吐き出したい思いがある
カリム・アルアジーム。
ジャミルを通してそれなりに顔見知りだ。
言ってもそんな程度だ。そのはずだった。
大きな瞳から不意に、ほろり、と雫が溢れて、俺は思わず壁際に立つジャミルを「俺はなにもやってない!」という意思を込めて見る。
彼とはハールーンほど日々を過ごした訳では無い。あくまで俺が手助けしていたのはジャミルだし。
なのに、思わず、といったような感じで涙を溢した姿が意外で。
「良かった、エデン、」
ふとそうやって呼び掛けられたあとにほんの小さく口が「ジャミル」と動いて理解する。
ああ、この人はきっと、途方もなく不安だったんだろう。
「……カリム寮長、心配かけちゃったみたいで、すみません。」
「だ、大丈夫だ!無事で良かったぜ!その、勝手に涙が、」
慌てて手で拭っている間にも濡れた睫毛がぱちぱちと小さな水飛沫を作っている様を、俺はどうしようもなく見ていた。寮長の自室入り口付近で立ち尽くして、手持ち無沙汰なまま。
予想でしかないけど、色んなことに必死だったんだろう、この人。
信頼した唯一の従者の裏切りと、その従者が昏睡させた人間が目覚めない数日間。
自分の1番の味方が人を殺したかもしれない。でも違った。良かった。そういう安堵がなんとなく見て取れた。
命を狙われるほどの大富豪の長男で、兄弟が多くて。そんな人生なんだから、殺した殺されたなんて話題は慣れっこだろって思ってたのに、思わず涙がこぼれるほど、ジャミルが人を害することを危惧してる。
「擦っちゃ駄目だって寮長、冷たいタオルでも持って来るからちょっと待って、」
「俺が行く。」
「え、ジャミル?」
「ありがとな、ジャミル。」
「寮長?!」
思わず慌てて2人を見比べた。
限度はあるけど、ジャミルはカリム寮長と誰かを、「密室で2人きり」には極力しないようにしてると思う。
ここでジャミルが出てったら2人きりだ。カリム寮長と。
だって、そんな、なんでだ?
静かに出ていくジャミルの背を見送って、混乱したまま視線を寮長に戻せば、いつの間にかソファに座っている。頬を濡らしてぐすぐす言いながらグラスにお茶を注ぐ姿がぎこちない。
絨毯の上のクッションを勧められて、言われるがまま対面位置に大人しく座ったものの居心地が悪かった。目の前のローテーブルには注ぎすぎな位になみなみとハーブティーが入ったグラスが鎮座してる。
「ごめんな。」
「えっ?いや、別に、……何が?」
頭の中が砂嵐状態だったので阿呆な返しをしてしまったのも、寮長は笑って許してくれる。
「ホリデー、潰れちゃっただろ?」
「……それは、ジャミルのせいだし、なんか、俺も間違えたみたいだから。寮長の責任じゃない。えーと、その……、」
その「ごめんな」は無意識なのか。
と、言いかけて止めた。
自分の従者の不手際を詫びている、って事に、気付いてないのか、と思う。
俺に魔法を掛けたのはジャミル自身だ。ジャミルが「カリムのために」と何かやった訳では無かったはず。誰の指示でもない。
今回の事件の発端はハールーンからざっと聞いているから、関係無いとは言い切れないかもしれないけど、でも、決定的な現場に居合わせなかった俺にとっては関係無いんだ。
寮長はいつもの笑顔で《スカラビアの寮長》として「意識が戻って良かった!」とかなんとか言えば良いだけ。
でも、アジームの跡取り息子は骨の髄から《優しくおおらかな主》らしく在る上に、どこまでもジャミルが大切なんだろうと思う。
「別に、気にしてない。」
なので、俺の結論はこれだ。
そう。気にしてない。確かにホリデーが数日間で終わるのは虚無感がすごいが、割と気分はスッキリしてる。
第一希望の主人を得られるか諦めるか、その瀬戸際に急に立つことになって、なるようになれと思っているからだろうな。
「ジャミルは何かあって……何か考えて、俺に魔法を掛けようとしたんだろうと思う。俺も、色々考えてるからお互い様だ。」
「そうか?だけど、」
「そう、なんだよ。カリム寮長。俺は打算的に生きてる。一応計算した上でお互い様だって言ってるんだ。だから大丈夫。」
目を見れば治まっていた涙が、うるり、と膜を張ってまた溢れてこぼれ出す。
ずび、はふーーー。
深呼吸の音がそうやって何度かした後に、彼はカラリと晴れた声で言い放つ。
「そっか!」
「うん。そうだよ。」
泣いただけの水分を取り戻すようにお茶を飲むので、俺も冷えたそれを思い切り飲み込んだ。なんか知らない内に緊張してたらしい。
「まだ泣いてたのか?」
「い、今泣き止む!」
ノックの後に入ってきたジャミルが胡乱げなので、数分ぶりに「なにもやってないです!」と顔を向けた。
小さな溜め息と共に手に持った大きめの水盤を置いて、カリム寮長に水を、と声を掛けている。
寮長から無造作に産み出される水。確かにこれは疑う必要が無い水だ。
美しい細工が施された水盤の底が、差し込む光と水面を巻き込んでキラキラと輝いて、ハンドタオルを濡らすジャミルを照らす。
編み込まれた髪飾りに反射した光が眩しい。
それで、その光景を見てなんだか、ついさっきまで決意と投げ槍な気持ちでさっぱりしていたのに、水に泥を投げ込まれたようになってしまった。
目を反らした先にポツリ、とピリオドのように浮かんだインク。
ブロット、少ないな。
呆気なく石に吸い込まれて行くのを見ながら、俺はこの2人の汚れに成りはしないだろうか、と考えていた。
2人があまりに《2人》だと感じてしまった。
自分が異分子だってことは、最初から分かっていたはずだったのに。
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ピスタチオたっぷりのバクラヴァ。
俺が好きな甘さを抑えたミントティー。それから、オーツ麦のビスケット。
「このビスケット、」
「好きだろ?」
「ああ、すごく。……いや、なんでジャミルが知ってるんだ?」
「あの人魚は声が大きいからな。」
「う、アー……。」
タンブラーを受け取りながら、あまりにも分かりやすい答えに呆れてしまう。
たしか、アズール達とは違う南方出身の、同じクラスの馬鹿力人魚。声もデカい。
彼のおやつをひとつだけもらった時の「気に入った!?わかるーー!ウマイよな!このオーツ麦のザクザクがさあ、珊瑚噛み砕いてるみたいで癖になんの!」という嬉々とした叫びが頭の中に響いてきた。あれはクラス中に聞こえてたな。
「食べても?」
「ああ。」
「ありがとう。」
倉庫の部屋は魔法で掃除をして、またランタンを持ち込んだ。
ブランケットはジャミルの分も。渡したら諦めたような顔をしたから、多分クッションが増えたのにも気付いたかな。
バクラヴァをひとつ噛み尽くして、ミントティーを1口。
「……それで、あー……、もう隠すつもりも無いから、早速話すんだけど、」
ザイン家の意匠の赤いブランケットを肩に掛けて胡座をかいたジャミルと、きちんと目を合わせる。
動揺でダークグレーの瞳が揺れた。
こんなにジャミルの瞳を見たのは、魔法を掛けられそうになった時以来かもしれない。ジャミルもそれに気付いたらしい。
「色々……嘘をついてたんだ。ごめん。まず謝らなきゃいけない。」
DVだったのは父親ではなくとある魔法士だった。
魔獣のハーフなんてものが本当に居るのかは知らないが、俺はそうじゃない。
全てを一通り話せば、頭の回転が早いジャミルなら俺が何なのか、もう気付いただろう。
「お前が寝てる間に気付いたさ。死後の先導と審判。そんな事が出来るのは人間でも獣人でもない。人間と関わるような性質の魔獣でもないだろ。」
「俺が何なのか、分かったか?」
「……正直、考えたくは無かったがな。」
魔神なんだろう?
そう問われて、成り損ないだけどな、と返した。
膝に頬杖を着いたジャミルは溜息を吐いて目を伏せる。眉間にシワが寄っているので話しかけづらくなって、沈黙が耐えきれずにビスケットを手に取った。
いくら不思議空間という名の黄泉路の境で会っていようと、はっきり獣人でもハーフでもないって分かれば誰だって戸惑うだろうなと思う。
考えたくなかったってことは、俺がただの魔獣やら獣人のハーフや人間なら良かったってことだろう。そうであれば理解が出来るから。初めて出会う存在に驚きと拒絶の気持ちを抱くのは仕方が無い。
仕方が、ないんだろうなと思う。
「エデン、」
「……うん。」
「ビスケットの味はどうだ?」
「え、あ、すごい美味い。」
「ならいい。それで?」
それで?って?
半分になったビスケットを持ったままジャミルを見れば、眉間のシワはそのままにこちらを凝視していた。
「お、驚かないのか?」
「魔神にしては実技の成績が悪い事は驚いているが?」
「う、うるさいな!成り損ないだって言っただろ。」
にや、と笑う顔でからかわれていることに気付いた。
同時に、やっぱり魔神は成績がもっと良くないと信用が無いのかと、苦い思いで顔が歪む。あーやだやだ、最初から人間で生まれてればこんな思いしなくて済んだだろうに。
「嘘をついてたことは、腹は立つが仕方無い。熱砂の国じゃ魔神って言うだけで狙われかねなかっただろ。」
「家もなくて、適当な家に転がり込んでる手前、変な使われ方されんのは嫌だったから。」
魔神である自覚、って、俺は「善悪関係無く自分が誰かの都合の良い存在になりかねない」って事を自覚することだと思ってる。
クルーウェル先生はそうじゃないと考えていて、ああ言ってたのか?
「で?お前が魔神の成り損ないだから、あの暗い空間にいたのか。」
「そう。古代神に由来する言い伝えの、死後の旅路と審判の性質を受け継いでるから。でもだからって、全部の魂をどうのこうのって訳じゃないし、今は自分が昏睡してる時にしか、あの黄泉路の境には入れない。」
「……なるほど。俺は本格的に死にかけたってことか。」
「げ、まさか今自覚した?」
冗談じゃないぞこの男。
罰が悪そうにバクラヴァを食べてる姿は年相応なんだけどな。
「まあ、それはいい。あとはお前の背中、」
「刺青のことか。」
刺青のことはある意味、俺にとっての核心だ。
あの時見せたのはジャミルは知らないだろうと思ったからだけど、落ち着いて考えればカリム寮長には白い刺青がある。商家の従者ってことも加味して、もっと慎重になれば良かったな。
「ほとんど言った通り。生まれつき背中にある。だから刺青、っていうよりは痣、かもな。」
「それで、お前の紋だって?」
「疑ってるのか?少し、ジャミルの知識が近代の熱砂の国寄りだっただけなんだけど。」
「……近代的?」
「あの服従の魔法契約は、遥か昔、魔神のものだったって話。」
こちらを見る瞳が随分強い。
ジャミル自身が従者であるからこういう魔法契約についても思うところがあるんだろう。今となっては見せしめ的な意味合いが大きいものだから。
「元は、魔神が人間と契約するときに使う紋だったんだ。昔々に魔法士がそれを捩って、服従の契約紋に応用した。だから本来は、ジャミルが知るほどの強硬な拘束の効果や意味合いは無いって訳。」
「……つまり、お前が今後人間との契約が必要になったときに使うだけってことか。契約した、って事実を表すために?」
「そういうこと。だからこの紋で俺がどこかの家に拘束されてる訳じゃない。」
一瞬息を詰まらせた後、はああああ、と今までで一番大きな溜息を吐きながら項垂れたジャミルは、心底安堵したみたいだった。
心配をかけてたかな。
確かに俺がもしも他の家に服従していたら、バイパー家との関係如何によって、俺が昏睡したことでトラブルになったかもしれない。
「っ!」
ふと強引にジャミルに抱き寄せられた。半分引き摺られたせいでタンブラーが揺れ動く。倒れなくて良かった。
なんだ、今日はスキンシップが多いな。
耳がまた、むぎゅうと押し潰されて、数時間前を思い出した。ああ、動物セラピーか。
完全に寄り掛かってしまっている今の体勢をずらして、俺も抱き締め返す。
「その……、この件に関しては驚かせた?」
「……驚いたって言うよりも、憤りの方が、大きかったかもな。」
「そうか。ジャミルさあ、優しいな。」
「……は?」
本気で嫌そうな声だった。
もしかしてカリム寮長によく言われる台詞TOP10にランクインしてるやつだっただろうか?
空間の中でしたように腕の長さの分だけ体を離すので、そのまま話を続けた。
「普通、他人の主従関係とかそこまで気にしないと思う。」
憤りはしないだろう。もちろん、雇い主から折檻とかされてるなら話は別だけど。
と言えば、少し首を傾げてもう一度抱き寄せられた。
「お前だから気にしてるんだが。」
至近距離でダークグレーの瞳が貫いてくる。
あれ、なんか、変な響きが残った気がする。
息が詰まった。
「この俺が、数日間でお前の正体だけ考えてたと思うか?」
「いや、ええと、」
「目を反らすなよ。合わせるだけなら問題無いんだろ。」
「そ、それも気付いて、」
「当たり前だ。」
どうしよう、空調は肌寒いくらいのはずなのにジリジリと暑い気がしてきた。
俺をちゃんと座り直させるために一度解かれた腕は手首に添えられて、挙げ句の果てに、座り直した瞬間に距離をより一層詰められてしまう。
いや、ど、どうし、待った、なんか、なんか不味いんじゃ、
「エデン、」
「な、何だ?」
「好きだ。」
は?
「じゃなきゃ、他人の契約なんて心底どうでもいいからな。お前が、他の奴の檻の中なのかと思ったら腹が立った。俺の、エデンなんだと、……。」
「っ、ま、待ってくれジャミル、こ、混乱して、」
「混乱したままでいてくれ。俺のことは?」
「へ?あ、仲良く、なれたらと、おもって、いやだから待てって!」
「なあエデン、俺の、事はどう思ってる?」
え、いや、
その、
そりゃあ、嫌われないようにとは思ってて、でも、こんな、ジャミルの息が当たりそうな距離感で
そんな、告白とか、
されるなんて、思ってなくて、
俺は、ただ、
仲良く、
なかよく…………
「お、俺の、」
「ああ、」
「ジャミルに、俺の、」
シンとした室内、喉が乾いて必死に唾を飲み込む音すら響いた気がして。
「友達で、いて欲しい、」
って、思ってる。
continue.