誰にも知られぬ場所で咲く

お気に入りのブランドのショップの更衣室の鏡の前で、わたしは唐突に気づいてしまった。
ああわたし、柚葉のことが好きだ。

柚葉はわたしの小学生の時からの一番で、唯一の親友だ。
カッコよくて人気者で素敵な柚葉はわたしの自慢の人で、彼女が笑うと世界が華やぐし、彼女が幸福な世界こそが世界のかくある姿であると信じてやまなかった。
柚葉は泣き虫なわたしを泣き止ませるのがとっても得意な女の子で、いつしかわたしは彼女の前で泣くことは無くなってしまった。嘘、先週一緒に見た映画のベタベタなワンシーンでべしょべしょに泣いて、マスカラパンダを彼女に笑われてしまったばかりだった。
柚葉は弟の八戒くんが大好きで、お兄ちゃんの大寿さんが嫌いで、お母さんが大好きで、お父さんがちょっと苦手で、そのみんなをとても大切に思っている人だ。おしゃれで、スタイルだって良くて、スタバのキャラメルマキアートが世界中で最も映える素敵な女の子だ。

そんな素敵な柚葉に見てほしいと思ったのだ。綺麗な色のワンピース。花の描かれた、彼女の艶のある髪の色に似たワンピース。
素敵でしょって笑って、いいじゃんって返して欲しかった。そうして笑ったあの顔が見たいと思った。まるで自分のものみたいに自信満々な顔して笑う顔が見たかった。その時わたしは、彼女のことが大好きだって気づいてしまったのだ。それはまさしく恋だった。

柚葉には大好きな人がいる。わたしの知らない彼女の大好きな人を、彼女は好きになったのだと言っていた。
叶わぬ恋だと少し眉を下げて、それでも頬を染めて笑った彼女を、わたしは綺麗だと思った。
何年もずっと柚葉と一緒にいた。たくさん見てきた彼女の顔の中で、初めて見る顔だった。彼女にそんな顔をさせてしまうような恋に出会わせてしまった誰かを、わたしはちょっとだけ好きになった。きっと彼女はその人に、とても素敵なことを教えて貰ったのだとわかってしまったから。
そんな素敵なものに出会えた彼女のことが、出会わせてしまった誰かのことが、わたしはちょっとだけ羨ましかった。

そんな素敵な気持ちに、素敵な心に、わたしもようやく、今この瞬間気づいてしまった。
思わず鏡の前で、くるりと一回転。一畳にも満たない小さな箱の中だから、裾が引っかかってしまわないように、けれど思い切り。まるで子供のようだけれど、誰も見ていないのだから許してほしい。
スカートが鏡の向こうでひらめいた。いつもよりちょっぴり大人っぽい膝下丈の、夕焼け色の、彼女の色のワンピース。
風に揺れる彼女の長い髪が、わたしの脳の奥で反芻される。強い風が吹いて舞い上がる髪を、反射で抑える真っ白い細い左手。きゅうとつむった眉間の真ん中にできた深い皺。どれもわたしはちゃあんと覚えている。誰もが振り向く美しい彼女を、わたしは誰よりも長い間彼女の隣で見てきたのだから。

八戒くんも、大寿さんも、ご両親も知らない柚葉の素敵なところを、わたしはたくさん知っている。きっといつか彼女の隣を歩く素敵な男の人だって知り得ないことを、知ることのできないことを、わたしはたくさん知っている。
その権利を彼女と出会った瞬間にもらってから、一つ一つ大切にしてきたのだ。彼女がキャラメルマキアートが似合う女だと気づいたところで知り得ない、彼女のたくさんの素敵な記憶がわたしの中にだけある。
この先誰がわたしに代わって彼女の隣を歩いたって、先週一緒に映画に行ってよくある話のよくある展開で泣いてそこだけすっぴんになってしまった薄いまぶたの色も、八戒くんがイケメンだったって話を何千何万回も語る時の明るい声も、下校途中の道にあるクレープ屋のブルーベリーチーズケーキが期間限定だった知ってショックを受けた顔も、他の子とのカラオケじゃ恥ずかしくて歌えない可愛らしいラブソングのちょっと外れたメロディも、この先ずっとわたししか知らないのだ。

この恋は叶わない。わたしはこの先の未来で、柚葉の隣には選ばれない。
叶わない。敵わない。構わない。全然構いやしない。叶うだけが恋じゃない。結ばれるだけが恋じゃない。恋なんて、別に叶わなくなっていいのだ。
柚葉が好きだ。大好きだ。わたしにはただそれひとつきりでいい。それをわたしだけが知っていればいい。

鏡の向こうのわたしを見た。鏡に映るわたしは世界で一番可愛かった。誰もが見惚れるほど綺麗で、上品で、無敵で、優雅で、誰より素敵なわたしだった。
この素敵なワンピースを着た世界で一番素敵なわたしは、この一畳にも満たない更衣室にしかいない。この先の誰も知り得ない、今この瞬間、この場所にしかいない、世界で一番素敵なわたしだ。
世界の誰も、八戒くんも、大寿さんも、三ツ谷くんもその妹さんも、クラスのみんなも、彼女がこれから恋をする誰かも、わたしとこれから恋をするかもしれない人も、彼女が恋をしたあの人も、柚葉も、この素敵なわたしを永遠に知り得ない。
こんな素敵なわたしを見たら、あの子は思わずわたしを好きになってしまうかもしれない。だから、このわたしは此処までなのだ。

柚葉が好きになったわたしの見知らぬ素敵なあなた、あなたはとってもかわいそうね。
彼女のあんなにかわいい顔を、恋をしてちょっと色づいた頬を、緩んでしまう口角を、思わずあなたを思って選んでしまうあなたの色をした服を、キラキラ輝いた瞳の横顔を、世界で一番素敵な女の子を、きっとあなたは見ることも気づくこともなく死んでしまうのだ。ああ、なんて、かわいそう!

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