5月3日、午前11時半。
私はかつてない程の興奮と感動にうち震えていた。部室の床に広げた試合用のユニフォームは、私が小学生の頃からずっと憧れていた小さな巨人が着ていたものである。あの時、画面越しに見つめた10番の背番号が、今目の前にある、私の手で触れると思うと相当感慨深かった。
代々受け継がれてきたユニフォームは所々ダマになったりほつれがあったりと、修繕が必要ではあるが比較的綺麗だ。私が小学生の時はこのデザインだったので、少なくとも4・5年はずっと使われていただろう。歴史を感じる…!と呟けば潔子さんは「そう?」と首を傾げた。
誰がどの番号になるのか私はまだ知らない。一枚だけリベロ用にオレンジベースのものがあったので、それがノヤさんの手に渡ることだけは確定だ。現在うちの部にリベロはノヤさんのみ。更にプレーも文句なしに上手いので、今後も確実にレギュラーだろう。
若い番号は先輩たちに渡ると考えると、この10番を貰えるのは多分1年生。誰なんだろう?気になる!
「…(着たい、とても…)」
クリーニング前にちょっとだけ…邪な気持ちがふつふつと沸き上がってきた。でも、ずっと男子バレー部のレギュラーだけが着られることを許されたもの。マネージャーの私が着るのは気が引ける。それに、着たくても着れない人が居るのも確かだ。
憧れは憧れのままで!と何とか邪念を振り払おうと頭をぶんぶんと振った。
せめて写真だけでも撮る!と決めて携帯を構えるものの、持つ手が震えて撮影した写メは全部ブレまくっている。
手ブレ補正が効かないなんてどういうことだ!私の腕ポンコツか!と段々イライラしつつも、興奮は抑えきれず口角は上がるばかりだった。
きっと自分の顔は人に見せられないようなことになっているに違いない。自覚はあるけどどうしても堪えられず、ニヤニヤとイライラがぶつかり合って自分でもよく分からない複雑な気分だ。
さっきから黙って私を見ていた潔子さんが、ついに言葉を発した。
「ごんべ子ちゃん、顔が見るに耐えないことになってる」
「すいません、ちょっと嬉しすぎて…!」
「そろそろ洗濯に回したいんだけど、もう大丈夫?」
「うう、あと…あと一枚だけ!」
優しい潔子さんは、あと「一枚ね」とため息を吐く。実は、潔子さんが洗濯に持っていこうとしていたところを私が無理やり引き止めてお願いした状況なので、あまり時間に余裕はない。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
ピンボケ画像ばかりがストックされた携帯を強く握りしめ、次こそ本気出す!と深呼吸を繰り返した。
「うおお、オラに力を!!」
「…」
ラスト一枚だから、と心を落ち着けてシャッターボタンを押す。カシャというシャッター音と一緒に、今度こそ綺麗な画像が液晶に映し出されて、私はガッツポーズをとった。これは待ち受けに決定だ!
今度こそ純粋なニヤニヤ顔で潔子さんにお礼を述べて、ユニフォームを紙袋に入れた。このユニフォームはこのまま内沢クリーニングに持っていく予定である。昨日、洗濯機から「ゴフン!」と大型犬の鳴き声みたいな音がしたので、万が一のことを考えて大事なユニフォームはプロに頼もうという潔子さんの判断だ。洗濯機は武ちゃん先生に部費と相談して修理してもらう予定である。
クリーニングを出した後は効率を考えてそのまま夕食の買出しに嶋田マートにも行く段取りだった。
「ごんべ子ちゃん、先生に買出しのリストを貰ってくるから出かける準備をしておいてくれる?」
「はい、喜んで!」
潔子さんはそういって武ちゃん先生の所に走っていった。買い出しの費用も潔子さんが先生から受け取っているはずなので、私に準備という準備はない。ユニフォーム入りの紙袋を手に、校門へ向かった。
この合宿中の潔子さんの手際の良さは神懸かっていて、今のところ私の役立たず感が半端ではない。中学では人数も多かったし、一人では仕事が回らなかったので、後輩たちとわいわい言いながらやっていた。基本的なマネジメント能力は私もあると思うけど、高校ではあまり使い物にならない知識ばかりだ。やっぱり、中学と高校のレベルは違う。
潔子さんはまだ入ったばっかりだからと言ってくれるけど、早く仕事を覚えてみんなの役に立ちたいのだ。そんなわけで、私は今合宿では大変そうなことを率先してやるようにしている。でも結果的に潔子さんがサポートしてくれたり、効率のいい方法を教えてくれたりしていたので改めて自分の力量を思い知らされた。潔子さんが引退するまでに、何とかしなければ。
テキパキと仕事をこなし、尚且つ選手サポートの出来る潔子さんは本当に凄いと思う。私も潔子さんみたいになりたいなぁ。いや、なってやる!と一人で決心して、私は潔子さんを待った。
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「潔子さん、どどどどうしましょう!周りが全員怪しい人に見えます…!」
「…ごんべ子ちゃんが一番怪しい…」
商店街までの道のり、憧れの烏野高校のユニフォームが入った紙袋を右手に持ち、興奮を抑えきれない私は鼻息が荒くなるのを止められなかった。烏野の長ジャージと違い、試合用のユニフォームは選手たちだけが着ることの出来るレアモノである。そんなものを今、私が持っている!もし、ひったくりなんかが出てきてこのユニフォームを金目の物と間違えて盗られたらえらいこっちゃ!!と思うと、急に無防備な持ち方をしているのが恐くなった。
とりあえず、狙われないように胸元にギュッと抱え込む。辺りに怪しい人物がいないか充分警戒しつつ、龍先輩に教えて貰った"相手をビビらせる時"の顔で突き進んだ。目と眉を限りなく近づけるように意識し、ちょっと顎を突き出す通称"タケウチモード"。心なしか自分が強くなった気がする!
「ごんべ子ちゃん、一緒に歩くの嫌…」
「なっ!」
これで安心だ、と思ったら潔子さんが私と距離を取りつつボソッと言い捨てた。思わずガーーンと口に出して言ってしまいそうになって慌てて左手で口を抑える。誰に何を言われても耐えられるけど、憧れの女性ナンバーワンの潔子さんにそんなことを言われると立ち直れない。泣きそうだ。
ごめんなさいい!と謝ると潔子さんは、冗談だよと笑った。じょ、冗談だと?!やだ、潔子さん可愛すぎる!ツンからデレの破壊力は凄まじい威力だ。
すっかりデレデレになった今の心情ではタケウチモードは維持出来なかった。
「ごんべ子ちゃん、もう部活には慣れた?」
「はい、何とか!まだまだ未熟者ですが、毎日がとても楽しいです!」
「そう、よかった」
にこりと笑う潔子さんに、心がほわほわと温かくなる。美人なのに笑うとどこか悪戯っぽくて可愛い印象。初めて笑顔を見た時の衝撃はきっと忘れない。私がこんなにギャップ萌えするなんて、自分でも驚きだ。
自分が男だったら潔子さんにメロメロだろうな…とニヤニヤしながら潔子さんを見ていると、「ごんべ子ちゃん顔が面白いことになってる」と言われた。いかん、いかん!と慌てて顔の筋肉を引き締める。その顔を見て潔子さんがプッと噴出したので、私はまた顔の筋肉が緩んだ。美人は三日で飽きるなんて、嘘だ!ずっと見ていられるじゃないか。その証拠に私はずっと潔子さんの方を見ている。ちょっと首が痛くなってきたことは否めないけれど。
「ごんべ子ちゃん、前!」
「え?いだっ!!!」
ハッとした潔子さんが私の名前を呼ぶ。前と言われて前を向くと、額が勢いよく何か硬い物にぶつかった。やばい、割れそうに痛い。むしろ、もう割れている気さえする。どうやら潔子さんを見つめすぎて、私は電柱にぶつかったようだった。痛む箇所を抑えて心配そうな顔で近寄ってくる潔子さんに、涙ながらに尋ねる。
「私のおでこ、割れてますか?」
「大丈夫、割れてない」
「…」
割れてないようだ。
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