お帰りって言えよ
「……、」
戻ってきた、と思った。
空間から出た感覚はもうぼやけて覚えていないけど、眼がむくんで重くぼんやりしている。
「起きたか仔犬。」
「え……?」
声の聞こえた方へ首を少し回せば、項の奥あたりで小さくパキリと音が鳴った。
どれくらい寝てたのか、眠りすぎだ。身体全体も重い。
「クルーウェル先生、」
「ステイ。今、養護教諭に連絡したからな。」
「ありがとう、ございます。」
何度か瞬きする間に、その白黒の姿がはっきりしてきた。もっとも、ぼんやりした視界のままでも分かりやすいファーコート姿だけど。
ベッドの隣で、黒い革張りの脚無しの椅子に腰かけて浮いている。
……なんで椅子ごと浮かんでるんだ。
「先生、その椅子なんですか……?脚が無い……。」
「グランドフロラ、」
「はい?」
「何日も昏睡しておきながら最初の質問がそれか?」
「ア"……た、大変申し訳ありません……。」
大変な呆れ声で少々お叱りを受けてしまった。自然と耳がパタンと伏せるのが耳飾りの音で分かる。
組んだ脚を一度解いて、サイドテーブルにカップと本を置いた先生は再度脚を組んでこちらに向き直った。椅子がまるごと回転してるんだけど何あれ……。
「身体に問題は無いか。」
「ありません。やっぱり書類出しておいて正解でした。必要ないかと思ってたんですけど。」
「ふん、《ウルダルの瞳》だったか?」
「はい。」
──ウルダルの瞳。
元は魔神の最高位・ウルダルの破邪の瞳だ。
多分、地元でも知ってる人の方が少ないと思う。
知ってるのなんて、当事者と民俗学者やそれに付随する意匠や紋様の研究者くらいじゃないか?
地元市民は模様を魔除けの御守りとしていて、居候として世話になっていたザイン家独特の意匠も、このウルダルの瞳をモチーフに作られている。
今となっては魔神の系列に時折顕れる特異体質で、それが俺にも顕れた結果、瞳が鍵になるような魔法は強制的に排除するようになった。
厄介なんだこれが。
排除のために魔力を割くので意識は飛ぶし、相手の力の強さに比例して昏睡時間は長くなる。俺の場合は意識が無い間に身体が死ねば、もちえろんそのままデッドエンド。
ジャミルが相手で運が良かった。
「本来のウルダルの瞳は昏睡なんてしないんです。成ったら、ちゃんと機能するはずで。」
「全く、成りかけというのは面倒だな。」
肘置きに頬杖をつく仕草が様になりすぎるな、この先生は。
しっかりしてきた意識と身体の感覚に、起き上がれそうだと上半身を起こす。もともと体調が悪くて倒れた訳ではないからな。
「起きて問題無いのか。」
「はい。医務の先生来ませんし、問題無いです。」
「なら良い。」
そう言うと教鞭を軽く振って、サイドテーブルのピッチャーを浮かせてグラスに水を注いでくれる。
あの男は何をやってるんだ、と医務の先生に対する半ギレの呟きは聞かなかったことにしよう。
「起きられるならまず水分を摂れ。明後日にはホリデーが終わるからな、体調を、」
「え!?」
「遮るとは良い度胸だ。」
「す、すみません。その、え、明後日?」
「随分呑気に寝こけたな。しっかり回復しておけ。」
半分憐れみの目でニヤリと笑う先生。
俺のホリデーが体感約2日間?!嘘!信じたくない!
ウルダルの瞳で昏睡するのはこれで2度目だけどホリデーが終わるなんて、さすがに寝すぎだ。
ジャミルで良かったっていうのは半分撤回!もう!成績をごちゃごちゃさせてるのは気付いてたけど、実際の魔力量は読み違えてた!
…………まあ、無理矢理ポジティブに行けば、ご主人様(暫定)が将来有望で嬉しいなあ〜、って思えはする………。
魔神に成った俺より魔力あったらどうしよ……。
はあ………。
「ぜ、絶望……。」
「うちひしがれるのは自由だが、飼い犬の面倒も満足に見れんような主人を選ぶなと言っただろう。」
「俺は犬じゃありませんって。……そう言うってことは、先生はジャミルのこと、知ってるんですか。俺のこの昏睡の原因も。」
深く静かな溜め息と共に返ってきたのは肯定だった。
オーバーブロットは命に関わるんだから、常勤の教員にはそれなりに周知されていると言う。ユニーク魔法も。
そうなったら、解ってしまうだろう。
ジャミルのユニーク魔法は良く知らないけど、あの詠唱を聞く限りは眼を見ることが鍵になるような支配の魔法だろうと当たりを付けている。
「そうなんですね。」
「どうするんだ。バイパーはあれで愚かではないが。」
「ジャミルとは後で一通り話す予定です。今のところ1番有望だったんですけど……、それでダメなら第2志望を選ばなきゃいけないですね。」
「拒絶されることを前提に話すのは関心しない。困ったら来いと言ったはずだが?」
浮いた椅子がこちらに少し近づいてきて、先生の教鞭が俺の顎を掬い上げた。
「う、あ、ありがとうございます。でも、クルーウェル先生は、《先生》なので、困る、と思って……。」
「ほう、俺が教員であることで俺自身が困ると?」
顎に添えられたままの教鞭がとん、と跳ねるので恐る恐る先生を見たら悪い顔で笑っていた。
ぼふり、と尻尾の毛が逆立つ。
なんだ、なんでちょっと怒ってるんだ先生は。だって困るだろ、所詮先生と生徒なんだから、言葉をそんなに素直に取ったら。
「え?あ、その、」
「お前はもっとしっかり魔神という存在を自覚するんだな。」
そんなこと言われても、十分自覚してるつもりだ。
それに成ろうとしてるんだ、自覚って言われても、してますとしか言いようが無くてもどかしい。父親の式典には定期的に強制参加させられてるし、神官や親戚に散々「自覚しろ」と言われてきてる。
教鞭の代わりにその赤い手袋を着けた手で頭を撫でられている内に、なんかちょっとイライラし始めてしまった。不味い。先生は善意で言ってくれてるんだから落ち着かなきゃいけない。
チャリチャリ揺れる耳飾りの音を聞きながら思いきり深呼吸をしたとき、ベッド周りのカーテンが開かれた。
「はいストップ〜!クルーウェル先生、グランドフロラ君のこと誘惑したら駄目ですよ。一発レッドカード。」
「お前は養護教員としては遅すぎるな。免許偽造の素人か?」
「はあ〜?僕は成績優秀だったんですよ?クルーウェル先生は見る目が無いんですね。」
「監察保護対象の生徒を放って置くようなお前を成績優秀とした教員こそ節穴だな。」
「ちょっと待った待った!先生同士で煽り合わないでください!」
なんで仲悪いんだ?!
─────∝∽∝─────
簡単な問診を受けて、第三者(医務の先生)からも問題無いと太鼓判をいただいたので大人しく寮へ戻ることにした。
ありがたいことに枕元に置かれていた見舞いの品々や着替えを、学園のノベルティらしいコットンバッグに詰め込む。その間にクルーウェル先生は「慎重にやれ」と言い残して去っていった。授業再開までの準備があるらしい。
慎重に、と言われても、この後ジャミルとコンタクトが取れればそのまま説明するターンだろうなと思う。問題の渦中に飛び込んで行かなきゃならない訳で……。
いや、先生もそういう意味で言ったんじゃなくて、ちゃんと言葉で交渉?取引?しろよってことだろうけど、俺が言葉でジャミルに勝てるとでも?
さすがに自分でも無理だとわかる。
「あーー!!エデン!!」
「え」
「うわー!もう!心配したんだぜ!?目ぇ覚めないかと思った!」
「は、ハールーン、お前、」
後ろからタックルのように抱きついてきたハールーンは涙目で叫んでいる。
まだ人気の無い廊下にくわんくわんと声が響いて、そんなに心配してくれてたのかと驚いてしまった。
ルームメイトとしては確かにそこそこ仲良くしてるとは思ってたけど、少し早めに戻ってきているほどとは、正直驚いたし嬉しい。
「ああ、くそー!良かった〜!!!!」
「勢いがすごい……。ごめん、驚かせただろ。」
「そりゃあ、すげえ驚いたし、初手でバイパーに任せたオレはバカだったと思ったし、後悔した。けどさ、良かったよ、大丈夫そうで。」
肩を組んだままグスグスと鼻を啜り顔を歪めるこいつは、意外と人情に厚いらしい。初めて知った。
感じていた以上の感情をもらってしまって、ちょっとむずむずする。
「ありがとう。枕元に焼き菓子置いておいてくれたのもハールーンだろ?俺の好きなやつ。」
「そー。ハーツラビュルからの横流し品な。」
「美味しいやつだ。」
「作り置きを密輸してきたんだから、ありがたく食べなさいよ〜!」
「じゃあ帰ったらお茶にしようかな。腹減った。」
「そうしろよ。アジームとバイパーにも知らせてきてやるからさ。」
「へ、」
驚いて横を見れば、ハールーンは心底嫌そうに顔を歪めている。
「え、いや、別にいいって。話には自分で、」
「いーやーだーね!!お前バイパーと仲良いじゃん、別にそれについて口は出さねえけど、オレもお前と仲良いつもりなワケ!友人昏倒させたやつを簡単に見過ごせる?!あの2人にはお前に謝ってもらわないと俺の気が済まないの!!」
「強気だな。別にいいって、俺が寝てる間に寮でゴタゴタしたんだろ?」
「……そりゃ、したよ。したからさ。尚更だ。」
ふん、と鼻から息を吐いて、どこか複雑そうな顔をしている。
そのままハールーンが知ってる限りの顛末を簡単に聞けば、思っていたよりも大事だった。
ジャミルがオーバーブロットした事は本人から聞いたけど、まさか他寮やオンボロ寮の監督生も巻き込んでるなんて思いも依らない。
変なタイミングでブロットが見えてたのは、そこまでストレスと共にブロットが積もった結果だったのか……。
「でもやっぱり、いいよ。自分で行く。医務室に運んでくれたのは2人なんだろ?ハールーンの気持ちだけは、ありがたく貰っておくよ。色々決まったら報告するから。」
言ったところで丁度良く鏡舎に着いた。鏡を跨げば、スカラビア特有の砂漠の気候が迎えてくれる。
あと3時間くらいで気温が急激に落ち始めるだろうな。
「……絶対、謝らせろよ。」
「自分から謝れって言うのもどうかと思うん、いや、わかった!分かったって、叩くな!」
「なんでお前はそんなに平気そうなんだ!」
それは倒れた原因がはっきり分かってるからだけど。
もどかしそうに小突いてくるので逃げる。
ハールーン、良いやつだなあ。魔神になったら寂しくなるだろうから、あんまり人間に情を移さないようにと思ってたのに、こんなに良いやつ、忘れられそうに無い。
「あー、ほら、俺は給湯室寄ってくから、先に部屋戻っててよ。」
「大丈夫か?もう倒れない?」
「倒れない、もう平気だってば!」
「……わかった。じゃあ、そのバッグだけ先に持ってってやるよ。」
「ありがとう。よろしく。」
コットンバッグを預けて別の道を行く。
保健室で着替えて帰ってきたばかりだから、制服のベストやジャケットを着てない雑な格好だけど、怒られやしないだろう。
給湯室には案の定、誰もいなかった。
共用冷蔵庫に入れておいた作り置きのハーブティーは無くなっていて、棚に保存用ボトルが戻されている。友人達が飲んだんだろうな。
学年ごとになんとなく区分けされた棚の中から、茶葉の袋と自分のタンブラーを取り出して、適当な共用ケトルで湯を沸かす。ハールーンは自室でカップを保管してるから、少し多めに沸かせば量は間に合うだろう。作り置きの分はまた後で作りに来ればいい。
待っている間に簡素な木のハイチェアに腰かけて縁に頬杖を着いたところで、なんだかドッと疲れが押し寄せて来た気がして、盛大に息を吐いた。
魔神としての自覚ってなんだ、とか、カリム寮長やジャミルのことが頭のなかでぐるんぐるんにミキサーにかけられて訳が分からなくなりそうだ。
「良くないな……何か食べないと。」
全然頭が動かない。
取り急ぎ貰った菓子類でも食べないと腹の中が空っぽだ。
魔神になってしまえば食べなくても問題ないから、こういうことを省みると人間て面倒だなと思ってしまう。
もう一度息を吐いて目を閉じて、ポコポコと音を立て始めたケトルの音を聞きながら耳を澄ませた。
「エデン、」
「っ!?あ、……ジャミル、」
突然呼ばれて見れば、入り口の近くにジャミルが空のグラスを持って立っている。
何から喋ればいいのか分からなくて迷っていると、なんだか気まずい空気になってしまった。
どことなく凪いだ雰囲気のジャミルを目で追えば静かにこっちに来て、手がトスンと力無く頭に降ってくる。
シンクに置かれたグラスの中、溶けかけた氷で音が鳴った。
「平気なのか。」
「……ああ、平気。ジャミルは?」
「変わらず。」
「そうか。」
初対面の時ですらもっと遠慮が無かったと思うのに、少しベタッとした俺の癖っ毛を撫でるだけで、黙ってしまう。
変な空気にむずむずする。
「ジャミル、っ!」
突然抱き締められてバランスを崩した。
ハイチェアに座ったままの俺を上から覆うように引き寄せるから、椅子が傾いて咄嗟に片足を床に着く。ジャミルの寮服を思い切り掴めば、背中の腕により一層力が入るのが分かって息を詰めた。
「お、驚いた……。」
椅子が倒れるかも、という動揺が心臓をまだ揺らしていて、尻尾や耳の毛が逆立ってる感覚がある。
耳の付け根がピリピリして不快だった。
「……驚いたのは俺の方だ。いきなり倒れて、こんなに眼を覚まさないなんて……説明するって言っただろ。」
「いや、こんなに寝てたのは、俺も予想外だった。」
ジャミルの口元が耳に寄せられて、そのままギュム、と毛羽立った耳が倒れるほどに頭に顔を埋められる。
まあ動物のモフはセラピーに良いらしいけど、シャワーも浴びられていないから勘弁してほしい。
自分じゃ分かんないけど多分体臭がヤバい。
「エデン、」
「ん?」
「……悪い、無事で良かった。」
「……いいよ、大丈夫。ジャミルのところに間に合ったし、な。」
背中を撫でれば腕の力が強まって、少し痛い。
鍛えてんだから加減しろってば。
しばらくして、ケトルが湯が沸いたと騒ぎ始めたので腕を外す。
「カリム寮長は?」
「………自室にいるが。」
「そ、じゃあ、身形を整えて、ちょっと食べたら会いに行くよ。腹が空っぽで頭が動かないんだ。説明は、夜にあの部屋でいい?」
「ああ。」
改めて離れて見ると、今日のジャミルはなんだか萎びれて覇気が無いなと思う。
今までは揺るぎ無い自信で、こちらが怯むような強い目力で、それでも従者として控えめに凛と立っている。そういう姿が気に入っていた。
「ミントティーと何が良いんだ。」
「へ?」
何って?
腕を組みながら、ふんす、と息を吐くジャミル。
「菓子は?」
「え、えと、バクラヴァ……。作ってくれるん、だ?」
「じゃなきゃ聞かない。」
「!!ピスタチオたくさん入れて欲しい!」
「分かった。」
お菓子を作ってくれると言うから、ハーブティーを蒸らしている間にジャミルの持ってきたグラスを洗う。
その間にやたら頭を撫でられたり、頬を指の背でくすぐるジャミルは、なんか、ちょっと、俺を見る目が違う気がする。どこが違うかと聞かれたら、分からないんだけど。
なんとなく雑談する気も無くして、給湯室を出て寮がある棟で別れるまで黙ったままだった。
「じゃあ、後で。」
「ああ。」
でも、シャワー浴びてないって言っても触ってくるんだから、きっと話し合いには支障は無いだろう。
首に着けたチョーカーの継ぎ目を滑っていった指を思い出しながら、自室のドアを開けた。
continue.