全部、どうだっていい



そもそも、スポーツの試合を実際に見に行くこと自体、高校時代に嫌々応援に行った野球部の地区大会を除けば初めてだ。しかもその唯一行った野球部の試合はボロ負けで、物凄くつまらなかった記憶がある。

……でもそんな記憶は、すぐに吹き飛んだ。

選手たちの間で行われるボールの応酬。ルールがほとんど分からない私でも、わかる程の輝き。並いる選手たちの中で、牛島先輩は圧倒的な存在感を放っていた。

「……牛島先輩……!」

ボールが高く上がる。そこへ目掛けて、牛島先輩がキュ、と床を蹴る。

「飛んでる……みたい……」

まるで、空中で止まっているみたいだった。そして次の瞬間にはもう、ボールは相手コートの地面についており、得点を知らせる笛が鳴っている。

「あ……」

私は自分の胸を押さえた。静かに、しかし力強く、ドキドキと鳴っているのがわかる。
もうこれ以上、自分に嘘は吐けない。
コートの中にいる牛島先輩は、恐ろしい程に美しかった。そしてその牛島先輩に、惹かれてしまう私が、いた。

試合を見た後、私は居ても立ってもいられずに逃げる様に家に帰った。あのままあそこにいたら、美しくてふわふわしたものに囚われて動けなくなってしまう様な気がした。ドキドキとうるさい胸に手を当てながら眠る。ああ、明日も牛島先輩とシフトが被っているなんて、考えるだけで頭が爆発しそうだ。



つい昨日、試合で跳ね回っていたとは思えない程に、バイトでの牛島先輩は通常運転だった。これまでにもきっと、私が気付いていなかっただけで、激しい試合の次の日にシフトが入ってるなんてことはざらにあっただろう。
牛島先輩は表情を変えない。それがずっと、怖かった。でも今は——

「苗字」
「ひゃいっ?!」
「ボーッとするな。19卓にお冷やを出し、帰りに26卓を片付けろ」
「わ、わかりました……!」

撤回撤回。色々撤回。やっぱり牛島先輩は相変わらず怖い。でも今は、別に怖がる必要はないんだってことがわかるようになった。(でもやっぱり怖いものは怖い)
それに……。怖いからこそ、恐ろしいからこそ、先輩に惹かれてしまう私がいるのだ。私ってMだったんだ。アハハ、笑えねー。

お冷やを注ぐ、なんて下らない仕事一つとっても、完璧に近い肉体を使って行われる美しい所作に、魅入ってしまいそうになる。
(っていけないいけない!仕事中!)

……でも。舞い上がってはダメだ。
後から調べたところ、牛島先輩はかなりのスター選手らしい。若くして期待されるエースで、当然ファンも多い。
私なんか、当然釣り合わない。
こんな苦しい気持ちになるなら、先輩のことなんて、知りたくなかった。怖くて嫌味で完璧な先輩のままがよかった。
こんな風に、苦しく、焦がれるような思いをするのなら。



最近にしては珍しく、今日の店内は混んでいて、早上がりはできそうもなかった。牛島先輩はそろそろ上がる時間だ。

「お先に失礼します」
「はいお疲れー」

店の奥の方から、牛島先輩が店長に挨拶しているのが聞こえた。もっと一緒にいたかったなぁ、なんてメルヘンな考えと、どうせ手に入らないのなら早く目の前からいなくなって欲しい、なんて使い古した少女漫画みたいな考えが、同時に涌き出てせめぎ合う。

「苗字、ちょっといいか」
「へ……?私、ですか?」
「他に苗字という苗字の者はいないが?」

帰り際に声をかけてくるなんて、珍しい、というか初めてだ。否が応にも早まる鼓動に、落ち着け、落ち着け、と言い聞かせる。

「何でしょうか……?」
「今夜、予定はあるか?」
「はひ?」

珍しいなんてもんじゃない。意味がわからない。もしかして、今日したとんでもないミスをめちゃくちゃ怒られるとか?!と身構えると。

「肉じゃがを……」

いつも堂々としている牛島先輩が、らしくない小さな声で、そう言った。

「肉じゃがを、また食べたい。他でもなく、苗字が作った肉じゃがを。材料を買っておくから、夜うちに来て、作ってくれないだろうか?」

スター選手。エース。完璧超人。
……全部、どうだっていいじゃないか。
この人は、私の作った肉じゃがを、ばかみたいに美味い美味いと言って食べてくれる。それってつまり、すごく特別な関係だと、思うのだ。

(2021/7/10)




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