10
上鳴さんとの共同生活が始まって数日。
ヒーローとして昼夜問わず活躍する彼と、黒服として夜の店で働く俺は活動時間が全然違う。だからすれ違う事も多くて、狭い俺の家では丁度良かったかもしれない。
とは言え、想いを寄せてる相手と一緒に暮らしてるっていうのにゆっくり会えないっていうのは、俺としてはちょっと不服だったりする。
「ボロを出しちゃうよりは良いんだけど……」
そう小さく溢しながらも、おつまみを作る手を動かす。勤務中なのに考えるのは別の事で、業務サイズの袋から移す途中で転がり落ちたナッツを拾って溜息をひとつ。
「零音、上の空か?3番テーブルそれ持ってってくれよ」
「あ、はいすいません。今行きます」
近くに居たマネージャーに咎められて背筋が伸びた。
ちょっと気抜いてるとあの人からは鋭い指摘が飛んでくるんだ。本当に油断してたなぁ危ない、しっかりしないと。
人差し指でくいっと眼鏡を上げて、さっき作り終えたおつまみを持って目指すは3番テーブル。
フロアを歩いてる途中でふわっと、焦がれて止まない香りがした……様な気がした。
「失礼します、お待たせ致しました」
「ありがと」
持って行った先で嬢が小さくお礼を言ってくれたので、そっと会釈。
それにしても、この席匂いがキツイ……。普通の人でもたぶんキツめだろうなって思うくらいの、バニラ系の香水の匂いが充満してる。たぶん此処のお客さんの誰かなんだろう。
個性の関係上、人一倍鼻が利く俺に対するマネージャーの嫌がらせだなこれ絶対……。
ツカツカと早足で裏に戻ってマネージャーを見れば、案の定ニヤニヤしてて溜息が漏れた。
「ぼーっとしてた俺が悪いのは認めますけど、地味な嫌がらせはやめて下さいよ」
「犬にはしっかり躾しとかねぇと駄目だろ零音」
「喧嘩売らないで下さい。噛み付きますよ」
可愛くねぇ犬だなぁ、なんてひらひらと両手を振りながら言うマネージャーは、少し残念な人だ。その、人を食った様な言動や態度が無ければ優秀なのに。
大半が冗談、時には叱咤激励のつもり。それが分かるまで俺はほんとに嫌いだったよこの人……。今でも腹は立つけど、もう気にしなくなった。
「5番さん帰られたから片付けお願いしまーす」
「はい、俺行くね」
去っていくマネージャーの背中を呆れた目で眺めてたらインカムから指令が入った。はぁ、今日も盛況でありがたいです。
お盆にダスターを乗せて5番テーブルへ。テーブルを拭いたり、ゴミが無いかチェックしたり、……してる所で、ソファにジャケットが掛かってるのに気付いた。
お客さんの忘れ物だろうか?と首を傾げる。ついさっき出られたみたいだし、追いかけたらまだ間に合うかもしれない。
そう思ってジャケットを手に取った瞬間、ふわりとあの香りがした。
「想い過ぎて幻覚的な……?」
日本語がちょっと違う自覚はある。匂いの場合はなんて言うんだろう、幻臭?なんて独り言を呟きながら、店の入り口へ小走りに向かった。
そんなに広くない店だ。すぐに女の子と話してるお客さんらしき人を二人発見。良かったーまだ帰ってなかったみたいだ。
「お話中失礼致します。コチラ、お客様のお忘れ物ではないかと思う、ので……すが……」
「あっ、やっべー俺とした事が」
入り口付近で振り返ったのは、幻覚でも何でもない、紛れも無く。
「上鳴さん……」
「ハハ、気付かれずに帰れるかと思ったのにバレちゃったなー」
「何してるんですか……来てるなら言って下さいよ」
思わず敬語で話してしまって、日頃の癖って怖いなーなんてこんな時に思う。
案の定、何で敬語なのって可笑しそうに笑われてちょっと恥ずかしくなった。
「あれ、この子が例の?」
「ん、そうそう〜イイ子だろ?」
一緒に来てたんだろう友達?と話してる上鳴さんを見るのは、なんだか新鮮だ。いつもとはちょっとだけ雰囲気が違うような、砕けた印象を受ける。
「どうも、いつも上鳴がお世話になってます」
「えっ……あ、いえ、お世話しております」
人の良さそうな笑みでそう言った彼に、慌ててぺこっと頭を下げた。すると、俺の返事を聞いてブハッと吹き出されてしまって、あーほんとに良い人なんだろうなーって直感的に思った。
「お前まじでお世話されてんの?もっと頑張れよ、くく」
「うるっせーぞ瀬呂のクセによ!」
セロさん、というのかこの人。友達同士の何気ないやり取りにほっこり和むのと同時に、ちょっとだけ羨ましくなる。俺は別にそういうポジションを望んでる訳じゃあないんだけど。
嫉妬なんて出来る立場じゃないって事も、分かってるんだけど。
「仲良いんだね」
「お?まぁ、高校からの腐れ縁みたいな?なぁ?」
「不本意ながら?」
ぽろっと漏れてしまった羨ましげな言葉も、二人は気にせずに笑いあってて、気付かれない事に安堵した。
「おう零音、どこで油売ってやがる」
「うわっ」
ザザッとノイズを混じらせてインカムから聞こえてきたオーナーの言葉に軽く飛び上がってしまって、上鳴さんとセロさんが不思議そうにこっちを見た。首を傾げてる上鳴さんちょっと可愛いんだけど、今はそれどころではなく。
「あーごめん上鳴さん、仕事戻るね。来てくれてありがと、セロさんも」
「おっそうだな、こっちこそ仕事の邪魔してゴメンな?ジャケット、届けてくれてサンキュ!」
手に持ったジャケットを軽く振りながらにかっと笑う。セロさんも笑顔で手を振ってくれてて、軽く頭を下げてから踵を返した。
「すいませんすぐ戻ります」
「お知り合いだったんですよねー気にしなくていいですよー」
「甘やかすなよおい」
優しく気遣ってくれる後輩と怒るオーナーのやり取りが聞こえてきて、思わずくすりと笑った。
本当に、俺はこの職場で生かされている。
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