
ヒーローかよ、ちくしょう
「……な、なんか牛島君……今日、制服汚くない?」
「……昨日着ていた制服なので……」
狼狽えている牛島先輩を、初めて見たかも知れない。牛島先輩は、確かにどこか汚れた制服を着ていた。
「えっと……替えの制服は……」
「昨日干していたのですが……夕立で……」
「ああ……」
私は牛島先輩に見えないよう、くすっと笑った。昨日、雨でじっとりと濡れていく先輩の制服を見たのだ。俄雨で濡れてしまった制服を、そのまま取り込み忘れてしまったのだろう。濡れた制服は着られない。当たり前なのに、その当たり前が牛島先輩に起こったということが、なんだか可笑しかった。どんなに完璧超人に見えたって、牛島先輩も人間だ。天気予報を見ずに洗濯物を干してしまうこともあるし、雨が降っているのに取り込み忘れることもあるし、濡れた服は着たくないし、怖い顔して優しく葉っぱに水をやるのだ。
牛島先輩は相変わらず怖い。そして相変わらず仕事は完璧だ。今日も私はミスをして、牛島先輩はそれをフォローしてくれ、嫌みを言われた。相変わらず怖いしムカつく。でも、頭の隅っこで考える。この人こう見えて昨日の制服着てるんです。それだけで、なんとなく可愛く見えるのだから、人間の思考って不思議だ。
*
いつも通り、夜までのシフトを終え、帰宅した。ここにはすでに昼シフトを終えて帰宅した牛島先輩がいるのだ——なんて考えると身の毛もよだつが、別に直接会うわけでもないし、気にしないようにするしかない。
……と、そんなことを考えながら階段を上ろうとすると、駐輪場でうずくまるお婆さんに気がついた。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、び、病院に……」
お婆さんはとても苦しそうに、近くにある病院の名前を言った。
ど、どうしよう、想定外のアクシデントに弱い私は完全にパニック状態だ。心臓がばくばく鳴っている。落ち着け、落ち着け私。とりあえず言われた病院にお婆さんを連れていけばいいのだ。
「えっと、タクシー、あ、いや救急車かな?お婆さん、今呼ぶんでちょっと待ってくださいね!」
「その必要はない」
背後からかけられた低い声に、私は耳を疑った。
「う、し、じま、先輩……」
「俺が背負っていく。その方が早いだろう」
牛島先輩の手には、大量の食料品が入ったスーパーの袋が握られている。スーパーに出た帰り、偶然通りかかったのだろう。
「すまないが、これを頼む」
有無を言わせぬ勢いで、牛島先輩はその大量のスーパーの袋と、鍵を私に握らせた。え?と思う頃には既に、お婆さんを担いで歩き出そうとしている。
「こ、これ、」
「うちの冷蔵庫に入れておいてくれないか」
「え、えと、」
「じゃ、行ってくる」
そう言うと先輩は、人ひとりおぶっているとは思えないスピードで、病院の方へ颯爽と走っていった。
「……ヒーローかよ、ちくしょう」
一人で対処しようとしてパニックになっていたあの時。あの時確かに私は、牛島先輩が現れて、ものすごくホッとしたのだ。この人が来てくれたら全部大丈夫だと。この人に任せれば全部安心だと。
(2020/10/24)
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