それから



「理由は?」
「待てお前、力業すぎるだろ!」

落ち着くために水分補給して深呼吸をしようとすれば、ものすごく小さな舌打ちが聞こえた。うわ、このまま押せ押せで来るつもりだったのかこの男。
身体を離したジャミルがタンブラーを手に取る音を聞きながら、詰まっていた息をゆっくり吐き出した。

その、ジャミルの想いが、勘違いだろうが真実だろうが、どちらにしろ変に利用するようなことはしたくない。
全部、お互いに飲み込まなきゃいけない。

「あの、俺、19歳の誕生日までに主人を選ばなきゃいけないんだよ。じゃなきゃ消える。」
「……は?おい、待て、主人だと?消える?」
「言っただろ、成り損ないだって。ちゃんと魔神に成るのには人間と契約しなきゃいけない。」

全員どんなに仲良くても友達のままでいて欲しいって思ってる。耐えられなさそうだからだ。
逝く人間を最後の最後まで送らなきゃいけない魔神の俺は、仲が良い人ほど「送れなくなってしまいそうで怖い」と思う位には人間臭い。
恋人なんて『大切なもの』、作るつもりは無い。

「どうしてそんな話、するんだ、」

ジャミルの喉奥から、行き先に迷ったような砂漠の夜の声がする。
酷く感情の抜け落ちた顔でこちらを見てくるのを見返して、出来るだけ静かに話し始めた。

合理的な判断が出来て成績優秀、頭が良いからこっちが本当に無理なことは言わない。
友人として気軽に話せる。
一人になりたい時には放っておいてくれる。
魔法も勉強もダンスも料理もできて、天才型のように見えて努力を怠らない。
贅沢な俺の要望に当てはまる珍しい人間。

「主人の条件にぴったりだったんだよ、ジャミル。関係値を友人くらいにしときたかった。……だから、正直、困ってる。何も言わないでいてくれたら、何も考えずに契約してほしいって、言えた。」
「………。」
「少なからず主人に魔神の影響は出るはずだ。それでいて契約は一生続く。きっとその間に仲違いもするだろ。人間側に伴侶ができるかもしれない。」

長い年月、色んな可能性がある。
絶望もある。
それが、死であることも多いだろう。

あの空間にジャミルが居たことに、正直なところ心臓が潰れるかと思った俺が、主従ならまだしもパートナーになんてなってみろ、ジャミルを輪廻から外したいとかいって駄々こねかねない。
まぁ、環から外す方法を知ってるのも問題だが。案外簡単だからより一層不味い。

「駄目だそんなの。ただのエゴ。」

説明し終わって、チラとジャミルを見ればタンブラーを片手に頭を抱えている。
呼び掛ければものすごいため息を吐いた。

「お前な、その言い方だと俺と一生添い遂げても良いって言ってるのと変わらないぞ。」
「うん?いや、まあそうだけど。」

何を言ってるんだ、魔神の主人なんだから当たり前。
いや、余程の事があって契約破棄に成ることもあるらしいけど。あとは魔神としての格によって色々違うか。

「それは、実質俺の気持ちに応えてるんじゃないか?」
「ん?……応えて、無くないか?」
「……もう一回考えろ。」

ビスケットが口元に差し出されて、ちょん、と唇に触れるのでそのままかぶりついた。

恋人ね、ジャミルと?
正直なところ想像ができないんだよな。
恋とか、よく分からない。

自分が19歳でどうにかなるということを知ったのは、親戚の魔神に預けられる時。確か、6歳とかそれくらいだ。
そのときから、どうせ人と同じ時間は生きられないと思っていた。
寿命を放棄したモノとパートナーになりたいなんて居ないだろうし、俺も他人をただただ主人に出来るかどうかで見ていた節がある。
他人とそれなりに線を引いてきた。

「極論、ジャミルとセックスできるかってこと?」
「まあ、極論そうだが、いきなり過ぎだ。」
「だって恋とか愛とか、分からない……。その、恋人ってそういうことかなって。俺、一応ワンナイトチャイルドだし。」

1番身近な夫婦が浮気とバトルで崩壊してるもので。
結局は欲だろ。

「ロクな魔神がいない!」
「そうなんだよなー、別に聖人君子じゃない上に暇なんだろうな。暇もて余してこうなっちゃう訳だ。」
「はあ……。あのな、俺はお前とそういうことしたいかって聞かれたら、そりゃしたいが、」
「うん。」
「別に、嫌ならしない。」
「…………、そう。」

ぼんやりした沈黙が流れる。
俺が嫌ならしないの。
それは、友達と何が違うんだろう。
スキンシップの量かな?
心の距離?
ずっと一緒に居れるかどうかの違い?
他人から見たときの印象?

またひとつバクラヴァを噛み砕いて、喉を潤しながらジャミルを見た。
伏し目がちに俺の応えを待っている。
チャコールの瞳がふと、こちらを向く。

「答えは今じゃなくて良い。」
「そう?」
「時間が掛かりそうだからな。」
「……いや、決まってはいるんだよ。ジャミルは俺と契約してくれるのか?」
「する。他人にお前を取られてたまるか。」

即答だった。
迷いがない。

「じゃあパートナーにはなれないよ。」
「どうしてそうなる!?」
「いや言っただろ!さっき!」
「堂々巡りはやめろ!どうしてまとめて考えるんだ。頭の回転は早い割に固いんだな。」
「固くは、無いだろ。ジャミルはきっと奥さんを見つけて家庭を持つ。熱砂の国はそういう風潮が強いし、バイパー家のことだってある。ジャミルの奥さんと子供を見て、平気な顔して仕えられるか分からないよ。俺は。」

ぐ、と詰まった顔で俯いたジャミルから、
だからそれはもう結局Yesって言ってるだろ
と低く漏れ聞こえて来た。

「んん、じゃあさ、やっぱり時間を置こう。」
「……。」

言うことでもないが、俺にだって色々ある。
ジャミルの告白も、カリム寮長とジャミルの関係性のことも、あの光景を思い出したら、どうしたらいいのか直ぐには結論なんて出やしない。

「ジャミルはさ、別に俺の返事は遅くてもいいんだろ?」
「ああ。」
「消滅まではまだ時間がある。最後の答えは、俺の誕生日の前日にしよう。ジャミルもそれまでに色々考えることあるだろ?案外、1〜2年程度の時間でも天地がひっくり返るほど色々起こるから、人間て。な。」
「……、分かった。」


タンブラーの縁を指先で撫でながら少し考えた後、こちらを向いたジャミルの顔が、決意に溢れていたのを覚えている。










「それで?」
「よく俺の誕生日覚えてたな。」
「毎年プレゼント贈ってるだろ。」
「ま、それはそうか。いつもありがとう。」
「どういたしまして。」

23:30。
あの日と同じように、談話室に近い物置小屋で、同じようにミントティー。
あと、俺が作ったカタイフ。
ジャミル用にチーズとナッツ類だけのやつ。
この時間にしてはハイカロリー爆弾だな。

「正直に言うが、長かった。」

積み上げたクッションと織物にぐったり寄りかかったジャミルから、心底疲れたような、長ーい溜め息が漏れる。
お互いに寮服でも制服でもないシンプルなガラビアを着ているので、遠慮なくくつろいでいた。

「そ?人生に比べたら短いだろ?」
「どうして時々そうやって達観するんだ?アイギス、お前が何も考えてなかったのが悪いんだからな。」
「考えてたって!」
「いーや、考えてないな。こっちの心情も考えずにフラフラと愛嬌振り撒いて、遠慮無く俺にスキンシップするのは考えてないだろ。どれだけ耐えてたと思ってるんだ。」
「……まあ、その、すみません。俺としては、触ってみて考えてたんだけど。」

なんとまあ眉間の皺が深い。
愛も恋もよく分からなかった俺は、触って嫌だったら駄目だろうなと、あの日以後、自分から触るようにしてみた訳で。
ジャミルからは触られても俺からはほとんど無かったせいで、確か最初はものすごい驚いていた。
隣にいたカリム寮長は殊更ニコニコしていたが。何も知らないようでいて、何かをちゃんと感じてるんだなこの人。と思った思い出がある。

「それで答えが出たならいいが。」

カタイフを口に詰め込んでいたので、少し噎せそうになった。

「答えねえ、……ジャミルは何も変わらない?」
「変わってたらここに居ないだろうな。」
「確かに。」
「振り返ると、」
「うん?」
「あの日、好きだと伝えたのを後悔したこともある。」
「へえ!」

思ってもみなかった言葉だな。
ずっと今までと変わらずに友人として関係を保ってきたけど、時折、ジリジリと熱を帯びた目をしている時はあった。半分程度だが年頃の人間の男なので意味は分かったし、「ああ、本気なんだな」とぼんやり感じていた。

「先に契約してしまえばこっちの物だからな。」
「……、なんだ、結論は変わらないのか。」
「変わるとでも?」
「いや、」

ふん、と息を吐いて身体を起こしたジャミルを正面から見つめる。
この瞳を避ける事が無くなって、安心していた。ジャミルの隠しがちな本音がきちんと見えるようになったから。
ジャミルの瞳は表情が豊かだと思う。だからユニーク魔法がああなったのかな。

「人間は強欲なんだ。」
「はは、まぁ、人間はそうだから面白い。」
「エデン?」
「ごめんて。でもこんな軽い魔神目線なこと無限に言うよ、多分。ジャミルがこれからも俺と居てくれるならね。」

はた、と時が止まった気がした。気のせいだけれど。
見開かれた目が段々と安堵と喜色に染まっていく。
あーあ、綺麗だな、俺のご主人は。

「よ、」
「うん?」
「良かった………、」

笑みの漏れる声で言うので、なんだか俺までムズムズする。

「ジャミル、俺はさ、」
「ああ。」
「ずっと他人のこと、都合良く主人になってくれないかなって、道具のように思ってたところがあると思う。自分が死なないために。丁度良い人間いないかな、って。」

それはまるで、ちょっとした贅沢品のような感じだった気がする。
そう、例えば、ザイン家の特注品だったりとか、誕生日に貰うプレゼントとか。
条件はあるけど、所詮はその程度で、関係値は可もなく不可もなくで良い。
酷いだろう。
でも、緩やかに消滅に向かいながら過ごしている中で、違うなと思わせてくれた。
俺個人のことが好きだと言って、契約のことも考えてくれて、賑やかで穏やかな日常をくれるような人間なんて想定していなかった。

「ちがうんだなって、思ったから、ちゃんと、ジャミルと生きたい。」
「エデン、」
「駄目かな。これからデビューのド新人魔神ですけど。」
「は、はは、」
「おい、笑うなよ。」
「ふ、俺がいつお前を拒絶したんだ?」
「………、それは、覚えが無いかな。でも、俺でもどうなるか分からないんだけど、いいのか?」
「いい。お前がいるなら。」
「そう。……、良かった。」

記憶は引き継げるのか、姿形はどうなるのか、全てが俺にも分からないのに、目の前の男は良いという。
時間をかけて、多分、ちゃんと全部飲み込めたんだろうな。お互いに。
いつの間にか捕まえられていた手をそのままに、ジャミルの隣に座り直す。前ボタンを何個か外す。

「エデン、少し、焦点が合ってないが大丈夫か?」
「大丈夫。あと10分だから、そのせいだろ。」

握った手を引き寄せた。
そのまま俺の心臓の上へ。

「う、」
「どうした?」
「ジャミル、お前、手が冷たい。」

身体の中心に近い素肌に触れたとたん、温度がじわりと移る。

「おい、」
「まあ、緊張もするよな。だから手じゃ分からなかった。」

反対の手をジャミルの鎖骨の上へ。
やっぱり冷たいのか、首筋がひくりと動くのが指先から伝わってくる。
もったいない、ここに俺の契約印が入るなんて。
人差し指で喉をさらさら撫でていると、ばちん、と上から押さえつけられた。

「……、始めるぞ。」
「ああ、うん。な、ジャミル、」
「?」
「ありがとう、俺の隣に居てくれて。」
「それは、……お互い様だ。」

とうとうブレだした視界を閉じて、低く呪文を唱え始める。

ジャミルと触れている皮膚が魔力に浸ってビリビリと痺れてくる。溢れた力が照明やタンブラーにぶつかって鈴の鳴るような音を立てていた。きっと目を開けていたら黒い光が火花のように散らばっているのが見れただろう。荒れ狂う力の流れが心臓に収束していく。
あの世界で聞こえる、大きな足音みたいな音が聞こえていた。
指先だけで存在を感じている。
首なんていう急所を脅かされても、上から重ねられた手も身体も怯まないのが嬉しい。

ああ、この人が、一生の半身。






パチ、と最後の光が弾けた。
嫌に静まり返ったのを期に目を開ける。

視界の端々に小さな星のような光が飛んでいるのが見えて、成功したなと安心して向かい側を見た。

「終わったよ、」

心臓に付けていた手を離しながら声を掛ければ、恐る恐るといった風に目を開けて、首元に置いていた手をそのまま握ってくる。

「お疲れ。」
「、!」
「あ、多分、ほんの10分くらいだろうけど、声は出ないよ。だいぶ負担が掛かってるからな。」

もどかしそうな主人を、手をひいて立たせた。
うん、目線は変わらない。
肌の色、髪の毛の色、どうやら疎ましく思っていた耳も尻尾もご健在。多少毛艶は良くなったかもしれないが。

「爪が染まったくらいかな、外見は。どう?何か大きく変わったかな、俺。」

首が横に振られて、納得する。
あの父親が「成ること」に関しては話しても、「変わること」にはほとんど何も言及していなかったのはそういうことなんだろう。
拍子抜けした。
もっと慣れ親しんだ何かを手放すことに成るんだろうと思っていた。

喉を少し擦りながらこちらを見ている主人の首には、俺の背中の模様に契約印が組み込まれた複雑な証が刻まれている。
魔神としての俺の契約印。
そして、彼が動く度に、小さな星が波に飲まれるように輝いて散らばる。
ブロットなんかより、ずっとずっと美しい。
これは目の前の主人の力の流れが見えているだけ。見えるようになっただけ。どうしてだか、それが何故かすごく嬉しくて、腰に手を回してゆったり抱きついた。

「さあ、主人、俺はお前のものだよ。」

至近距離で向き合えば、強い目線が返ってくる。
握ったままの片手にギリ、と力が込められて、思わず少し笑えた。

「……ジャミル、ずっと、よろしく。」

離してなんてやらないからな。
そう言おうとした言葉は、満足そうなジャミルの唇で飲み込まれていった。






end.