5月5日、午後12時50分。昨日の空腹地獄とは一変、今は満腹天国だった。午前中の厳しい練習に加え、連続100本サーブを終えるまでメシ抜きという過酷な条件を見事クリアした上での昼食。私はマネージャーだったので、ボール磨き100回という条件を与えられて、死に物狂いで磨きまくった。何をもって1回とするのかが定かではなかったため、とにかく磨きまくったのだ。
ご飯が食べられることがこんなに幸せだったなんて!と皆があまりにも昼食を有り難がって食べるので、武ちゃん先生に良い食べっぷりですねぇと微笑まれたのは記憶に新しい。
それに加えて先ほどユニフォームも無事配り終え、あとは午後の練習と明日の練習試合を残すのみ。
ちなみに私のマークしていた10番は日向の手に渡った。その日向は影山とどっちが早く自主練を始めるかということで走って体育館に行ってしまった。全く、あの二人はどうでもいい所でも張り合っているな…。食後くらいゆっくりしたって罰は当たらないと思う。
「そういえば、さっきコーチが変なこと言ってませんでした?」
「あー、なんか幽霊?がでたとか何とかってやつだよな」
「なんだそれ!面白そうだな」
「え、ちょっと、やめようよそういうの…」
食後に武ちゃん先生がお茶を出してくれたので、それを飲みながら一服中。突然龍先輩がその話を取り上げた。それに大地さんが答え、ノヤさんは目を輝かせ、旭さんは顔をしかめる。
昨日は全員で外出していたけど、もしかしてその間に出た…とかだろうか。これまで、こういう合宿ではありそうな"怪談"とか"幽霊"とか、そういうものがなかったので安心していたというのに。最後の最後で出てこないで欲しい。
子供幽霊とか謎の奇襲物体とか人魂とか全部デタラメだったし(ノヤさんとタヌキと変人コンビだった)、コーチが言っていた幽霊もきっと勘違いだろう。いや、そうであって欲しい。旭さんだけは本気で怪談話を嫌がっていたけど、他のメンバーは興味津々で龍先輩の話に聞き耳を立てていた。
「昨日、女子風呂辺りで聞こえたらしいぜ〜」
「聞こえたってどういうことですか?」
「やだ、女子風呂って私しか使わないのに…!今日入るの怖いじゃないですか!」
「おおお俺、今日絶対そっちの方いかないっ!」
「旭さん、何ビビってんすか!」
机に頬杖をつき、若干乗り出して言う龍先輩にツッキーがいつも通りの冷めた顔で聞き返す。私も、女子風呂付近と聞けば黙ってはいられなかった。
使用するのはこの場で私だけである。無駄に広いお風呂に一人だと後ろに誰か立っていたらとか色々考えてしまうし、もし出現箇所があるなら出来るだけ避けたい。
正直なところ、既にお風呂に入るのが嫌になっていた。でも一日部活してお風呂に入らないなんて耐えられないし…と、一人テンションが下がる私と共に、旭さんも青い顔をしていた。
初対面からビビリ癖があるとは思っていたけど、昨日の出来事で更にその印象は強くなっている。私もホラーとか苦手だけど、そんな私を盾にする程だ。
そんな旭さんにノヤさんが立ち上がり、退治してやるって気持ちで行かないと!と説教までしている。龍先輩は構わずに話し続けた。
「たまたま女子風呂の前を通ったら、女の声が聞こえたらしい…」
「えっ…!?そんな、女っていったら私と潔子さんしか居ないじゃないですか!」
「そうなんだよな〜。コーチは詳しい時間は分からないけど夜だったって言ってたから、お前しかありえないんだよな…。でも、ななし野って呼びかけても返事もなかったらしいし」
「わああ、もういやだ!!聞きたくない!」
「ちょ、旭さんより私の方が怖いですって!」
龍先輩の言葉に旭さんがぶるぶると震えながら頭を抱えた。旭さんは近づかなければいいけど、私は今夜そのお風呂に入らなければいけないのだ。下手すれば幽霊と混浴…考えただけでも血の気が引いた。いやだ、怖い。もう、今日は家に帰ろうかな。合宿も充分堪能したし、家に帰って狭いお風呂でいいから安心して入りたい。
がっくりと項垂れる私を横目にツッキーは冷静に龍先輩に問いかけていた。
「聞き間違いじゃないですか?隙間風とか、野良猫の鳴き声とか。よくあるじゃないですか」
「いや、コーチははっきり聞いたらしい…女の声」
「まじで?そりゃちょっと怖いべ」
龍先輩の言葉に、皆がごくりと唾をのむ。聞き間違いであって欲しかった。はっきりってどの程度なのかは分からないけど、私の名前を呼んで確かめたくらいの冷静なコーチなら聞き間違いも低そうだ。
もしかして見えてなかっただけで、私はずっと一緒にお風呂に入っていたというのだろうか!?
「うらめしやーとかかな…」
「いや、そこは私キレイ?だな」
「一枚足りない!かも」
本格的に今日の入浴をどうするか思案していると、グッチーが少し恐そうに幽霊がつぶやいた言葉を予想する。その後に木下先輩と成田先輩も続いた。口避け女もお菊さんもこんなとこまで来てませんように、と願うばかりだ。
「残念ながらその幽霊日本人じゃねぇっぽいんだよ!『ほわちゃあ!』とか言ってたらしいし、コーチは中国人の霊だっつってたぞ!」
「ほ?!」
「どうしたのななし野ちゃん?」
龍先輩の発言を聞き、一瞬固まる。ん?待てよ、思い当たる節がありまくる!昨日の夜、外出する前まで私は風呂場で何をしていたか。思い出すのも恥ずかしい。
叫んだきり黙りこんだ私をスガさんが不思議そうに見つめてくる。他のメンバーも龍先輩の言葉に恐怖よりも笑いが勝っていて、特にツッキーは「どんな霊なんですか?」とバカにしていた。グッチーも何を想像したのか知らないけど、口元が緩んでいる。
私は昨日の黒歴史を暴露するわけにもいかず、黙っているしかなかった。話していた龍先輩でさえ笑いを堪えきれていない。ここはみんなに合わせて笑うべきなのか…。無理やりアハハ!と笑い声を上げてみると思いのほか浮いていた。
「つーか、幽霊がほわちゃあ!って…ブフッ、何してたんだっての…ククッ」
「ヌンチャクの練習でもしてたんじゃないですかー?」
「幽霊なのに?」
「まあ、生前何かと戦ってたのかもしれないし…ブフッ」
「ヌン…」
「ヌン?」
ヌンチャクじゃなくて如意棒です!と言いそうになって慌ててて口をつぐむ。危ない、バレるところだった!私がそんなことを知っているわけがないのに。
言いかけた私に視線が集まり手から変な汗が出てきた。誤魔化さないと私の失態を話さなければならなくなる!それは色々とまずい。私のちっぽけなプライドと羞恥心がさよならしてしまう。
苦し紛れに「うわぁあコワーイ、モウその話ヤメマショー、ノロワレル」と上擦った声で言えば、龍先輩が笑い転げ、ツッキーが疑惑の目を向けてきた。
「何でそんな棒読みなんだよななし野!」
「そ、そそんなことない、ないですけど?」
「プッ動揺しすぎデショ。まさか…」
「違いますけど!?」
「何が?僕まだ何も言ってないけど」
言ってからしまった!と思ったけど、どうやら気づいたのはツッキーだけのようだった。ニヤニヤしているツッキーはきっと確信している。他のメンバーに気づかれる前に何とかしなければ!
「そもそも、中国人の幽霊なんて嘘、そんなのいない!」
「何で分かるんだよ、ごんべ子」
「そ、そりゃ…ここが日本だからです!」
私が幽霊の正体だから!とは言えず、適当に思い浮かんだことを言ってみる。我ながら苦しい屁理屈だ。当然、はあ?みたいな顔をされたけどノヤさんだけは確かに!と納得してくれた。
それに関して、スガさんが日本で亡くなった外国人だったらどうなの?という疑問を投げ掛けたことで、話題は"死後魂は祖国に帰るのか"に逸れていく。ナイス、スガさん!と心の中でガッツポーズをとる私。ツッキーだけは勝ち誇ったような顔をしていた。
そしてその後、合宿所には"中国人の女の幽霊が出没する"という怪談が語り継がれるのは、また別の話である。
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