期末テストまで残すところあとわずか。はっきり言って、私のモチベーションは低下していた。
言い訳だと分かっているけれど、谷地さんのマネージャー入部の件やポスターの撮影やらで私の意識はすっかりテストから逸れてしまっていたのだ。だって楽しかったし!
大地さんの一言でまた、テスト勉強へ向き直ったものの……日向や影山のように教えてくれる人が居ない私は行き詰っていた。
友人たちは早くも諦めモードに入っていて、私が「教えてくれ」としつこく迫ったせいでどこかに避難してしまったし、みんな口を揃えて「ぶっつけ本番で挑むから」と勉強する気もないようだ。きっと合宿参加がかかっていなければ、私もそうなっていただろう。
とりあえず計算問題なら公式さえあれば何とかなる!という根拠のない自信に突き動かされ、数学の問題集に取り掛かり、現在に至る。
「…だめだ」
何度も教科書を見直し、解説を熟読しているのにどうしても解けない問題にぶち当たっていた。早くも集中力は皆無。私の脳みそは考えることを放棄していた。
早く遠征に行きたい…クロ先輩やまだ見ぬライバル達を見てみたい…!目は問題文を追っているのに、浮かぶのは東京に行くことばかり。
深いため息を吐き出し、机に項垂れながら窓の外を眺めた。もう何も見えない、聞こえない。東京遠征には行きたいけれど勉強という壁が私を阻んでいる。
「ここ、計算間違ってる」
「?」
「なんでこんな簡単な足し算を間違えるわけ?」
「……」
最早これまで…と諦めて眠りにつく一歩手前だった私の耳に、誰かの声が届いた。
幻聴かな…?気にせず再び眠りにつく。昼時のぽかぽかした空気のおかげでいい具合に眠れそうだ。目が覚めたらもう合宿先で楽しく部活していたいなぁ。
そう思った矢先、私のつむじに物凄い圧力が掛かった。
「痛い痛い!すみません起きます!」
「相変わらず酷い顔だよね」
「誰がそうさせたと思ってるんですかね?」
痛みに勢いよく顔をあげると、鬼畜メガネが私のゲリツボを攻撃していた。ツッキーの手首を掴み、何とか私のゲリツボから遠ざけようと押し返してみても全く動かない。
やめて、つむじが陥没する!数秒間、壮絶な戦いを繰り広げた結果、飽きたツッキーに私は勝利したのだった。可哀想な私のつむじ…涙目で頭を擦って痛みを和らげつつ、目の前の眼鏡を見上げる。
「ツッキー…ここ3組だよ」
「知ってるけど」
そう言いながら前の席の椅子に座り、足を組んだツッキーに私はいよいよ混乱した。あのツッキーが私のクラスにわざわざ遊びにきたの?しかも何故か私と向き合って座っているじゃないか。ありえない……こんなのまるで友達じゃん!私にとって信じられない光景だった。
「ツッキー、熱でもあるの!?」
「はぁ?ないよ。せっかく僕が直々に勉強でも見てやろうと思ったけど、」
「えっ、ほんとに?」
「そんなに嫌ならやめる」
「嫌じゃないです、教えてください、月島先生」
何の気まぐれかはわからないけど、あのツッキーがわざわざ私の勉強を見てくれるというならこのチャンスを利用しない手はない。一度断られてからというもの、ツッキーに教えてもらうのは無理だと諦めていただけに喜びは倍増である。ラッキー!ニヤニヤする私に怪訝な顔を向けると、ツッキーは放置していた問題集に目を向けた。
「問1、当てはめる公式自体が間違ってる。問5、計算ミス。問6、問題をちゃんと読みなよ。問8、Xの書き方が気に入らない」
「最後のは関係ないよね!?」
日向と影山からツッキーはスパルタだと聞いていたけど、初っ端からこの調子で大丈夫なんだろうか。私の心は。
気を取り直してツッキーに言われたところをもう一度確認すると、自分では気付けなかった凡ミスがたくさん見つかった。さっぱり意味の分からなかった問題も驚くほど簡単に解ける。
なんてことでしょう、あれほど頭を悩ませた数字が今やこれほどスッキリ整理され驚く程簡単に答えが導かれました。
「…うわぁ、あれだけ悩んだのに一瞬で解けちゃった!」
「君さ、もうちょっと落ち着いた方がいいんじゃない」
「…それは落ち着いて問題を見ろってことだよね?」
頬杖をつきながらツッキーが呆れた顔でそう言った。どうも勉強のことだけには聞こえない言い方だ。
私の言葉に返事はなく、「次」と言って問題集のページをめくる。私語は慎めということだろうか。せっかくツッキーが勉強を見てくれているし、いつものように怒らせて「もう見てあげない」って言われたら大変だ。余計なことは言わず、ツッキー指導のもとひたすら問題を解き続けた。
「ツッキー!私、頭が良くなった気がする!今なら満点もとれる気がする!」
「それは気のせいデショ。合計で100点の間違いじゃないの?」
「くそう、言い返せない…!」
ちょっとくらい褒めてくれたっていいじゃないか!憤慨する私を見て、相変わらず嫌味に笑っている。
でもツッキーのお陰で数学への苦手意識も薄れたし、基本を理解すれば応用問題も全然難しくないことが分かった。スパルタだったけど、とても分かりやすくて本当に助かったのは事実だ。
いい加減、私もツッキーの性格が分かってきた。こういう憎まれ口は彼の標準装備であって、コミュニケーションなのだろう。
「月島先生、本当にありがとう」
「別に大したことはしてない。褒めてもなんも出ないケド」
そういえば直球の言葉に弱かったと思い出して素直にお礼を言うと、案の定少し照れていた。言葉はツンツンしているけれど、横顔がどことなく嬉しそうに見える。
「ツッキーのおかげで数学は高得点が望めそうだし、今度ショートケーキのお礼するね」
「……期待しとく」
ツッキーはフイと顔を背けながらそっけない態度を取り続けている。が、これはやっぱり照れ隠しに違いない!
拒否されなかったことが嬉しくて思わず笑みを漏らすと、本日二度目の「酷い顔」という言葉を頂いた。これも照れ隠しだな?そうだと分かれば、全然傷つかないぞ!うふふ、と生暖かい視線を送ると、今度は心底嫌そうな顔になったけど見なかったことにしようと思う。
「何で月島がここに居るんだ?」
「あ、影山おかえりー」
「おう」
そろそろ昼休みも終わりに近付いた頃、隣の席の主である影山が帰ってきた。そして珍しいものでも見るような目をツッキーに向けながら席につく。確かに私が4組に遊びに行くことはあっても、逆は初めてだ。影山の反応も当然と言えば当然なのかもしれない。
「君の召使いに勉強教えてあげてたんだよ」
「…その呼び方やめろよ」
ツッキーのトゲのある言い方に影山の顔が一気に険しくなる。最近は言い合いも減って、二人ともチームメイトとして順調に距離が縮まっていたと思うけど、部活外ではそうでもないのかもしれない。久しぶりに険悪なムードになる二人を見て、喧嘩に発展するのでは!?とひやひやした。
「まあまあ、落ち着いてよ二人とも。影山もそんなに怒んなくても、私は気にしてないしさ」
「お前が良くても俺が嫌なんだよ」
「君らってさ、僕には”王様”と”召使い”に見えるけどね」
ツッキーの言葉にカチンときた様子の影山が「どういう意味だよ」と静かに聞き返す。一瞬、口を噤んだものの本当に喧嘩が恥まってしまっては困るので、慌てて二人の間に割り込んだ。それでも静かに睨み合う彼らの視界には入れない。どうすればいいんだろう…。
「ちょ、ちょっと待って!…わ、私のために争わないで!」
一度は言ってみたいと常々思っていたその台詞を、チャンス!とばかりに口にすれば一瞬にしてクラスが静寂に包まれた。ツッキーと影山の視線は私に向けられているものの、何言ってんだお前…感が凄まじい。何故か周囲の人間も私に注目していたので、自分の発言を後悔した。
「……なんちゃって!」
あまりの静けさに耐えきれなくなってそう付け加えると、場の空気はマシになったような気がする。最初から冗談のつもりだったのに、これでは私がただの勘違い女じゃないか!何とか喧嘩を防ごうとした結果、ダメージを受けたのは私一人だった。
「…変な噂が立ったら…二人のせいだからね!」
「はぁ?意味不明なことを言ったのはななし野の方だろ」
「君の発想力には脱帽するよ」
心外だとばかりに言い返す影山とは反対に、ツッキーはいささか楽しそうに口角を上げている。それでも先ほどまでの険悪な空気はなくなったのでホッとした。それにしても疲れた…。机に項垂れると、ツッキーにぺしとノートで頭を軽く叩かれる。
「せいぜい赤点回避頑張りなよ」
「…うん、頑張る!今日はありがとう」
「ちゃんとお礼も忘れないでよね」
「了解しました!」
予鈴と共に立ち上がったツッキーが意外にも念押ししてきたので、親指を立てて出来もしないウィンクで応えておいた。一瞬固まっていたけれど、フッと笑みを浮かべたような気がする。やっぱりウィンクの練習は必要かもしれないな…。
「……」
ムスっとしたままの影山は何も言わず、黙々と次の授業の用意をしている。教室に戻って行ったツッキーの姿が完全に見えなくなると、相変わらず不機嫌な顔のまま「お礼って何だよ」と呟いた。
「やっぱり気になる?」
「茶化すなよ」
てっきりいつものように動揺すると思っていたのに、返ってきた反応は予想とは違う。怒っているような雰囲気を醸し出している影山は、私の方を見ないままそれきり黙り込んだ。
もしかしてからかわれたことに嫌気が差したのだろうか?それともただ機嫌が悪いだけ?そっと表情を窺っても、私には読みとれなかった。
「……ごめん」
「何で謝るんだ」
何が彼の気に障ったのか分からないけど、影山との関係が悪化するのは嫌だった。せっかくまたこうして話せる間柄になったのに、気まずくなるのは避けたい。
そう思って謝罪という選択をしたけれど、どうやらそれは不正解だったようだ。私と影山の間に微妙な緊張感が漂う。
これ以上影山を怒らせたくない。…嫌われたくない。
「……」
もう一度謝ろうとして口をつぐんだ。何を謝ればいいのか分からなかった。これ以上余計なことを言うのが怖くて、結局また影山と向き合うことから逃げてしまった。
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