アリューシャの二つ名を背負う者

 「テメェ、コケにすんのも大概にしろや」

 円は、爆豪に胸ぐらを掴まれつるし上げられていた。ぐり、と胸元を締めあげて壁に押し付ける力に、遠慮はない。敵-ヴィラン-襲撃から好奇の視線に気づかないふりをしてはぐらかし、先日行われた雄英体育祭はしれっと欠席した。そんな円に爆豪はしびれを切らしたのだろう。
 爆豪をなだめようと、切島を中心に後ろで何やら言っているが、爆豪には全く届いていない。爆豪のギラギラした赤い瞳は、納得するまで離さないと語っている。至極面倒だ、と円はバレないようにため息をついた。

「私の戸籍に父親は居ない。産みの母の養子という形で私は在る」

 静かに、何の色も宿さない声音で円が発した。その言葉は高校生が発するには重すぎる現実を孕んでいた。


 駒木 円の母は齢16歳にして運命の相手に出会い、恋に落ちた。自分より10も年上の外国人にだ。
 円の血縁上の父親は、イギリスの魔法協会の中では重鎮の、一族を率いる立場に在った。中世から国内での魔法使い同士の結婚により、血が濃くなってしまったため、日本の由緒正しい家から新しい血を取り込むための政略結婚だった。その顔合わせで来日した時、父はあろうことか婚約者ではなく円の母を愛した。
 父が政略結婚しイギリスに帰国する前、彼は母に言った。「必ず迎えに来る」と。母はその言葉に従い、お腹に宿った私を愛でながらずっと、何年も待ち続けた。

 父は政略結婚した相手との間に子どもを授かった。円が生まれても、一言もなかった。それでも母は盲目的に父を待ち続けた。そんな裏切りが続いて、母が平静に過ごせるわけがなく。心身を病むようになった。段々と弱っていく母に、円は姿すら知らない父への憤りを感じていた。

「なんで来ないの」「なんで私たちを見ようとしないの」「なんで認めてくれないの」

 円が小学校に入学してしばらくした頃。母が死んだのは、梅雨入りして雨ばかりのじとじとした季節だった。魔法で母の訃報と葬式の日程は知らせた。待てど暮らせど父は真の意味で最後まで来ることはなかった。
 霧雨が円を濡らした。ぼうっと母の墓を眺め、円の瞳には怒りの炎がくすぶる。ギリと歯が鳴ったのを覚えている。その後の記憶は頭に血が上っていたこともあり、少々曖昧だ。

「お母さんはアンタをずっと待ってたのに!!!」

 円の躰を構成する細胞の染色体は、母と父から等しく半分ずつ受け継いでいる。円が個性を開花させたとき、母がたいそう喜んだのを覚えている。彼の娘であることの証明であると。円はその染色体を利用して、父親を同一の存在とみなし、円環を同調させて、イギリスへ飛んだ。
 急に目の前に表れた幼い少女に罵倒されて、イギリスの本邸は混乱に包まれた。しかし当主を守るべく、夫人は守りを固めて円を容赦なく捉えた。父親は円と目すら合わせず終始うつむいていたのが、大層気に障った。
 円は取り押さえられて、夫人の前に跪かされた。夫人を睨む瞳は、少女の宿す色ではない。激情に燃える円を、夫人はいかにも不愉快そうに蔑んだ。夫人は暖炉に火を宿し、鉄棒を熱する。

「五月蠅いガキには仕置きが必要なようね。あの女狐の代わりに躾て差し上げるわ」

 真っ赤な口紅を塗りたくった唇が、いびつに笑った。凶悪な笑みを睨むが、背中に灼熱が押し付けられて円は獣のように咆哮をあげた。
 それは一族の中で、追放された者の証。かつて一族を不況に貶めた姫 アリューシャの名を冠したAの刻印。そして絶対的な苦痛を与える魔方陣が組み込まれた焼き印。

「お前にはアリューシャの二つ名がお似合いよ。連れて行きなさい」


 痛みに気絶した円は、重傷を負っているのも無視されて、イギリスにある日本大使館に放り込まれた。イギリスから国として円のような敵-ヴィラン-を無視しては困る、と正式な抗議文と共に。
 日本は、不徳の致すところであり、今後このようなことがないよう、円に個性を制御する制限-リミッター-を装着させ、監視体制を徹底すると表明。こうして母親想いの円は敵-ヴィラン-として、齢7歳にして目を付けられるようになったのである。

「今はもう父親の不義理なんてどうでもいいの。ただ待つだけの母も大概だと思うし。私にはもう父親やその家族をどうしようなんて考えてない。制限-リミッター-を付けられて、ずーっと監視される暮らしに肩が凝っただけ。
雄英に入学して、私がもう攻撃的でないことをアピールしたかったのに、逆に目を付けられるし。
メディアに晒されれば、私のことなんて一瞬で拡散して、もっと大変なことになる。だから体育祭には出なかったの」

 これでいい?そう円は問うが、答えはない。あまりに浮世離れした身の上話に誰も何も言えなかった。

「お前はそれで良いんか」

 爆豪の問いはシンプルすぎて、何に対して言っているのか分からなかった。しかし、円は何となく何を指しているのか分かった。

「アリューシャの二つ名も焼き印も、母さんを想ってやったこと。後悔はしてないし誇りに思ってる。けど、もうやらない」
「俺はテメェを認めねェ。とっとと失せろ」


 こんなことがあったのだ。誰が職場体験で爆豪と同じになるだなんて予想できる。

「…よろしくお願いします」

 ベストジーニスト事務所で顔を合わせて、円は気まずさを覚えた。円はそこそこ図太い性格をしているが、その辺りは普通の女の子である。爆豪も気まずさを感じているのか、いつもより拍車がかかったぶち切れ具合である。

「女性に対してその言動はナンセンスだ」

 ベストジーニストは爆豪の服の線維を操って拘束すると、サイドキックに矯正を依頼していた。ベストジーニストはこちらをちろりと見て、ソファへ促した。ソファに腰を下ろすと、サイドキックが紅茶を淹れてくれたので、お礼を言って口をつける。

「まず最初に私から質問してもよろしいでしょうか」
「良いだろう」
「ベストジーニストほどの実力者であれば、私が札付きである事情もご存じのはずです。何故体育祭にも出ていない私を指名したのですか?」
「私はね、ヒーロー活動の理念として“矯正”を掲げている。そしてそれは後進育成に関しても同様だ。彼を見たまえ」

 ベストジーニストは爆豪を指した。爆豪はジーンズをはかされ、七三分けにセットされるのに爆破して反抗している。

「あれは敵-ヴィラン-のようだ。私からすれば君の方が存外に礼儀正しくヒーローに相応しく見える」
「それは買い被りです。彼はヒーローとして敵-ヴィラン-に負けてはならないという確固たる意志があって、No.1ヒーローを目指して自分を厳しく追い込んでいます。態度には問題があるとは思いますが、崇高な意思を持ってストイックに努力を重ねられる、彼こそがヒーローに相応しいです」
「惜しいな…」

 ベストジーニストの言う惜しいの意味が円には分からなかった。しかし、話はそこで終わってしまい、円もジーンズを身につけるようにと更衣室に連れられた。
 元よりぴっちりポニーテールを結い、タイトなレザーパンツを履いていた円。コスチュームの矯正は、黒のタイトデニムに着替えるくらいで済んだため、違和感が少ない。

 ベストジーニストの下では、パトロールやファンサービスなどのヒーロー活動に加えて、戦闘訓練が課された。ベストジーニストはよく円と爆豪に“何故こうするのか”“この活動の意義とは”など問いかけることが多かった。爆豪はあまりにギラついた性格に斜め上の回答を出すが、円は正答することが多かった。そのせいで爆豪からさらに不興を買って、いたたまれない。
 戦闘訓練においては、円の制限-リミッター-を解除して行ったが、これも爆豪からの執着が凄まじく、何度もいなしたり、ベストジーニストとサイドキックの方々に介入してもらっている。最も、制限を解除された状態なので、簡単にやられるほどヤワじゃないのだが。

「彼女、本当に惜しいですね」
「君たちからもそう見えるか」
「彼女、戦闘センスも良いですし、ヒーロー活動の意味も良く理解できています。それに、紅茶を出せばお礼を言われ、その後わざわざ自分を探しておいしかったって言ってくれたんです。こんないい子なのに、あんなの着けられて……」
「駒木 円という少女は、ヒーローが助け損なって、敵-ヴィラン-と認識されるようになってしまった。彼女自身が、自分を敵-ヴィラン-であると認識してしまっている以上、ヒーローを志すことがお門違いだと思っているんだろう。その根本を矯正することができれば、彼女は優秀なヒーローになるだろう」

 それに比べて彼は、と爆豪を見て、ベストジーニストとサイドキックは重いため息をついた。