合宿五日目、午前8時50分。今日は音駒高校との練習試合当日である。長いようで短かった合宿も本日で終了。色んなことがあったけど、昨日の夜中の正座事件で足が痺れて大変だったことしか今は思い出せなかった。
そして大量のマネージャー業務に加え、ぶっ壊れた洗濯機やぐちゃぐちゃの部室、生乾きの洗濯物などの処理、朝食の準備や試合の用意、朝練のサポートで私は既にへとへとである。今日を乗り気ったら明日は部活も休みだし、一日中眠りにつこうと思う。
潔子さんはすっかり体調もよくなって、朝から一緒に片付けやら何やらを手伝ってくれたので本当に助かった。私たちのグダグダなマネージャー業務のことも何も言わずに、「ありがと」と言ってくれたので私も師匠たちも涙が止まらなかった。きっと、ぐったりした私とワクワクした師匠たち、キラキラした瞳の武ちゃん先生を見て事情を察してくれたに違いない。私たちもわざと部室を荒らしたわけではないので、その辺を咎めずにさらっとお礼を言ってくれる潔子さんは本当に素敵な女性だと思う。マジ女神。
「いいか、ななし野!シティボーイが潔子さんに近づいてきたら、フォーメションAだ!」
「了解です!龍先輩!」
「シティーボーイはハイスペックだから気をつけろ!」
「はい!」
烏野総合運動公園の球技場までやってきた私たち烏野高校バレー部。入り口で待機していた音駒のバレー部の姿が見えると、龍先輩がこっそりと耳打ちしてきた。先輩が言うには潔子さんの美貌は他校でも噂のようで、たまに声を掛けてくる輩が居るらしい。潔子さんは無視しているけど、やっぱりしつこい人もいるし龍先輩とノヤさんはいつも目を光らせているということを聞いていた。
徹ちゃんも潔子さんに声を掛けて無視されたけど照れてるだけだとか意味の分からないことを言っていたのを思い出す。本人は気にしてないとか強がっていたので盛大に笑い飛ばしておいたのもちゃんと覚えている。徹ちゃんみたいに声を掛けてくる人もいるのなら、私たちが阻止せねば…。
「頼むから大人しくしてくれよ、二人とも…」
こそこそと作戦会議をしているのが聞こえたのか、スガさんが怪訝な顔をしながら私と龍先輩に釘を刺してくる。とりあえず二人で「ハイ!」と元気よく返事をすれば本当かよ…と更に疑いの目を向けられた。でもやっぱり潔子さんがシティーボーイに絡まれたときは、師匠たちとお守りする約束なのでスガさんの言いつけを破ってしまうかもしれない。その時はスガさんも許してくれますようにと密かに祈った。
「集合!」
大地さんの掛け声で、選手たちが整列する。真っ赤なジャージの音駒と対峙する、烏野の黒いジャージを見つめた。その中に、ロードワーク中に出会ったとさかのイケメンも居てバッチリ目があったので軽くお辞儀をする。やっぱりバレー部だったのか。まさかこんな形で再開するなら、挨拶をきちんとしておけばよかったと今更後悔した。もう遅いけど…。
そして顔合わせも終わり、各々が準備のために散っていった。
「潔子さん!私、ちょっとやることがあるので先に行ってますね!」
「やること?…わかった、あまり変なことはしちゃダメだからね」
「大丈夫ですよ、潔子さん!私は変なことなんてしませんから!」
「……」
潔子さんにそう告げて、一足先に体育館へと向かう。潔子さんは、私が何かしでかすとでも思ったのだろうか。たまに日向や影山をからかったりはするけど、潔子さんが心配するほど変なことをしたつもりもない。念のためにもう一度、「大丈夫です!」と潔子さんに手を振ると何とも言えない顔で苦笑いされた。
「研磨!」
走りながら日向が音駒のプリン頭の人に話しかけているのが視界に入る。知り合いかな?でも、いつ知り合う暇があったんだろう。昔からの知り合いとかだろうか。もし初対面で仲良くなったんだとすれば相当のコミュニケーション力だなぁと、感心する。
刹那、ドンという衝撃が走り思わず後ろによろけた。
「うぇっ」
「…」
…またやってしまった!おでこに走る鈍い衝撃。これはいつものパターンでツッキーだな。というより、ツッキーとしかぶつかったことがない。また怒られる!と思い、謝りながら前を見ると赤いジャージが目に入った。え、ツッキーじゃない!じゃあ、誰?と、上を見上げると大人しそうな音駒の選手が立っていた。前髪が短く、麿眉が特徴的で三白眼。じっと私のことを見下ろして、動かない。…生きてる?
「あ、あの!すいませんでした、どこか怪我とかないですか?!」
「…」
こくりと頷くその人に私は一先ず安心した。怒ってはいないようだけど、表情も変わらずキョトンとしていて何を考えているか分からない。ポーカーフェイスなだけで内心物凄い怒っているとか?そうだったらどうしよ!
恐ろしくなって謝り倒す私に、その人はふるふると首を横に振った。これは、怒ってないということでいいのだろうか。
そのままお互い無言で見つめ合うこと20秒。沈黙に耐え切れずに、私が「お、お名前は?」と聞くと小さな声で「福永」と返事が帰ってきた。
「私、烏野マネージャーのななし野です。福永さん…今日はよろしくお願いします」
多分、無口な人なんだなとこの数秒で悟る。一応返事はしてくれるし、嫌な態度でもない。とりあえずペコリと頭を下げると、向こうもペコリと頭を下げてくれた。
…凄く、穏やかな時間が流れているような気がする。無口な人があまり周りに居ないので、何だか新鮮だった。いつまでもこうしてられそう、と思ったけどそうもいかない。私はもう一度ぶつかったことを謝り、福永さんと別れた。さりげなく手を振ってくれていたのは見間違いではないと思う。かわいい人だな…!
そして福永さんから癒しを貰った私は体育館へ入ると荷物を置き、鞄からノートを取り出した。これは、私が烏野バレー部のマネージャーとしてこの1ヶ月書き溜めたデータノートである。うちの選手のことはもちろん、対戦相手のこともちゃんと書き溜めている極秘のもの。といっても、そんな大したことは書いていない自覚はある。
付き合いの長い、徹ちゃんや岩ちゃん、影山のページが多いのは仕方ないことだ。この三人に関しては最早バレーに関係ないことばかり書いてる気がするけど。
そんなことは気にせず、私はさり気なく体育館の隅っこをウロウロしていた。じっとしていると怪しまれるし、動いていれば準備しているものだと思ってくれるだろう。
続々と体育館に選手が入ってくるまで、私は音駒の選手をじっと観察していた。犬っぽい人とかプリン頭の人、福永さんに、モヒカンの人…個性豊かだなぁ。特に、モヒカンの人は泣きながら体育館に駆け込んできたと思えば、私を見るなり「も、もう一人…!?」と叫び崩れ落ちたのが印象的だった。ワイルドな見た目なのに、もしかして中身は旭さんのような感じなんだろうか。
とりあえず、その人に大丈夫ですか?と声を掛けると「だ、大丈夫っス!!」と目に涙を溜めて用具室に駆け込んで居なくなってしまった。嵐のようだ。
「とさかのイケメン…音駒の主将らしい…それって俺のこと?あと何してるんだ、偵察?」
「そうです…敵の情報を探るのもマネージャーの役目…え?」
「久しぶり?でもないか。君、烏野のマネだったんだな」
「えええ、っと…はい、その、はい!」
あまりにも自然に後ろから声を掛けられたので、龍先輩かな?と思い振り返る。そして固まった。見慣れた坊主ではなく、見慣れないとさか頭。ニコニコとしながら私の背後に気配もなく立っていた。ノートの中を見られて急いで閉じたけど遅かったようだ。
「えー俺のこと、とさかのイケメンって呼んでんのか?イケメンは嬉しいけど」と口を尖らせている。やばい、怒られる?とビクビクしていると、とさかのイケメンは「ぶっひゃっひゃ」と何とも言いがたい笑い声で私の肩をポンと叩いた。
「いやー、色んなとこと試合してきたけど君みたいに堂々と偵察とかしてるマネージャーは初めてみたわ」
「ま、まじすか…ありがとうございます?!」
「ブッふ!いいキャラしてるよ、君!名前聞いといてもいいか?」
「えっと、ななし野です…」
「ななし野さんか、俺黒尾ね。で、下の名前は?」
「え?ごんべ子ですけど…」
「オッケー。じゃ、今日はよろしくなごんべ子」
黒尾さんは、爽やかに笑うとさらっと私の名前を呼びすてにする。これまた自然に。突然のことで急激に顔に熱が集まった。やっぱり幼馴染み以外に名前呼びされると照れる…。
やっとノヤさんの名前呼びには慣れてきたけど、他校生の…しかもイケメンのシティーボーイに呼ばれるのは何だかむず痒い。東京の人はすぐに下の名前で呼んでくるのが普通なのだろうか?あと、私も下の名前を聞いておいた方がいいのかどうか迷う。
「黒尾さんの下の名前は何て言うんでしょうか?」
「ん?俺の名前、気になる?」
「えっ、いやあの…すいません、そんなに気にならないです…」
「いやいや、そこは嘘でもはいって言おうよ」
「えっ!すいません、気になります!」
私の返事に黒尾さんが口を尖らせたので慌てて言い繕った。これ、嘘丸出しだけどいいのかな…とソワソワすると、黒尾さんはニヤニヤ笑いながら「ジョーダンだって」と呟く。冗談かよ!とツッコミそうになって思い止まった。果たして私が黒尾さんにそんな軽口を言ってもいいのかどうか。先輩だし、他校生だし、距離感って難しい。
「あ、ちなみに俺の名前、鉄朗」
「テツローですか…」
「メーテルとは一切関係ありません」
「……」
私は何も言ってない。テツローと聞いて、少しだけ金髪美女が思い浮かんだけど、断じて口にしてはいない。まさか自分から言ってくるとは思わなかったので私は反応に困っていた。
笑ってもいいの?それにしても、ネタにされる前に自分からネタにするとは中々のやり手だ!クールに見えて本当はユニークな人なのかもしれない。
「…し、シティボーイ恐るべし…!」
「シティボーイって…」
龍先輩の「シティーボーイはハイスペックだから気をつけろ!」と言う言葉を思い出して、思わず身構える。具体的に何をどう気をつければいいかは分からないけど、タケウチモードを発動しておけば威嚇になると龍先輩に教わったのでその通りにしておく。
そんな私を見て黒尾さんは、ぶひゃーっと笑った。
「やべーな、変顔!よっしゃ、俺も負けてらんねぇな!」
「ちょっ、あっはっは!へ、変顔…!!」
何故か私に感化されたのか黒尾さんまで眉間に皺を寄せてファイティングポーズをとる。誰かが、「何やってんだ?あの人たち…」と言っていたのが聞こえて、自分でも何をしているのか分からなくなった。そして、黒尾さんの予想外の返しに私の腹筋が崩壊した。反応が新しい…!初めは怖い人かと思ったけどそれは違うみたいだ。
急にお互い真顔になり、大爆笑しあった後に目尻の涙を拭う。黒尾さんは「じゃあまた後でな、ごんべ子」と立ち去って行った。とってもいい人だ!
「おい、ななし野。何してんだ!音駒のキャプテンとどういう関係なんだよ?」
「あ、影山!」
現在、大地さんと握手をする黒尾さん。それを遠目に見ていると、影山が私の側にやってきた。黒尾さんと話していたところを見ていたらしい。安定の影山登場に私はニヤニヤしながら「気になる?」と言えば、ガシッと頭を掴まれた。最近、このやり取りは私と影山のスキンシップになりつつある…。とても痛い。
「ボゲェななし野のボゲェ!」
「いだだだ!か、影山よ…シティーボーイのコミュニケーション力がやばいよ…!」
「は?何言ってんだオマエ」
「な、なんで私たちいつもこうなるんだろうね!」
「お前がフザケるからだな」
「確かに」
黒尾さんとは大爆笑出来るのに、どうして影山とのコミュニケーションには痛みを伴うのか。ちょっと気になって聞いてみると影山は呆れた顔を向ける。
大体、私が影山をからかうから頭を掴まれるんだった…。でも、影山が私を気にしてくれるからついつい冗談を言ってしまうのだから、どうしようもない。お互いに本気ではないことが分かっているので、これはこれでいいのか。でも、痛い。
影山は「さっさと仕事しろよ」と言って頭を解放したので、私も「そうする」と試合の準備に取り掛かったのだった。
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