さよなら、魔法少女

子供の頃テレビで見た子供向け番組のスーパーヒーローや可愛い美少女戦士。おしゃれでかっこよくて強いその姿に、何度も胸をときめかせて、そういう自分になれたらいいだなんて何度も夢に描いたものだった。
綺麗なパッケージに包まれたリップやアイシャドウ、雑誌で一目惚れしたシルエットの美しいスカート。この世界にはシャバダバダって軽快なテーマソングに合わせて変身するようなファンタジックな魔法は存在しなかったけど、そんな小さな魔術だけは残されている。その本の小さなかけらを拾い集めて、自分を守るためのものにしていく。生きるために、生きるために、女は戦っているのだ。
美しさを王子様に見初められた灰被りだって、美しかったから救われたし、スーパーヒーローが救うのはいつだって綺麗な女の子なのだ。
もちろんそれだけだなんて思わないけれど、いつだって最初に比べられるのは結局美だった。美しい女が一番幸福になるようには世界はできていないけれど、多くの選択肢が与えられることだけは確かなのではないのだろうか。
それをわかっているから世界の女たちは自分を彩っていく。ピカピカのネイルにキラキラのアクセサリー、翻るスカート、透けるような肌、女のきらめきはいつだって自分を守る密やかな武器で、どんな金属なんかよりも強く脆い鎧なのだ。

好きな男がいる。男は、とても美しい男だった。
均整の取れたよく鍛えられた肢体、淡い色の頭髪と睫毛は日が当たると透けるように輝き、高い鼻筋はスッと通っていて、ニキビひとつ知り得ないような肌はどんな女も歯軋りをしたくなるような美しさであった。

好意を意識し始めたその瞬間から、わたしの行動は早かった。それまで少々おざなりだったスキンケア用品を手当たり次第に試しに試しまくって、買い物のために通り過ぎたことしか無かったコスメカウンターの椅子に座るようになり、女性用の雑誌を上から下までチェックするようになり、お風呂の後にはストレッチするのが習慣になった。スポーツジムの会員登録までしていた。
恋という感情を差し置いても、確実に効果が出てくるのは楽しかった。素敵になったわたしを鏡の向こうに認めるのは気分が良かった。友人にも褒められることが多くなったし、彼の友人たちにもお墨付きをいただいたときにはガッツポーズさえもした。それを勇ましいと笑われたのはちょっとだけ恥ずかしかったが。
彼は化粧だとか細かいところには関心のない男ではあったものの、爪の色を変えた時とか、柔らかい色のスカートだとかを着た時には「それいいな」って言ってくれるものだからわたしは調子に乗って、何度もそのスカートを履いて彼の前に現れたし、遂にはそれを部屋の壁にかけてニヤついたりもした。
それから彼と恋人というものになってからも、ほとんど習慣になっていたそれを、もちろん継続した。好きな男の好きな女なのだから、誰よりも素敵な最強の女でいたかったのだ。
髪の毛の先から指先までピカピカにして、一等綺麗な服を着た時は、いつだって魔法みたいに無敵な気分であれた。以前は上手に目を合わせる事もできなかったのに、最強の女でいる間だけはそこから微笑むことだってできるようになった。綺麗なお洋服は、やっぱり魔法をくれるのだ。

だからそれを丁寧に剥がされたとき、わたしはどうしようもなくなってしまった。
風に揺れる柔らかなスカートも、ちょっと背伸びしたお揃いの下着も足を少し長くしてくれるヒールもわたしの元にはなく、うるうるした輝きをもたらしてくれるピンクのリップも、きっとさっきの深いキスの間に全て舐め上げられてしまった。目元を彩るラメがピカピカするアイシャドウだって涙と一緒に流れてしまっただろう。
わたしを守ってくれる魔法はみんななくなってしまって、本当に丸裸で剥き出しのままのわたしに、彼の手が触れていく。手のひらを、腕を、脇を、腹を少しカサついた手がゆっくりとなぞって、凹凸があれば悪戯に撫でていく。わたしの輪郭をなぞりながら、時折楽しげに舌でも触れていった。くすぐったいとばかり感じていたそれは次第に神経をざわつかせる要因となり、それをわたしの口や身体で示す度に彼はひどく嬉しそうに息を吐いた。

「ヤじゃねえ?」
「ヤじゃない」
「ん、よかった」

言葉の多くない彼の言葉は、いつも大体がそのままの意味を持つ。
わたしに拒絶されないことなどとっくに知っているはずなのに、それを確認する度に満足そうに笑うのだ。
よかったなんてそんな簡単な言葉でもとっくの昔に骨抜気になっているわたしには効果絶大で、ひとつきりだって彼の行動の全てを否定したくなくなってしまうのだ。羞恥をみんなみんな押しやってでも抵抗しないように努めるし、どうしたら彼にそんな顔をしてもらえるのかで頭がいっぱいだった。
全身をくまなく確かめていた指先がデコルテをなぞって、その先の胸元に触れる。さほど大きくもないわたしの双丘は、先ほどまで必死に下着で持ち上げられて見栄を張っていたものだったので、正直あまり見られたくは無かった。どれだけ必死になって試行錯誤を試みた割には唯一改善しなかったそれだったけれど、笑う事も茶化す事もなく楽しげに弄び始めたので、少しだけ安心した。もしかして彼は随分前から気づいていたのかもしれない。

魔法が解けて自身を守る鎧をなくしたわたしは最強の女じゃあなくなってしまうから、指で、手のひらで、舌先で、目で、やわらかくわたしを撫でていく彼の目をまともに見ることもできず、押し殺す羞恥のままに瞼を閉じてしまう。それを見てしまったらどうなってしまうのか、もうわからなかった。

「なあ、こっち見ねえの」
「見ない」
「なんで」
「恥ずかしい」
「イイじゃん」
「イくはない」
「いーから」

先ほどまでの触れるか触れないかの優しさなどなかったみたいに強引に顎を引っ掴まれて、ぐんと前を、正しくは上を向かされてしまう。こうなってしまえばわたしの最後の抵抗など意味を持たず、仕方なく瞼の緊張を解いてゆっくりと開けていく。
困惑するわたしの目にまず入ったのが彼の顔の真ん中にある目だった。長いまつ毛がぐるりと一周彩った垂れ目の真ん中にはアメジストの瞳が嵌め込まれていて、その奥底がギラギラと熱を持っていなければ宝石だと勘違いしてしまいそうな美しさであった。
触れ合う鼻の麓の小鼻は言葉通りに小さく、唇の皮は薄く、少し乾いている。呼吸をするたびに少し揺れる喉仏を視線で追うと深い溝を作るデコルテときっちりと筋肉のついた胸部、細いとばかり思っていた腰も腹筋の割れ目がついていて、その全てが美しくて、眩しくてチカチカした。

「ど?」
「イイ男すぎて眩暈がしそう」
「ハハ。今からその男に抱かれんだよ、オマエは」

ああ、わたしはこれから、この美しい男に抱かれるのか。なんでもなくなったただのわたしを、それでもこの美しい男が抱くのか。
魔法少女は、少女でなくなったら一体何になるのだろう。少女漫画はいつだってその先のことを書いてはくれない。世界を救ったきらめきの魔法を無くしたら、その先でただの女になった少女はどうなってしまうのだろう。
頬に口づけが落とされた。そこは日夜色んな薬品を染み込ませてはマッサージをして、彼とのいつかを夢見てずっと磨き続けた場所のひとつだ。思わず身じろぎをすると、シーツの衣擦れの音がやけに大きく感じた。それを追うように、もう一度わたしに彼の身体が覆いかぶさる。まるで逃げ場はないと言わんばかりだ。今更逃げるなんてこと、決してするはずもないのに。

「オマエ、イイ女になったな」
「少しはワカの好みにはなれた?」
「何度か焦って手ェ出すかと思った」
「出してもよかったのに」
「バァカ、カッコつかねえだろ」
「そういうの、君にもあるのね」
「そりゃな」

剥いだ鎧の中のわたしの柔らかい場所を、彼の指先が撫でていく。それを真似るみたいにできるだけ優しく、わたしも彼の白く美しい肌をなぞる。彼は咎める事もなくそれを受け入れた。
わたしより少し皮が分厚い気がした。筋肉質なせいか、ハリと弾力があるような気がする。繊細なものだとばかり思っていた美しい男は、どうやらガラス細工のようにできているのではないらしい。指先から訪れるあたたかな体温になぜだか涙がこぼれ落ちそうになって、ほんの少し漏れ出した雫は、彼の唇が受け止めた。
乙女の涙は少女漫画では最終兵器なのにそれすらも彼は絡め取って、これで遂にわたしは本当に丸裸だ。

ああ。さよなら、魔法少女だった小さなわたし。
最強じゃないただの女だって、いまは案外と悪くないと思うのだ。

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