「お邪魔しまーす」
「おっ、来たなななし野。待ってたぞ!」
突然、師匠たちに呼ばれて烏野男子が使う教室までやってきた私は、現在ドアの前から中の様子を伺っていた。
布団の敷き詰められた教室は、女子部屋とは違って狭々しく感じる。人数の違いもあるだろうけど、背の高い男子高校生が10人以上集まればそれなりに人口密度はあがる。
「そのTシャツ似合ってるぜ!」
「ありがとうございます!お気に入りです!」
この合宿中、寝間着に使用しているのはノヤさんと龍先輩がくれた文字Tシャツだった。"一番弟子"とプリントされたそれは、なんと手作りだ!
ニカッと笑うノヤさんに笑い返すと、ふいに横から視線を感じた。
「ち、ち、ちわーす!」
「ちわーす…?」
何故ここに山本さんが?いきなり元気よく挨拶をされたので思わず疑問系で返すと、隣にいた犬岡くんにも会釈された。
今日は主将ミーティングで大地さんとスガさんが居ないから、この場は無法地帯と化している。影山と旭さんは気持ち良さそうに爆睡しているし、ツッキーはヘッドフォンで音楽でも聞いているのか無関心。その横のグッチーはボーッと師匠たちの様子を眺めている。
日向は一人でボール遊び、縁下先輩は疲れきった表情で布団に寝そべっていて、木下先輩たちはケータイを弄りながら雑談していた。
「先輩たちは何を……?」
黒板にはピラミッドのようなものが描かれており、その頂点にはピンクのチョークで描かれたハートマークがある。そして"女子"の文字。
暗号…?さっぱり状況が読めない。
更に極めつけは山本さんの格好である。手にはビニール傘、足下にはブラックコーヒーの空き缶が転がり、"紳士協定"とプリントされたTシャツを着ていた。
「実は弟子であるお前にも協力して欲しいことがあってな」
そう言って語りだした龍先輩は真剣で、私も気を引き締めた。
どうやら事の発端は山本さんが女子マネ勧誘のコツを龍先輩に聞きにきたことらしい。そこから潔子さんを崇め奉る同志として一致団結し、弟子入り。そして何故か山本さんを紳士に仕立てて女子部屋に向かうことになったと。
その前に女子と話す練習として私が召喚されたというわけだ。
「そんなわけで、まずはごんべ子と日常会話だ、虎!」
「えっ、シショー!そんなイキナリ……」
「イキナリじゃないぞ、虎よ!前にななし野とは握手までしている」
「そ、そうだった……」
「頑張ってください、猛虎さん!」
師匠たちに背中をバシバシ叩かれながら私と向き合う山本さんは、犬岡くんの声援を受けて不自然に目を泳がせている。山本さんがあまりにも緊張しているから、何だか私まで緊張してきた。
「げ、げげ元気でしゅかッ!?」
シーンとする教室に、影山と旭さんの寝息がこだまする。今まで無関心だった数人も大きな声でそう叫んだ山本さんに注目していた。
「……ぶふっ」
「おいななし野、わらっ笑うんじゃ、ブフォッ」
「先輩も笑ってるじゃないですか!」
時が止まったかのような空気に、思わず噴き出してしまった。それを咎める龍先輩も笑いを堪えきれず、顔を背けて肩を震わせている。
その後ろに寝転んでいる縁下先輩の呆れた顔と、相変わらずぼーっとこちらを眺めるグッチーの姿が見えて私たちは一旦落ち着いた。
「虎、頑張れ!潔子さんにたどり着くまでにはごんべ子を倒さなきゃならねぇぞ!」
「ノヤさん、私は倒されるんですか!?」
いつからVS私になったんだ!そもそも、私が呼ばれた理由はそんなものではなかった気もするけど……細けぇことは気にするなと言われて、考えることをやめた。縁下先輩の「何の勝負だよ」という言葉に返事を返すものは居ない。
「しっしかし、女子を倒すなんて俺には……!」
「諦めるな虎よ!いいか、まずはななし野を芋だと思え」
「芋……」
「せめて可愛いものにしてくださいよ!」
ビシッと私を指差しながら龍先輩は山本さんにアドバイスを送る。
芋は嫌だ!もっと女子らしいマカロンとかにして欲しい!そう訴えるも、私を芋だと思い込もうとしている山本さんの調子が崩れることを恐れ、却下された。
「あの、昼間はスイカあざっした!芋子さん!」
「えっ、芋子…?」
今までに比べるとやたらスラスラ言葉が出てくるようだったけど、それは私を"芋"だと認識しているからだ。
戸惑う私に龍先輩が合わせろと目配せしてくるので、仕方なく返事をする。
見守られながらのやり取りは大変居心地が悪かった。何しろ"芋"扱いされているのだから。
「たくさん食べられましたか?凄く美味しかったですよね、あのスイカ!」
「は、はい!それはもうジューシーな芋で……」
「芋?」
「……や、やっぱり芋じゃねぇ!俺には無理だー!くっ」
たった数回のやり取りを終える前に、山本さんは力が抜けたようにへなへなと座り込み、嘆く。その両サイドから師匠たちが肩を組み、激励するも効果はなかった。
「いいや、虎!お前はよくやった!」
「ななし野を芋だと思い込むことには成功したんだ!上出来だ、虎よ!」
「シショー……!」
「ちょっと、趣旨変わってますよね!?」
もう何がなにやら分からない。混乱する私にお構い無く、この謎の特訓は続く。
「ななし野もお前も潔子さんを尊敬する同志だ!何も恐れることはない。次はななし野が女であることを忘れろ!」
「忘れないでくださいよ!ていうか、さっき既に忘れてましたよね?芋の時点で女じゃないですもん!」
「何言ってんだごんべ子!志を同じくする者に男とか女とか性別なんて関係ねぇ!必要なのは潔子さんをお守りするという使命のみだ!」
「そうだぞ、ななし野!こんなこと頼めるのはお前だけなんだ!」
「…私だけ…!」
そう言われてしまうと、私ものっかるしかないじゃないか。師匠たちも楽しそうだし、深く考えるのはやめよう。こういうことは楽しんだもん勝ちだ。
「女子マネ勧誘の話じゃなかったのかよ…」
いつの間にかタオルケットにくるまっている縁下先輩の呟きは、スイッチの入っている先輩たちには届かない。
「で、具体的に私は何をすればいいんでしょうか?」
「そうだな……とりあえず虎を男にしてくれ!」
「男に?……任せてください!」
「はぁ!?」
自信満々に返事をしたものの、男にするって具体的にどうすればいいんだろう?私が内心焦っていると、突然大きな声をあげたのはツッキーだった。今まで無関心に音楽を聞いていたはずが、凄い形相で私たちを凝視する。
「ど、どうしたのツッキー!?」
「なんだよ、もー!びっくりさせんなよ月島!」
声を荒げたツッキーに驚いたグッチーが心配そうに声をかけ、日向はボール回しが失敗したことを不満そうに言う。それも無視して私に視線を送ってくるので、少し怯んでしまった。
「え、何か怒ってる…?」
「別に」
なにかマズイことを言ってしまったんだろうか……明らかに私を睨むツッキーに恐る恐る尋ねても、答えてくれる気はなさそうだった。
「深い意味はないと思うから気にしたら負けだぞ、月島」
「……確かにそうですね」
縁下先輩の言葉にツッキーは冷静さを取り戻し、最後にジロリと私を一睨みするとぷいとそっぽを向いてしまった。そしてまた先程までのカオスな空間に戻ったわけだけれど、すっかり蚊帳の外になっている山本さんだけは状況が飲み込めていないようでポカンとしている。
「ウォホン、とまぁその件は置いといて……」
龍先輩が咳払いをして仕切り直す。男にするやなんやの件はうやむやになったみたいで正直ホッとした。何も良い案が思い浮かばないし、ツッキーの反応から察して私には難易度が高そうだ。
「ずばり聞く!女子は……いや、潔子さんと仲良くなるコツは何だ!?」
その言葉に、ノヤさんと山本さんがハッとして私を見る。目が尋常じゃないくらい輝いていた。
「えっ」
あまりに単刀直入だったので、拍子抜けだ。
私に聞かれてもなぁ……と思ったけれど、すがるような目を向けられては何とかしたいと思うのが弟子心。必死に潔子さんと仲良くなったキッカケを思い出そうとするも、師匠たちの視線が刺さりすぎて集中出来ない。
「教えてくれ、ごんべ子!」
「お前もスタートは俺と同じだったはずだ!なのに、今では潔子さんと触れあうほどの仲!一体、俺たちと何が違うって言うんだ!」
「性別だろ」
縁下先輩の言葉は聞こえないフリをしているのか全くスルー。
確かに私も、初めて潔子さんを見たときは緊張しすぎてチラ見しか出来なかった。縁下先輩の言うとおり、私が潔子さんと同じ女だったからというのが一番しっくりくる。
でも、何だろう……凄く言い辛い。
「平常心…そう、平常心です!潔子さんを前にして、少しでも下心を抱いてはダメです!潔子さんはきっとそういうの鋭い気がします!」
「なるほど……」
「でもごんべ子、潔子さんを前にすると褒め称えたくなるんだ!どうすれば……?」
「そこをグッと堪えて、冷静に!そして客観的になるのです!」
思い付きで力説すると予想外に納得している先輩たち。つい調子にのって熱く語ってしまった。私こそ冷静になると何言ってんだって感じだなぁ…。
いつからか真剣に聞いていた犬岡くんが小さく拍手を送ってくれたので、ちょっと恥ずかしくなった。私のあんなアドバイスでも真摯に受け止めた山本さんは、凛々しい顔で立ち上がる。
「今ならいけそうな気がする!」
「その勢いだ!行くぞ虎、龍!」
「おうよ!」
「先輩たちどこに行くんですか!?」
「猛虎さーん!」
奇妙な格好をした山本さんが教室を飛び出すと、師匠たちもそれに続く。更にその後を犬岡くんが小走りで追いかけていったので、私も野次馬魂を発揮して後を追うことに決めた。
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教室を出て数分。暗闇の中、山本さんを先頭に何故か一列になって歩く。犬岡くんの後ろ、つまり最後尾に並んだ私は背後が気になりつつもワクワクしていた。プチ肝試しのようで楽しい!霊的なものは苦手だけどそれは見えなければ問題ない。
――うわ、痛恨のミス!
――この失態は、裏山ダッシュだろ!
「……」
「ミーティング……じゃないような」
「俺、ちょっと見てきましょうか?」
途中、主将ミーティングをしている部屋から明らかに遊んでいるような声が聞こえ立ち止まった。耳を澄ませばジョーカーがどうとかカードの引きがどうとか、明らかにトランプゲームの話題が聞こえてくる。
楽しそうなのにただならぬ空気を感じるのは何故だろう…。龍先輩も何となく嫌な予感がしたのか、様子を見に行こうとした犬岡くんを引き留めた。
「なんだか関わりあいにならないほうがいい匂いがする」
そう言った龍先輩に同意した山本さんも頷く。そして静かにその場を離れた。その晩、主将会議で何が行われていたのか私たちは知る由もない。
「ねぇ、今なんか居たよね……!?」
最後尾を歩く私はふと窓の外を見て後悔した。誰も居ないはずの中庭に一瞬黒い影が見えたのだ。咄嗟に前を歩いていた犬岡くんに声を掛けると彼は窓に顔を近づけ外を見渡す。
「えっ、もしかしてユーレイみた?」
「やめてよ、犬岡くん!そういうこと言うの」
「ななし野さんが言ったのに!」
「そうだけど……」
犬岡くんとは初対面ではないけれど、直接話すのは今回が初めてだった。にも関わらず、まるでクラスメイトのように気軽に話しかけることが出来ていた。音駒の人はコミュニケーション能力が高いみたい。
「どこらへんで見たの?」
「見たというか見てないというか……あの茂みの辺りをこうヒュッと横切ったんだけど」
「えー、どこ?」
二人して窓にべったり張り付いて外を見渡す。目を凝らしても特に何かの姿も気配も感じられなかった。
「あっ、猛虎さんたちが居ない!」
「本当だ!置いていかれた!」
気づけば先輩たちの姿を見失っていた。
でも目的地は分かっているし、焦る私たちではない。さっき見た影は気のせいだったということにして再び歩き出すと、自然と共通の知り合いであるクロ先輩の話題になっていた。
「黒尾さん、ななし野さんの話するときはちょっと楽しそうなんだ」
「本当かな?面白がってるだけだと思うんだけど…」
「そんなことないよ!多分!」
「気になってたんだけど……私の話よくしてるの?」
前に研磨さんからクロ先輩が私を"変な女"だと思っていることと、変顔の写メを見たっていうことは聞いている。結局、研磨さんもクロ先輩も教えてくれなかったけど…。
犬岡くんなら教えてくれるんじゃないかと思って尋ねると、少し悩んでいた。もしかしてそんなに言い辛いことなんだろうか。
「言っていいのかな」
「いいよ、私が許可する!」
私が必死の形相で犬岡くんに詰め寄ると、彼は少し困ったように笑って話し出す。絶対言うなよ!と口止めされたけど。
「GW合宿の後から、黒尾さんがたまにケータイ見てニヤニヤしてたんだ。だからリエーフたちと後ろからこっそり覗いてみようってなってさ。そしたらななし野さんの変な顔の写真でビックリした!」
「うそ、やっぱりあの写真見たの!?」
「うん、見た!それから黒尾さんがななし野さんの話をよくするようになったって感じ。あ、悪口とかじゃないからな!」
犬岡くんのフォローも半分耳に入ってこない。ノリで送った写メが音駒の皆に知れ渡っているとは……。先輩は不可抗力だったとはいえ、恥ずかしくてたまらない。
「しかも黒尾さんのケータイの待ち受けになってたからみんなななし野さんと黒尾さんって付き合ってるのかと思ってた」
「なっ!?」
衝撃の事実に私は空いた口が塞がらなかった。あんな半目の不細工な顔が待ち受け?その上、毎日見られているなんて想定外だ。辛いことがあったら見るとは言ってたけど、まさかそんなことになってるなんて!
「あ、先輩たちいた!」
「……」
クロ先輩には待ち受けを変えるように言わなければ…!いっそ私もクロ先輩から送られてきた変顔を待ち受けにしてみるか…。
師匠たちの姿を見つけて駆け寄っていく犬岡くんの背中を見送り、潔子さんにあしらわれる師匠たちの姿をぼんやり眺める。
ただ、頭の中は犬岡くんに聞いた衝撃の事実がぐるぐると巡っていた。
「おーい、ななし野さん!俺たちは戻るね!」
「えっ」
すっかり魂が抜けてしまったかのような先輩たちの背中を押しながら、犬岡くんがそう告げる。どうやら潔子さんとお近づきになるのは失敗したようだ。一番年下の犬岡くんが誰より大人に見えた瞬間だった。
「じゃあ、おやすみ!」
「うん、おやすみ」
一応、先輩たちにも挨拶をすると放心した顔のままコクりと頷き、教室に帰っていく。明日から大丈夫なんだろうか。龍先輩とノヤさんはケロッとしてそうだけど、山本さんは…師匠たちがなんとかするかな。
「ごんべ子ちゃん、おかえり」
「今丁度ポテチ開けたんだ〜。食べよ食べよ〜!」
お菓子を囲んで私を出迎えてくれる優しい先輩たちを前に、改めて思う。女で良かった!
師匠たちが今の私の状況を知ったら羨ましさに涙を流すだろう。
今回の件は力になれず申し訳ない。心の中でひっそりと謝罪し、私はポテチに手を伸ばした。
合宿遠征三日目"潔子親衛隊"
(結局、山本さんは女子マネ勧誘を諦めたらしい)
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