冬休みになった。相も変わらずナマエの両親は家を空けており、ナマエは悠々自適の生活を送っている。
やっぱ冬はこたつに引きこもってごろごろするに限るわ。リリースされたばかりのゲームをぽちぽち進めていると、突然着信を知らせるポップアップが出てきて驚く。凪だった。
「凪? どーしたの?」
ゲームの誘いだろうか。凪は文字を打つことさえめんどくさがることが多いので、こうして電話がかかってくるのも珍しくなかった。
「……ナマエ?」
「え、どうしたの声」
「あつい……かぜひいた……」
「えっ嘘。大丈夫?」
ナマエは目を瞬かせた。ただでさえ抑揚のない声がガラガラになっている。「凪でも風邪引くんだ」という驚きと「確か一人暮らしだったよね」の心配が同時にやってきた。
「んー…………しぬ……」
「え!? ちょ、ちょっと凪!?」
「あついし、のどいたいし……しにそー」
今にも消え入りそうな声で言われたので、咄嗟にこたつを出て服を着替える。ただでさえ生活能力が低そうなのに、風邪なんて引いてしまえば本当に死んでしまいそうな男だ。
「そっち行くから! なんかいるものある?」
「ん……ナマエ」
「そういうことじゃ……もう待ってて! ちゃんと寝てなよ!」
後ろ髪を引かれつつも電話を切る。近くのドラッグストアで消化に良さそうなものや体温計、薬などありとあらゆるものを買い込んで凪の家へ向かった。
そういえばつい家に行くなんて言っちゃったけど、寮って勝手に入っていいのかな。まぁいいか、一大事だし。ポストで凪の部屋番号を確認して、インターホンを鳴らす。2、3度鳴らしても反応はない。
寝てるのかな。……もしかしたら、とドアノブを捻ってみると普通に開いてしまった。不用心すぎる。
「……凪、入るよ?」
声をかけながら玄関に入ると、思ったより綺麗に整頓されていて少し驚く。じろじろ見るのも悪いしな。まっすぐ進んで寝室らしき部屋を開けると、ベッドに寝ている凪がいたので駆け寄った。
「なぎ、なぎ」
「んん……」
返事はない。よく眠っているようだった。普段の凪からは想像できないほど、吐く息が荒い。体温計は使えないし、と凪のおでこに触れると、突然手を掴まれて驚く。虚ろな目がナマエを見ていた。
「あ……ごめん。起こしちゃった」
「ナマエ……? ほんとにきたの……?」
「電話してきたのそっちでしょうが」
「そーだけどさ……」
「薬飲んだ? ご飯は?」
「んー……なんもしてない」
「わかった。お粥買ってきたから、それだけ食べて薬飲も?」
弱々しい力で握られていた手を離す。凪の体温がじんわりと手に残っていて、少しどきどきする。
逸る心臓を抑えながら、ほとんど使われた形跡のないキッチンを借りる。買ってきたポカリやらなんやらを冷やそうと開けた冷蔵庫には、ゼリー飲料しか入ってなくて驚いた。
本当にめんどくさがりなんだな。改めて凪の生態を認識しながら、温めたお粥を凪の元へと運んだ。
「自分で食べられる?」
「……めんどい」
「んん……口、あけて」
「あ、」と開かれた口にスプーンを差し出す。まるで大きな子供に餌付けしてるみたいだな。何度かそれを繰り返して、薬と水を飲ませる。ついでに冷えピタも貼っておいた。少しは良くなってくれたらいいんだけど。
動いてだるくなったのか、凪はまたベッドに横になってしまった。
「ねむ……」
「冷蔵庫にゼリーとか入れてるから、また夜食べて薬飲んでね」
「ん……もう帰んの?」
「逆に帰らない選択肢ある?」
「ある」
「いやないだろ」
「病人放って帰るの?」
風邪のせいで潤んだ瞳でじっと見つめられるので、罪悪感をくすぐられてしまう。見つめあって数秒、根負けしたのはナマエのほうだった。「ちょっとだけだからね」と床に腰を下ろすと表情が僅かに和らいだ。多分、これは嬉しい時。
「手、」
「手がどしたの」
「冷たくてきもちよかった」
触らせろってことかな。手を出すと、正解だったようでまたぎゅうと握られた。今度は少し強めの力で。
「寝れそ?」
「うん……おやすみ」
「おやすみ」
そう言って、病人はすぐに寝てしまった。しんどそうだったけど、今は少しだけ呼吸が穏やかになっている。
すやすやと安眠している凪を見ていると、ナマエも眠たくなってきたので、繋いでない方の腕を枕代わりに寝ることにした。起きたら元気になってますように。
「んん、」
「あ、起きた」
ふわふわと柔らかな感触と凪の声に、ナマエはゆっくりと目を開けた。体を起こしてこちらを見つめている男の片腕は、ナマエの頭をわさわさと未だ撫で続けている。もう片方は寝る前と同じように繋がれたまま。
「な、ぎ?」
「どしたの」
「元気になった?」
「ん。ナマエのおかげ」
起きたばかりの回らない頭で「それならよかった」とふにゃり微笑む。声ももうすっかり元通りになっているようだった。
「今何時……?」
「22時過ぎ」
「えっ、うそ」
慌てて体を起こす。窓の外はもう真っ暗だった。ここに来たのは昼頃だったのに、だいぶ寝すぎてしまったらしい。
「泊まれば?」
慌てるナマエに、さも当然のように凪はつぶやいた。
「え、」
「こんな時間に帰らせるわけないし」
「けど」
「嫌なの?」
「嫌っていうか、」
「じゃあいいじゃん」と握られたままの手が解かれて、また繋がれる。今度は一つ一つ絡めるように、ナマエよりもごつごつとした男のそれが指の間に触れて密着した。一連のゆっくりとした動作に、背筋がぞくりとする。
「なぎ……っ」
「帰んないで」
「でも、わっ」
手を引かれてベッドに倒れこむと、そのまま凪の腕に抱かれる。「ちょっとなぎ、」身じろぐと、お腹に回された腕の力が更に強くなる。首筋に当たる髪がくすぐったい。
「一緒にねよ」
「ぁ、……うう」
「だめ?」
抑揚のない落ち着いた声がいつもより近くで聞こえる。その度に心臓が跳ねて落ち着かない。体も熱くて、おかしくなってしまう。「わかったから」とこくり頷けば「よかった」とまた抱きしめられるので、だめになってしまいそうだった。彼氏でもない男に、こんなにどきどきしてしまうなんて。どうか気づかれませんように、そう祈るだけで精一杯だった。
一方で、ナマエを抱きしめている男は「ちっさくてかわいいなあ」と考えていた。耳まで真っ赤にしながら目をぎゅうと瞑っている姿は、いつものナマエからは想像もできないほど小動物のようだった。こんなナマエが見れるなら、電話して良かったと思う。
久しぶりの風邪を引いてろくに動かない頭で、男が思い浮かんだのはいつの間にかずっと傍にいた友人の姿だった。冬休みに入ってから声しか聞いてない彼女のことを考えたらどうしても会いたくなって、電話をかけていた。
腕の中にすっぽり収まっているナマエを見て「女の子ってこんな小さいんだ」と思った。初めて触れる異性は、ちょっとでも力を込めれば壊してしまいそうで。握った手も細くて、自分とは違う性別なんだといやでも自覚させられてしまう。
ナマエといるのはめんどくさくない。気づいたら隣にいるようになってたこの子は、自分と似たようなタイプで一緒にいるのも話すのも気を使わなくてとても楽だった。
あと、なんだかんだ俺の世話を焼いてくれる姿は甲斐甲斐しくてかわいいなぁと思う。ゲームでも漫画でも薦めたものは、何でもすぐに感想を教えてくれるところはすき。
けど俺と一緒で1人でも気にしてないくせに、人の目を気にしてるところは俺とは違ってて変。だから、ちょっと前も変なやつに捕まりそうだったし。ちゃんと俺の隣に繋ぎとめておかないと、と思う。友達とかめんどくさいしいらないと思ってたけど、今はナマエという友達ができてよかった。初めてできた小さい女の子の友達。
そんなことを考えていると、腕の中の彼女はすやすやと眠ってしまっていた。
「……かわいー」
じいと見ていると凪も眠くなってきたので、ナマエの首筋に顔を埋めて目を閉じた。
「なぎ、なぎおきて」
「……なに?」
腕をぺしぺしと弱い力で叩かれてゆっくり目を開く。よく眠れたなぁと欠伸をすると、ずっと抱き枕状態にされていたナマエはむすっとした。
「体大丈夫?」
「んー……わりと元気かも」
「ならよかった。てかそろそろ帰るから」
いつまでも抱きしめられてると、本当に心臓がもたなくなってしまう。もがいたナマエがようやく解放されると、凪は名残惜しそうにつぶやいた。
「またきてよ。ゲームしよ」
「んん……ゲームならいいよ」
「一緒に寝るのは?」
「なんで彼氏じゃないやつと一緒に寝るの」
「昨日したじゃん」
「そっ……れは、ノーカン」
ぶーと唇をばってんにした凪が文句を垂れる。だってそうだ。彼氏でもないのに、男と一緒に寝るなんておかしい。じゃあ凪を彼氏にすればいいのか、とも考えてそれは違うと否定した。だって、凪は私のこと好きじゃない。いや、それって私は凪のこと好きみたいじゃん。ナマエがぐるぐると思考していると、凪がぐっと距離を詰めてきた。
「だめ?」
昨日も聞かれたその言葉に、うっと喉が詰まる。凪のお願いに弱いことは昨日で散々自覚していた。
「ねぇ、ナマエ」
「うう……」
「俺と寝るの嫌?」
「いや、じゃ、ない……」
結局押し負けたナマエはゆっくりと頷く。
嫌じゃない。凪に手を握られるのも抱きしめられるのも、全部嫌じゃなかった。
「ならいーよ。また来て」
「……うん、わかった」
すっかり元気を取り戻した凪に見送られて家を出る。「またね」と閉じられたドアにずるずると背中を滑らせて、コンクリートでできた天井を仰いだ。
両手のひらで胸元を抑える。今にでも心臓が壊れてしまいそうなほど痛くて、泣きたいくらいだった。
――凪のことが、好きだ。
初めて自覚した感情だった。