から猫の鳴き声が聞こえて見上げる。幹と枝の間に挟まるバレーボール……の横に例の黒猫の姿。
「いるじゃん、化け猫!……あ、でもあれはデタラメだったんだっけ」
私の叫びに心外だとばかりの鳴き声をあげるクロ先輩似の黒猫は、ふてぶてしく私を見下ろしている。まるでボールは渡さんとばかりの態度だ。
もしかして人間の言葉が分かるのかな?めちゃくちゃこっち見てるし…。
「あの、すみませんけどボール落としてもらえますか?」
丁寧にお願いすると、"にゃ"と短い返事が返ってくる。……どっちなんだろう。勝手に肯定と受け取って手を伸ばし、ボールが落ちてくるのを待っていた。けれど、一向に返してくれる気配はない。
やっぱり人間の言葉は分からないのか……残念。
仕方がないので近くにあった雑草を引き抜いて、ボールよりこっちの方が楽しいよアピールをしてみる。
「……」
猫じゃらしではないからか、全く喜ばない上に呆れたような視線が痛かった。バカにされてる気がしないでもないな……。どうやら相手は普通の猫ではないようだ。これはいよいよ本気を出さねば。
「おーい、ネコちゃん!それ返してくれないと私、練習に間に合わなくなっちゃうよ!」
「そんなところで何してるの?」
「え?」
最終手段として木登り……は無理だったので、猫に向かって跳び跳ねていると控えめに声を掛けられ振り返る。同時にポコンと頭の上にボールが落ち、コロコロと足元に転がった。
お互い目があったまま妙な沈黙に包まれ、気まずい空気が流れる。あの黒猫、絶対タイミング見計らってたよね!?
「……あー、ボールが木に引っ掛かっちゃったのか」
「そうなんです!あの猫が……あれ、いない!?」
あの憎たらしい黒猫を指差し、見上げた木の上にその姿は既になく。再び私たちは沈黙した。え、居たよね?さっきまでそこに居たよね?もしかして本当に化け猫だった?いやいや、そんなまさか。何も居ない木の枝を睨み付ける私に気を使ってくれたその人が、恐る恐る口を開いた。おそらく私は挙動のおかしな人に分類されているんだろう。
「君って確か烏野の……」
「1年マネージャーのななし野です」
「俺、梟谷3年の猿杙。木兎が仲良くなったって言ってたのは君のことか」
猿杙さんは穏やかに微笑みながらそう呟く。柔らかい雰囲気と、木兎さんの名前が出てきたことで私は勝手に親近感を覚えた。
「さっきまで黒猫がいたんですけど、いつのまにか居なくなってて…」
「そうなんだ。あまりに熱心にジャンプしてたからジャマしちゃったかなって思ったよ」
「邪魔だなんてそんな!むしろ助かりました。実はその猫が全然ボール返してくれなくて困ってたんです」
「えっ、猫が?」
相変わらず微笑みを浮かべながら私の話を聞いてくれる猿杙さんは、とても良い人だと思った。だって私が逆の立場なら、猫がそんなことするわけない!で終わっていたことだろう……。
「あ、サル!この辺でボール見なかった?全然見つからねぇんだよ。マジでなくなったら怒られるわー、小見やんが」
「いやいや、お前のレシーブがへたくそだったせいだろ。怒られるのは木葉だっつの!」
「何喧嘩してんだよ、二人とも」
お互いに言い合いしながら現れたのは、猿杙さんと同じ学校の人だった。木葉さんと小見さんと言うらしい。会話から察するに、どうやらボールをなくしてしまったようで探しにきたのだろう。
猿杙さんが「もしかして」と、私が持っていたそれに視線を寄越した。
「ボールってこれのことですかね?」
ほぼ初対面の先輩たちに囲まれ少し緊張気味に申し出ると木葉さんと小見さんがじっと私を見た。……違ったらどうしよう。
「あー、それだわ多分!」
「ありがとう、えっと……烏野のマネージャーさん?」
「ななし野です」
ぱあっと明るくなった先輩たちの顔を見て、ホッとする。……それと、このボールなくしてなくて本当に良かった。私が密かに胸を撫で下ろしていることなど知らず、先輩たちはボールを受け取った。
「と、ところでななし野さん。……君のとこの先輩マネージャーいるじゃん?」
「あのクールビューティな眼鏡のさ!」
先程とはうって変わって急にソワソワとし始めた木葉さんと小見さん。潔子さんのことでそうなる人は、学校や試合会場でもよく見るので今更驚きはしなかった。
「潔子さんのことですか?」
「潔子さん、って言うのか……素晴らしい!」
「名は体を現すとはまさにこのことだな!」
潔子さんの美しさは他校にも知れ渡っているようで、木葉さんと小見さんもずっと気になっていたらしい。どこかで聞いたことのある台詞に、ぼんやりと師匠たちの姿を思い浮かべたのは内緒だ。
「と、ところで潔子さんって」
「かか、彼氏いるの?」
緊張の面持ちで私にそう尋ねてくる二人は、興奮気味に詰め寄ってくる。その必死な形相に私は目を逸らすことが出来なかった。
「多分いないと思いますけど……」
あからさまにホッとした二人は、やっぱ声かけようぜとヒソヒソ話を始める。こうしてナンパへと繋がるのか……。
そういえば潔子さんはモテるけど、浮わついた話は聞いたことがないし本人もあまり恋愛に興味はなさそうだった。実際のところはどうなんだろう?もし彼氏が存在したら師匠たちはどうなるんだろう……。
血の涙を流しながら切腹します!と嘆く姿まで想像して、何だか不安になってしまった。
「ごめんね、二人に悪気はないんだけど」
「いえ、私も男なら潔子さんに声を掛けるので気にしてません!」
私が気分を害したと思ったのか申し訳なさそうに謝る猿杙さんに、グッと親指を立てた。若干、困惑気味に見えたけれどそこは気づかなかったことにする。
「いたいた!お前ら何やってんだよー、午後練の前にミーティングするって言ったじゃんよー!」
「やべ、忘れてた!」
「そういえばそんなこと言ってたな」
「って、ごんべ子チャンも居たの!え、何々?何か面白いことやってんの?俺も混ぜろよー!」
「ややこしいのが来ちゃった」
ワクワクした顔で私たちの輪に突入してきたのは木兎さんだった。急に騒がしくなった空気に、猿杙さんが苦笑いする。そんなことお構い無しに木兎さんは猿杙さんの肩に腕を回してみんなの顔を見回した。
「で、何してたんだ?」
「別に何もしてねーよ」
「嘘だな!だって猿が笑ってるだろ」
「何だよその基準……。俺は元々こういう顔だって言ってるだろ」
木葉さんと猿杙さんが言っても、木兎さんは信じていないようで「教えてくれてもいーじゃん、ケチー」と拗ねている。どうやら何か楽しいことを木兎さんに隠していると思ったようだ。
事実、私たちは特に何をしていたわけでもないので教えようもない。
「あー、分かった!お前らごんべ子チャンのことナンパしてたんだろ!」
「はぁ?」
突然閃いたとばかりに大声でそう言った木兎さんに、私たちはすっとんきょうな声を上げてしまった。ただ、木兎さんはこっちのリアクションには全く興味を示さず、謎が解けた名探偵ばりの自信満々な笑みを浮かべている。
「でもな、ごんべ子チャンには黒尾という彼氏がいるぞ!残念だったな!」
一同沈黙。ドヤ顔の木兎さんは、私たちがあまりに無反応だったことでようやく首を傾げる。そして、一拍置いて声をあげたのは木葉さんたちだった。
「まじかよ!あいつ、いつのまに!?」
「はぁ!?黒尾あのヤロー、リア充だったのかよ!」
「へー、何か意外だね」
木葉さんと小見さんが悔しげに地団駄を踏み、猿杙さんは少し驚いたように私を見る。声こそ出せなかったけど、この中で誰よりも驚いているのは絶対にこの私だ。間違いない!
「ち、ちょっと待ってください木兎さん!多分勘違いしてると思います!」
「え、何を?」
私が焦ったように訴えると、木兎さんはハッとした表情になりわなわなと震え出した。発言する前から違うということが分かるくらいに、木兎さんは分かりやすい。
「も、もしかして……黒尾じゃなくて、メガネ君の方か!?」
「違いますよ!私、彼氏いませんって!」
「あれ、いないの?だって黒尾が……」
一応違うと否定したんだけど、やっぱり聞いてなかったみたいだ。それにしても、ここにきてから何人かにクロ先輩かツッキーが彼氏なのかと聞かれることがあったけど、もしかしてそれくらい仲良く見えているということだろうか?クロ先輩はともかく、ツッキーの耳に入ったら絶対距離置かれるな……。
「彼女、ちゃんと否定してましたよ。木兎さんは聞いてませんでしたけど」
「赤葦!そーなの?ごんべ子チャン」
「は、はい。一応」
「なんだよ、木兎の勘違いかよー」
戻ってこない木兎さんを探しにやってきたのだろう、いつの間にか近くに来ていた赤葦さんが助け船を出してくれた。
不思議と赤葦さんの言うことには説得力があるようで、木葉さんたちは赤葦さんの言葉を信じていた。ただ一人、木兎さんだけは納得していないようで「えー、絶対黒尾と付き合ってるだろ!」と私の肩を揺さぶってくる。そう言われても違うものは違うんだけどな……。
「うえ…」
「木兎さん、離してあげてください」
「マネちゃんグロッキーになってるぞ」
「あー、ごんべ子チャンすまん!」
木兎さんの揺さぶりが思ったより長く、強かったせいでちょっと気持ち悪くなってくる。呻き声を上げると、気づいた赤葦さん達が止めてくれたおかげで大惨事は免れた。危ない、お昼ご飯が出てきちゃうところだった……。
「皆さんそろそろ戻りましょう」
「ちぇー、せっかくこれから面白いことして遊ぼうと思ったのに」
「どうせ、鬼ごっことかだろ」
「どうせとはなんだ、小見やん!鬼ごっこおもしれーだろ!」
赤葦さんに従って、木兎さんたちは渋々校舎の方へ歩き出す。木兎さんは鬼ごっこをしたいとしきりに発言していたけど、スルーされていた。
私も散歩するには時間がないし、午後の練習の準備もあるからみんなのところに戻ろうかな。
「まだ休憩時間あるけどななし野さんはどうする?」
「私もそろそろ戻ります」
「そう、じゃあ途中まで一緒に行こうか」
「ありがとうございます!」
赤葦さんはどうしようか迷っていた私にも声を掛けてくれた。その気遣いが嬉しくてお礼を言うと、少しだけ微笑む。
「赤葦さんには足を向けて寝られませんね」
「大袈裟じゃない?」
なんて会話をしながら歩き出す。梟谷の人たちもいい人ばかりだ。この合宿がなければきっとこんな風に話すことはなかったのかもしれない。
「東京、来れて良かった」
周りに聞こえないくらいの声で呟くと、さぁっと温い風が通りすぎる。微かに鈴の音が聞こえて振り返った。
合宿遠征三日目"変化"
(赤葦さんも私と同じように振り返っていた)
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