IH予選開始

6月2日、天気は快晴。昨日作ったてるてる坊主の効力が効いているのかは謎だけど、気持ちのいい朝を迎えることが出来た。時間も早いせいか、通学路には誰も居ない。
世界で一人だけになったみたい!なんちゃって、と脳内でノリツッコミにもならないような会話を繰り広げながら学校へと向かっていた。
今日から大会が始まるというだけで謎の緊張感と高揚感が胸いっぱいに広がっている。この日のために皆頑張ってきたのだから、それを見てきた私もそうなるのは当然だ。試合に出ないのにこれだけ緊張するなら、レギュラーメンバーはもっと凄いんだろう。練習試合でリバースした日向は大丈夫だろうか。

朝の澄んだ空気で肺を満たしつつ今日の試合のことを頭に浮かべながら足を動かす。もし日向が前みたいに緊張していたら、マイナス用語は絶対言わないようにしよう。それと同時に変人速攻にビックリするであろう相手チームも思い浮かんだ。

「ん?何か音がする…」

不意に後ろからドドドドと足音のような、何かの効果音のようなものが聞こえて立ち止まる。何だろう?と振り返ると、猛スピードで近付いてくる黒い影が視界に飛び込んできた。一瞬、見えてはいけない類のものかと思ってヒヤッとしたけど、しっかり足が見える。幽霊じゃない、よかった…!

「ひっ!な、何…?って、影山かよ!」

徐々にはっきりと見えてくる影山の姿。鬼気迫る表情、無言で前だけを見つめている。何かに追われているわけではないようだけど、それにしては急いでいる。もしかして、集合時間に間に合わないのだろうか。集合時間から学校までの距離を逆算して、充分間に合うように家を出てきたつもりだったけど私が時間を間違えていたのだとしたら…。
それはやばい!私はとりあえず、通りすぎる影山を追いかけるように足を動かした。

「か、影山っ!お、おは…おはよ、…おはよっ!」
「っス!」

猛スピードの影山と並走するために、ここ最近で一番足を動かす。数秒で既に差が開きつつあった。とりあえず、影山に挨拶だけでもしようと口を開くも上手く喋れずに息が上がるばかりである。全力疾走な上に自分の運動能力を優に超えているため、どんな顔で話かけているかは自分でも分からなかった。影山は少し後ろを振り返り、私を見ると一瞬ぎょっとする。一応、短く返事を返してくれた。なんだ、今のとんでもないものを見たような目は…。

「ちょ、かげっ…、なんで、そんな…い、急いで…!」
「何言ってるか、分かんねぇぞ!」

もうだめだ、足がもつれる。たとえ数秒程だとしても、運動神経抜群の現役男子高校生の全力疾走についていけている自分を褒めてあげたい。とりあえず、本当の集合時間を聞こうと再度影山に声を掛けるも急激に体力を消耗している所為で自分でも何を言っているか分からなかった。影山は先程よりも後ろに下がった私に声を荒げる。
果たして今、私は遅刻しそうなのか、そうじゃないのか。それだけが知りたいのにどうしてこんなに疲れ果てているんだ!何とか残りの力を振り絞り、影山を追い越す勢いで走るスピードを上げる。そしてうっかり追い越した。影山は自分より先を走る私にムッとしたのか闘争心を煽られたのか、顔つきが変わる。

「っ!負けねぇ、一番乗りは、俺だぁ!!」
「え?!」

嘘だろ…!どこにそんな余力が残っていたのか、私には到底追いつけるはずもない速さで走り去っていく影山。小さくなるその背中を呆然と立ち尽くし見つめることしか出来ない私は、額や首筋から滴る汗を拭うことも忘れていた。影山、何て言った?一番乗りは、俺だ…?つまり、影山は時間に追われていたんじゃなくて一番になりたくて走っていたということか…。そんな…私の焦りと消耗された3分の2の体力は無駄だったというのか。

「うわあああ!私の勘違いい!!!」

やがて見えなくなった影山を追いかける気も起こらない。というより、もう足が動かなかった。急に激しい運動をしたから筋繊維が悲鳴を上げているに違いない。これから大会(応援)だというのに、こんな状態でどうするんだ私。ぷるぷるとする足で金縛りにでもあったかのように立ち尽くす。とりあえず時計を確認すると、集合時間までまだ余裕はあった。ちょっと、休んでいいかな?いいともー!と、自問自答してその場に座り込む。

「邪魔なんだけど」
「えっ、ご、ごめんなさい!うぎゃあ」

道の真ん中に座り込んでいたら通行の邪魔に!声を掛けられて慌てて立ち上がろうとすれば、よろけてそのまま後ろに転がってしまった。ゴッ、と肘を地面で強打し痛みと恥ずかしさで、思わず顔を隠す。もう、ほんと、何をしているんだろう私は。

「…」

何か言って欲しい。どこのどなたか分からないけど、いっそ笑い飛ばしてくれれば私も開き直れる。気配はするものの何の反応も得られず、私もどうしていいか分からなかった。でも、どんなに恥ずかしくても、他の人にこれ以上迷惑を掛けるわけにはいかない。そう思って顔を覆っていた手を退ける。
…思いっきりプースと笑いを堪えている見慣れた眼鏡男子と、笑いと心配が入り混じった複雑な顔のそばかす男子がしゃがんで私を覗き込んでいた。
これは、アカンやつや…もう一度視界を手で覆った。なるほど、穴があったら入りたいとはこういう時に使うんだなと私は密かに学んだ。

「なんか言って欲しいんだけど…」
「ななし野さん、だ、大丈夫!?」
「朝からコントでも見てるみたいだったよ、プッ」

顔から火が出そう。私のちっぽけな羞恥心が暴れまわって、動けずにいた。この後どんな態度を取ればいいのか皆目検討もつかない。とりあえず、立つことが最優先だということは分かる。思い切って無心でスっと立ち上がると、いきなり動き出したことに驚いた二人がビクっと反応した。
そんな二人を今度は私が見下ろしている。ここからどうしようか。
「もう私ったらドジッ子!てへぺろ!」なんて言ったらツッキーに蔑まれた挙句、距離を置かれる気がする。「二人ともおはよう!ん?どうかした?」と何事もなかったように振舞うのはちょっと痛々しいだろうか?そんなことしたらグッチーは気を使って何もなかったことにしてくれるだろうけど、私も気を使うな…。どうすればお互いの…いや、私の傷口が最小限で済むのか、誰か教えてください。
無言の私にポカンとしていた二人も立ち上がった。

「いやあ、心配してくれてありがとうね!二人とも!」
「あ、うん。ななし野さんどっか具合悪かったの?」
「え、いや、大したことないんだ!走ったら疲れただけ!」
「どんだけ体力ないの、君」
「ゲームでいうと今、HP38くらいかな!」
「…よく分かんないんだけど…」

計画通り…ついに、この台詞を言うときがくるなんて。昨日観たドラマで頭のいいキャラが使っていたこの台詞。いつか言ってみたかったんだ、なんて頭の片隅で思いつつ二人に見えないように口角を上げる。真っ黒な烏と目があってちょっと恐かった。
何となく心配してもらえたしツッキーもバカらしい会話に呆れているようだ。そこから、グッチーとゲームの話題で盛り上がり私の恥ずかしい事故は流れたのだった。めでたし、めでたし。


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「何か緊張してきた!」
「俺もちょっと緊張するかも」
「君たち、試合には出ないでしょ」
「試合に出るツッキーは何で緊張してないの!?」

ツッキーは大会当日だというのに全く緊張した様子もなく、いつもの調子である。もしかしたら私の方が緊張しているかもしれない。学校へ向かう道を三人で歩きながら、話題は今日の試合のことになっていた。中学の時もそうだけど、試合の当日と言うのはマネージャーでも緊張する。
だって、勝つために選手が日頃努力している成果を発揮する日なのだ。しかも、3年の引退が掛かっている試合となると尚更である。幸いにも、私は部活で嫌な先輩という存在を経験したことがないからいつも上級生の引退は寂しく感じていた。大地さんたちが春高に残ると確実に決まっているわけじゃないし、もしかしたらこの大会で引退!なんてことになるかもしれない。そういうことも含めての緊張だ。
ツッキーはそんな私を一瞥するとスタスタと歩き続けた。もしかして、顔には出さないけど実は緊張しているのかな。

「私、気合い入れて応援するからね!」
「俺もまだベンチだし、応援頑張る!」
「…」

今日はグッチーと一緒に目一杯応援だ!二人で「頑張ろうね!」と言い合っていると、ツッキーが深いため息をつく。そして、私を見るときに習慣にでもなっているのか、呆れた目をしていた。最初はバカにされた!とか、実は嫌われているのでは?と落ち込むこともあったけど、もう慣れた。慣れって怖いね。

「あのさ、はりきってるところ悪いんだけど君ベンチにも入れないよね。観客に混じって一人で応援するんだよね?」
「え?え…?」
「あ、そっか。マネージャーは一人しかベンチ入れないんだっけ?」
「…そうだった…!」

今日二度目の衝撃に、私は思わず足を止める。ちなみに、一度目は影山だ。
思った通りの反応だったのか、ツッキーが口元に手を当てながらいつもの調子でププッと笑った。あああ…スッカリ忘れていたけど、ベンチに入れるマネージャーは一人だけだった。
もちろん3年の潔子さんがベンチ入りするわけだから、必然的に私は一人で観客席に居ることになる。烏野は人数的にも、レギュラー以外も全員が控え選手なわけで…。どう考えても私は一人…。

「まあ、でも、観客席にも味方が居るって嬉しいし!ね、ツッキー!」
「たかが応援でしょ、別に?」
「つ、ツッキー…」

たかが応援、されど応援。応援があるのとないのでは時に勝敗さえ左右する。と、昔誰かが言っていたような気がする。だから声を枯らす覚悟までしていたのに、何だか疎外感。みんなのプレーを間近で見られると、凄く楽しみにしていたというのに。
偉い人に言えば何とかならないかな。いっそ、何食わぬ顔でベンチに入っていれば誰も気づかないんじゃ…。うう、でもバレたら怒られるんだろうなあ、と私が悶々としているとツッキーが「考えてること顔に出すぎ」と、小さく笑った。

「応援する場所が違ったら、君の気持ちも変わるわけ?」
「変わらない!どこでだって全力で烏野の応援するよ」
「じゃ、別に観客席でも問題はないね」
「…ない!」

ツッキーの言葉に、私は間髪入れずに返事をする。そうだ、場所なんて関係ない。私が頑張って応援するのみだった。憧れの烏野高校男子バレー部に入部出来て、気持ちが前のめりになってしまっていた。ハッとしてツッキーを見上げれば、「単純…」と呟く。グッチーは私のテンションが戻ったことにホッとしたようだ。気を使わせてごめんよ、グッチー。

「よっしゃー!観客席を制すものはゲームを制す!」
「それ、色々間違ってるしどっかで聞いたことあるし…」
「学校まで競争だ、二人とも!」
「え?ななし野さん、もう具合は平気なの?」
「また疲れてマヌケな姿晒すハメになるんじゃないの?」

学校到着まであと200メートル。墓穴を掘った私は、何も言い返せず大人しく歩くことに専念する。その間、ツッキーの思い出し笑いが私の耳に絶えず響いていた。


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