午後になるとより一層気温は高くなり、見ているだけの私も額に汗が滲んだ。授業中だと一刻も早くクーラーの効いた部屋でゴロゴロしたいと思うのに、部活中はどんなに暑くても不思議と苦ではない。
むしろ、いつまでもこの夏が続けばいいのになぁ。……というより、合宿が楽しいから帰りたくないなぁ、の方が正しいかもしれない。
「危ない!」
やっちーと私の顔の間を横切ったボールはバァンと大きな音を立て後ろの壁にぶち当たった。ギャア!と悲鳴を上げたやっちーとあまりの衝撃に声も出なかった私は、目を合わせてお互い無言で頷き合う。
気を抜いたら……しぬ!
ボールが飛び交うこの場所で、一瞬でもよそ見をすることは即ち死!それくらいの気持ちで臨まなければいけない。いつ流れ弾がきても対処できるように気を引き締めなければ!バクバクとうるさい心臓を落ち着けるように、ひとつ深呼吸をした。
「スマン!ネットに近い…!」
夕方に近づくにつれ、みんなも流石に疲れの色が浮かんできていた。特に烏野は負け続きなので、ペナルティをこなしている分、他校より運動量が多い。いくら体力があるといっても、音駒との対戦では所々ミスが目立っていた。
「今、手ェ抜いたな!?」
「…手を…抜く?…俺が?バレーで??」
只ならぬ空気に武ちゃん先生が慌ててタイムアウトを取る。影山がトスを上げ、日向が打った直後だった。
日向が少しイライラしているところも、バレーのことで影山に口出しすることも珍しい光景だ。胸倉を掴まれても怯むことなく、日向は「落ちてくるトスじゃなかった!」と言い放った。
「違いが分からなかったね…」
「うん、いつもの影山くんの凄いトスだったような…」
端から見ている分にはいつも通りだった。日向にしか分からないレベルの話なんだろう。その証拠に、周囲の誰もが首を傾げている。
コーチの推測では、影山が無意識に日向が打ちやすいようなトスを上げたのではないかということだった。
二人の新しい速攻は、私にはどんなものか分からない。でもあの影山が、日向に気を使う程難しい技なのか…。
影山なら出来るとか、頑張ればなんとかなるとか、軽々しく口にした過去の自分がいかに無知だったかを知った。
「止めんな、影山!」
「集合だっつってんダロ!」
どこかショックを受けたような影山に、日向が叫ぶ。バレーに関してはいつだって全力で取り組んできたからこそ、無意識であれ"妥協した"という事実が信じられないのかもしれない。
いまにも掴みかかりそうな日向の襟元を龍先輩が掴んでコーチの元へ引きずっていく。影山は何を言うでもなく、ただじっとその光景を見据えていた。
「…」
どうして日向は影山の欲しい言葉が分かるんだろう。どうして私は影山を怒らせたんだろう。私と日向の言動は何が違ったのか、それが分かれば私は前に進める気がする。
眉間の皺がなくなった影山の表情を見た私は、ふとそう思った。
---
自主練の時間になると自然と足が第3体育館へ向かうようになっていた。初めは他校生の自主練ばかり手伝っていていいのか分からなかったけど、意外と学校関係なく一緒に練習している人も多い。クロ先輩の言ったように、今では私も合宿じゃないとできないことを経験したいと思っていた。
「ツッキーも第3体育館行くの?」
「うん。……何、その顔」
「何でもなーい」
珍しくツッキーが体育館に残っていたので、もしやと思って声を掛ける。
昨日の一件からやっぱりツッキーの意識は少し変わったようで、素直に返事が返ってきたことに驚いた。更に、誰に強制されたわけでもなく自主練に参加するというではないか。自主的に!ここ重要。
ツッキーはニヤニヤする私を怪訝な顔で見下ろすと、荷物をまとめる。
「一緒に行こうよツッキー」
行く先は同じなんだし、いちいち言わなくてもいいかとは思ったけれど一応断りを入れる。じゃないと"勝手についてこないでくれる?"とか言われそうだし……。
「いいけど」
「じゃあ、後ろをついて……えっ、いいの?」
これまでのツッキーなら「は?嫌だよ」と拒否していたに違いない。私はてっきり嫌だと言われたと勘違いして、思わず聞き返してしまった。
「自分から誘ったくせに嫌なわけ?」
ポカンとする私に少し嫌味っぽく笑うツッキーの雰囲気はどこか柔らかくみえる。
「い、嫌じゃないよ!」
慌てて否定すると、ふっと小さく笑い「行くよ」と言って歩き出した。私とツッキーの距離も少しは縮まったということだよね?
後は私の名前を呼んでもらえれば、晴れて友達と呼べる関係になれるということだ。
「…マヌケ面」
「ひどっ!」
「……褒め言葉デショ。置いてくよ」
「どこが!?って…待ってよツッキー!」
どう考えても貶されてるような気がする…。ツッキーは肩を落とす私にお構い無く体育館を出ていった。その長い足で本気を出されるとあっという間に距離が開いていく。置いていかれまいと、慌ててその背中を追いかけ隣に並ぶと、ツッキーの歩くスピードは少し緩まった。
「……」
「何?」
ツッキーは私の歩調に合わせてくれているようで、そのさりげない優しさに気づいて密かに感激する。普段はあんなに邪険に扱うくせに、こういうことをサラッとやってのけるとは……やりおる!
困惑気味に私を見下ろすツッキーを、ただただ見つめ返した。
「……君さ、昨日の僕と山口のやりとり見てたよね」
「えっ、何が?知らないなー……」
「本当白々しい」
不意に出されたその話題に、私はツッキーから思いきり顔を反らしてしまった。我ながら誤魔化しかたが下手くそすぎる。
ツッキーは勘が鋭いから絶対に見抜かれているだろう…。
「……バレてないと思ったのに」
「あれでバレてないと思えるのは、ある意味君の才能なんじゃない?」
「さ、才能…!?」
才能だと言われて一瞬でも喜んだ自分が情けない。ツッキーは「誉めてないのに」と笑いを堪えている。笑いは笑いでも、"(笑)"って感じだ。
「このオシャレメガネめ!背高ノッポ!」
「ありがとうございまーす」
「うっ、ムカつく〜!」
「褒め言葉でーす」
思い付く限りの悪口を投げ掛けても、全然効いていない。逆に、返り討ちにあったような気分だった。ムキなっても仕方がないと分かっているけど、軽くあしらわれると悔しい。
「……」
でも、こんなやりとりが出来るくらいの仲ではあるんだよね?そう思うとちょっと嬉しかった。初対面から恐らく私のことを良く思っていなかっただろうことを思うとある種の感動すら覚える。
我ながら複雑な感情だ。そしてやっぱり嬉しさを抑えきれない。
「何かコワイんだけど」
「褒め言葉だよ!」
「……」
さっきまで怒っていたのに、突然笑顔になった私を見てぎょっとしたツッキーは大袈裟に身を引く。そして、固まった。
「あ」
「?」
立ち止まったツッキーの視線は私を通り越し、背後の暗がりに注がれていた。なんか、前にもこんなことあった気がするなぁ。
リン、と鈴の音が聞こえて振り返れば、そこはただの暗闇だった。あまりじっと見ていると、本当に何か見えそうなのですぐに視線をツッキーに戻す。
「何かいたの!?」
「……いや、気のせいだった」
「ほんとに?」
ツッキーは私を見ると「さぁ」と曖昧な返事をする。どっちなんだ。この場合、怖がらせるための冗談?それとも、本当に気のせいだったのか。
急に視界の端に映る暗闇が気になって、ツッキーの方へ身を寄せると肘がぶつかった。
「……暑いんだけど」
「私は暑くない」
頭上から声が掛かったけど、特に距離をとられるわけでもなかったのでそのまま無視を決め込む。ふざけて完全に寄りかかってみると、流石に怒られてしまった。
---
「ちゃんと来たな、メガネ君!」
「月島です」
「ん!?君達ちょっと近いな!」
ツッキーと共に第3体育館へ足を踏み入れれば、木兎さんが元気よく出迎えてくれた。そしていきなりツッキーと私の間に腕を入れると引き離すように広げ、その開いた距離を見て満足気に頷く。ツッキーは不愉快だと言わんばかりに眉をひそめた。
「あの……何なんですか?」
「な、何でもねーよ?」
木兎さんは、そうは見えない表情でツッキーを一瞥するとクロ先輩に向かってグッと親指を立てた。ただし、意味は通じていなかったようで先輩はポカンとしている。唯一、赤葦さんには木兎さんの意図することが分かったようで、小さくため息を吐く姿が見えた。
「二人とも木兎さんのことは気にしなくていいから」
「いいんですか?」
「いや、よくねーだろ!」
私たちに向かって赤葦さんが呆れ気味に言うと、木兎さんがすかさず反論した。そして「いや、だからさー」と煮え切らない態度で言い淀む。私たちには言い辛いことなのか、この話は終わり!とばかりに自分で断ち切った。
「お?今日は仲間連れか?」
「はい?」
「まさか……さっきの……!」
木兎さんが、じっと入り口を見つめながら尋ねる。
私とツッキーはここまで二人で来た。だからもう一人居るわけがない。もしかしてツッキーが気のせいと思った"何か"が実はオバケで、私たちについてきたんじゃ…?
「何ビビってんだ、ごんべ子は」
「いや、もしかしたらオバケが……」
急に落ち着きがなくなった私の様子を見てクロ先輩がおかしそうに言う。私も本当にオバケがいるなんて思っていないけど、この合宿に来てから私だけ変な猫をよく見かけるし…。それもこれもクロ先輩が"化け猫"なんて言ったからなんだけど、本人はすっかり忘れているようだ。赤葦さんの言うように、作り話だったに違いない。
「君んとこのチビちゃんはオバケなの?」
「チビちゃん?」
チビちゃんとは。
誰のことを言っているんだろう?気になっておそるおそる振り返ると、そのチビちゃんとばっちり目が合った。
「日向じゃんか!」
「エッ、おれだけど!」
日向だった。私が驚いたことに驚いている。勝手にオバケ扱いしてごめん、と謝ると日向はよく分からずきょとんとした。
それにしても影山と自主練をしていたはずなのに、どうしてここに居るんだろう。ツッキーも気になったようで、そのことを尋ねると日向は元気よく答えた。
「"相棒"はどうしたのさ」
「影山はまた一人で練習!」
それで日向は今まで研磨さんにトスを上げてもらっていたらしい。でも、五本で逃げられたので自主練相手が居なくなってここへ辿り着いたようだ。
「影山と喧嘩したの!?」
「ううん、喧嘩じゃない!突然"今日からお前とは練習しない"って言い出してさー」
「それ、喧嘩なんじゃ……」
「影山がおれに気ィ使うなんてコエーよな!」
言い争って前みたいに気まずくなったんじゃないかと思ったけど今回は違うみたいだ。
お互い納得した上で別々に練習するらしい。
私が言えたことではないけど、喧嘩じゃなくてよかった。「雪でも降るんじゃない?」と言ったツッキーと珍しく意見が合致した日向も激しく頷いていた。
「だからおれも……」
「俺も」
「「入れてください!」」
足音と共に現れたのはリエーフだった。日向と並ぶとより一層背が高くみえる。特に示し会わせたわけではなく、偶然二人とも同じことを考えていたようで見事にセリフが被っていた。
「お前、夜久のとこでレシーブやってたんじゃないの」
「早めに見逃して貰いました!」
リエーフも夜久さんとのレシーブ特訓を終えた後らしい。クロ先輩が脱走してきたんじゃないかと疑いの目を向けると、少し動揺する。実のところは分からないけれど、リエーフがそう言うならそうなんだろう。
「まぁいいや。じゃあ…人数丁度いいから――3対3やろうぜ」
クロ先輩の提案に一同動きが止まる。これからミッチリ練習だと思っていただけに、これは朗報だ。
「おー!試合だ!」
「あ、じゃあ私審判ですね!得点板用意します!」
あまり乗り気には見えないツッキーとは違い、日向とリエーフははしゃぎだす。今まで散々練習試合をしてきたというのに、まるで今日初めて試合をするかのような喜び方だ。
かくいう私も普段とは違うメンバーで行う試合に心が踊っている。急いで得点板を引っ張ってくると、皆も準備万端だった。
「で、チームはどうやって分けるんです?」
肝心のチーム分けが出来ていないことに赤葦さんが気付く。
「俺はメガネ君と戦いたい!」
「じゃあ、メガネ君と木兎は敵な」
「月島です」
すかさず手を上げたのは木兎さんだった。指名されたツッキーは面倒そうな顔をしていたけれど、反論はしなかったのでその主張はあっさり受け入れられた。
「じゃあ、俺は日向と戦いたいです!」
「おれもリエーフと戦いたいです!」
日向とリエーフもお互いに手を上げて主張しあう。当然反対する人間もおらず、日向とリエーフが別チームになることも決まった。
「てことは必然的に俺と赤葦が戦うワケだな」
「そんな無理に敵対しなくても」
ニヤリと笑いながら言うクロ先輩に、赤葦さんは苦笑いしている。意外とすぐに決まって良かった。得点板にチーム名を記入しようとして、私はふと気づく。
「そういえば、誰と誰が同じチームになるんでしょう?」
「テキトーでいいんじゃない?」
「じゃあ、メガネ君は俺とね」
「え…」
心底嫌そうな顔をしたツッキーを気にすることもなく、クロ先輩は「けってーい」と言って肩を組んだ。テキトーでいいと言ったのは自分なので、受け入れるしかない。
それを見ていた木兎さんが、日向の肩に手を乗せて楽しそうに笑う。
「じゃあ、俺はチビちゃんもーらい」
「ふぉっ!?よ、よろしくおねシャス!」
緊張と期待と羨望が入り交じって若干声が上擦る日向と満更でもなさそうな木兎さんは案外気が合うのかもしれない。
それによって日向と敵であるリエーフは、クロ先輩のチームになることが決定した。
「じゃあ、リエーフはこっちか」
「ちょっと黒尾さん、何でそんな嫌そうなんスか!?」
「別に嫌じゃねーよ?基礎練でもそんくらい燃えてくれりゃあなー」
わざとらしく悩む仕草をするクロ先輩に、リエーフは「それはそれこれはこれ!」とジェスチャー付きで訴えている。
「音駒のエースが仲間で嬉しくないんですか!」
「向こうにはもっと凄いエースがいるケド」
「しかも全国レベルな」
「うっ…と、とにかく早くやりましょう、試合!」
クロ先輩のジト目に焦るリエーフは先輩とツッキーの背中を押してネット際まで連れていった。これで必然的に赤葦さんは木兎さんのチームということになる。
ネットを挟んで対峙すると、赤葦さんが口を開いた。
「あの、コレ……すげぇバランス悪くないスか…」
「いーじゃねーか!昼間やれない事やろーぜ!」
木兎さん、赤葦さん、日向の梟谷チームとクロ先輩、リエーフ、ツッキーの音駒チーム。こうして並んで見ると赤葦さんの言うとおり、背の高さが偏っていた。日向はそんなことよりも梟谷の二人を羨望の眼差しで見つめる。
「じゃあ、チーム名はネコとフクロウでいいですか?」
「おーいいぞ。もしくは"黒尾と愉快な仲間達"でもいいよー」
「えっ、それは嫌ですよ!」
「却下で」
予想通り後輩たちから一蹴されたクロ先輩は微妙に悲しげな顔をしながら「ネコチームでいいです」と呟いた。
← top bkm →