ココロの距離と温度

  翌日、A組は5時半と早朝に集合がかけられていた。昨日の土魔獣と戦闘しつつの登山の疲労も抜けきらないため、全員が身支度もそこそこに眠そうである。相澤は相変わらずの様子で、早速合宿のオリエンテーションを説明し始める。
 全員の強化及びそれによる“仮免”の取得。今まで夢見ていたヒーロー活動から、職場体験などを通じて、ヴィランの敵意というものが具体的になりつつある。それに対抗するための準備だという。

「というわけで爆豪、こいつを投げてみろ」
「これ、体力テストの…」
「入学直後の記録は705.2m。どんだけ伸びてるかな」

 爆豪に渡されたのは入学直後の体力テストのソフトボールだった。相澤の煽りもあり、本人だけでなく周囲も成長を確信してノリノリである。

「んじゃよっこら…くたばれ!!!」

 爆豪のワードセンスに全員が遠い目をしつつ、ボールの行方を追う。相澤の端末に表示されたのは709.6mと、僅か5mにも満たない成長であり、もはや誤差のレベルである。その記録に誰もが驚愕し、個性を伸ばす必要性を認識した。

「今日から君らの“個性”を伸ばす。死ぬ程キツイがくれぐれも死なないように」

 そう不適に笑う相澤は性格が悪い。




 円はみんながそれぞれの方法で個性の限界突破を目指す中、相澤に呼び出されていた。向かった先は全員が個性のばしのために外に出ている今、もぬけの殻となった合宿所の会議室のようなスペースだった。
 相澤は円にかけるよう促し、対面に座った。その眼差しは真剣みを帯びており、円はなんとなくこれから聞かれるであろうことを察した。

「駒木、大体のことは察しているだろうが、お前のことについて擦り合わせをしたい。プライベートなこともあるだろうが…」
「監視もついてるのにプライベートなんて今更ですよ、相澤センセ。なんでも嘘偽りなく、正直にお答えするので、バシバシどうぞ」

 円は肩をすくめて苦笑を浮かべながら、軽快に言った。今までの経歴のせいか諦めの色が前面に出ているが、相澤は円の変化を感じ取っていた。きっと入学当初なら「私は嘘偽りなく何でもお答えしますけど、果たして先生方はそれを信じるのでしょうか」くらい嫌味たっぷりに返答していただろう。以前は無表情ばかりであったが、今はだいぶ表情が柔らかく暖かい。
 担任である相澤のもとには駒木円の成績や素行が集まる。職場体験ではベストジーニストをして高評価を得て、期末試験ではエクトプラズムから非常に惜しい人材であると報告を受けている。相澤は円への対応を誤っていたことをヒシヒシと感じていた。

「まずは、駒木がヴィランと認識されるようになった、あの事件から。駒木の目線で、今どう感じているのか教えてくれ」

 円は聞かれた通りに答えていく。今までもよくよく説明した内容だ。血筋の説明から始まり、父の不貞と複雑な家庭環境。そして幼い円の怒り。時折相澤からの質問に答えながら、円は淡々と語った。
 一方で相澤は、公安局や外務省といった上層部から届いた資料と、本人の視点で語られる経緯の差異に頭が痛い。何より相澤を後悔させたのが、円本人がいかに自分の侵した罪を冷静に、客観的に捉えられているかだった。
 事件は複雑な家庭環境を持つ幼い少女の個性の不適切使用で情状酌量の余地があり、通常であれば個性教育プログラムやカウンセリングで済んだ問題なのだ。それが国境を跨いだことや、相手一族が外務省へ圧力をかけるなどの要因が加わり、少女をヴィランに仕立て上げ過剰な罰を強いた。
 駒木円は捻くれているが、置かれた環境を考えればもっと捻くれ反抗的であってもおかしくない。しかし、罪を誇りと胸を張ってももう犯さないと断言したりと、もう十分己の罪と向かい合っていることが窺い知れる。

「全く、頭が痛いよ」
「スミマセン、問題児で。でも、私なりにもう敵意はないですよってアピールのつもりでヒーロー科受けたんです。受かるなんて微塵も思ってたのに、合格にしたのは先生方ですからね」
「お前ね、ヒーロー科の一般入試をトップの成績で通過しておいてよく言うよ。俺たちも前科持ちの受験者の処遇については散々意見が割れたんだ。結局は根津校長の一声で合格が決定したわけだが…」
「え、私がトップだったんですか?制限-リミッター-あったから大した事はしてないんですけど」
「あの入試は純粋なヴィラン退治のポイントだけでなく、救助-レスキュー-ポイントも評価の対象だった。駒木の立ち回りは周囲の受験者や建物に配慮して、被害が最小限になっていた。まだ有精卵か無精卵か分からないような卵のする動きじゃあない」

 相澤が付け加えた「次席は爆豪だ」の声で、妙に納得してしまった円だった。



「これから駒木には個性伸ばしに加わってもらうわけだが、個性には許容上限はあるか?」
「特にないですね。発動さえしてしまえばほぼオートですし。繊細な操作には多少リソースを割きますけど」

 円は自分の個性を説明する時、料理の例えを出す。電子などは相性が良く使い慣れているため、ほぼ何も考えずに一品作りあげられる。それに対して心肺蘇生などの循環動態の維持や新たに円環を定義して特殊な操作をする場合などは、精密な計量や管理を必要とする製菓や、未知のジャンルに挑戦するようなものだ。
 その精密な計量や管理を要する製菓や未知のジャンルの料理であっても、作り慣れてしまえば割かれるリソースを減らすことができる。それに、オーブンに入れてしまえば後は時折り様子を見る程度でいいので、発動が肝なのだ。

「ならより新しい使い方の模索とその練度の上昇が課題か…。他に思い当たる事はあるか?」
「んー…っと、単純な増強系とか感覚の鈍いタイプは苦手ですね」

 相澤は視線で先を促す。円は思い出すように上を見ながら発言を続ける。

「USJで脳無でしたっけ?あの化け物と戦った時は勝ちは諦めてましたね。電撃で気絶してくれないわ、関節撃ち抜いてもすぐ回復するわで、こっちの攻撃は何一つ効いてないのに、向こうの攻撃は防ぐことすら難しいんですもん」
「そんな化け物級を出してこなくても…。まあ良い。他には?」
「後はリスキーな技が多いことですかね?生体電気いじって身体強化は出来ますけど、それって人体の上限超えてる力なわけで、すぐにへばります。分身-アバタールイン-なんかも、攻撃されて同一の存在で無くなったらそこで終わりですしね」
「とりあえず、それは追々で良い。そしたら向こうに合流してプッシーキャッツの指導を受けろ」

 相澤はシッシッと手を振って退室を促す。円は素直に従うが、ドアノブに手をかける直前で振り返る。

「私の危険性とか諸々、監視して良いのでそれをしっかり上に報告して掛け合ってくださいね。相澤センセを見込んでお願いです」

 パタパタと軽快に走り去っていく音を聞きながら、相澤はドサリと背もたれに身を預ける。あの様子だとある程度の信頼は得られたのだろう。それにしても駒木円という少女は達観しすぎている。

「せいぜい頑張れよ、問題児」

 協力は全力でするから、の一言は相澤の心の中に留められた。