カシマシ娘の甘いヒミツ

小腹が空いた。ふとそれに気づいて時計を見れば、すっかり昼を過ぎようとしている。
最近友人たちと読み交わしているファンタジー小説はまさに佳境で、魔王を倒すべく冒険をする勇者のピンチに一度は離脱していた仲間が現れる、そんな王道ながらも涙なしには読めない感動のシーンだ。
小説やゲームはあっという間にファンタジーに人間を連れ込んでしまって話してくれないからいけない。読みたい気持ちをグッと堪えて、文庫本に付属の紐を挟む。朝から何も食べていないことに気がついたのだ。このまま文字を追いかけ続けたら、きっと何センチにもなるこの小説をみんな読み切るまで集中してしまうに違いない。
適当に腹を宥めてしまいたいが、冷蔵庫に入っている焼き豚は今夜の夕食にされるはずなので摘んでしまってはお母さんに怒られてしまうし、冷凍のご飯はあれど薬味もお肉も卵もない。これでは適当にチャーハンに、という訳にもいかない。
仕方ないので近所のパン屋で適当に菓子パンでも見繕うかと、財布と携帯だけをポケットに突っ込んで靴の踵を鳴らして家を出た。

「今日はおにいちゃん早くかえってくるって!」
「そっか、嬉しいね」
「うん! だからそれまであそぼ!」
「あそぼ!」
「マナとルナでおねーちゃんふたりじめー!」
「そっかあ、それは楽しみだなあ」

ルナちゃんとマナちゃんのふわふわの紅葉の手が柔らかい力でわたしの両の手を握る。たまにこっちを向いてとぐいと引っ張られても可愛いばかりで、ついつい頬が緩んでしまう。
パン屋に向かうべく歩いていたわたしは、ご近所さんである三ツ谷さんのお宅のおばさんと娘さん二人と出くわしたのだ。
どうやらおばさんは美容室の予約があるらしく二人の娘さんも一緒にと思っていたのだが、それならとわたしが二人を預かったのだ。ルナちゃんとマナちゃんは昔から随分わたしにも懐いてくれているし、どうせわたしにこの後用事はない。パートに家事に育児にと毎日忙しなくしているおばさんも、たまのおしゃれの時間くらいはゆっくりしてもいいだろう。
どうやらお昼はまだ食べていないらしい二人を引き連れて、パン屋に向かう。二人もよく知っている馴染みの場所だから、クリームパンが好きだとかアンパンマンの顔のパンが可愛いのだとか、みっつに分けて色々食べてみようだとか、なかなかそうして話は弾む。女の子はいつだってどんな年齢だって、三人寄ってしまえばカシマシなのだ。
ショーケースをアレソレと眺め見て、おぼんには可愛らしいパンたちが並び香ばしい匂いでもって食欲を煽ってくる。せっかくだしおやつの分に菓子パンでも、なんて誘惑されそうになってしまうのを必死に堪える。このお金はマナちゃんとルナちゃんのお昼のついでに一緒に何か買ってね、と言って渡してくれたおばさんのお金なのだ。あまり勝手をしてはいけない。
とはいえ美味しそうな匂いの漂う店内は魅力と魅惑に満ちていて、食べ盛りにして空腹の病まで抱える身体にはちょっとばかり堪える。
後からくるタカちゃんも含めておやつとしてわたしのお財布から出してもいいが、あまりたくさんのものを買うと、きっとおばさんもタカちゃんも気にしてしまうに違いない。二人ともとてもしっかりさんだから。

「あ、そうだ」
「なあに?」
「どうしたのー?」
「ね、ルナちゃんマナちゃん。おやつ、一緒に作ってみない?」

鍋に張ったたっぷりの油が窓から差し込んだ光を含んでキラキラとする。熱を浴びると底の層からゆらゆら揺らめいて、琥珀のようで綺麗だ。わたしはそれをテレビやゲームでしか見たことはないけれど。
火を使うからとダイニングテーブルで言いつけを守りきちんとお膝に手を置いて着席して待っている二人から、ソワソワとした視線が注がれているのを感じる。
先程パンと一緒に買ってきた袋を開けると、先程の店内の香りがもう一度やってくる。サンドイッチなどを作る際に出るのだというパンの耳は、二十円でビニールの袋いっぱいという駄菓子もびっくりの価格で販売されているものである。
そのパンの耳を、油で揚げて砂糖を塗すだけ。ただそれだけの簡単クッキングなのだが、これが結構いけるのだ。
温まった油にそのパンの耳を投下すると、あっという間に赤茶色を帯びてくるので、適当なタイミングでバットにあげる。
熱いうちにダイニングに持っていくと、あとは小さな職人たちの出番だ。先に準備しておいてもらったルナちゃんの砂糖のバットと、マナちゃんのココアのバットに転がして、フォークでくるくるとかき回してもらい、お皿に盛り付けていく。見る見るうちにコーティングされていくのが面白いのか、二人は楽しげに声をあげている。

「いいにおいがする!」
「おいしそう!」
「でしょ、二人とも上手だねえ。職人さんだ」
「えへへ」
「へへ」

職人たちの作業を横目にわたしもささっとキッチンを片して、バットもひとまずシンクにさて置いてダイニングにつく。
ここからが一番楽しくて、最も大切な作業なのだから。

「じゃあ出来上がったところで」
「いただきまーす!」
「いただきまーす!」

たんと積まれた揚げパンの前で三人で手を合わせる。
アチアチのパンの耳をふうふうと吹いて、気をつけながら口に含んでいく。薄いパンはカリカリに、少し厚いものはほんの少し柔らかい部分が残っていたりして、噛むとじゅわりと溢れる油と温かい砂糖やココアの甘みがまたたまらない。

「あったかい、おいしい!」
「あまーい!」
「うん、おいしいね」

ルナちゃんとマナちゃんが、まあるいほっぺたを落としてしまいそうなほど嬉しそうに、それを食べていく。出来立ての揚げ物が食べられるのは、いつだって作った人にだけ許される権利で、買ってきたチップスなんかじゃ知り得ない贅沢なのだ。

「あっおにいちゃんとおかあさんの分も残さなきゃ」
「でもマナ、もっといっぱいたべたい」
「だめ! ルナだってもっと食べたいけどガマンするもん。ね、おねえちゃん、いいでしょ?」
「もちろん」

おさとうのとー、ココアのとー。小さな子供用のフォークが自分の皿から大きなお皿へ、優しさをたんまり積み上げていく。
おかあさんよろこぶかなあ。おにいちゃんおいしいって言ってくれるかなあ。ソワソワとワクワクが二人の目の真ん中でキラキラと輝いていた。わたしもそれに混じったら、二人のキラキラがまたちょっとだけ輝きを増した。

「おにいちゃんきっと、もっとおねえちゃんのこと大好きになっちゃうね」
「そうかなあ」
「そうだよ、こんなにおいしいのつくっちゃうもん」
「じゃあ、今回は三人で作ったから、三人揃って惚れ直させちゃうかもね」

ふふふ! 秘密ごとみたいに、誰からともなく笑いが起きた。三人揃ってカシマシ娘、ナイショの甘いおはなしはまだまだ続く。

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