出会いが偶然だったとして
「エデン?……おい、エデン!?」
魔法を掛けた瞬間、がくん、と崩れ落ちる身体が此方に倒れ込んでくる。
咄嗟に支えてベッドに寝かせると、その瞳がまだ見開かれていることに気付いて背筋が冷えた。
まるで人形だ。
見るからに普通の気絶じゃない。
掛からなかったのか?失敗したのか?
何故だ。完璧だったはず────
「え、あ?バイパー?エデンは……、なん、なんで、どうしたんだ?!」
「ハールーン・イェン……!」
見られたか……?いや、それなら真っ先に糾弾が飛んで来る。問題無いだろう。
クソ、どうして順調にいかない!
「突然倒れたんだ!医務室に連れて行く、悪いがカリムに伝言を頼めないか。遅れると。」
「わかった!アジームは部屋か?」
「動いてなければな。」
「居場所わかんねえのと同じじゃん!あーもう、とりあえず行くわ、エデンのこと頼んだぞ!後で行く!」
部屋を出ていく後ろ姿を視界の端に見ながら、魔法を解こうとしてみるが効果は無い。俺の魔法が掛かっていたなら解けて目が覚めるはず。ならばもうこれ以上処置できることは無い。
ベッドの上に投げ出されたブランケットを引き寄せて、エデンの上半身に巻いた。
他にこの刺青の意味を知っている奴なんていないと思うが、背中は見せられない。
どこの富豪だか商家だか分からない、誰とも知らないクズ野郎の所有印なんか見せてたまるか……!
「っぐ、……!」
膝裏と背中に腕を回して走り出したが、重心のコントロールもできない骨肉と血の塊になった人体の重さで腕が軋んだ。
頭ではそれを当たり前だと分かっているが歯痒さで奥歯を噛み締める。
こんな状態のエデンに浮遊魔法なんて掛けたら何が起こるか分からないんだ。運ぶしかない。
何故エデンは気を失った?
瞳は止めろと言っていたが何か関係があるのか。
魔獣のハーフなんだと言っていたがその血に何かが反応したのか。
疑問ばかりが湧いて思考がまとまらない。
「目を覚ませ……!手伝うって言っただろ、エデン!」
「ジャミル!」
「!」
寮の鏡を潜る直前、振り返るとカリムが魔法の絨毯で追ってきていた。
こんな、こんな時だけ用意が良いな……!
「乗れ!」
猛スピードの絨毯に飛び乗る。
抱えたエデンでバランスを崩した俺をカリムが腕を掴んで阻止したが、筋肉が悲鳴を上げて踏ん張れずに絨毯に沈んだ。
そのまま鏡をくぐった感覚をやり過ごして顔を上げる。
「大丈夫か?!」
「俺は問題無いがエデンが……!」
「っ!?このまま医務室まで飛ぶぞ!なんで、どうしちゃったんだ、エデン……。」
金の目を開いたまま反応の無いエデンの異常さが分かったのか、珍しく険しい顔で前を向き直した。
なんでだと?
それは……俺の、そう、俺のユニーク魔法のせいだ。
このまま意識が戻らなければ、謝罪も許されない、懺悔も、俺は、エデンを、
失うのか?
「ジャミル!」
「!」
「大丈夫だって!きっと!ジャミルがついてるんだからな!」
無意識に息を飲んだ。
いつもの、俺を誉めながらも重く課される信頼から出た励ましだ。明るく、わざと冗談を言うような声色の棘。
カリムは俺が魔法を掛けたことを知らない。
100%の善意が喉を締め付けてくる。
苦しい、怖い、
助けてくれ、
「エデン……、起きろ、エデン、」
心臓が潰れそうなまま耳元で呟いた言葉は、風の音に掻き消されるほどの音量でしかなかった。
廊下のアーチから校舎内に入り医務室前に停まる。
ノックも無しに飛び込んだ俺たちと、腕の中のエデンを見て養護教諭が血相を変えた。
「どうしたの?!」
「先生!突然部屋で倒れたみたいなんだ、原因が分からなくて、オレ、毒じゃこんな症状見たこと無い。」
「君が言うなら余程だ。その子は2年のウィサーム君だね?こちらへ!ベッドへ寝かせて。」
「ジャミル、エデンを、……ジャミル?」
腕と脚が硬直して動かなかった。耳から入ってくるカリムと養護教諭の声に、動かなければと思いながら動けない。
手放せない、とも思っていた。
「バイパー君。ウィサーム君のことは入学時に聞いている事項があるんだ。大丈夫、僕に任せてほしい。さあ、彼をベッドへ寝かせてあげよう。」
「は、はい……、」
喉がカラカラに乾いていた。関節もまるで固まったようだったが、なんとか一番手前のベッドへ横たえる。
「アジーム君、バイパー君、そっちの椅子に座って待っていてくれるかい。お茶は勝手に淹れていいからね。」
仕切りのカーテンが動いて、見えなくなる姿に手を伸ばしそうになった。
同時に少し、息がしやすくなる。
なんて薄情なんだと心の中で自分自身が非難の声を上げるのを無視して、指し示された椅子へ身体を預けた。
「ジャミル、」
「……なんだ。」
「最近ずっと、……何て言うか、エデンはさ、オレの、ジャミル以外に任せられないってボーダーラインを越えないように、手伝ってくれたりしてただろ?」
「ああ、そうだな。」
「うーん、分かってたつもりだったんだけど、オレが思ってたよりもジャミルはエデンが大切なんだな。」
「は?」
大切……?
それは、そうだ。
そういう性格なんだと宣って、変な対価の要求も無しに手際良く俺を手伝う人間なんて居ない。本人もバックグラウンドも特に怪しくない奴なんて。
よくカリムと話したそうにしているのが不審で最初こそ疑っていたが、本当に仲良くなりたいだけらしいのに気付いてからは積極的に阻止している。
「友達だろ?本当の宝物、じゃないか?オレも、エデンのこと大切だって思える。ジャミルがこんなに大切にしてるんだからな!」
いつもの屈託の無い笑顔に頭が殴られて揺れた気がした。
友達……か?
「お2人さん、」
「はい。」
「先生!どうだ?エデンは、」
「落ち着いて。今は瞳を閉じて眠っているよ。入学時に聞いていた通りだから問題無い、目覚めるまでに時間は掛かるだろうけれど。────バイパー君は少し落ち着いたかな?」
そう言われて、カリムと話した少しの時間で自分を客観的に見れる程には頭が落ち着いたのが解る。先程のような混乱はしていない。
「ありがとう、ございます。」
「いいえ。僕の仕事だからね。彼が起きるのを、君たちは健康に待っていなきゃいけないよ!」
「もちろん!笑顔で宴を開かなきゃな!快気祝いに!」
「そうそう、その調子で!さて、彼の同室者は誰?パジャマを持ってきて欲しいんだ。」
「ああ、ハールーン・イェンです。こっちに向かってきてるはずなので、伝えますよ。」
「うん、よろしくね。」
にこり、と人当たりのいい笑顔を向け「今日は念のため面会謝絶にするから、もう戻りなさい」と背を押す養護教諭と医務室に別れを告げる直前、投げ掛けた疑問に俺はまた奥歯を噛み締める羽目になる。
「先生、エデンが入学時に伝えてあったことは何なんでしょうか。」
「ああ、うーん……、それは、本人以外が話すことではないな。君は聞いていなかったのかい?」
ギシリ、と顎が軋んだ。
─────∝∽∝─────
真っ暗だ。
地面も壁も天井も分からない。ただ、自分の手ははっきり見えるのだから、暗いと言うよりは黒い、んだろう。
───ああ、気を失ったのか。
それともオーバーブロットで死にかけているのか。
ジャミルはぼんやりした意識の中で、そう考えていた。
「気配も感じない、か。」
歩き出すと足音も無い。
人間は完全な無音と暗闇に置かれると一定時間で発狂するんじゃなかったか、と嫌な記憶に追われながら歩き続ける。
気を失っているのだとしても、このまま死に至るのだとしても、ここに在るジャミルは意識がある。きっと精神的な世界の中なのだろうが、起きている状態で何もしないと言うのも拷問だった。
幼いころから詰め込まれた従者としての訓練や、カリムに付くようになってからの様々に積み上がる仕事で、もう、じっとしているのが気持ち悪くなってしまっている。
これも職業病というやつか。
───カラン、
黒の奥底から金属の音が響いた。
ジャミルは足を止めて辺りを見回す。何も変わりがない、と思えば後ろに極小さく青い炎が灯っている。ジャミルの方へ向かってくるように揺れ、少しずつ大きく見えてきた。
凝視していると段々と青い炎に照らされて姿が見えてくる。可笑しい。ジャミル自身は何も照明が無くても見えるのに、相手は光がないと見えないらしい。
もうあと5mほど、というところで相手の顔がようやく見えた。
「エデン……?」
「ジャミル?ああ、良かった、追い付いた。」
青い炎を収めたカンテラを手に、もう片手には体重など支えられないような細長い杖を持っている。初対面時に取り繕うのも忘れて「気持ちが悪い敬語は止めてくれ」だなんて言い放った相手。
自分のユニーク魔法で意識を失った、エデン。
まるで人形のように目を見開いたまま崩れ落ちた彼の身体の重さや感触の記憶が、ジャミルに戻ってきた。
「お前……!」
「え?っうわ、ちょっと、」
「温かい……?生きてるのか……。」
駆け寄って思い切り抱き締めれば、カンテラと杖を避けて大人しくジャミルの腕に捕まる無防備な彼。
「生きてるのか、って、死んで欲しかったのか?ジャミルが魔法掛けようとしたんだろ、俺の話も聞かないで。」
ふん、と息を吐いて距離を取ろうとするのを、咄嗟にエデンの腰の辺りで手を組んで阻んだ。結局ジャミルの腕の長さ分、一歩分有るか無いか程度しか距離が取れなかったのをエデンは不貞腐れた顔で咎めている。
「死んで欲しくないに決まってるだろ!……お前が、隠そうとしたからだ。」
「その後すぐに話すからって言いました!」
あの刺青のせいで気が動転していたのは、もう既にジャミルは自覚していた。脚をアイギスの尻尾が叩くのを甘んじて受ける。これくらいは可愛い抗議だ。
「……ジャミル、戻ったら俺の話を聞いて欲しい。ちゃんと、全部、背中の刺青のことも話すよ。ミントティーでも飲みながら。」
「分かった。聞くから、全部。ミントティーも俺が淹れてやる。……だから、眼を覚ましてくれ、生きた心地がしない……。」
もう一度抱き寄せれば、「んん、弱ったジャミルは久しぶりだ」なんて半分笑った呟きが聞こえて来た。確かに、初対面の時以来かもしれない。
「なあ、オーバーブロットでもしたのか?これでも驚いてるんだ、ジャミルが落ちてきて。」
「ああ、色々ぶちまけてきた。」
「……っははは!カリム寮長にでも?」
「まあな。……ん?落ちてきた?」
「うん?気になるか?ていうかその前に離してくれ。逃げないから。」
逃げるから抱き締めてたとでも思ってるのか。
少し苛立つ気持ちを抑えて渋々腕を解く。でも手首は掴んで離さない。なんで?という顔をされてもお構い無しだ。
「まあいいか……。ジャミル、俺の故郷はどこか知ってたっけ。」
「ああ、知ってる。ニアル川の方だろ。」
「そう。ニアル川流域の地域には特有の言い伝えが残ってるんだけど、その中に、死した者の旅に付き添い、死後の審判を行うものがいる。」
「死後の審判……?」
ガラン!とカンテラが揺れて、ジャミルとエデンの間で浮かぶ。炎が橙色を交えながら燃え上がり、静かな空間に金属が軋む嫌な音が響き渡った。
カンテラの下に差し出されたエデンの手の周りで、黒い光が弾ける。
その音に鳥肌が立つような予感がして、確か子供の頃に聞いたことがあったはずだと急いで記憶を掘り起こした。
かの古代神の姿のような魔神が現れて、死後はそれに従って行動しなければ審判を受けられず死者の国に行くことができない。生きている内の行動も審判で見られるのだから、己の行動には気を付けなければいけない、そういう教訓を伝える寓話だ。
「成り損ないでも間に合って良かった。」
「おい、ちょっと待て、それじゃあまるで、」
「ジャミル、ジャミル・バイパー。お前はまだ来るべきではない。」
炎がいっそう燃え上がり視界を焼く。
黒い空間はインクで塗りつぶされたままだったが、どこからか音が響いている。ドオン、ドオン、と花火の音のような、なにか大きな者が迫ってくる足音のような。
「エデン……?エデン!」
ジャミルが辺りを見回して、もう一度エデンに向き直った時にはそこに彼は居なかった。あんなにしっかり握っていた手首も煙のように消えて。
「エデン!!」
「ジャミル、さあ、帰って。カリム寮長が待ってる。」
反論しようと口を開いた瞬間には、ジャミルの意識は消え去っていた。
─────∝∽∝─────
「ちょっと、君、大丈夫ですか?意識ありますか?!」
初対面は、そう、環境の変化にようやく慣れたと思っていたらカリムの世話が降って湧いて、知らず知らずに疲れが溜まっていたらしく寮の廊下で転んだ時だった。
今考えると、あれは軽く倒れたんだろう。
傾いだ身体を支えられ、咄嗟に横を見れば黒い耳の獣人がいて。
医務室を拒否すれば、じゃあ介抱するから少し休んだ方がいいと申し出られた。さすがに見知らぬ他人に世話されるわけにはいかないとそれも拒否したが「問題無い、って、そんな顔色で問題無い訳ないじゃないですか」と問答無用で自室へ運ばれた。
まともに挨拶したのは少し眠った後、時計の針が翌日を指し示す直前。
「俺の名前?ああそっか、名乗ってなかったですね。エデン。エデン・グランドフロラです。え?敬語が気持ち悪いって……そう、じゃあ、よろしく。ジャミル。」
同室者の寝息が聞こえるだけの、静まり返った青い光に満ちた部屋で。
エデンの不機嫌に揺れる耳にあわせて、しゃりん、と耳飾りが音を立てたのを今でも覚えている。
continue.