「いたぁぁ!あああ、まじで!私のバカめー!」

午後9時。私は、一人浴場で絶叫した。風呂掃除は最後の人がやるという決まりがあり、男子は最後に入る1年生がする。でも女子は私一人なので、自分が入浴したあと脱衣所に行く前にささっと済ますようにしていた。だって服を着てからじゃ濡れたりするし、私一人なので裸で(一応タオルを巻いて)すれば楽だから。というわけで、今日もささっと掃除を済まし、デッキブラシを手に床をこすっていたのだけど…何を思ったか、急にテンションが上がり、デッキブラシをぐるぐると回して遊んでいた。気分は孫悟空だ!
こんな広いお風呂、さらに一人きりという条件が揃えば誰もが一度はやらかすに決まっている!
ちょっと恥ずかしさはあったので、声は抑え気味に「ほぁちゃぁ」と呟く程度にしておいた。万が一、外に漏れていたら大変なことになる。私が…。
調子に乗って上手く回せた時はちょっとした達成感があり嬉しくなったけど、今思えば程々で辞めておけばよかったと後悔した。

「ぅわちゃあ!いっ!?」

大技を決めようとふり回したブラシの柄は、勢いよく自分の後頭部を直撃。ゴン!という鈍い音と脳にダイレクトに伝わる衝撃と痛み。手放したブラシがカランと音を立て床に落ちたのをちょうど踏みつけた私は盛大にすっ転ぶ。更に床に置いていたシャンプーボトルをお尻で踏みつけ中身をぶちまけたのだった。一瞬の出来事に私の頭は痛みしか理解出来ていない。
痛いし、床ぬるぬるだし、掃除やり直し…本当に高校生にもなって何をしているんだと、冷静になった今なら分かる。もう余計なことはしないでおこう。私は真面目に掃除に取り掛かった。


「はあ、何か倍疲れた…お尻痛すぎ…」

さっきぶつけたお尻をさすりつつ、自室への道をとぼとぼと歩く。先ほどのことは誰にも言わず墓まで持っていこう…。あと、高校生にもなってあんなにはしゃぐのはもうやめよう。一人、そんなことを決意していると前から長身の男が早足でこちらに向かってきていた。ベルトコンベアにでも乗っているの?というくらいのスピードで、ちょっとびっくりする。誰だろう?と思い近づくその人物の顔を見ると、いつにも増して鬼のような形相でブツブツと言葉を発する影山だった。
あまりにも怖い顔なので、怒っているのかもしれない。日向と喧嘩でもしたのかな。
声を掛けるのを躊躇ったけど、この狭い建物の中で無視するというのも何だか寂しい。向こうは私に気づいているのかいないのか…自分の指を見つめてただ只管に足を動かしていた。

「影山、こんな時間に…」
「牛タンマヨちくわマヨネーズパン2個ぐんぐんバーヘルシーわかめチーズクロワッサンずんだあんまん…」
「え!?何、あっちょっと影山!」

近づけば近づく程怖い顔でお経のようなものを唱える影山に、少し怯みつつ勇気を出して声をかける。結果、スッと手を上げられそのまま通りすぎて行った。
何だろう、あれは…?今取り込み中ということだったんだろうか。私の声に振り向くこともせずに影山はあっと言う間に見えなくなる。おにぎりとかクロワッサンとか聞こえたけど、もしかしてお腹すいてるのかな、影山。

「なんか、私もお腹すいてきたかも…」

影山とすれ違って以来、何だか小腹が空いて仕方ない。サブリミナルではないけど、頭の片隅におにぎりとかパンとかが浮かんでくるのだ。食べたいなぁ。夕食はしっかり食べてお腹いっぱいにはなったけど、それとこれとは話が違う。まあ、我慢出来る程度なので気にせずに私は自室に戻った。
相変わらず、広い部屋にポツンと敷かれた布団が何だか寂しい。今日こそ、徹ちゃんにメールなり電話なりしなきゃなと思った瞬間、私の意識は一瞬で男子部屋との仕切りである襖に持っていかれた。

「ひっ!手、手がっ!」

男子部屋の方から手が伸びていた。正確には肘から先が。一瞬、テレビから出てくるあの女の人が思い浮かぶ。まさか、でも、テレビじゃないし…。ヒヤッとしたけど、現実的に考えれば男子部屋からという時点で龍先輩かノヤさんだろう。私のことを驚かそうとしているに違いない!
申し訳程度に開けられた襖から伸びる手はダランとして動く気配はなく、私が近づくタイミングを窺っているようにも見える。謎の緊張感を覚えながらその主を特定すべく視線を辿ると、目の血走った坊主が下から私を見上げていた。バチリ、と視線がかち合う。

「うわああああ、ぼっ坊主!!坊主が!!」
「食いもん持ってねぇかああ!?」
「あっ、こら坊主!何やってんだよ!?ごめんなななし野ちゃん!俺たちも気づかなかった!」

凄い恐怖だった。ホラー映画で怖いシーンを見ない様にずっと目を覆っていたのに、ちょっと気になってチラと画面を見たら思い切り恐怖映像だった時の、あの感じ!私は、あまりの衝撃に腰が抜けて大声を出してしまった。
私の悲鳴に気づいたのか、近くにいたスガさんが龍先輩の足を掴み男部屋へと引き戻す。ちら、と見えた男子部屋はみんな目が荒んでいて異様な空気が漂っていた。いつものほほんとした縁下先輩ですらピリピリしている。私がその光景にビビっていると、再び龍先輩が言葉を発した。

「弟子よぉ、食いもんをもってねぇかぁあ?!」
「うわぁあ、ちょ、ちょっと待ってください確認しますから!」
「何!?ごんべ子何か持ってんのか?!」

今にも飛びかかってきそうな龍先輩に、慌ててて自分のバッグを漁る。日用品や着替えばかりで食べ物が出てこない。ノヤさんが期待に満ちた顔で襖をバァンと開け放ち、私の鞄を一緒に覗いた。でも、私の鞄には食べ物はない。
合宿前にはたくさんあったお菓子も、潔子さんと休憩中にお喋りしながら平らげてしまった。すいません何もなかったです…と告げると、龍先輩が「ジーザスッ!神は俺たちを見捨てたぁ!」と嘆き布団をゴロゴロと転げまわった。

「おい、坊主うるさい!」
「うう…すいません、大地さん」

龍先輩だけでなく、ノヤさんやツッキー、旭さんたちも密かに私の食べ物を期待していたようでその顔に落胆の色が浮かんでいた。少し期待させるような言い方をしてしまい申し訳ない気持ちになる。まさか全員が空腹に苛まれているなんて思いもしなかった。

「なんか、ごめんなさい…」
「ななし野ちゃんが謝ることじゃないよ!ちょっとお腹が空いちゃって…影山に買い出し頼んだんだけど戻ってこなくてさ。探しに行った日向も戻ってこないし、お預けくらって皆イライラしてるんだ」

私が謝ると、スガさんが慌ててて事情を説明してくれた。だからさっきすれ違った影山は、食べ物の名前を呟いていたのか。注文を忘れないように。
そして、嶋田マートに向かった影山は未だ戻ってこず、更に迎えにいった日向も帰ってこないらしい。二人とも携帯は部屋に置きっぱなしになっていて、連絡手段もなし。何かあったんじゃないかと少し心配になった。

「私、自転車ありますし捜してきましょうか?」
「え、いやいや!女の子がこんな時間に出歩く方がまずいっしょ。それに、ななし野ちゃんまで巻き込むのは申し訳ないからさ」

日向は昨日迷子になっているし、もしこんな夜に道が分からなくなって何か事件に巻き込まれでもしていたら…と思うと居てもたっても居られなくなる。音駒との練習試合も控えているし、大会だって近いのに怪我でもしたら大変だ!日向と影山が包帯ぐるぐる巻き…と自分で想像してちょっと怖くなった。
黙り込む私の肩を「心配いらないって」とスガさんが叩く。そう言うスガさんもきっと二人のことは気がかりなのだろう。
空腹と心配が合わさって笑顔が少しだけ疲れて見えた。

「…きこえたぞ……今、スナック菓子の音がした」
「はァ?」

ずっと布団をごろごろと転がっていた龍先輩の高らかな声が部屋に響く。全員がなんだなんだ?と視線を向けると、龍先輩が日向のショルダーバッグをガサガサと漁っていた。後ろ姿しか見えないけれど、獲物を見つけた飢えた獣のような表情に違いない。
大地さんの制止の声も聞かずに、一心不乱に荷物をほじくりかえし「えびせん討ち取ったりー!!」とときの声を上げて立ち上がる。
えびせんの袋を高らかに掲げた龍先輩を全員でポカーンと見つめていた。ドヤ顔の龍先輩は気付いていないようだけど、えびせんの袋の口が開いている。
そうとも知らずに掲げている龍先輩の頭に、袋の口からサラサラと粉が舞い落ちた。遠めでもキメ細やかに見えるそのえびせんは、既に袋の中で粉々にくだかれてしまっていたらしい。香ばしいえびせんの香りが充満し、食欲を煽った。

「えびせんっていうか、えびパウダーだろ!これ!」
「おいよせ、布団に落ちる…」
「静かにしてくださいよ」

すっかりえびせんの口になっていた龍先輩は、行き場のない気持ちを胸に崩れ落ちた。そんな先輩に、誰一人同情はしない。むしろ、えびせんパウダーを撒き散らす龍先輩に非難が集中する。
ここにいる全員が空腹感を増長され苛立っているので仕方のないことなのかもしれない。私も、段々とお腹が空いてきた気がして唾を飲み込んだ。さっきまでは全然気にならなったのに、スナック菓子の匂いのせいだ!
最早、全員から田中ではなく坊主と呼ばれる龍先輩は涙目。反論しようと口を開いた時、「お前らッ!」と大地さんの声がその場を制した。そして全員正座させられる。
…なんで私も?なんて、とても言える雰囲気ではなかった。何故なら大地さんが恐いからだ。

「お前ら、さっきからチームワークをなんだと思ってる!これは、なんのための合宿なんだ!!」
「あやまれよ」
「お前だろ」
「俺は…」
「君、謝ってよ」
「え、なんで私?」

大地さんの憤怒の形相を前に、部員たちはこそこそと肘で突付き合う。黙ったままの大地さんに言葉を発することが出来ず、私たちは誰か謝れよと罪をなすりつけあっていた。
そうしているうちに、グゥゥキュルルル…と誰かのお腹の音が響き渡る。シンとしていた室内に、その音はよく通った。

「おお…」
「…誰?」
「俺じゃねーよ」
「君でしょ?」
「え、なんで私?」
「こっちから、だよな…」

と、音の聞こえた方に視線を向ける。(私のせいにしようとしてくる眼鏡が居たけど…)
注目された大地さんが赤い顔で、えーっととお腹を押さえている。大地さんもお腹が空いていたらしい。さっきの怒りはどこへやら、照れ笑いしながらドアの方へ歩いていった。そして、こちらを振り返る。

「よし!心配だし、全員で捜しにいくか!ななし野も来るか?俺、ちくわマヨネーズパン2個頼んでるから、1個やるよ」
「え、いいんですか!?大地さんありがとうございます!」

さすが、キャプテン!すっかり空腹になった私のこともお見通しだったらしい。大地さんの言葉に、ぞろぞろと全員立ち上がり私も後に続いた。日向たちには悪いけど、私は今最高にワクワクしている。だって冒険に行くみたいだから!


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