手のひらの文鳥

その男は暴力の体現者と呼ぶべき人間である、と九井は思っている。
力でもって屈服させ、力でもって制する。動物的と言えばその通りであるが、しかしそれはどんな生き物にも通じる強さだと言うべきものであった。
ひとたび口を開けば実に理知的で理性的、禁欲的と称しても不都合はないほどの人物であり、そもそも暴力で屈服させることそのものに意味なんて見出していないというのに。
生まれ持ってしまった圧倒的なほどの体格とそれは相反するものでありながら、男のその大きな肉体の中では奇妙なバランスでもって成立させられている。
恐らく、力で屈する方法を本人が好く好かないとは別として、どのような形であれ男は上に立つための人間として生を受けたのだ。
きっかけはなんであれ、それを自分たちがそうするよう仕向け、仕立て上げてしまった。その男はそれを受け入れた。ただそれだけだ。

その男、柴大寿という男は他の不良たちなんかとは違い、暴走族という集団には少々向かぬ男であった。
きっと柴は、いつかこんな場所ではない何かで大成するような男であるだろうと九井は心底感じていた。
けれど柴には力があった、圧倒的な膂力とよく回る頭、何より磨き上げられた品性をもっていた。
人の倍は大きな体格をしておいて、両手にフォークとナイフを持たせれば誰よりもうまく使う男だった。そういうところを、九井は彼の持って生まれた膂力なんかよりも、実際ずっと尊敬していた。きっと大なり小なり自分と同じように思っているやつがいることも知っていた。

それでも柴は愛を暴力のという形でもって体現している。
それを少なからず知っていた九井は、多少の憐れみを込めて女に告げたことがある。いつかそうなるかも知れぬことを覚悟しろというつもりであった。それを聞いた女は、驚いた様子もなく言ったのだ、そうかもしれないと。

「けれど、今のわたしは、わたしの肩を抱く彼の腕しか知らないのよ」

知らないものは、知った時また考えるわ。女はそう続けて、柴が激選したコーヒーを当然のように飲み干した。
九井はそうして理解した。驚きはしたものの、柴が女を選んだ理由がわかったからであった。
柴が女を連れてきた時、どよめく仲間達の視線を浴びながら涼しい顔をしていた女は、その実柴の小さな文鳥であったのだ。
頬のひとつも叩かれたこともなさそうな無害そうな女は、自らの倍近くは体積のありそうな柴に怯えてはいなかった。自分の立ち位置をしっかりと理解していた。女は柴の暴力という力でもって柴の元に置かれた訳ではなかったのだ。

女は実にうまくやっていた。
よく柴を見て、よく柴の声を聞き、柴の意見をもって行動した。怯えのフィルターを挟んでいない女の目はなかなかどうしてクリアであった。
女は怖いもの知らずというほど柴に言葉を求めた。
その中には難度の高いものから可愛げのある揶揄いや、彼の嗜好に触れるものまで様々であったが、柴はそれを一つとて無碍にしなかった。時折声を荒げることや制することはあれど、女の知りたいという意志を尊重せぬことはなかった。柴は大変頭がいいので、女がなぜそれを求めているかをわかっていたからであると、暫くしたら理解できた。
文鳥である女は自分の弱さを知っていた。その上で自分よりずっと大きく力強い柴の手に乗ったのだ。柴を自分の無害と認め、彼が手を出さぬうちは彼の手の上で、柴に守られ、柴の定めるままに生きると決めた。
きっと女は一度でも柴が理不尽に手をあげてしまえば、どこかへ飛び立ってしまうのだろう。それがその羽を羽ばたかせる行為なのか、そもそも女が息絶えてしまうことなのかはわからない。けれどきっと、女が今一度柴の手に自ら触れることはなくなるだろう。
それを理解している柴は、女が下手を働かない限り、女にむやみな暴力を加えないだろう。柴にはわざわざそうしてまで女を従わせる必要がないのだ。女は自分の脆弱な肉体を丸裸のまま柴に示し、託し、その前に膝をついた。柴はそれを受け入れたからだ。
九井はそんな彼らに、敬意という名前をつけた。

「戻ったぞ」
「お帰りなさい、柴くん」
「ああ」

外出から戻った柴を、女は真っ先に出迎えた。
事前に部下から連絡をもらった彼女は、二十分も前から身なりを整え周囲を整え、アジトに控えていた自分と共に柴を待っていたのだ。
当然のように女を一瞥しソファに座り込んだ柴の隣に、当然のように女は続いた。
九井は柴のことを恐ろしい生き物だと思っている。正しく怪物のようであると思っている。何かあれば自らも、自らの親友も簡単に地に頬をなすりつけられることを知っている。
けれど九井はその女と、女と並んだ時の柴のことをひどく気に入っていた。
何度もページを捲り、何度も柴に倣いテーブルマナーを事細かに確かめ顔を顰める姿も、柴の蔵書のうちのとっておきを強請る姿も、いつの間にかコーヒーをブラックで飲めるようになってやってきてされたドヤ顔も、それらが全て柴への敬意からくるものであるところも、なかなかどうして可愛げがあって扱いに困ってしまうほどであるからだ。
女は柴に比べれば何も持たぬ凡人であった。
美人と呼んでも差し支えない身なりでもあったが、女より美しい女は世の中にごまんといるに違いない。
柴が最初、女の何が気に入ったのかを九井は決して知り得ない。
けれど少なくとも今、柴が女と女が起こす行為に対し多大なまでの敬意と尊重を払っていることだけは確実であった。

爪先までをきちんと美しく合わせ背筋を伸ばし柴の隣に座りコーヒーを啜る華奢なその女は、確かに柴のたったひとりであると、九井は胸の内で断言した。

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