悪い夢など飲み干してしまえよ


大学を出て少し歩いたところ、駅までの道のりの喫煙所に、斉藤はいた。「おまたせー」と声をかけたらちょうど今吸い始めたところだったらしく、「逆にちょっと待たせます」と謝られた。私は半年前の記憶を手繰り寄せながら、はぁ、しょうがねえなーと呆れた顔をしてみせた。……私と斉藤って、こんな感じ、だったよね?

「お待たせしましたぁ〜。どこ行きます?なんか食いたいもんとか」
「焼き鳥?」
「なんで疑問形?」
「大体いつも焼き鳥じゃなかったっけ?」
「んー?まぁ、そうでしたけど。別に、今食いたいので良いんですよ?」
「……焼き鳥かなぁ?」
「だからなんで疑問形?」

道中では就活のこととかバイトの愚痴とか、当たり障りのないどうでもいい話ばかりをした。そして、いつもの、焼き鳥が売りの大衆居酒屋に入る。疎ましかったはずの、隣と近すぎる客席やうるさすぎる店内が、今日に限ってはありがたいとさえ思えた。脱いだコートを足下のカゴに入れながら、次に話す話題を考える。ああそうだ、とりあえずメニューの相談をすればいい。そう思ったのも束の間、斉藤の「生2つで」と言う声が上から聞こえてきた。待ってと止める間もなく、ヤツは言葉を続けた。

「2つとも、ドデカジョッキで」

ちょっと待て。

「おいおいおい待て待て待て」
「それとー、えーと、串5本盛り、あとはぁ……」
「待ちたまえよ」
「ホルモンポン酢と〜、炙りシメサバ」
「無視をするな」
「と、エイヒレ、長いも付け。あ、センパイ何かありますー?」
「待て待、えっ?!は?あ、ポテサラ!!?」
「だそうですー。以上で、お願いしまーす」

かしこまりましたー。と店員さんが雑にお辞儀をして去っていくのを見送って、正面の斉藤を睨んだ。

「斉藤くん〜〜〜?ドデカジョッキなんてお願いした覚えないんですけど〜〜〜〜?」
「あっれぇ?そうでしたっけ〜?いやぁ名前さんが喉渇いてそうな顔してたんでぇ僕なりの気遣いというかぁ」
「どんな顔だよ!」
「ほらほら〜僕ってばぁ、気遣いのできる真面目で優秀な後輩なもんですからぁ」

斉藤はニヤニヤと笑って「あんときのお返し」と言った。どんときだよそれ、いろいろ迷惑掛けすぎて何のお返しなのかわからんわ。
お待たせしましたー。ドデカビールがふたつ、雑にテーブルに置かれる。泡なんてほとんど消えてしまっているが、そんなことを気にする私たちではないのだ。取っ手を自分の方に、ぐるりとジョッキを回して、勢いよく持ち上げる。

「んじゃま、とりあえず」
「久しぶりの、乾杯ー!」

ガチャ、とドデカジョッキの鈍い音がぶつかる。重たいグラスをよいしょと傾けると、よく冷えたビールが流れ込み、乾いた喉を潤していく。

「はーーーっ!喉ごし、最っ高!」
「この瞬間のために生きてるとこあるよなぁー」

そう言うと、斉藤はもう一度ジョッキに口をつけ、ゴクゴクと大きな音をたてて一気に半分くらいまで飲んでしまった。

「っあーー、きくわ……」
「びっくりした……そんな急いで飲まなくても」
「あれぇ?センパイ、なんでまだそんなにビール残ってるんですかぁ〜?!」
「……あーもう、ほんっとヤなやつだな、お前は!!」

ぐっと力を込めてジョッキを持ち上げる。たく、クソ重いんだよこれっ!「あんたが半分なら私は全部いってやるよ」などとできもしないことを意気込んで、爆笑しやがるクソ後輩を横目にジョッキを傾けた。結果はお察しの通り半分で終わったわけだが、斉藤が「アンタいっつもそう言って半分じゃねぇか」と涙を浮かべて笑うもんだから、半分しか飲めなくてよかったなあなんて身も蓋もないことを思った。


「……なんか、ごちゃごちゃ悩んでたけど、そんなの必要なかったのかも」

ムカつくほど気の利くこいつには、私がぎこちなかったことも、私らしさを引き出すスイッチも、なにもかもが、とっくにバレていたのだ、と思う。

「へえ。なんか悩んでたんすか。アンタみたいな人が」
「おいどういう意味やねん」
「言葉通り」
「単細胞ってか、やかましいわ!」

なにもかも見透かして、知らん顔してやってのける。そうやっていつも私を助けてくれていたのだと、今になって思い知らされる。

「ありがとね、斉藤」
「……こっわぁ、何です急に。もしかして僕、これから殺されたりします?」
「ムカつくから殺そかな」
「なんでそうなる!」

そしたらお墓にビール供えてあげるよ、と笑うと、「はじめちゃんは無敵なので死にませーん」という小学生みたいなことを言われた。ならば私が引導を渡してやろう。と負けじと小学生みたいにチョップを食らわせようとしたら、ガタンと机が揺れて、お通しの枝豆がひとつ皿から溢れた。ああ嫌だなあ本当。こういうところが、バカではしたないって思われてるんだよ。

「はは、なんつーかほんっと、アンタって人は」

聞き飽きたそのフレーズを、斉藤は口癖のように吐きながら、何も気にしてない風に長芋に箸をつけた。

「あ〜出たそれ。どうせ、バカとかめんどくさいとか、いつも無礼なこと思ってんだろ〜!オラ、今ここで白状しちまいな」

なんで急にオラつくのよ、と斉藤は長いもをひとかけら口に運ぶ。私の内心なんて知りもせず、ゆっくりとまたビールをひとくち飲んで、古びた木のテーブルにごとり、と音を立ててジョッキを置いた。

「あーー、その、めんどくさいとかは思ったことないですけど、まあ、なんか。ほっとけないっつーか、なんつーか」

思わず、箸を持つ手が止まる。……自惚れでなければ。何でもないことみたいに言ったその声にはまるで似合わない、決まりの悪い顔で、逸された目線。誰よりも器用な斉藤が、そんな顔を私に向けている。その意味がわからないほど、私は鈍感じゃない。

「……だったら半年も、ほっとかないでよ」
「え?」
「あー!なんでもねえー!!!ムカついたからお前の次のビール頼んだろ!!すいませーん!ビール追加お願いしまーす!」
「はぁぁ?!!」

今日、あの淡々としたLINEを返したときも、彼はこんな顔をしていたのだろうか。もし、そうだとしたら。こんな卒業間近になっちゃったけど、下らない意地なんて張らずに、いらない理由なんて探さずに、もっと早くに、誘ってしまえばよかった。……なんて、自惚れだったら死んじゃうからこれくらいにしとこ。

(2021/11/27)
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