エキストラ

自分には名前がないということにようやく気が付いたのは、それが起きた三度目のことだった。

なんてことない人生だ。
オレは世間で言わせりゃワルガキで、それがカッコイイんだって世間を斜めに見ながら身体も斜めにして、斜に構えてるフリをして生きていた。
テキトーなんて銘打って、実の所はただの煩雑な日々を送って、それでも何かいい事起きないかなって期待をしてた。
まるでどこかの漫画みたいに突然街にとんでもない怪物なんかが現れて、通勤中に居合わせただけのオレに特別な力が発現して周りの人たちとかわいい女の子を守ってしまうような、そんな出来事が起きるんじゃないかって思いながら満員電車で鞄を抱えて小さくなる。
耳から入り込んでくる聞きなじんだロックなナンバーだけが自分の世界の彩りで、だけどそれだって自分じゃない誰かが作り上げたものだって事実に目を背けながら、自分が特別な何かなんだって呪いを何度も何度も頭の中にだけ住んでいる自分だけの素敵なヒロインに嘯くのだ。
歩いても歩いても自分の濁った色の革靴とコンクリートの鈍い色だけがいつだって自分の世界で、子供の頃真っ白なキャンパスいっぱいに描いた一声で世を明るくしてしまうロックスターだとか美しい世界を陰から支えてニヒルに笑うダークヒーローには程遠い。

自分が主人公になれると信じていたのだ。自分は何にだってなれるんだと思っていたのだ。
真っ白なキャンパスは案外小さいことに、幼い自分は微塵も気づいていなかった。無邪気に並べて指差し選んだクレヨンの色が限られている事実を知らなかった。その僅かな色のクレヨンを、道中のどこかに取り落としてしまってきたことにも気づかずに、こんなところまできてしまった。

カッコつけて校舎裏で吸い始めたタバコを手放せなくなって、スカスカの財布から小銭をかき集めて煙をふかす。趣味もなく、生きがいもなく、うわべばかりのカッコよさをメッキみたいに身体に塗りたくって、電源がついているだけのテレビを頭にいれることもなくただ流すだけの青春だった。
昔みたいに好きなロックバンドの番組をソワソワと十五分も前から待機することももうなくなってしまった。近年の技術革新は著しいので簡単に後追いができてしまうからそんな必要はないのだ。結局そのアプリだって、半年前には容量が圧迫してきたのでアンインストールしてしまった。

草臥れたスーツを着たなんでもないオレの人生が突如として変わったのは、そんなある日のことだった。
気付いたらオレは実家のリビングに座り込んでいた。古い筐体のコントローラーを握って、昔やり込んだテレビゲームのコントローラーを握っていたのだ。
何が何だかわからないまま懐かしいゲームオーバーの画面を見ながら、ああ、解像度のなんて悪い画面、これが大好きだったんだよなあ。なんで忘れてたんだろう。何度も「さいしょからはじめる」を選んで、何度も冒険の旅をはじめたのに、なんてただただ思ったのだった。
もう会えなくなった人に会った。昔付き合っていた女の子と遊んだ。理由はわからないけどそんな夢や妄想みたいな日々を送っていたオレはふとそんなとき、オレはふと思ったのだ。もしかして自分は主人公になったんじゃないか。どこかの漫画だとか、ライトノベルの主人公が何かの事故によって別の世界に送られたり、突然不思議な力を得たりする、「主人公」に。

それからは無造作に過去に戻ったり、突然現代に帰されたりした。まさしく異能と言うにふさわしいのではあるまいか。オレは浮かれたのだ。こんな自分も特別になれるんだと。

そうじゃないと気づいたのは三度目のことだった。
理不尽なタイミングでやってくる急激な変化の要因に、三度目でようやく気付いたのだ。これは自分のために準備された舞台ではないのだと。そしてその舞台において、自分はメイン・キャストどころか、サブ・キャストとしてすらも配役が与えられていないことにも。
このタイムリープは自分がやり直すための機会じゃなく、恐らく世界のどこかの誰かが誰かの世界のために起きている変化だった。
だからあの日恋人に放ってしまった悪態も、奮ってしまった暴力も、何をどう改めてみても未来でオレがあの草臥れたスーツを着て生きていることに変わりはなかったのだ。何も変わらなかった。オレは特別な、選ばれた人間ではなかったのだ。
だからどんなに探し回ってみても、主人公には出会えなかった。昔と違うところを必死に探してたどってみたりもした。
けどオレは生きてるうちの何もかもを見逃して目を瞑って生きてきたから、何が正しくて正しくないのか、昔と何がどう変わっているかなんてわかりようもなかった。
そもそも、この舞台に主人公が本当にいるかどうかなんてわかりようもなかった。オレはただの能も金もないクソガキで、メイン・キャストとかかわることすらないエキストラでしかなかったのだ。

たとえばもしこれが実際に自分が過去に戻っている訳じゃなくて、記憶を振り返っているだけなら、なんて壮大な追憶なんだろう。もしかしたらもう自分は死んでいて、走馬灯の中なのかもしれない。何度も何度もぶつ切りにしてまで振り返させるだなんて、なんといやらしい走馬灯だろう。

だけど、そうじゃないといいなって思ったから、オレは主人公の存在を祈ったのだ。
もしこれがオレのための舞台じゃなくっても、世界のどこかの誰かが幸せに変われるだけの話だったら、今この瞬間必死に駆け回って幸せになろうとしてる奴がいたり、ステキなヒロインを幸せにしようとしてるヤツがいたりするんなら、なんだかそれはイイなあって思ったのだ。そんなヒーローがいたのなら、そんなシナリオに書き換えられているのなら、舞台の隅っこのみっともない大根芝居のエキストラだってちょっとくらいは報われた気持ちになってもいいだろ?

未来に戻ればベッドに寝たきりでずっと何かをブツブツと漏らしている母親は、ここではいつも顔をしわくちゃしながら小言ばかり言っていた。それを右から左にして聞き流す父親の目元には、深く刻んだあの隈も片方だけ歪んだ口角も見つけられない。一つ下の妹はやっぱりワガママ放題でいつもオレの背中を蹴っ飛ばしてくるけど、それを代わってくれる義理の弟はここにいない。
ああそうだ、自分がすっかり忘れていただけで、なかったことにしていただけで、オレの家族はこんな顔をしていたのだったか。結局オレが気づけたのはそんなことくらいだった。
だけど、どこかの漫画みたいにそれを嬉しく思ったりすることはなかった。一応の感謝とか心配とかはあっても、やっぱり好きにはなれなかったから。

だからオレは、終わったはずの借金の清算みたいな生活を、もう一度、もう一度、繰り返させられている。
仲良くしてたはずの先輩に着せられた濡れ衣による暴力が、大好きだった彼女の幾度もの裏切りとその度に擦り寄って媚びる姿が、泥を舐めるような奴隷みたいな生活が、オレの何度も降りかかる。オレの意見とか真実とか関係もなく押し付けられるところが、まるで天災みたいだ。

なあ、どこかにいる主人公。この舞台の上で一等の名前をもらって、エンドロールの一番最初に名前を載せる、するたったひとりのヒーロー。どうか、どうしようもないオレを助けてくれよ。
舞台の端っこで流されるままにしか生きることもない名もなきエキストラは、お前が笑顔で手を振るカーテンコールが終わるまで、息ひとつすらまともにできやしないんだ。

- 27 -
「卍関全席」肩凝り回避用ページ