7月7日、午前11時10分。もうすっかり夏だなぁ、なんて空を見上げて思う。昨日はワクワクしすぎて全然眠れなかったせいで今猛烈に眠い。木陰にいると涼しくて、3秒で眠りにつける気がした。
今頃みんなは練習試合を始めているんだろうか。欠伸をしながら東京へ思いを馳せ、目尻に浮かんだ涙を拭う。

「遅いな…」

時刻は11時25分。校門の近くにある花壇に座り、補習を受けている変人コンビとまだ姿が見えない龍先輩のお姉さんを待つ。グラウンドの方から野球部の試合の声援が聞こえてきて、私も早く部活に行きたくなった。龍先輩のお姉さんも烏野出身だから、場所は分かるはず。迷っているわけではないと思うけど、補習の終了時間が迫った今、少し不安になってきた。

「ひっ!?」

もしかして既に到着しているのかもしれない。そう思ってキョロキョロと周囲を見渡す私の目の前に、突如軽トラックが現れ急停車した。運転席に乗った女の人と目が合うと車から出てきたので、緊張からゴクリと唾を飲み込む。
何だろう?私なにかしてしまっただろうか。それとも知り合い?見覚えのない女性に戸惑うばかりだ。

「もしかして、居残りマネージャーってアンタかい?」
「は、はい!」

だ、誰だ!?この派手な女の人は!金髪で耳にはたくさんのピアス、タンクトップからはみ出しそうなお胸が目に入って一瞬ドキッとしてしまった。近くで見てもやっぱり見覚えはなかった。

「聞いてると思うけど、アタシは龍之介の姉の冴子!で、今日はアンタらを東京まで送ることになってる。よろしく!」
「龍先輩のお姉さんですか…!」

思ったより龍先輩似だ!しかもセクシー!急いで立ち上がると挨拶を返し忘れていたことを思い出して、慌てて頭を下げた。

「は、初めまして!私、ななし野ごんべ子と申します!りゅっ、た、田中先輩にはいつもお世話になっており…」
「いーっていーって!堅苦しい挨拶はやめやめ!アタシのことは冴子姉さんと呼びな!」
「は、はい!冴子姉さん!」

緊張してあたふたしている私に人懐っこい笑顔を見せる冴子姉さん。わずか1分程で冴子姉さんと呼ぶことになるなんて。龍先輩の性格は、お姉さんに似たのかも?かっこいい!さすが師匠のお姉さんだ。にじみ出る姉御肌のオーラに私は早速憧れていた。

「ごんべ子ちゃんはさぁ、龍の弟子なんだって?龍の良さ分かる!?」
「えっと、分かります!男らしい性格と程よく割れた腹筋が素晴らしいと思います!」
「だよな〜!素直な子はいいね〜!」
「ほぶっ!?」

冴子姉さんの質問に驚きながらも熱く語ると豪快に笑いながら肩を組まれた。勢い余って私の顔が冴子姐さんの胸に当たる。す、すごい弾力だ…!でも一体どうすればいいのか分からない!
予想外のハプニングにガチガチに固まっている私。「龍のカノジョになればいいじゃん」と声を掛けてくる姉さんに何と返せばいいのやら。もごもごと口ごもる私を全く気にしていない冴子姉さんの向こうに、もの凄い勢いで走ってくる二つの影が見えたのでそちらを指さした。

「おっ、あいつらかい?ヘイ、赤点ボーズ共、乗りな」
「た、田中さんのお姉さんですかっっ」
「冴子姉さんと呼びな」

姉さんは私を解放すると二人に向かってウインクする。おお、ウインク上手だ!カッコいい冴子姐さんに心を打たれた赤点コンビもビシッと畏まった。冴子姉さんは全員揃ったことを確認すると、さっそく車に乗り込む。
今から東京まで高速に乗れば、夕方には着くだろう。練習試合に間に合えばいいな、と思いつつ潔子さんに出発する旨のメールを送った。


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「ほ…!?」
「んぐ…」

どうしてこうなったんだろう。運転している冴子姉さんと助手席の日向の会話も耳に入ってこない。むしろ、影山の寝息しか聞こえてこないのは、私が意識しているからだろう。なぜなら、影山が倒れてきたからだ。
厳密には寝てしまって、左折したときに上体が傾きこちらに倒れこんできた。そして頭が私の太ももに乗っかり、ビックリして思い切り押し返してしまったというわけだ。そのせいで、影山から苦しげな声が漏れている。
ドッドッと音を立てる心臓は、影山の首に怪我がないかどうかの心配からくるものに違いない。

「ごめん…おーい、影山?」
「ぐおー」

そっと顔を覗き込んで話しかけてみたけど、返事はいびきだった。しかも補習で疲れたのか、とても気持ち良さそうに寝ているので起こすのは躊躇われる。座席の4分の3程が影山の寝床になった今、私は残されたスペースに収まるよう何とか体勢を変え、影山の邪魔をしないようにするしかない。それでも足に影山の髪の毛や枕にした腕が触れているのでどうしようもなくソワソワしてしまった。でも、1分も経てば慣れて何も思わなくなる私は結構神経が太いのかもしれない。

「あいたっ」

しばらく窓の外を眺めていると、私も段々と瞼が重くなってきた。気を抜けば完全に閉じてしまいそうな目を何とか開けていようと瞬きを繰り返す。何度か窓に頭をぶつけていたものの、その小さな衝撃では眠気まで吹き飛ばない。
だんだんと意識が遠のき、ついには睡魔に負けてしまった。
左側に傾いた体を起こすのも億劫で、そのまま重力に任せる。影山と座席の背もたれの間に頭がすっぽり挟まってしまったけれど、心地よい圧迫感と温もりが私の意識を夢の世界へと連れていった。

「影山の……匂いがする…」

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「もう着くからね、漏らすんじゃないよ!」
「ふっ、ファイ!」
「あれ、もう東京?」

冴子姉さんの声で目が覚めた私は、寝ぼけ眼をこすりながら上体を起こした。変な体勢で寝ていたせいか体がバキバキに痛い。状況はつかめないけど、みんなの会話を聞く限りではもうすぐ到着しそうだ。だとしたら私は一体、何時間寝ていたのだろう。恐ろしい…。

「ななし野…手」
「ん?」

いつの間に起きたのだろう。影山が私に顔を向けると、少しだけ言い辛そうにつぶやく。
手…?考えるより先に、自分の左手が影山のTシャツの裾を握っていたことに気づいて慌てて離した。もしかして寝ている間もずっと?ちょっと皺になっているそこを伸ばしながら謝罪すると、影山の口もとにご飯粒がついていることに気づいた。なんで?

「影山、ご飯粒がついてるよ」
「ここか?」
「反対。もうちょっとこっち」

自分の頬を指さして影山にご飯粒の位置を教えるものの、なかなか取れない。私がとった方が早いな、と思って手をのばずと、突如冴子姉さんの「ちょっと飛ばすよ!」という威勢のいい言葉が聞こえてきた。そして一気に周りの景色が高速で流れていく。もちろん車体の揺れに対応しきれない私の体が影山の方に傾いた。

「痛ぇ!!」
「ごめん影山!でもとれた!」

伸ばした指が影山の口もとに思い切り刺さってしまった。ものすごい勢いで睨まれたものの、指で掴んだ米粒を見せると「サンキュ」と口を尖らせながら呟く。ごみ箱もないし、どうしたものか…。まあいいか、とその米粒を自分の口に放りこむと、影山が目を見開いて固まっていた。流石に嫌だったのかと思って謝っておくと「な、べつにッ」としどろもどろになる。

「姉さん、漏れッ、漏れる!」
「あとちょっとだから我慢しな!」

日向の切迫した声が私と影山の間の微妙な空気を遮った。更に曲がる度に思い切り影山に寄り掛かったり、寄り掛かられたりと車内はまるでアトラクションだ。冴子姉さんだけが、まるでレーサーのような真剣な面持ちでハンドルを切っていた。
「わああ、ごめん影山!」「悪い、ななし野」「漏れ、漏れる…」そんな言葉が何度も飛びかい、五分後に辿りついたのは東京ではなく県内のサービスエリアだった。

「トイレトイレトイレ!」
「フライングすんな!」

車が止まるや否や日向がタオルを持って飛び出し、その後を影山がいつものように追いかけていく。その姿を見送り、とりあえず車外に出て体を伸ばすと少し体が楽になった。すっかり太陽は真上に上っている。
冴子姉さんは棒つきキャンディーをペロリと舐めながら「休憩さ!」と笑った。

「先はまだまだ長いからね、ごんべ子ちゃんも少し休憩しときな。アイツら戻ってきたら、アタシが昼飯奢ってやるよ。まあすぐに出発しなきゃなんないけどね」
「冴子姉さん、ありがとうございます!」

姉御肌な冴子姉さんに尊敬の眼差しを送ると、ニカッと眩しい笑顔が返ってきた。龍先輩に似てるなぁ、と改めて思う。私もこんなお姉さんが欲しい!きっと賑やかなんだろうな。

「それにしてもアイツら遅いねぇ…」

冴子姉さんの棒つきキャンディーが棒だけになっても二人が戻ってくる気配はなかった。休日のサービスエリアはほぼ満車で、ちゃんと停車した位置を覚えておかないと迷うこと間違いなし。もしトイレが混んでいたとしても、それ程距離も離れていないはずなので、ここまで時間はかからないだろう。

「もしかしなくても、迷子になっている気がします」
「マジか」

今までの経験から、あの二人が遅いイコール迷子という方程式が出来上がっているので、私は冴子姉さんに迷子で間違いないと告げた。二人ともカバンは車の中に置いていったようで、念の為に携帯を鳴らしてみても車内から着信音が聞こえてきたので連絡はつかなかった。はぁ、と呆れたようにため息を吐く冴子姉さんはすぐに気持ちを切り替えたのか笑顔になる。

「仕方ないねぇ、探しに行くか。でも、行き違いになるのはマズイね」
「じゃあ、私が探してきましょうか?」
「そうだな、アタシも車の周辺探してみるよ。5分探して見つからなかったら戻ってきな。私に考えがある」

ここでじっとしていても仕方がないので、私が探しにいくと申し出る。冴子姉さんは運転もあるし、これ以上疲れさすわけにはいかない。停車位置を覚え、冴子姉さんと連絡先を交換し、私は二人の捜索を開始した。


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「居ませんでした…」
「アイツら、一体どこまで行ったんだよ」

5分後、冴子姉さんのもとに戻り残念な報告をする。トイレ周辺やお店、食堂などは隈なく探したけどあの目立つ二人の姿は見つからなかった。あまり遠くに行き過ぎて私まで迷子になってしまっては元も子もないので、大人しく帰ってきたけど、車の方にも二人は戻っていないようだ。
再度、ため息を吐いた冴子姉さんは「仕方ない」と呟くと、車に鍵を掛け私を店の方へと促した。

「これで昼飯テキトーに買っといてくれる?アタシは迷子センターに行ってくるよ」
「え、でも…」
「ここで食べる時間はないからね。車の中で食べれるモン、アイツらの分も一緒に頼むよ」

気にするな、と言って私に千円札を二枚程手渡す冴子姉さんは、迷子センターへと向かって行く。何から何まで、本当にお世話になりっぱなしで申し訳ない。感謝の気持ちでいっぱいになりながら、言われた通りお昼ご飯を購入しに走った。


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