あれから数日。ぼちぼち友人たちに勉強を教えて貰いつつ、部活にも精を出していた。最近男子は部活後に部室で勉強会をしているらしく、帰り道に坂ノ下で買い食いすることもなくなった。潔子さんはマネ勧誘の件もあるし、受験生だから私が迷惑を掛けるわけにもいかないので勉強を教えてとは頼めない。今日は一人で帰宅しながら、坂ノ下の前を通り掛かるとまだ電気がついていた。
「おじゃましまーす」
「おう、いらっしゃーい…って、ななし野かよ」
坂ノ下商店に立ち寄ると店にはジャージを着たコーチが居た。部活での指導を終えた後も、たまに閉店まで店番をしているそうだ。今日は早めに学校を出てたし、その日だったのだろう。ラッキーだ!
「コーチ、ちょっとだけ勉強してかえっていいですか?」
「ああ、構わねぇが…30分だけだぞ」
「了解でーす」
了承も得たので、テーブルに勉強道具を広げて購入したぐんぐんバーをかじる。さてやるか!と気合いを入れて教科書を広げると、暇だったのかコーチが私の目の前の席にどっかり腰をおろした。
そして問題を見ると「懐かしい」やら「さっぱり分からん」と呟き、たばこに火をつける。私、未成年なんですけど…!と非難の目を向けると、「俺の店だ。我慢しろ!」と言われて黙った。場所を提供してもらっている立場だし、反論は出来ない。
「コーチ〜、ここ分かりません」
「お前な…俺が教えられるように見えるか?」
「だって大人じゃないですか!」
「大人が何だって出来ると思うなよ」
しばらくして問題に行き詰った私はコーチにテキストを見せる。てっきり私のためにスタンバイしてくれていると思っていたけど、どうやら違うらしい。ただの興味本位で私の勉強する様を眺めていただけで、教えてあげようなんて微塵も思っていないそうだ。
「大体、そんなもん家でやれよ。ここは塾じゃねぇんだぞ」
「うう…だって家じゃ捗らなくて。私も遠征行きたいですし、ここで諦めるわけにはいかないんでふ!」
「食うか喋るかどっちかにしろよ」
残りのぐんぐんバーを口に押し込みながらそう言うと、ちょっと笑いながら紫煙を吐き出す。教えてくれるでもなし、私が自力で問題を解けるわけでもなし。更に小腹が満たされたことにより集中力のなくなった私は、テキストの端にコーチの似顔絵を描き始めた。うーん、髪型が難しいな…。
「俺は教えてやれんが、気合いで何とかしてくれ」
「コーチこそ気合いで私に勉強を教えてくれればいいのに」
「バカ野郎、気合いで勉強ができるか!」
「言ってることがめちゃくちゃですよ!」
「うるせー、とにかく!お前は頑張れ!」
うぐ…、と言葉に詰まった私はしぶしぶ頷く。コーチの言う通り、私は頑張らなければいけない。今までだってテストはあったわけだし、その度にこうして苦しい思いをしながら乗り越えてきた。今回も赤点をとらなければいいだけの話じゃないか。
「ななし野の声援に鼓舞される奴も居るんだ。だから頑張ってテストクリアしてくれよ、応援隊長!」
「コーチ…私、頑張ります!」
私の応援が誰かの力になるなら頑張れる!コーチの言葉でやる気が出た私は、グッと拳を握った。タバコを灰皿に押し付けたコーチも、清々しい表情をしている。そして一言。
「その前に、俺はもっとイケメンだろうが!下手くそか!」
「ちょっ!ありのままを描いたのに!」
コーチの似顔絵がじゃがいもみたいだったことにご立腹のようで、シャーペンをぶんどると私が描いたじゃがコーチに手を加えていく。更に酷くなったそれに私が腹を抱えて笑うと、さっきまでのスポコンドラマみたいな雰囲気は一瞬で消え去った。
そして結局二人で落書き大会にもつれ込み、テキストは白紙のまま30分が経過したのだった。
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「早くテスト終わらないかな〜」
空欄だらけのテキストを眺めるだけ眺めて終わる日々が続き、あっというまに土曜日の夜になってしまった。家で一人勉強というのは、なかなか難易度が高い。テレビに漫画、ゲームにケータイ…あらゆる誘惑が私の意識を勉強から遠ざけようと働きかけるのだ。
結局、午前中の部活が終わって帰宅してから今まで、誘惑に負けてゴロゴロしていたせいで、今テキストと向き合っている。でも、早急に飽きていた私は意味もなくペンを回しては吹っ飛ばしそれを拾うという行為を繰り返していた。つまり、どうにかして机から離れる口実を自分で作り上げているのだ。
そんな中、着信を知らせるバイブの音が部屋に鳴り響いた。グッドタイミング!今日はこれで勉強しなくて済む!ディスプレイに表示された名前を見て、ニヤリとほくそ笑む。
『よっ、俺だけど。俺だよ、俺俺!』
「オレオレ詐欺はお断りです」
『詐欺じゃありませーん。ごんべ子の大好きなクロ先輩でーす』
「存じあげません」
『マジか……』
「……」
電話の向こうでそう呟いたきり、沈黙が流れる。何だこれ。2秒くらい経過した時、私とクロ先輩は同時に噴き出した。まだ出会ってから一ヶ月くらいしか経っていないのに、恐ろしいくらい仲良くなっている。これがシティーボーイのコミュニケーション能力なのだとしたら、なんと恐ろしい力だ…。
「何で受け入れたんですか!反論くると思ったのに」
『その方が面白いと思ったんだよ!お前も黙るから変な間があいたけど』
クロ先輩と話すのは楽しかった。気軽に会えない分、メールや電話のやり取りは割と頻繁にしている。先輩はノリがいいし、よく笑ってくれるから私も冗談が言いやすい。
こんなお兄ちゃんが欲しい、と何度思ったことか。でも岩ちゃんという兄的存在が既にいるし、二人がお兄ちゃんだったら最高だ…。
『そういや、研磨から聞いたんだけど予選ダメだったんだってな。おつかれ』
「ありがとうございます……でも、すっごくいい試合で本当に惜しかったんですよ!クロ先輩は明日からですよね?」
『そうそう。烏野の分も勝ってやるから安心しろよ』
「全国優勝期待してますので!」
『ハードル高ぇな』
ぶひゃひゃ!と特長的な笑い声が電話越しに聞こえる。私は半分冗談で半分本気だった。全国にどれくらい強い高校があるのか知らないけど、クロ先輩たちなら勝てそうだと思った。
先輩の笑い声が聞こえなくなると、ほんの数秒沈黙が流れる。
『けど、ごんべ子が期待してくれんなら優勝出来る気がしてきた』
「クロ先輩…」
『なーんてな!勝つのは俺達の実力でだけどな!』
「それはそうですけどー…」
ケラケラと笑うクロ先輩に、私はブーブーと文句を言う。私が勝利の女神!?と少しテンションが上がっていたのに、現実的なことを言われると悲しい…。「少しくらい夢を見させてくださいよ!」とクロ先輩に言うと、「早く寝て下さい」と真面目な答えが返ってきた。
『来月、俺らの合宿に烏野も参加するんだろ?』
「はい、そうなんです!でもその前にテストがあって…赤点取ったら参加できないらしくて…」
『あー…テスト、俺らもあるわ。お前、赤点取るくらい成績悪いの?』
「いやそこまでは…、まあ赤点は年に1回くらいとりますけど…。まさか今回のテストではないと思います!多分」
『ぶっひゃっひゃ!多分かよ!それ赤点フラグだろ』
赤点フラグ…嫌な響きだ。笑うクロ先輩とは反対に、私の頭の中は"赤点フラグ"というワードがグルグルと渦巻いている。チラ、と机の上を見ると数日前から白紙のまま全く進んでいないテキスト。その横には落書きだらけの教科書と読みかけの漫画。絶望した。
「クロ先輩、そのフラグ折るにはどうすればいいですかね?」
『勉強するしかないんじゃね?』
「ですよねー、へへっ」
答えは一つ。クロ先輩の言うとおり、勉強する以外にない。コーチにも頑張るしかないと言われた。
遠征と補習を天秤に掛けた時、どちらが私にとって重要で有意義であるかは一目瞭然だ。目先の快楽を取ってはいけない…今やらなきゃ後で後悔する!頭では分かっているのに…。
『ごんべ子に紹介したい奴も居るし、お前が居なきゃ合宿も味気ないからな。絶対赤点なんか取るなよ』
「ら、ラジャー!」
『100点満点期待してるんで』
「ハードル高いです…」
そこまで言われると何がなんでも赤点フラグをへし折らなければならないようだ。それに、やっぱり久々にクロ先輩に会いたい!
今度こそ固く決意して、私はクロ先輩との電話を終えた。
マネージャーの憂鬱
(テストなんてなくなればいいのに…)
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