季節は過ぎ去り、秋。
ミョウジナマエは困惑していた。目の前には、自分に向かって右腕を突き出して握手を求めている男子生徒。
ナマエの片手には「ミョウジさんへ」から始まる文面の1枚の手紙がある。簡単に言うと、ラブレターというものだ。それも熱烈な。締めに書かれたクラスと名前には全く覚えがなかった。無論、それを渡してきたこの男子生徒にも。
人通りの多い朝の昇降口でのこの光景は注目を集めており、学年問わずの見世物になっていた。今すぐにでも逃げ出してしまいたかった。
「僕と付き合ってください!」
「いや、あの……」
登校してまだ靴も履き替えてないというのに。白宝には変な人間しかいないのか、とナマエは眉間に皺を寄せる。男子生徒は「そんな姿も綺麗です」と瞳を輝かせていた。
ミョウジナマエは美人と言われる部類の人間だった。常にツンとした冷たい雰囲気を纏っていてクール、成績も常に上位をキープしている。そして、誰にも媚びない姿が良いというのが男子生徒の中で密かな人気だった。凪と共にいる姿が目撃される度、嫉妬に駆られた人間もいるとかいないとか。全て、ナマエは知る由もないのだが。
「あなたの事何も知らないし……」
「知ってくれたら付き合ってもらえますか!?」
「それとこれとは話が違う……」
事勿れ主義筆頭のナマエはできるだけ穏便に話を済ませたかった。けれども、強情な相手は何を言ってもプラス思考で言葉を返してくる。
ナマエが「もういっそのこと無理やり逃げてしまおうか」と足を1歩後ろに動かした瞬間だった。
「ナマエ? なにしてんの?」
「……あ、な、凪」
振り返ると、堂々と両手で歩きスマホに興じている男と目が合った。
凪の登場に、群衆は「おっ修羅場か?」とボルテージを上げている。今すぐ帰りてえとナマエはテンションが下がった。
「凪誠士郎だよな? ミョウジさんは俺のものだ」
「ものじゃない……」
思いっきり睨みつけられて「めんどくさ……」と凪は呟く。ナマエはモノ扱いされて少しイラッとした。
凪には申し訳ないが、標的が変わったのでその隙に教室へ行こうかとのそのそ動き出した瞬間だった。ぐい、と強く腕を引かれて足がもつれる。
「これは俺のだから」
「んえ、なぎ、」
凪はそのままナマエの腕を引いて、のしのしと群衆を掻き分けていく。普段はのんびりとしているくせに、あまりにも早足で歩くので置いていかれないようついていくだけで精一杯だった。
そのまま教室も通り越して、いつもの空き教室にまで連れてこられた。
「な、なぎ……どしたの、」
「なんで息上がってんの」
「た、体力ないからだよ……言わせんな」
「よわ」
ナマエは「どう考えても同じ帰宅部のくせに体力のある凪のほうがおかしいだろ」と思った。もう動きたくない。肩で息をしながら、机に突っ伏した。
「あいつなに?」
「ん……知らない人。なんか告られた、」
「は? なんで」
「なんで、って……私が好きだからじゃないの……」
自分で言う言葉じゃないけど、それ以外の答えが見つからない。ありのまま答えると、凪は「ふーん……」と呟いた。その声色がほんのちょっと不機嫌が混ざったように聞こえて「なんで凪が切れてるんだろう」と思った。
「それ、なに?」
「あ、返すの忘れてた」
「みせて」
持ったままだった熱烈なラブレターを無理やり奪われる。その乱暴な手つきに「ちょっと凪、」と咎めた。
「返して」
「……ミョウジさんのその知的でミステリアスなお姿は……」
「なんで読み上げてんの」
「品行方正かつ勉強熱心な……」
「恥ずいから止めてってば」
ナマエの制止も他所に最後まで手紙を読み上げた凪は「嘘ばっかじゃん」と、つまらなさそうに放り投げてしまった。
咄嗟に床に落ちた手紙を拾い上げたナマエは、あれ、と内心首を傾げた。
滅多な事では表情筋を動かさない凪の眉間に、深い深い皺が寄っていたからである。ついでに口は某うさぎのキャラクターのように固く閉じている。
凪といるようになってそこそこ長いけれど、ここまで感情を顕にしている姿は初めてで、少したじろいでしまう。
「……なぎ?」
「別にナマエはクールとかじゃないよね」
「う、うん?」
突然のディスにナマエは困惑した。
「敵倒した時めちゃくちゃゲスな笑顔してるし」
「そんな顔してる?」
ぺたぺたと自分の頬を触る。少しショックだった。
「成績は確かに良いかもだけど、授業中落書きして遊んでるし」
「なんで知ってんの?」
ノートや教科書の隅に大量の落書きがあることは誰にも知られていないはずだ。
「そんな恥ずかしい事ばっかやめてよ」
「ね。俺のほうが知ってる」
「ん……うん……」
「あいつよりもちゃんと知ってるよ」
「……凪」
まるであの男子生徒に張り合ってるみたいだ。
もしかして、もしかしてだけれど。拗ねているのだろうか。まさか凪が。ありえない。けれどそう思えて仕方なかった。
じいとナマエを見つめる大きな瞳から目が離せない。
「な、ぎ」
自分でも初めて聞くようなか細い声が出て、ナマエはきゅうと心臓が痛むのを感じた。わからない。どうして、こんな気持ちになるんだろう。何もわからない。
「ナマエはずっと俺の世話焼いてよ」
「う……」
「俺といるの、楽しいって言ったのはナマエなんだから。責任とって」
「責任、って……」
「俺よりあいつがいいの?」
「わっ……わかったから。なぎと、いる……」
押しに負けたナマエがこくりと頷くと、凪の纏う雰囲気がふっと柔らかくなる。やっとナマエの好きな凪にもどった、と思った。
「……疲れたから寝る」
「え、凪。もう予鈴鳴る」
「めんどくさーい……ナマエもさぼろ……」
そのまま突っ伏してしまった男を放っておけばよかったのに。誘われたら断るなんて選択肢はすぐに消えてしまった。
「ホームルームだけだからね……」
「んー……」
ただのゲーム友達から、凪と一緒にいることにちゃんとした理由ができた気がして、嬉しかった。
ぱちん、ぱちんとホッチキスの音が響く。担任の一色先生から押しつけられた日直の仕事はまだ終わりそうになかった。
凪誠士郎は『GAME OVER』と表示されたスマホを置いて、作業に勤しむナマエを見やった。
「まだ終わんないの?」
「あと20分くらいかなぁ……」
「えーめんどー……」
「あ、寝るな」
あくびをした凪は眠りの体勢に入ってしまった。プリントの束とホッチキスを両手に持ったナマエは「なんで帰らないんだろう」と首を傾げた。てか待ってるならちょっとくらい手伝ってくれたらいいのに。言っても無駄な事は分かりきっているのだけど、そう思わざるを得なかった。
ようやく全てのプリントを留め終えた頃には、凪が入眠してから30分も経っていた。凪を起こして、担任に提出して帰路に着く。猫背でよたよた歩く隣の男は「早く帰ってゲームしよ……」と呟いていた。
「別に先帰ってよかったのに」
「そしたらあいつ来るかもしんないじゃん」
「あいつ?」
「変な手紙のやつ」
「嫌なこと思い出させるな」
ナマエはむっと眉間に皺を寄せた。数日経った今も時々「ほらあの告られてた……」と噂されるので、できれば早く闇に葬ってしまいたい事件である。
「ナマエ1人にしたら、ふらふらってあっち行きそう」
「行かないよ。なんだと思ってんの」
「押しに弱い八方美人」
「えー辛辣……」
思い当たる節がないわけではなかった。今日の日直の仕事だって逃げようと思えば逃げられた。好きなように過ごしている凪と比べたら、八方美人に見えるかもしれない。けれど、これだけは自信を持って言える。
「誰に何言われても、私は凪といるよ。絶対に」
「ほんと?」
「うん。責任とらないといけないんでしょ」
「ん。それならいーよ」
一見無表情のように見えるけど、これは嬉しい時の凪だ。そんな小さな変化が手に取るようにわかるくらい、一緒にいるんだなあとナマエはぼんやり思った。こんな日がずっと続けば、それだけでいい。