夏の影

人生は一方通行だ。
進むことしかできなくて、止まることはできない。
ゆっくり歩いているようでも、実の所隣の駆け足の人と同じ速度で歩いていて、どちらかといえば作業のように、ベルトコンベアで運ばれるような作業のそれに近い。
始まりの点、終わりの点が違うだけで、全てが同じ速度で進む時間という概念の中で生きている。

ただ歩いているだけのわたしたちは、いつからか突然始まり、いつか突如として終わりを迎える。
終わってしまった人間の道には、もう何も残らない。未来へ続く標はなく、その人間が歩いた道程の名残だけがそこに残るのだ。
どこかでその道と交わり、そうして残された人間たちは、その道に残された足跡が自分の道にあったことだけ、それだけが人生に残される。
あんなことがあった、こんなことがあった。語られる美しい話の中にいる逝った人間は決してそこにいるはずもないのに、彼らの人生の中に残された足跡のそのふもとに咲いた小さな花や、凹んだ場所に生まれた水たまりの輝き、そういったものたちに彩られてキラキラと終わったはずの時間の中でひっそりと息を吹き返す。
愛しい時間があったのだ。愛した時間があったのだ。
思い出ばかりが輝いていていつも振り返ってしまうのに、そうしていくと少しずつ、少しずつ、その美しい花が遠のいていくのがわかるのだ。
いつしかあの馨しい花の香りがしなくなってきたことに気づいてしまう。小さな花から薄ぼんやりと輪郭線がぼやけて、どんなに目を凝らしてもその色の判別がつかなくなってくるのがわかる。それでも足は止まらない。あの足跡は決して追ってきてはくれない。進んではくれない。いなくなってもくれない。消えてもくれない。一生残る傷跡みたいにそこにずっとあるのに、少しずつ少しずつ薄くなっていく。時折そこにあることを痛みで証明して、忘れることもできない。
わたしはわたしがいつかあの花の形を忘れてしまうのかもしれない、それがどうしようもなく恐ろしくてたまらないのだ。
痛いなら、ずっと痛くしていてほしい。痛くても悲しくても辛くてもいいから、わたしの目の届く場所でずっと咲いていてほしい。

花の匂いがする。咲き誇る向日葵の匂いだ。
墓前には似合わないそれを、あえていつも選んで飾る。
蜃気楼でも見えてしまいそうなほど暑い夏の日のような男だった。それをわたしが忘れてしまわぬように、毎年この時期になると大きく育てたそれを持ち込むようになった。彼の好きな花がわかればそうしたいのは山々だったが、彼にそういった趣味があるとは認識していない。何より、弔いとは常に生者のためにあるのだ。だから、彼のような花をわたしがわたしのために選んでもいいのだ。きっと彼がそれを知ったとて、キレイだなって笑ってくれるだろうと、勝手に妄想をしている。

「よう、来てたのか」
「久しぶりだな。今年も立派なのが咲いたじゃねーか」
「久しぶり、今年もいい感じでしょ。うちの庭もすごいんだから」
「いーな、そりゃ明日の朝が楽しみだ」
「ビール冷蔵庫いっぱいに冷やしてきたから、夜もお楽しみだよ」
「天才かよ」

灼熱地獄みたいな墓前で待ち合わせるのも、わたしたちにとってはもう毎年恒例のようなものであった。昔より更に派手な頭になったワカちゃんとさらに筋肉感の増したように感じる大きなベンケイちゃんは、喪服の割にはネクタイも襟も緩め、ジャケット片手にやってきた。彼らの手には今年も花はなく、水桶と膨らんだビニール袋が下げられている。墓参りにきた人間というより、地上げ屋みたいだった。

「今年こそお線香買ってきた?」
「どーせオマエ持ってるだろーなと思って持ってきてねえ」
「不良くんめ」
「そりゃどーも」
「タバコはあんぞ。刺すか?」
「ご先祖様もいる墓前でなんてことしようとしてんだ」
「ジョーダンだよ」

掃除はいつも先にきた方がやると決めているので、今回は二人はそのまま打ち水をして手を合わせ、彼に挨拶を済ませる。
ベンケイちゃんが取り出した煙草の箱を墓前に置いた。そのデザインは去年の見たものから少し変わっているようだった。
二人はスポーツマンだし、わたしも喫煙の習慣はない。唯一の喫煙者である武臣は今年も不在なので、きっと今年もまたその処理に困ることになるのだろう。それでも変わらずベンケイちゃんはそれを買ってきて、眠る彼に見せつける。うらやましーだろ、吸えねーだろーけど、なんて言って。

「ん、これオマエの分な」
「ありがと」
「弁当広げんぞー」
「あいよー」

手慣れた調子でわたしの鞄のビニールシートを広げ、わたしたちはその上にほとんどみちみちになって座る。
三段重の中にはおにぎりがいくつかと、唐揚げと玉子、タコの形にしたウインナー。弁当の象徴みたいな弁当は、毎年更新されることもなく同じメニューになっている。けど、毎年ちょっとずつ違うのだ。わたしは調味料を測ったりすることもないので味付けはまちまちだし、今年のタコの顔はタレ目だし。何より今日はちょっといい海苔を使ったのだから。

「おにぎりとか久々に食ったワ」
「おいワカ、乾杯前に食うな」
「え、まごころ弁当文化やめたの? おばちゃんのでっかいおにぎり美味しいじゃん」
「いや、こいつ今絶賛生姜焼きブームなんだよ」
「なるほど。そんなにモリモリ食べるのに減量知らずだなんて、さすがだねえ」
「まーな。出来が違うモンで」
「おっケンカか?」

各々が定位置で、適当に居住まいを正す。一番いいポジショニングを取ったら、合図みたいに赤いラベルのペットボトルの蓋を鳴らす。
乾杯。乾杯。乾杯。ボトルのぶつかる軽い音をさせ、まだ冷たいそれを一気に口に含む。強い炭酸が口内から喉を駆け抜けて、胃袋で鐘を鳴らした。刺激の次にやってくる甘さがわたしたちに夏の暑さを知らせてくれる。
胃袋から迫り上がってくる呼気を一気に吐いたら、口々に笑う。笑って、おにぎりを食べる。今日朝寝癖がひどかった話や一昨日千壽ちゃんの学校であったらしい愉快な話をして、笑って唐揚げを食べる。ベンケイちゃんがコーラを飲んで、勢いが良すぎて吹き出したのを指差して笑う。通りすがった青山さんの奥様が今年も楽しそうでいいわねえって言いながらしわくちゃの笑顔を見せてくれて、お陰様でっていいながら頭を下げて、旦那様にもご挨拶させて頂いて、そしてみんなで笑う。笑う。笑う。

「あー、食った食った」
「ゴチソーさん。いつもありがとな」
「お粗末様。今年もいい食いっぷりでございました」

空になった弁当箱を片付けて、もうどこにもいない人を思う。
夏の日のような人だった。いつも快活な笑顔の人だった。誰よりかっこよくて、ここぞって時にかっこ悪い人だった。不良で、暴走族で、悪い男なのに、わたしに、誰かに、良くしようと必死な人だった。わたしのことが好きな人だった。コーラが好きな人だった。仲間達のことが大好きな人だった。おにぎりと唐揚げと卵焼きとタコさんウインナーの、テンプレみたいなお弁当を好んでリクエストしてくる人だった。誰かの笑顔で笑顔になる人だった。夏の日のような人だった。夏のような人だった。
わたしたちの誰もが彼の痕跡を、彼の足元に咲いていた花の形を忘れたくなくて、何度も何度もなぞっている。
毎年涙がこぼれそうなほど大好きな人を思って、わたしたちの誰もが一番の笑顔をここに持ってくる。今年も暑いよ。案外ちゃんとやれてるよ。みんな今日も元気だよ。きっと眠っていることが勿体無いと思ってしまわせるほどだろう。
あの日待ち合わせに一時間も遅刻して迎えに行ってやった時のように、リーゼントにする余裕もなくシャツのボタンもニ、三と外れたままで、飛び出してきたくなってしまえばいいのだ。

「じゃーな、真ちゃん」
「また来るぜ」
「またね、真一郎」

きっとこの墓の下に佐野真一郎という男はもういない。
そもそも何年もゆっくりしているような男ではないのだ。どうせ眠るのにもとっくに飽きてしまって、どこか華やかで、眩しくて、きれいな場所だとかに行ってしまっているに決まっている。
だから彼を証明するものはもうわたしたちの道程に残された彼の痕跡だけだ。これからそういうものが生まれることは、もう二度とない。
それでもわたし達は花の形をなぞっていく。あの水溜まりに映った空の色を探している。忘れたくないねって言いながらまた笑う。
止まって引き返して、ぼやけ始めたあの花の輪郭を、あの青をもう一度見たいと思うのに、それでも毎日を生きていく。息をしていく。歩いていく。進んでいく。

人は二度死ぬという言葉を聞いたことがある。生命が絶えた時と、人々に忘れられたときだそうだ。
けれどわたしたちがこの先ボケてしまって彼の痕跡たちが忘れても、足腰が悪くなって墓前にくることすらできなくなっても、どこか遠い場所で病に侵されてしまっても、彼がわたしたちの人生につけた足跡は無くならない。わたしたちがずっと佐野真一郎という男を愛した事実だけはどこにも行かない。形のないものはいつも、どこにも置いていけないものなのだ。
だって真一郎は死んでもそれをどこにも残していかなかった。わたしたちを愛していたあのきらきらした心を、全部残さず持っていってしまった。彼が教えてくれた。それはどこまででも持っていけるものなのだと。

生きるのは案外大変で、すぐに嫌なことばかりがわたしたちの道を阻んでいる。痛くて、ここにいたくて、立ち止まってやめてしまいたい。きっとこれからもそんなことばかりなのだろう。
それでもずっと歩いている。死なない限りはずっと進んでいる。同じ速度で歩いてく。終わるまでは生きている。生きている。

「うち行く前にワカちゃんのおすすめのとこの焼き鳥買ってこーよ」
「あそこちょっと遠くねーか?」
「バイク回すワ」
「すごい乗り気で助かるなあ」
「ついでだし、武臣ンとこも顔出すか」
「アイツ今年こそなんとかすンぞ」
「よっしゃ、今年こそドア壊しちゃおうぜ」

いつかわたしたちが証明できなくなってしまっても、花の形を忘れても、わたしたちが彼を愛している事実は、ずっとわたしたちの人生の中で息づいている。

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