珈琲はブラックで
もう秋が近いんだなぁ、と思う。
食洗機に入れていたコップの水を拭き取りながら、休日で賑わう店内を眺める。お客さんの着ている服も、どことなくシックな色合いになっている様な気がして、そういえば随分買い物とか行ってないなとか考えたり。
カラン、とお客さんの来店を知らせるベルの音が鳴る。フロアに出ていた同僚がいらっしゃいませーと声を掛けて、空いている席に通していた。
繁華街からは少し離れた小ぶりなカフェ。そこで働いていると、色々な人を見られて楽しくて、俺はこの職場が気に入っている。
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」
「ええと、アイスティーをお願いします」
お水を出して注文を伺うと、スーツの似合う綺麗なその女性はにこりと微笑んでくれた。お仕事の合間だろうか、休日にも関わらず大変だなぁなんて自分の事は棚上げして思う。
かしこまりました、と笑顔で告げてからテーブルを後にする道中、外をちらりと見ると雨が降り出していた。
折角の休日なのに……なんて、一人ごちる。
「アイスティーストレートワンでーす。店長、雨降ってきたんで傘立て出してきますね」
「ん?ほんとだな、頼むわー」
伺ったオーダーを中へ通して、店の奥から傘立てを持って入り口へと向かう。
カラン、と音を立てて外へ出ると徐々に空が暗くなってきてて、あーこれは本降りになるかもしれないな、と空を見上げた。
「帰り、止んでるといいなぁ……」
「出来れば今止んでくれると助かるんだがな」
突然隣から声が聞こえて、そちらへ目を向ければ、胡乱な目で空を睨みつけるお兄さんが居た。
店の入り口は少し屋根が付いているから、雨宿りだろうか。見れば少し濡れている。
「デートすっぽかして仕事するからじゃないですかね」
ガタガタと傘立てを動かしながら顔を見ずに呟く。もちろん、相手に聞こえるだけの声量で。
「お前が言えるか?だから急いで終わらせて迎えに来たんだろうが」
相変わらず空を睨んだままのお兄さんはそう言うけど、俺は絶賛拗ねている真っ最中だ。
「消太さん、残念ながらラストまでなんですよ、今日」
「……」
「営業妨害になるんで入るか帰るかしてもらえますか」
出来れば帰って欲しい、なんて思うのは俺が天邪鬼すぎるんだろうか。今は、可愛げの無い憎まれ口を叩いてしまうからダメ。
消太さんを人目見れただけでも嬉しいと思う気持ちがある事も嘘じゃないんだけど。
「……ならコーヒーでも飲んで帰るよ」
カラン、と俺が引くより先に店の扉を開けた消太さんは、引き止める間もなく勝手に店内へ入っていった。スッと座ったのは、店に来た時には決まって必ず座る窓際の席。
「……ブラックで?」
「あぁ、頼む」
そう言って柔らかく微笑んで、消太さんは鞄から文庫本を取り出して読み始めた。あー、そういう顔はズルイです。
「かしこまりました」
くるりと踵を返した背中を、消太さんのありがとう、という言葉が追いかけて来た。
小さな幸せを噛み締めつつ奥へ引っ込んでお湯を沸かしながら、ぼーっと彼を眺める。
休日だから他にやりたい事とかもあるだろうに、こうして俺を構いに来てくれるの、普通に舞い上がっちゃうんだけどな。
本当なら今日は二人ともオフで、今話題になってる映画でも見に行こうか、なんて話をしていた。消太さんが忙しい人だから、会うのは随分久しぶりで、浮かれてたのに急な仕事が入ってしまって。
自棄になって俺も仕事を入れたワケだけど、こんな事なら入れなきゃ良かったかなってちょっと後悔。
「お待たせいたしました」
「ん、ありがとう」
こうして話せるだけで機嫌が浮上していくのが分かって、俺も単純な男だなぁと思うけど、好きな人と久しぶりに会うんだからしょうがないと思う。
「何読んでるんですか?」
「今日見る予定だった映画の原作本だな。これ読んでただろ?後で話せる様に読んどこうと思ってな」
「え、あー……はい。なんですかそれ、男前すぎません?」
ニッと不適に笑う消太さんが男前過ぎて、ついそのまま言葉にしてしまったら声を出して笑われた。
「お前にそう言われるのは悪くない。……仕事、戻らなくて良いのか?」
「戻らなきゃ、ですね。……すみません」
謝るな、って手を伸ばしてくしゃりと俺の頭を混ぜて、また本の世界に戻っていく。
心臓をぎゅうっと掴まれた様な心境になって、少しだけ顔が熱くなってる気がする。この人の何気ない行動に一喜一憂してしまうんだから、ほんと、どうしよう。
「名前」
名前を呼んで、しょうがないな、みたいな顔で笑うから。
「ッ仕事、戻りますね……!」
くるりと踵を返して早足で店の奥へ向かって、手に持ったままだったトレイをカウンターに置く。はぁぁ、と大きく吐いた息は香ばしいコーヒーの香りに掻き消された。
次に会えるのはいつだろう。俺も消太さんも固定休じゃないから、合わせるのが凄く難しい。
次はちゃんとデートが出来るだろうか。今会ってるところなのに、また会いたいなって思ってしまう。
夕方、少し客足の多くなる時間帯になれば慌しくなって、フロアを回りがてら消太さんに話しかける事も出来なくなった。
レジに入ってしまえば彼を視界に入れる事すら無く、寂しい気持ちを抱えながらお客さんのお会計をしていく。
「……ぁ、消太さん。もう帰るんですか?」
「そうだな、客足も増えたしあまり長居してても邪魔だろう」
「邪魔ではないですけど……」
スッと差し出された伝票を受け取ってレジを打ち込みながら、ぽつぽつと会話をする。本当に邪魔になんかならないのに、消太さんはいつも変な所で遠慮するんだもんな。
金額を告げて、丁度の料金を貰ってレシートを返す。たったそれだけのやり取りが惜しくなって、無意識に情けない顔になってたんだと思う。
ふっとまた、あの顔で消太さんが笑った。
「仕事、終わったら焼き鳥食いに行こう。マイクが美味い店を教えてくれたんだ」
「え」
「……嫌か?」
「いや、いく、いきます!」
「よし、じゃあ後もう少し頑張れよ」
終わったら連絡寄越せよ、そう言いながら笑って頭を混ぜた消太さんは、背中を向けて小さく手を振った。
もう、ほんとにズルイ。こういうちょっとした甘い所が好きだ。他人から見たらなんて事ない程度かもしれないけど、俺にはこれだけで十分致死量で。
「早く店、終わらないかな……」
小さく呟いたその声は誰に届く事もなく、虚空に消えていった。
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