異臭騒ぎ



前回のあらすじ:牛島先輩が作りすぎた料理をお裾分けにやってきた。

「料理、ですか……」

ドアを開けて牛島先輩と直接相まみえても、先輩が手に持つ茶色い物の正体は良く分からなかった。確かに、皿に入っているので料理っぽい。

「ああ、これまで自炊はしたことがなかったのだが、先ほど挑戦してみた。栄養管理も自分でできなくてはと思ってな。しかし、なにぶん初めてなもので、分量を誤ったようだ。そこで、苗字に分けることを思いついた」
「そうですか……」

で、これ何ですか?とは流石に聞けない。確かに、その料理らしき物は深くて大きな皿になみなみと入っており、一人で食べきれる量にはとても見えなかった。

「えっと、これ、全部私の分ってわけではないですよね……?」
「いや、俺の分はまだ家の鍋に残っている。だから、これはお前の分だ」
「えー……」

いつものことだが、牛島先輩の瞳は濁りない。真っ直ぐ前を向いていて、無表情だ。冗談で言っているわけではなさそうだった。先輩は、本気で、この得体の知れない物を、全部私に託そうとしているのだ。

「ほら、受け取れ」
「ちょ、ちょっと待って下さい!……えっと、私こんなに食べきれません。お皿に取り分けて、少しだけ頂いてもいいですか?」
「そうか……?遠慮しているなら……」
「本当に本当に大丈夫です。胃が小さいんです。小食なんです。少しで良いんです」

こうなってしまっては仕方がない。私はドアを広く開け、牛島先輩を部屋の中に招き入れた。「お皿出すので中まで持ってきてもらえますか」という私の言葉を待つことなく、先輩は普通に家の中に入ってきた。礼儀とか知らんのか。

「えっとじゃあこれで……ん?」

小さめのタッパーを出し、お玉で謎の料理をすくい上げた時だった。鼻についたのは、微かな異臭だった。

「どうした?」
「いや、なんか……えっと……」

牛島先輩に、『これ腐ってません?』なんて言える勇気、私にはない。というか、作ったばかりでまだ温かいくらいの料理、どうやって腐らせるのだろうか。しかし、一度気付いてしまった臭いを、もう無視することはできなくなっていた。

「えーっと……」
「何かあったか」
「……これって、何の料理なんでしょうか……?」
「肉じゃがだ」
「そーなんですね……」

肉じゃが……には当然、腐ったような臭いは似つかわしくない。私は勇気を振り絞って、言ってみる、ことにした。ええい、ままよ!と心の中で強く唱える。

「この肉じゃが……なんか臭い、しませんか……?」
「そうか?」
「ちょっと嗅いでみます?」
「む……………………するな。」
「しますよね?!」
「ああ」

すると牛島先輩は勢いよく、バッ!!!と音がしそうなくらいの勢いで、上半身を倒した。つまり、お辞儀をした。腰の角度は90度。それを190cm近い大男がするのだから、迫力と圧がすごい。

「すまない」
「ええ?!ど、どうしたんですか……?!」
「腐った物を苗字に渡そうとしたのは故意ではなく事故だ。そういった意図はなかった。しかしお前に腐った食べ物を食べる危機を作ってしまったのは事実だ。謝罪させてくれ」
「い、いやいやいや、大丈夫ですって!まだ食べてないし!いやほんと大丈夫なんで顔上げて下さい!」

牛島先輩は、おそるおそるという感じで(とは言っても表情は変わらないので想像だが)顔をあげた。一瞬、先輩が可愛く見え、いや、そんなわけない。怖い怖い超絶完璧嫌味原始人の牛島先輩が、可愛いなんてそんなこと、ありえる筈がない。

「っていうかこれ、本当に腐ってるんですかね……?さっき作ったって言ってませんでした?」
「ああ。だから腐るはずがないのだが」
「ですよね……。ちなみに、材料いつ買ったんですか?」

じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、肉、しょうゆ、みりん、砂糖。肉じゃがはこれさえ入れれば大抵美味しくできる、初心者の味方だ(これは見た目はどう見ても肉じゃがじゃないが、肉じゃがと言うのだからそういうことにしておく)。作ったばかりで腐っていないのなら、元から材料が腐っていた可能性だってある。

「全て、昨日買って苗字に冷蔵庫に入れてもらったものだ。……俺は、何か悪いものを入れてしまったのか?」
「うーん、わかんないですけど……」
「タンパク質を補うためにアレンジして納豆とサーモンを入れたのが余計だったか?」
「そ、それだーーー!!!!!」

牛島先輩のこと、超絶完璧と思っていた頃の私に伝えたい。この人は多分、少し、バカだ。

(2020/11/29)




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