「まだ拗ねてるのか」
「す、拗ねてはいない……ただ、まさかこんな形であの頃の奥方様方のような、送り出す側の気持ちを味わう事になろうとは思っていなかった」
聞けば、特殊編成部隊を出す本丸への情報共有は当日、まさに出陣直前という時だと。
この時世、どこから情報が漏洩するか分からないことを考えると、せめて政府部隊で留めておくのが無難だと言う判断らしい。
あくまでも局所的な対応だから、と。
「心配?」
「心配だが、問題無いと信じている。ただ、普段の出陣とは状況が違うのだから気の持ちようをどうしたらいいのか分からない」
あの頃はまだ人間としての意識が大きかった。
だからこそ、意識が現実と乖離していてどこか他人事で、その上最優先は自分の正気を保つことだったから、本当に今さらだ。
なぜ俺は出陣できないのか?
説明された理屈は理解しているが鬱憤が溜まってしょうがない。
やはりあの時、引き下がらずに「出陣したい」と少しは言い張ればよかったか?
いや、政府の決定が覆るとは思えない。主殿を困らせたくは無いし……。
こうやって止め処なく考えてしまう原因は、今日誰が出陣するのか、期限ギリギリまで揉めていたからでもある。
主殿はあまり時間は掛からないだろうと言ったが結局のところ難しかったのだ。
枠は四振。
被害に遭っているのは俺と国広。
大倶利伽羅と火車切、堀川、山伏。同派ならばなんとかなるかと思ったが、
「やあ、それは昔馴染みの俺も出て良いやつかい?」
と大般若が主殿に声を掛けたあたりで混戦の気配がした。
「聞き捨てならないな。竜田生駒の育成補助役は俺のはずだが?それに、写しの汚名をそそぐくらいはしないとね」
「ついでに喰われたのは汚名だったか?なら俺が出るのが筋だ」
「大般若が良いなら僕も良いよね?」
「それなら短刀もいた方が良いんじゃねえか?」
「ちょっと待って、長義さん達は分かるけど実休さんも薬研もずるい!ボクだって行きたい!この本丸で怒ってない刀なんていないんだからね?!」
頭を抱えた主殿と国広とで顔を見合わせたのも記憶に新しい。
「行きたかった」
「ありがとう、火車切。主殿の采配であるから仕方が無い、一緒に帰りを待とう」
火車切と一緒に大倶利伽羅の後ろを歩きながら、意識して深呼吸する。
とん、と手の甲に火車切の手が当たって見れば、心配そうな顔。ふわふわも不満気に毛を逆立てていた。
絆されて強張っていた首筋も顔も緩んでしまう。
駄目だ、しっかりしなければ。
連れ立って門の方に向かっていると、何かしらを言い合っている長義と国広に行き合った。
ちら、と国広を見た長義がこちらに微笑む。
「ふ、同じ表情をしてる」
「竜田は分かるが何故俺も出陣不可なんだ?」
内番姿で不貞腐れた様子の国広。
これから普通に馬当番になっていたはず。
俺は小竜と鯰尾と手合わせなので暴れられる予定だが、溜まった鬱憤を考えるとあまりに不憫だ。せめて手合わせに変更出来たらいいんだが。
「念の為、と政府からの指定だから仕方が無い」
「政府は刀剣心を分かっていない」
「ふふ、」
「カカカカカ!致し方無し!兄弟、当番の後は拙僧と手合わせでもどうだろうか」
「頼む!」
後ろから笑い声がして振り向けば、山伏と堀川が居た。
風に吹かれてひらひらと宝冠と白い首巻きが揺れている。
「今日はよろしくお願いしますね!」
「ああ」
「よろしく頼むよ」
いつもと変わらないように見える。
これからどんな戦場に向かうのか、地形も状況もまだ不確定なのに揺るがない。
羨ましい。
と脳裏に過って驚いた。
何が、羨ましいのか……?
刀であることが?
「お!来たな、皆おはよう」
「うむ、揃っているな」
「おはようございます!」
「おはよう、主」
「いつもを思うと早いじゃないか?」
「貴方が行くと言うとは思わなかったな、三日月」
編成は大倶利伽羅と長義、堀川と──三日月宗近。
修行済の刀剣のみ。
三日月が手を挙げるのは意外だったな。太刀を編成するなら、と喧々諤々の議論を交わしていたのは山伏と長船派だったのだ。
「ふむ……竜田生駒よ、忘れられては困る。顕現されたその時に立ち会っていたのは俺だぞ?」
「それは忘れてはいないが……」
「なんと言ったか?人で言うところの後見人、と言えば良いか?」
はっはっは、とおおらかに笑う顔を見て、そんな気でいてくれたのかと驚いた。内番も出陣も重なることは極少ないから、話す時と言えば八つ時くらいのものなのに。
「主さんが渡りに船!とばかりに指名したからね、見ものだったなあ」
「いや、だってあのままじゃ決まらなかったって!この面子なら極刀剣で行きますーって言えるし。山伏の朝稽古と長船飲み会に散々付き合ったからチャラであってくれ、マジで」
「何も出来ぬ不甲斐無さ、ままならん己の精神との対話に協力感謝する」
「鶴丸さんも散々駄々捏ねてましたよね?」
「……、」
無言でげんなりした大倶利伽羅を火車切と一緒に慰めていれば、政府から迎えが来た。
橙殿が変わらず小狐丸と鳴狐を連れている。今日、彼らは任務の動向確認とこの本丸の補助のために滞在することになっていた。
出陣の指揮総隊長は、目の前のニコニコした髭切。
「審神者くん、ここの僕、もしかしなくても臍曲げてるよね?」
「アー、まあ、多少は」
「多少かあ。うーん、まあ、大丈夫!ぱぱっと行ってぱぱっと切り潰して帰ってくるよ」
より一層ふわふわした発音をしているな、と思った途端に「切り潰す」というなかなか聞かない単語。
良く見れば、この本丸の髭切と極の中間のような特殊な見た目をしている。気付いてしまえば、違和感で背筋が粟立った。
「髭切様、時間でございますから」
「うん。じゃあ本部に行こうか。今日の任務内容確認とか、なんか色々あるみたいだからさ、ついて来てね」
「あい分かった」
「気付けろよ。皆御守り持ってるよな?無事に帰って来い」
「はい、勿論です!」
御守りを持たせているらしい。
それは、そうか。
少しだけ安心できる。
「……おい、大丈夫か」
「俺の心配なんてするな。武運を、大倶利伽羅」
「ああ、行って来る」
極近いところから声を掛けてきた大倶利伽羅。
髭切を追う部隊を主殿と皆で見送る。
堀川は元気に行ってきます!と声を上げて、三日月は国広と俺を纏めてギュウと抱きしめてから歩き出した。
「終わらせて来るよ」
「長義、気を付けて」
「ああ。……やっぱり妬けるね」
「なにがだ?うわ、」
グシャグシャと俺の髪を撫で回して、国広も俺以上に遠慮無くボサボサにしてから軽い足取りで門を潜っていった。
何故か主殿は低く唸っている。
「うっ……長義も審神者心を弄ぶんだ」
「本科は俺を犬か何かかと思ってるのか?」
「そんな事は無いと思うが」
「ていうか……二振ともどちらかと言うと猫っぽくない?」
内番着の火車切のフードが、ぽて、と頭に合わせて傾く。
「ふは、かわいい」
「!か、かわいくない、」
「あ〜!!もう俺にとっちゃ全員かわいいかわいい!ほら、執務棟に移動しよう。開始の定刻にはまだまだ時間があるから、三人は内番してきてくれ。橙さんはこっちへ」
「ええ。……随分と、仲がよろしいのですね」
小狐丸と鳴狐は変わらず静かだが、お供は鳴狐の腕の中で口を押さえられながらジタバタとしているし、橙殿はどこか驚いた風だった。
「そう言われるとぐうの音しか出ませんね」
「ぐうの音、ってことは困ってる?」
「主殿?」
「その使い方は違うんじゃないか?」
「も〜、俺も動揺してるし緊張もしてんだよ!口が回らねー!」
山伏と和泉守と先に手合わせしてから、そのままの流れで鯰尾と小竜と散々に暴れて、国広共々疲れ切ったところで昼休憩とした。
出陣もできない上に、今日は主殿と橙殿が居る執務室へ入ることも許可されていないから、本当に「暴れた」という体だった。
「午後はどうするの?」
へたり込んだところに鯰尾から質問が飛んできて、急に現実を思い出した気持ちで項垂れる。
「ど、どうする?」
「俺なんかに聞くな」
「……桑名と畑でも行くかもしれない」
「まあ、それも良いけど、時間を持て余してるなら祖達のところへ行ってあげてよ。うちの末っ子と昔馴染みが出陣してて……どうしても少し心配しちゃってるみたいだから、ね」
それを言うなら貴方もなのでは。
だから気を紛らわせるのに手合わせに組まれたんだろうか?
橙殿には「あくまで主戦は政府刀剣で行う予定だから心配は無い」とは言われていた。
だが、この本丸の刀剣は俺と国広が喰われているのを見ている訳で、心配するなとは無理な話だと姫鶴が不満そうにぼやいていたのを聞いている。
「皆お疲れ様!小竜くん居るかな?」
「燭台切?」
「お、ナイスタイミング」
「主と橙さん達に軽食を作ったんだ。皆も昼食がてらにどうかなと思ってね」
「嬉しいな!メニューは何?」
「肉巻きおにぎりだよ」
それは軽食か?
普通に昼餉ではないのか。
「ぃやったー!!豚バラですか!?」
「色々あるよ!」
「楽しみだ。ほら、行こうか2人とも」
「ああ」
道場から出れば丁度、陽は中天に差し掛かる頃。
予想する限りは今頃向こうは戦闘中か仕掛ける間際か。
出陣の総隊長は髭切であるし、編成に何も言われていないことを考えれば、陽が落ち切る前には全て終わらせられると確信があると見える。
「竜田」
「なんだ?」
「いや、……竜田は本科のことをどう思ってるんだ?」
「えっ?!」
「まんばちゃん?!」
前を歩いていた長船二振の驚いた声と、鯰尾の噎せて苦しそうな咳が聞こえる。
隣を見れば、布の影、金髪の間から真っ直ぐにこちらを見ているので、何かしらをきちんと答えて欲しいんだろうと感じた。
「そうだな……、厳格で優しいと思う。人間を慈しむ刀だからよく目を掛けているが、的確な判断を下す冷静さがある。あと、綺麗でお茶目だな」
俺の答えに何か興味を引いたのか、青緑色の瞳が輝いた。
「お茶目」
「ごめん俺、長義を形容する単語として初めて聞いたかもしれない」
「僕も長船の系譜として可愛いなとは思ってるけど」
「南泉さん居たら絶句してるって!」
そんな声が聞こえてくる。
きっとそれも間違いではないだろう。
彼は俺から見る限り、厳格であるからこそ格好を気にするところが燭台切に似ていると思うし、長い付き合いの仲間内では遠慮などしていない。
「わかった」
答えは国広の満足いくものだったらしい。
いつもの動作で頭の布を引き下げるのを横目に見て、呆気に取られている三振の後に続く。
「おや、皆様も昼餉ですか?」
何が分かったんだとあれやこれや言っているところ、曲がり角で小狐丸に行き合う。
橙殿の小狐丸だ。側には白山。
本丸内を移動する時の監視役を務めるように言われていたはず。
「ああ、案内が遅れて申し訳無い。用意しているから持っていくよ」
「ありがたく。ですが、任せ切りは無礼というもの」
「そうかな。気にしないで」
毒見も兼ねた配膳役を、できるだけ穏便に済ませようとしているのはさすがの監査役。
「ここの皆と食べればいいのに、監査役ってのも大変なんですね」
「大変と言うほどではありませぬ」
「昼休憩ができるってことは向こうも小休止かな。午後には戻れそうかい?」
「ぬしさまの許可無しには何も……」
「手強いなあ〜!」
探り合いの会話をしながら厨へ。
燭台切が渡した盆を持って出ていく二振を見送る際に白山に目配せすると、ゆったりした瞬きが帰ってきた。
「……八つ刻くらいには戻って来そう」
まあ、鯰尾に筒抜けなのは、向こうも承知の上かもしれない。
「うん、昼食が終わったら迎えの準備をしようか」
「風呂の準備をしてこよう」
「ありがとう。でも竜田くん、午後の予定は?」
「特に無いから桑名と畑でも行こうかと思っていたところだ」
「俺も予定無いし、他の粟田口誘って手伝いに行くよ」
「ありがとう」
少しだけ予定が見えたことで、帰りが待ち遠しくなった気がする。
肉巻きおにぎりと昼餉の唐揚げに喜ぶ周りを見ながら、静かに深呼吸した。
「帰城するから迎えるぞ」
丁度八つ刻手前頃に主殿と橙殿が執務室から出てきて、白山と鯰尾の目配せの正確さを知る。
思わず鯰尾を見たら、親指を立てた良い笑顔が返ってきた。
「主殿、いかがでしたか?」
「全員軽傷。一通り事態を収めたから、後は政府で掃除と調整。……良かったな、竜田生駒。皆無事だ」
「はい……ありがとうございます」
軽傷といってもどれほどか。
喰われたりしていないだろうか。肉を喰うことで力を増すなら、力の強い極刀剣を狙って来る可能性は捨てきれない。
俺とは反対に安心した明るい表情の主殿と言葉を交わしていると、門が動く音が響く。
「ただいま戻りました!」
「やあ、疲れたな」
「有り得ない!!あの髭切、無茶苦茶にやったな!?」
「全くだ」
疲弊感を漂わせていても、思っていたより元気なのが知れた。
血の匂いは濃いが、殆ど返り血だろう。
「お帰り四人とも。見てたけどあれ以上なんかやってたのか?あの髭切」
「えーと、水鉄砲取り出したあたりで政府刀剣も呆れたと言うか諦めたと言うか、そんな感じでした」
「み、水鉄砲?……おもちゃの?」
「威力強いやつです」
「ここの髭切よりも自由と言えばよいか?」
「自由?!あんな動き、軍議の意味を成していないだろ!」
「あれの指揮下で動くのはもう御免だ」
苛立ちを隠さない長義と大倶利伽羅。
何があったのか、やり取りを一緒に眺めていた国広も火車切も目を丸くしている。
「橙さん、長義と大倶利伽羅がこれだけブチギレということはあの髭切手慣れてます?」
「その、……特殊顕現の刀剣ですのでお目溢しいただけますと幸いです」
橙殿の申し訳なさ溢れる言葉と、無言で急激に不機嫌になる小狐丸に、全員が「常習犯」を確信した。多分それくらい独断で動ける方が良かった戦いだったんだろうが。
「お〜い、手入れとか、しなくていいの?」
「この……!!」
「落ち着け落ち着け!はいはいはい、手入れ部屋行ってくれるか?札用意してるから」
「はい。ありがとうございます!」
「髭切様、審神者様に現地報告をお願い致します。それから今後の処理について軽く話しますからこちらへ」
「うん」
主殿への報告を一緒に聞いてみれば、江戸時代の町中、室内と屋外の変則的な戦闘だったらしい。歴史の揺らぎを微調整するために何度か現地派遣するが、それはもう完全に政府の管轄。
完全に収束次第、こちらへ知らせる程度だそうだ。
捕らえたままの窮奇は実験対象として観察予定なので結局手出しは出来無い。
ひとまず一件落着だよ、と髭切が言う。
こうやって見ると、ここの髭切とそこまで変わらないように見えるんだが、何をやったんだ?
その思いが表にでていたのか、こちらを向いて嫌なほど微笑む。
「だいじょうぶ、無事だったでしょ?」
思わず半歩足を引く。
「っ、大倶利伽羅……」
「……気持ちは分かるが」
「半歩出すくらいで良いんだよ、竜田生駒」
札を使って直ぐに出て来たらしく、大倶利伽羅にぶつかって、諦めたような台詞をもらった。
未だに長義は辟易した顔。半歩出したらもうそれは攻撃のために踏み込んでるやつじゃないか?
「ごめん、大倶利伽羅。三日月は手入れ後どこ行った?出陣記録作るから執務室に来るように言ってくれないか。その後は休んでいいから」
「分かった」
「探すの手伝う」
「任せた!火車切もありがとうな」
「兄弟!!肉巻きおにぎり食べた?!」
突如響いた声に驚いて振り向けば、縁側からこちらへ叫んでいる堀川だった。国広が慌てて駆け寄っていく。
仮にも監査役が来ているのに思い切りが良いな。元気なら、それで良いんだが。
「ほんとうに、仲が良いんだね」
「羨ましいことですねぇ鳴狐!」
「うん」
「肉巻きおにぎりはうちだと人気メニューなんで」
「そういうことではございませんが……」
各々が部屋へ戻ったりするのを見て安心したのか、ずいぶん元気な主殿と、疲れも相まって萎びた橙殿達が執務室へ向かうのを長義と見送る。
しばらく無言で背中を見ていると、髭切だけがこちらに引き返して来た。
「ねえ!え〜と、……
「それは俺のことで合っているか?」
「惜しい間違いだな」
軽い足取りでこちらにやってくる。
「はい、おみやげ」
ばさり。
弾むような声色に気をとられていると、頭から被るように何かを掛けられた。
土産?
まさかどこか土産物屋にでも寄ったのか?
今回の出陣にそんな余裕があるとは聞いていないが、この髭切なら指揮権限でどうにかできそうではあるな。
頭から落として手元に布を手繰って見た。
どうやら打掛らしい。
赤い。
「ひ、髭切、どの、これは、?」
「あれ、言ってなかったっけ?出陣先が呉服屋とその周辺でね。そこにあったやつだよ?一番ストレス溜まっただろうから」
ひとつくらいごほうびがあってもいいとおもうんだ。
まるで壁を通すように髭切殿の声が遠ざかる。
「髭切殿!!またやりましたね!安易に持ち帰ってはなりませぬと何度申せば良いのですか!!これでぬしさまに迷惑をかけるのも幾度目か!」
「あらら、狐くんに怒られちゃった。……まあ、もうそれは君のだよ。大切にしてね?」
ばいばい。と、もう会わないと思っている声で軽く踵を返すのを、焦点の合わない視界で見るしかない。
礼を言わねばと思うのに口が動かない。乾いた喉を動かすのに唾を飲み込んだ。
これは。
「どこに隠して持ち帰ったんだ?明らかな規定違反だろうアレは。……ん、打掛と言えど着物をもらったのに大人しいじゃない、か?」
「長義……」
「な、」
ぼろ、と堪えきれない涙がこぼれ出す。
裾が床に付かないように腕に寄せた生地を力一杯握りしめてしまう。
「どうしたんだ?ほら、唇を噛まないんだよ」
「っ、」
「……場所を移そうか」
そう言うと、硬直して動けそうにない俺を打掛で隠して抱えた。
申し訳無さで喉が詰まる。
しばらくして静かに降ろされた先は、書庫のソファの上だった。
長義は装備を一部外したらしく、隣に座って俺を抱き込むように寄せたまま、しばらく黙っていてくれている。
どうしても止まらない涙が長義の服に染みそうなのを防ごうと手で拭っていたら「いいよ」と短い言葉が掛けられて、優しさで余計に涙が溢れる。
「もう少し息を整えられるかな。随分苦しそうだ」
「ちょう、ぎ、」
「無理に話さなくていいから」
「……っ!」
言えないことがある。
その言葉に甘えて口を噤んで、すべて無かったことに出来たら良かったのかもしれない。
この打掛には覚えがあった。
俺の、人間だった俺の最期の仕事。
色打掛。
秋に祝言を予定していた姫様のものだ。
明るく朗らかなお人柄で、ちょっとしたわがままも言うような愛嬌のある女性だった。
俺の、そこまで上手くもない接客を気に入った御人。
細かい刺繍細工と鮮やかな染色。沙綾に沢山の紅葉が散って、その隙間を縫うように橘と七宝が散りばめられた、あの姫様だけのただ一つの晴着だ。
見事と言う他ない、職人達の自信作。
最後に見た時は調整の途中だったが、肩には明らかに完成したものが乗っている。
もしかして、俺が死んで縁起が悪いとされただろうか。
受取先を、この打掛の晴れの場を、失ったんだろうか。
考えたく無い、この考えは間違っていて欲しい。
それでも今回の出陣先が江戸時代の呉服屋である事は変わらない。
この打掛も。
「……なぜ、いかせ、てく、れなかっ」
出陣しなかった方が幸せか?
俺の目で事の顛末を見た方が幸せだったか?
主殿に言われたことも忘れて、全てが涙として流れていく。
夏は不作の年だった。
それに伴うように支払いの付けも増えていた。
家人は食うに困って俺を恨んだだろうか。
不甲斐なさと直面した現実が受け止め切れない。
弱い。
情けない。
どうして。
叫びそうになるのを堪えて息を継いでいると、突然、目の端を黒が掠っていった。
長義の手だ。
「っぐ、──あ」
「抵抗しない」
「よごれ、っ、」
「呂律が回らないほど泣いておいて……」
幾分鮮明になった目の前で、長義が手袋を外して、素手で目元を拭ってくれるのが申し訳無い。
「染色と織物の神の名を冠すると、何か、その打掛から受け取るものがあるのかな」
独り言のように静かな声が耳元で響く。
そうじゃない。
けれど、そうだったら良かった。
何か、打掛が俺に何か言ってくれるなら、良いのに。
「っ、う、あ"あ"、ぁ……っ!」
疲れているはずなのに、あやすように俺の背中を撫でて抱えてくれるのに甘えた。
感情の逃げ場が無い。
怒りも遣る瀬無さも、飲み込むことすら出来ない。
ただ溢れる涙を、止める術が分からなかった。
俺と国広を襲った窮奇は、今回の首謀者達に付いた術師の墨絵と判明した。
戦闘中に髭切が水鉄砲を使いだしたのは、次々に現れる異形が水に弱いと判断したからだそうで、それを後から聞いた俺達は呆気に取られるしかなかったのだった。
絵を具現化するとは、と主殿は驚いていたが原理は分からないことも無い。
九十九とは人の想いの蓄積。
絵や文様は、人の願いと希望を目に見える形にしたものの一つだ。
身にまとう
だから、呉服屋を拠点としたのは都合が良かったんだろう。
一針一針願いが乗る。
繋ぎ止める想いが形作る。
だから。
「良いのか?」
「はい」
長義は規定違反と言っていた。
ならば、俺が持っている訳にもいかない。
「頼んでおくよ。あの髭切には手紙も渡してもらう」
「ありがとうございます。主殿」
言えなかった礼と、俺が大切にすることは出来ない謝罪を伝える手紙。一緒に、政府に渡す。
あの時に戻すことに決めた。
畳紙に包んだそれを鶯丸が持ち上げるのを視線で追いかける。
「まあ、竜田生駒には他に似合う着物を買おうな。打掛じゃなくてさ、軽装か祝装にする?」
「いただけるのですか?」
「当たり前だろ」
「嬉しいです、本当に。物ではありません。こうやって心遣いを頂けることが心から嬉しいと、貴方の刀で良かったと、そう思います」
「……俺も、お前の主と成れたみたいで嬉しいよ」
笑顔の男と相対して、一礼。
眦から涙が溢れたのが自覚できたが、何も言わずにいてくれる。
そのまま執務室を出た。
「竜田生駒」
「……山姥切長義」
「また泣いて。泣き虫だね」
「それは、初めて言われたかもしれない」
「当たり前、かな。君は涙を流せるようになって一年しか経ってない」
「……はは、うん、そうだな。でも、……初めて言われた」
何を言っているのかと小首を傾げるのに合わせて、銀の髪が揺れる。
「綺麗」
「っ、そうやって、いつもいきなり言うね」
「いつも思ってるからな」
「……君も」
「ありがとう」
渡り廊下を渡る。
白木蓮の木の下に、屋外家具が置いてある。
大倶利伽羅と火車切がいるのが見えた。
「行かないのか」
「この顔で?」
「ふふ、同派には張りたい見栄がある?」
「知ってるなら言わないでくれ、一層恥ずかしい」
泣いた跡が分かる顔から、早く戻らねば。
軽く袖で擦っていれば、あの時と同じように、長義の手が目元を拭う。
「長義、汚れる」
「何も聞こえないな」
「つ、都合が良すぎる」
「なんとでも。どうやら君の涙を拭えるのは俺しかいないと今分かったから、気分が良くてね」
満足気に微笑んだ顔。
もの好きだな。
「ほら、行こうか」
「ああ」
俺も、揺るぎない刀に成れるだろうか。
時間は有るようで無い。
一年目の春。
end.