ジェノベーゼ・クイーン

わたしはジェノベーゼの女である。なお友人はボロネーゼだ。

ボロネーゼの女である友人と遊ぶ約束をした時に重要なのは、待ち合わせ場所に彼女よりも先にくることだ。
彼女が先にそこに着いていてしまうと、欲に飢えた獣たちが彼女の豊満な魅力に引き寄せられてすぐに囲まれてしまうのである。なのでわたしは必ず家を予定の三十分も早く出て、コーヒーを片手に彼女のことを待たなくてはならない。
ちなみにボロネーゼの彼女であれば、きっとここでもコーヒーではなくフラペチーノだとかを選ぶのだ。それも期間限定のピンクや黄緑のきらきらとしたやつだ。無意識すらも自分のステータス変換してしまえる彼女は、まさにボロネーゼと呼ぶに相応しかった。ちなみにわたしは、甘いそれを最後まで飲み干すことも出来ない脆弱だ。

ジェノベーゼというやつは、どうにもイマイチ人気のないやつだ。
人気といえばカルボナーラとかボロネーゼとか色鮮やかでしっかりボリュームとカロリーを主張してくるものばかりで、ジェノベーゼというやつは控えめな服装の如く控えめなのか地味というべきか、人の口からそれを求める言葉をわざわざ発される機会というものはそうない。食べてみれば、バジルの香りが広がってとても美味しいのに。
自分にもすてきな何かがそれでもあると思っていたいから、わたしはわたしをジェノベーゼであると思っている。

常にスクールカーストの上位を駆け抜けるボロネーゼの彼女は、いっそ嫉妬も許さぬほどに美少女であった。
男も女も誰もが彼女に恋をした。食欲を掻き立てられるやわらかな肢体、くっきりアイメイクが華やかさを抱かせ、リップを乗せずとも赤い唇が蠱惑的に視線を奪っていく。
それはわたしがほんのり恋心を抱いた男たちも、みんなそうであった。彼女はとてもすてきだったので、いつもわたしはそれはそうだなと思った。
彼女との外出の約束をするとき、計画を立てるのはいつもわたしだった。彼女は魅力的すぎて出かけるとひどく人目を引いてしまうので、場所をきちんと考えないと目立つばかりで楽しめなくなってしまうのだ。

彼女と比較さえしなければ、わたしだってそれなりの見た目ではあると思う。
ピンクのきれいなリップをいつも絶やさないようポケットに隠し持っているし、告白だって今年に入ってから何回かされた。膝上十五センチの定位置のスカートから伸びる足だって毎日お風呂でのマッサージを絶やしたことはないし、モデルの鯛ちゃんが雑誌でお薦めしていた美容液をおまじないみたいに日々肌に乗せている。
わたしにだって女としての魅力がないわけじゃない。なんたって、一番似合う服を着たわたしはこの街の誰よりきれいなんじゃないかって、鏡の前でくるりと一回りして翻るスカートを確認した時にはそんなふうにちゃんと思えるのだ。
それでもいつもわたしの好きなものたちは、皆揃って彼女を選ぶ。トマトとひき肉のあまずっぱいようなにおいに、わたしのバジルはかき消されてしまう。

だから、なぜだろう。どうして柴くんがわざわざわたしを選んだのかだけが、わたしにはわからなかった。
柴くんという人は、それはもう華やかな人であった。歩くだけで目を引く眩しい頭髪に、それに引けを取らないほど均整の取れた顔。皆と同じただの制服を着ているはずなのに理解できるほど引き締まった肉体に、首元から覗かせる刺青は恐ろしく人のエロチシズムを刺激する。そして、そういうものを全て彼は自覚した上で生きている、圧倒的な生物としての強さがあった。
彼と交際関係になったのはほぼ強制的であった。
わたしは生まれてこの方格闘技どころか、小学校低学年までの地域のスポーツクラブだとか、ようやく七十五メートルを泳げるようになった辺りでやめてしまったプール教室程度しか運動という経験のない普通の女子高生であった。そんなわたしが、学校どころか生物の生態系ピラミッドの一番上の三角部分に存在していそうな生き物に声をかけられたのである。まさかイエス以外の返答などできようか。
柴くんとの関係が始まりは、まさしく衝突事故のような勢いだった。
わたしにとってクラスも違うために存在しか知らなかったはずの柴くんと、柴くんにとってそれまで廊下ですれ違うだけのモブ程度の存在でしかなかったはずのわたし。
その日柴くんはなぜかすれ違うはずだったわたしを呼び止め、その場で交際を求めた。
唖然とするわたしを強烈なほどの圧で頷かせ、そうしてわたしは晴れて彼の恋人となったのだ。

生きているだけでスクールカーストの上位にもれなく食い込む柴くんの公の場での告白という怪事件はあっという間に全校に轟き、わたしは否定する間もないまま彼の隣という座席を頂くことになった。
ひそかに思いを寄せていたサッカー部の人がボロネーゼの彼女相手に玉砕したという風の便りで聞いたばかりだったわたしは、それによって何か困ったということなく、むしろどんな理由であれそんな美しい男が自分を選んだという事実にほのかな優越感さえも得ていたのだ。なんともおめでたい脳みそである。

学校のスクールカーストの一等地だけに留まらず暴走族の総長という位に着いている彼は、今の所わたしに対してその拳を振るうことをしていない。
素行は人一倍悪いが学校においてもトップクラスに輝くほど頭の良い人物であり人一倍の品性を有している柴くんは、わたしが言葉を求めれば物言いこそとても強いものの、より的確で適切な言葉でわたしを納得させてくれた。
側近なのだという九井くんもたまにフォローしてくれるので、正直そういう時には彼の地位に助けられているなと思う。
わたしは彼を恐ろしい人だと思う。
きっと殴られてしまえばわたしなんて怪我どころか、あっという間にお陀仏だ。まだ現世にいくつもの未練があるので極力従順であろうという努力をしているとはいえ、それとしても彼はわたしに対してひどく寛容に、極めて穏便に接してくれているのだと思う。
けれど彼をそうさせる理由を、わたしは知らない。

「おう。姐さん」
「九井くんさ、その極めて物騒そうな呼び方どうにかならない?」
「実際極めて物騒なんだから仕方ねーだろ」
「遺憾の意」
「バックに物騒の塊装備してンだから諦めろ」

柴くんが総長を務めているのだという黒龍という暴走族は、彼の恋人だと名乗ったわたしをそれは丁重に扱った。お姫様にでもなった気分だなと当初はよく思ったものだ。彼が王なのだから、どちらかといえば王妃だとかの方が近いのかもしれないが。
そんなわたしたちの王様は、今日は夕方まで戻らないのだと言っていた。それでもわたしが彼らの今は人の少ないアジトまでわざわざ呼ばれているのは、わたしに彼の出迎えをしろということに他ならない。つまり、機嫌の天秤が揺れ動きやすい彼が帰ってきた時に不機嫌にでもなっていたら困るからここにいろ、ということである。
わたしと言えば、今日は一日暇であったし、ここは柴くんのために用意されたであろうコーヒーや茶菓子まで自動で出てきてしまう高待遇なので、それに対し特に文句はない。日がな家に引きこもってページをめくるよりは、柴くんのきれいな顔を見れる一日のほうがよほど得られるものもあるというものだ。

きっとこの対応も全て、誰もがあの獣のような自らの王を恐れている証拠なのだろう。未だに彼の意に従うわたしに憐憫の目を向ける者すらいるので、そういう時は正直居心地がいいとは思わなかった。
そんな不相応にも程があるというわたしに対しみょうに好感を示したのがこの九井という男で、彼自身の元来持ちうる気質なのか、随分と気安い態度を取ってくれるのは助かっている。交際しているのがどんな獣であったとしても、わたしはただの女子高生でしかないのだから。

「わたしに何があったところで、じゃない?」
「本気で言ってんのか?」
「まあ、大切にされてるとは思ってるけど」
「少しでもそう思うなら身辺には気ィつけとけ。オレらが困る」
「日本国、わたしの知らない内に随分物騒になったなあ」

わたしが彼らからまるでお姫様のように扱われるのは、わたしが彼の恋人であるからだ。そしてわたしをそうすることによって、彼の機嫌を取るのが少々易くなるというところだろう。そこに例えば愛だとか情だとか、そういうものはあってはならない。
柴くんは、気難しいところはありながらも気質自体は大変分かり易く、自分のものをきちんと扱われることがとても好きだ。
だから黒龍の彼らはわたしをやたらと不当な扱いはしないし、わたしも彼のものであることを自覚し、彼のものであるわたしを安くするようなことをしてはいけない。わたしたちは目的が基本的に合致しているために良好な関係を続けられていると言っていいだろう。
眠れる獅子を起こさないように努めること、たとえ起きても捧げる供物を忘れないこと。自身が供物であることを忘れないこと。わたしに求められるものは、ただそれだけだ。

「ねえ、九井くん」
「なんだよ」
「あの人、ジェノベーゼとボロネーゼならどっちが好きだと思う?」
「は?」
「まあまあ」
「……さあな。 あんまり偏食してるイメージはねェな」
「それもそうね」
「肉ばっか食ってそうな身体してな」
「好き嫌いがないから大きいんじゃない?」
「ああ、それもあンのか?」

規律正しく、規則正しく。本当に暴走族なのかと一瞬疑ってしまうほど柴くんの性質は美しく、正しい。
歪んだ思想を持っていることは百も承知であるが、例えばナイフとフォークを持った時のあの自然な動作を見ているように、彼は自分の法のもとで誰よりも正しく動く。

例えば、わたしの友人であるボロネーゼ、あの日声をかけられたのが彼女であったらどうだったろう。
きっと彼女はすぐにこの黒龍内にあの甘酸っぱい食欲を掻き立てる匂いでいっぱいにしてしまうだろう。誰もが焦がれる肉体で、誰もを無邪気なままに魅了してしまうだろう。
そうしたら柴くんはきっとこのアジトに数人の部下と共に彼女のような人を残していくことなど許しはしない。彼は案外、彼らのことを信頼していない。
そう考えたら、彼がわたしを選んだのは正解であったのかもしれない。人より劣ることはない容姿でも、むやみに組織を掻き乱すこともないだろう。全くもって情けのない話であるが、わたしは彼女のような、思わず触れてしまいたくなるような危うげで柔らかな肉体も、フラペチーノばかり飲んだために甘ったるくなったのではないかと思うような声も出ない。そんな魅力的な彼女の後ろにすっかり隠れて、彼女が得る全ての賞賛を受け流しながらその恩恵をほんの少し拝借しながら生きているような、卑しく狡猾な人間に違いない。
けれどわたしはそれを自らの力で理解し相応に対処する程度には狡猾でいられるし、身の丈くらいは弁えていられているつもりだ。彼が人事の一環としてわたしをここに置いたというなら、素直に彼に傅くことくらいはできる。

「でも、その後にメインディッシュで肉でも食うんなら、ジェノベーゼのがいいんじゃねえの?」
「……ああ、そうか。 それもそうね」

しっくり。九井くんの言葉はなぜか今のわたしにはひどくしっくりきた。
メインディッシュは柴くんだ。
わたしたちの王様。わたしたちの法。
わたしは今、彼の元にいる。それは庇護下とも言っていいし、同時にわたしの盾と言ってもいい。
彼を彩るためのわたしであるとするならば、確かにそれはボロネーゼのようなこってりした味ではなく、バジルの爽やかさとほのかな苦味、ちょっとだけ大人びた風味があったら、なかなかいいじゃないか。

「ま、オレやイヌピーならどっちも食うけどな」
「山盛りにしてくれるレストランでも探しておくわ」
「それはオレたちの役目だろーが」
「そういうもの?」
「そーゆーもんだろ。アンタはそのままボスとのデートの計画でも練っててくれや」
「あの人、わたしに希望は聞いても計画自体は自分で組むわよ」
「……マジか、愛されてんなア」
「そうね」

彼がわたしを選んだ理由は、わたしにはわからない。
きっと聞いたところでシャイなところがあるあの人は、すぐに拗ねて押し黙ってしまうに違いない。
それならそれでも構わない。最初の理由なんてなんでもいい。わたしを選んだだけでいい。そんなものはどうだっていい。
わたしは、わたしがその先で彼の隣にいる意味が与えられているのことのほうがずっと嬉しいのだ。王様の機嫌取り、引き立て役、前菜、供物、生贄、どんとこいだ。わたしの隠れた魅力に気づいてしまった美しい彼に、とても丁寧に上手に使われるのは、案外と気持ちがいいものだ。
それはナイフとフォークを正しく使うように、わたしが彼にとって必要なものであるという証左なのだから。

それにわたしは彼と出会って知ってしまったのだ。
待ち合わせ場所にわたしより先に誰かがいて、わたしを待っていてくれる幸運を。わたしと同じ苦くて香ばしいコーヒーを当然のように飲んでくれる幸せを。自分が与えたリップをきれいに乗せて見せると、誰よりも先に気づいてくれる喜びを。
それがわたしへの彼からの報酬だというのであれば、それもまた幸福と呼ぶべきだろう。

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