商人の寝坊は致命的


この本丸に呼ばれて一ヶ月半ほど。
取り返しのつかないことをしてしまった。

「寝坊ですか?」
紅葉もみじ、今日丸一日非番だろ?ゆっくり寝りゃあ良い」
「そういう訳にはいかない、まだ一月ひとつきなのに……」

起こしに来てくれた火車切の顔が見れなくて、逃げるように来てしまった薬研の部屋。
大倶利伽羅も火車切もあんなに良い刀なのに、一番新しく来た俺がこんな体たらくでは申し訳が立たない。顔から火が出るとはこのことだと思う。

「実直でいらっしゃるのですな」
「買い被りだ。習慣にしていた時間に起きられないなど気の緩みだろう」

明るい浅葱色の髪が美しいので、茶を淹れてくれる姿をぼーっと眺める。
俺なぞからしてみればこうやって茶を飲むなど恐れ多いと思うほどの刀、一期一振。いつか話してみたいとは思っていたが薬研と同室であるらしい。
薬研だけだと思っていたのに、こんな身支度も中途半端な状態で目の前に居るのも恥ずかしくなってきて、差し出された茶に目線を落とす。

「髪貸しな。結ってやるよ」
「え……、薬研は髪結えるのか?ただその、急いでいたからまともに櫛も通っていないんだが」
「おや、十分お美しい髪と見受けますが?」
「いち兄の言う通りだぜ。だから任せときな」

隣でじぃ、とこちらを見ていた薬研に返事を返していれば、一期一振が穏やかに笑いながら茶菓子をくれた。
優しいな。
櫛を取ってきた薬研が髪を掬うのを受け入れて、大人しく茶を啜る。
というか、薬研が髪を結えるだなんて思ってもいなかったな。まず本人が興味無さそうだ。
彼の髪は細くてサラサラとしていて、一期一振と髪質が似ているように見える。基本的には癖が付かないし下手な髪飾りは滑り落ちるような髪だ。

「いつもの髪飾りあるか?」
「いいや、持っていない。則宗さんのも……居た堪れなくて余裕が無かったんだ」
「なるほどな。確かこっちに……あった」
「なんだ?」

黒いゴム紐に付けられた艶のある紺色の大きめのリボン。
最近、確か内番の時に乱が付けていたように思う。
二つにくくっていてとても可愛らしかった。
主殿が『乱くんかわいい〜!世界で1番アイドル!!ファンサくださーい!』とか言っていたな。
よく分からなくて、その時隣に居た長義を見たら溜息交じりに『主はふざけてるだけだよ。書類仕事が詰まっていてね』と。
締日前は忙しいから仕方ない。
楽しそうで何よりだ。

「乱が置いて行ったやつだが、これでいいか?」
「むしろ俺が使って良いのか?あの刀のように愛らしい風貌でも無いのに」

確かあの黒髪の――京極なら似合うだろうか。
ただあの刀は黒と赤の印象が強いから、紺よりは赤の方が飾るのには似合うかもしれない。

「構わないでしょう。乱も貴方を好いているようですから」
「紅葉みたいに着飾る事に積極的なのは意外と少ないからな。話せて嬉しいんだろ」
「そうか?それなら、良いんだが……」
「饅頭食いながら待ってな」
「ああ、いただきます」
「召し上がれ」

着飾る事に積極的、か。
確かに《加飾する》というよりは《身形を整えている》《美しく在ることに気を配っている》という方が当てはまる刀が多いだろう。
刀に加飾するのは人間の趣味嗜好であるから、今の姿を整えるとするのが多いのは納得できる。

「ん。出来たぜ」
「ありがとう、薬研」

ざっと編まれた三つ編み。
下に付いたリボンが見えるように、前へ流してくれる。

「よくお似合いです。後ろの髪を纏めてしまうと印象が違うものですな」
「顔回りがすっきりするだろ」
「ああ」
「よし、じゃあ饅頭食ったら飯もちゃんと食べて来いよ。秋田が心配してたぜ」

聞けば、握り飯と味噌汁を取っておいてくれているらしい。
なんて優しいんだろうか。

「ご馳走様。甘いものを食べたら少し落ち着いたと思う」
「それは良かった。一月も出陣や内番が詰まっていたのはここでは珍しいこと。起きられないのは仕方がありません。どうしても疲れが出たんでしょう」
「山姥切や江もここまでじゃなかったからな」

ここでは打刀が少ないから、他の刀種より予定が詰まりがちになるのは知っている。
松井が最近俺の予定を確認していたのは、もしかして働きすぎだと思ってたんだろうか?
つくづく詰めが甘い自分に落ち込みそうになるが、ここは薬研と一期一振の部屋だ。これ以上迷惑をかける前に部屋を出なければ。

「ありがとう。一期一振、薬研。邪魔して悪かった」
「それこそお気になさらず」

笑顔の一期一振を横目に薬研の手がぽんぽんと控えめに頭を撫でてくる。
……は、恥ずかしい。さすがにこんな大の大人、いや刀だから打刀だが俺は別に大きいわけではないから、ちょっと待て駄目だ、これは早く出よう。

「じゃ、じゃあ、これで」
「おう、もう一眠りくらいするといい。じゃあな」

障子戸を閉めて食堂へ向かう。
頭を撫でられたのは何年ぶりだろう。
思いつくのはそれこそ人間の子供、一桁の年齢の時だ。二桁になってからは奉公に出ていたからたれていた事の方が多いと思う。
それから刀の年月を入れると途方もない。
こんなに恥ずかしいとは。
この間五虎退を撫でたが嫌じゃなかっただろうか。

「生駒……!」
「お?元気そうじゃねーか」

噂をすれば影。歩いている間に松井と豊前に出会った。
江は現代への潜入遠征が時折組まれている印象だが、こんなに華美で周りから浮かないか?

「生駒、もう大丈夫かい?」
「?」
「俺等の時より出ずっぱりだったからな、疲れてるだろ?ちゃんと休めてっか?」
「あ、その、大丈夫。寝坊したのは恥ずかしいからあまり言わないでくれ……」
「フフ、言わないよ」

松井も豊前も優しい。
それは嬉しい事なんだが、如何せん寝坊がそこそこ知れ渡っている事に絶望感はある。
長義にも知られていたらどうしよう。世話役の彼の顔に泥でも塗るような事になってないだろうか。

「……多分、生駒が恐れていることにはならないかな」
「……今、俺は何か言ったか?」
「言ってねーけど、雰囲気と顔で分かる」
「詰め込んだ予定をこなしきった刀に、怒るような柄じゃないんじゃないかな、山姥切は」
「そうだろうか」

そうかも、しれないけれど、朝に見た火車切の少し呆れたような顔が思い出されてしょうがないのだ。
早くに起きて仕事をするのには、慣れていたはずなのに。

「山姥切のやつ、今日は監査対応だっつー話だろ?のびのび休んだら良いって!」
「監査対応?」
「ああ、監査部門から人が来るから、山姥切と一文字則宗が付くらしい」

監査から。
最近手伝った事務仕事では、そんな知らせを見た覚えがない。長義からも聞いていない。
ということは俺に隠しているんだろう。
思い当たるのは喫茶店で襲われたことだ。
あの時の主殿の顔。

「生駒?」
「!あ、と。そ、そうか。俺は今から軽く食べてくる。秋田藤四郎が用意してくれていると聞いたから」
「うん、行っておいで」
「ありがとう」

別れて急いで食堂へ向かう。
もう片付けが終わった広間の片隅で、秋田藤四郎と火車切が話していた。

「あ、竜田生駒」
「竜田生駒さん」
「申し訳ない、薬研から話を聞いたから来たんだが」
「はい!食べられますか?お腹が減ってるはずだって、大倶利伽羅さんと火車切さんに聞いたので」
「えっ、」

なぜか火車切が動揺している。

「大倶利伽羅と火車切が?」
「はい。座って待っていてくださいね、温めて来ます」

小さな盆を持って厨へ向かう姿を見送っていれば、火車切から声がかかった。

「あの、⋯⋯ごめん」
「どうして火車切が謝るんだ?」
「疲れてるのは分かってたのに、朝起こしたから」
「そんな、寝坊したのは俺の落ち度だ。あの時起こしてくれて助かった。昼まで寝てしまうところだった」
「⋯⋯俺が近づいてるのに無防備に眠ってるの嬉しくて、少し笑っちゃったし」
「!」

確かに、俺の首元にポテリとふわふわが落ちてくるまで気が付かなかった。

「呆れていないのか?」
「なんで?」
「その、腑抜けたやつだと、」
「そんなこと思ってない。竜田生駒も格好良いよ」
「⋯⋯良かった、嬉しい」

あの時笑っていたのは呆れていたわけでは無いらしい。
安心したせいで空腹を自覚してくる。
饅頭と茶だけもらったのでは、流石に足りてなかったか。

「どうぞ!」
「色々してくれてありがとう、秋田藤四郎」
「いいえ、お腹が減ると寂しいですから!……あ!もし、もしですよ、ありがとうと思ってくれるのなら、僕のことは気軽に秋田と呼んでください」
「え、あ、……ありがとう、秋田。俺が言うことではないかもしれないが、貴方も良い刀だな」
「わぁ〜!へへへ!嬉しいです!じゃあ、僕はこれで失礼しますね」

優しい秋田から美味しく温かい食事をもらって火車切と話をしながら食べれば、心做しか元気になった気がする。
人の形の身体は不思議なものだな。
たしかに昔も、実利以上に食事が原動力になっていた節はある。でなければ、家にいる者を養わなければという意思で山に入って死んだりしていない。

食べ終わった食器を洗って戻している間に、火車切は内番に出かけて行った。馬当番だと。
俺は主殿を探し始める。
やはり少なからず監査の内容に俺が関わっているのではないかと思うからだ。
見ている限り主殿の戦績に変なところは無い。むしろ良いはず。なのに監査が来るのは直近で何かあったに違いない。
心当たりがありすぎた。
監査中に割り込むのは良くないだろうが、そもそもの原因かもしれない予感がするのに呑気に休んでは居られなかった。

勝手口から内番用の靴を履いて外に出る。
景趣は秋。
少し涼しい風が内番着の内側をすり抜けていくので首元まで閉めた。
何故か俺の内番着(ジャージというらしい)は色合いなどは大倶利伽羅と同じなのに、大きさが俺の身体に合わないほど大きい。もう一枚中に着込んでも余裕があるくらいだから、風が吹くとスカスカする。
⋯⋯せめて袖丈を少し詰められないだろうか。
鍛冶場の方に向かえば、運良くそこに主殿と長義、則宗さんが居た。

「主殿」
「え、竜田生こ、」
「うわ!!萌え袖はわはわ系ピュア褐色ギャル来た〜!?ユル三つ編みにリボンとか超レアなんじゃないすか?!ダボめなの彼ジャーくさくてヤバい!くそきゃわ〜!!」
ミドリ殿?!」
「わ、君本当に浅慮なんだね?」

おそらく「緑」と呼ばれた者が監査役なんだろうが、脇に控えた水心子正秀と源清麿が心底驚いているところを見ると主では無いのか。

「萌え、彼ジャー⋯⋯?」
「聞き流して良いよ」
「良かったな緑、竜田があまりそういう語彙を知らなくて」
「待て待て待て、さっきまでの真面目な監査役どこ行った??」

何故か長義が後ろ手に俺を隠そうとしている。
疲れ気味の則宗さんは初めて見たし、主殿に至っては顔が引き攣っていた。

「やだな、八丁念仏が陽キャでヲタクくんにも優しいギャルなら竜田生駒は近寄り難いけど教科書貸して一緒に授業受けてくれる系ギャルじゃないですか?!ふと隣見たら視線に気付いてこっち見てちょっと笑ってくれる!もはや事実事実!」
「事実ではねえな?」
「教科書?」
「本当に気にしないで良いんだよ。どうしたんだ?何かあったかな」

長義に聞かれて話せば、少し申し訳無さそうに、だが隠すことでもないといったように教えてくれる。

「この間、保全部隊のねこ、……南泉一文字に会っただろう?その時に君が『山姥切』を基本的に俺のみで認識しているみたいなのが引っかかったらしくてね」
「あ、」
「山姥切国広は初期刀の内の一振だ。何かしら問題や特例が無い限り、山姥切長義がいる本丸に山姥切国広がいないということは無いと言っても良い」
「ま、うちの本丸は俺が原因で居ない訳だけどな?」

つまり、何かしらの問題があると判断されて監査に至ったと。やはり当たっていた。
一気に血の気が引いていく。
何やっても駄目な日はあるものだと知っているが、刀になっては初めてだ。

「申し訳ありません、主殿、俺のせいで、」
「全然!竜田生駒のせいじゃない!ただ、お前はそうやって自分を責めるから……。そんなことはしてもらいたくない。本当は最初から同席して貰う予定だったけど竜田生駒に原因は無いし、外してもらっただけだよ」
「俺からも進言したんだ。君は十分やっているから、あまり悲観するものでは無い」
「特記事項が引き継がれていないのは政府担当部署の落ち度だからな。竜田に負担を強いるのは論外だ」

火車切と話して上向いていた気持ちは沈みきってしまったが、三人が俺を考えてしてくれたことだ。不満は無い。
それに、監査の最中に割り込んでしまったようなものだからな。

「ごめんね、この本丸の事は引き継がれているはずだったんだけれど、⋯⋯最近こっちで色々あって」
「話を聞いてデータの照合が出来た。もう問題ない」

申し訳なさそうな源清麿と水心子正秀。
疑いはすでに晴れたようで、報告などは緑殿が行ってくれるらしい。

「ギャルを悲しませられないんでね、めっちゃ頑張ります!だからそんなに不安そうにしなくてもいいよお!!完全無問題パーフェクトモーマンタイだからね!信じて!!そうとなったら早速報告書上げるんでこれで失礼しますけど、孤高のトップギャルとキュートギャルにもよろしく言っておいてください!」
「……ぎゃるってなんだ?」
「覚えなくていいよ竜田生駒」
「おいもうどうして監査役が1番様子が可笑しいんだよ山姥切!則宗!」
「知らないな」
「僕が聞きたいところだが、本当に何故アオダイダイじゃなかったんだ?」

監査役は何かと危険が付き纏う。本名を隠すために色の仮名が付いているらしい。
本来こういう突発的で事前に危険度が測れないような監査は別の人間の役目だが、人手が足りていないので緑殿が来た。
ただ、緑殿が特定の刀剣に過剰反応するだけで。
八丁念仏と俺に騒ぐところを見ると、少なからず肌が褐色なのが鍵なんだろう。

「変態ばかり引くなあ、新入りは」
「止めて……うちの竜田生駒を平穏に過ごさせて……」
「主殿、俺は十分平穏に過ごしています」
「それはさすがに嘘!!」
「と、取り敢えず!この件はすまない、色々含めて詫びの品を差し入れるように計らおう!」
「就任前の身体検査の通り審神者には問題が無いけれど、ここまで打刀がいないのは不便なこともあるだろうから、鍛刀に必要な札や資源類を渡せるように進言するよ」
「それは有り難い、よろしく頼むよ」

二振も良い刀だな。
打刀だからこの本丸に呼ぶのは難しいだろうか?
それとも、監査課で長義と則宗さんと気安そうだから特別任務か何かで来てくれるのか?
正門まで歩きながら問いかければ、主殿から泣き言が。

「なんでだろうな………どうして天保江戸………任務こなしてたし俺元気だったのにねえ……」
「!あ、主殿、申し訳ありません……!」
「いいよ竜田生駒。恒例だからな」

思ったよりあっけらかんとしている主殿と、苦笑いの長義と則宗さん。
どうやら入手の機会は時既に遅し、禁句だったらしい。
本当に今日は何も上手く行かない。
頭が働いてないのか?
もう戻ったら薬研の言う通り寝よう。

「苦労しているね」
「大丈夫だ。特命調査は複数回あるから、その時にまた頑張ってくれ」
「ありがとう。何かの機会で来てくれることを願ってるよ」
「そう思ってくれると嬉しい。こっちでトラブル報告は受けていたらしいけれど、なかなか特例を出すのも難しいんだ」

程なくして正門に着いて水心子が戻りの手続きを行う間に、緑殿がこちらを向いて一礼した。

「では、此方で失礼致します。審神者様、失礼致しました。緊急監査へのご協力に感謝申し上げます。此度の事、改めてご連絡差し上げますのでお待ちください」
「急に真面目じゃ〜ん……??」
「うはは!早々に慣れたほうが良い」

門を通る寸前に手を振る源清麿に振り返したら、緑殿の叫びが響いてきた。声は段々遠くに行くように小さくなっていく。

「緑さんうるせえ〜!!?」
「こら、あまり無闇矢鱈にお手振りしない」
「み、源清麿が振ってくれたから返さなければと」
「その心意気や良し、かな」

自然と踵を返して歩き出す。

「そういえば、竜田生駒のそれ、乱のだよな?」
「はい、薬研が借りて行って良いと」
「へえ、てっきり休みだから則宗の付けんのかなと思ってた」
「……」
「……竜田生駒?」
「いえ、」
「竜田は今日休みだからお寝坊さんだったらしいぞ」

言い淀んでいれば、朗らかに則宗さんが処刑宣告した。
横に並んだ長義から「ふうん?」という声が聞こえる。そちらを向けない。

「気にしてる?」
「はい……」
「休みなのに律儀だな。良いんだよ!夕方まで寝てたって!」
「それは寝すぎでは……?」
「一ヶ月ギチギチだったから、マジでそれぐらいで丁度いい。ほんとさ、疲れたら疲れたって言って良いから。刀剣の疲労具合は見てるが、広光はなんか全員、真顔で突如限界を迎えるイメージあるんだよな」

否定ができなかった。
俺に限って言うなら『心配をかけるのは不甲斐ない』というのが大きい。
きちんと立っていなければ。

「ふふ、どうしよう!って顔をしてる」
「図星かあ〜」
「しばらくは遠征にしろ出陣にしろ単騎は無いんだろう?構いたがりが多いから主は安心して良いぞ」
「それは心強い。そうだな、竜田生駒はもうしばらく織田編成のままの予定だし」

視線が生ぬるい。
侮られているような気がするのだが、これで出陣や手合せともなるとそういった雰囲気は一切無いから俺がまだ新入りだからだろう。
新入りというのはいつの時代だって心配だし、無理せず成長して欲しいし、初々しさを見ていて微笑ましいのは分かるのだ。
分かるからこそ気恥ずかしい。
そんな年齢ではない。

「じゃ、俺は執務室戻るな。則宗は改善検討を加州としてただろ?」
「ああ、洗い出しで出てきたところだな。坊がまとめてあるからすぐ行く」
「了解。じゃ!竜田生駒はゆっくり休んで。山姥切もな」

庭を突っ切ってそのまま審神者の執務室へ戻る主殿と、多分加州が控えている執務棟の一室へ向かう則宗さんを見送る。
……ん?

「もしかして長義も休みか?」
「珍しいことにね。戻って読書でもしようかと思っていたところだけれど……、竜田生駒はこの後昼寝なんだろう?」
「…………そうだが」
「そんな顔しなくても、咎めてなんていない。よく一月あのスケジュールをやり遂げたね」

本当に怒らなかった。
じわじわと安心してきて息をつく。

「……俺も一緒に昼寝でもしようかな」
「!」
「休める時に休まなければ、ね」
「ふは、今日は本当に珍しいな。俺の部屋に来るか?」
「良いのか?」
「もちろん」






「おーおー、呼びに来てみりゃぁ、猫二匹ってところか」
「気持ちよさそうに寝てんなあ」

2人が被った、肌触りの良い黒くバカでかいブランケットは俺から贈ったものだ。
子猫の毛並みのようなフワモチ!というセールス文句が脳裏に浮かんで、日本号の言い方も間違ってないなと思う。気に入ってくれているようで良かった。
枕にしているビーズクッションは山姥切に贈ったものだから、持ち寄って昼寝と洒落込んだらしい。ローテーブルには飲みかけの飲み物と小説本。

「寝落ちが一番気持ちいいからな〜。いいな、俺も今日は早めに寝よ」
「あんたの宵っ張りが治るかもな」
「そ〜れは治らないな、残念」

広光2人や薬研あたりに見つかる前に起こしたほうが良いんだろうなという気がしてる。
や、雑魚寝と言えばそれまでなんだが、当たり前の如くに2人は見目が最高級なもんで。ド至近距離で揃って眠ってるとこ見てるとちょっと⋯⋯やましいもん見てる気になんないか?
⋯⋯なんないか。
普段二人ともキリッとシャキッとしていて気張ってるだろうし⋯⋯休みくらいは好きなだけ休んでほしい審神者心は、めっちゃある訳でして。

「ま、晩飯は取っておいてやろう」

言えば、口の端を上げて軽く笑う日本号。
静かに障子戸を閉め直す。
ここにあの監査役がいたらうるさかっただろうな、と思いながら。










――――――――――――








「今日は手合わせ、と、遠征」

あの突然行われた監査から三ヶ月。
最初の一月よりは断然マシだが、相変わらず詰まった予定を熟す毎日を過ごしている。主殿は今日、多めに手合せを組んでくれているらしい。
今までは顕現時期が近い刀とばかりやっていたが少しづつ様相が変わっていた。
俺の相手は一戦目は太鼓鐘貞宗、二戦目は巴形薙刀、三戦目、

「実休光忠⋯⋯」
「うん、よろしく」
「ああ、よろしく頼みます」

この刀は"竜田生駒"に関する記憶を無くしているが、俺はこの刀を覚えている。
可笑しな感覚だったが、少しは慣れてきたと思う。三雲と呼んでしまうことも無くなった。
荒療治と称して同部隊で出陣して、落ちついて考えれば簡単なことだ。相手は覚えていないのだから、変わらず俺は俺らしく在れば良い。
ただそれだけ。

向き合って、手合せ用の『俺』を握り直した。
重心・手触りなどはすべて自分自身だが模造刀だ。当たり判定をして疑似負傷を起こすので、切れないが、切れる。
刃潰された俺かと思って一瞬ビビるよね、とは加州の言である。

「どうしてだろう。君とこうして向き合っていると、何故か懐かしい気がするんだ」
「……奇遇だな」

開始の音が鳴る。
爪先に掛けた体重のまま前、抜刀の勢いで対前まで振り抜いてから間合いを詰めた。
合わせた実休が往なしながら避けるのを追って、返して一撃。
腕の長さ、間合い、歩幅、総合しても分が悪い。相手は太刀で先にここへ顕現しているが故に踏んだ場数も違う。
どうしたら勝てるか。
反射と検討を繰り返しながら相手の突きを避けて半身を返してもう一歩。打刀としては近づきすぎな程に踏み込めば、拳が顔面を狙ってきた。避けたつもりが手袋が頬に擦る。
間合いを取り直す。

「び、びっくりしたぁ……」
「……俺も驚いているが?」

摩擦で頬がジリジリと熱い。
間髪入れずに切り込めば軽々と受けられるので面倒だ。力勝負には出来ない。
鍔迫り合いになる前に力を抜いて後退。そこに実休の一太刀。
腹が裂ける。

「っ、」

疑似負傷なので血は出ないが、意識に訴えてくるこの感覚は本物みたいに思う。
太刀の間合いに入るのは面倒だが、俺の間合いを保ち過ぎるとそれこそ実休の刃が届く。
だからこそもっと近づく。さっきより早く。
複数回の攻防の後に踏み込み、刀を持ち替え懐へ滑り込んだ。
狙うは喉。
柄頭で思い切り打つ。

「!?ァ"、っ」

傾いだ上体に体重をかけながら再度持ち直して首!

「ぐ、」

俺の刃が届く前に左脇に刃が入っている。
咄嗟に俺を刺したらしい。
そのまま実休の上に倒れ込んだ。
喉を突かれて喘鳴交じりに詰まった音を喉から漏らす実休は、俺の重さと倒れ込んだ衝撃も受けて酷く苦しんでいる。

「そこまでだな!手離してくれ、引き抜くから」

審判役が終わりを宣言したので負傷が全て直るようになっているはずだが、さすがに刺さったままでは回復出来ないらしい。
太鼓鐘が実休を引き抜く。
俺の負けということになるだろう。
左脇から袈裟状に右肩辺りまで貫かれていては重傷相当だ。

「っ、ごほ、は、はあ……」
「……しくじった」

実休の上から退いて座り込む。
上体だけ起こして髪をかき上げる実休も疲れが滲んでいた。
怪我をすることは多くても、呼吸が止まる事は実際なかなか無いから。刀で戦っていて呼吸が止まったらそれは、高確率で破壊寸前だろう。
破壊――死の恐怖は一度味わった身からすると二度と味わいたくない。

「驚いたな、結構からなんだ」
「正攻法で行っても無駄だからな」
「それにしても伽羅とは違う戦い方だな!俺も良い手合わせになったぜ」
「大倶利伽羅と同じようにするには、少し膂力が足りない……。そう思うなら良かったが」

俺と実休の間にひょいと座った彼は快活に笑っている。
一戦目で俺が脚を貫いた覚えがあるんだが、それはもう気にならないらしい。生粋の刀剣とは逞しいものだな。
俺はまだ脇腹から突き抜かれてるような気持ち悪さが残っているのに。

「さーてと。主の言いつけ通り、感想戦といくか!」
「あれ、巴形くんは……」
「あ!なんかさっき加州に呼ばれててさ。呼んでくるからちょっと待っててくれ」

身軽に走っていく彼なら本当に直ぐだろう。
彼が大倶利伽羅の旧知というのが、俺としては微笑ましく思えてしょうがない。
時々二振が静かに――大倶利伽羅が相手だからなのもあるが――あれこれ言い合いながら戯れているのを見ると可愛らしいと思う。

「ねえ、」
「な、なんだ?」

太鼓鐘が走っていった方を見ている間に距離を詰めたのか、いつの間にか俺を覗き込めるような近くに座り直している。

「昔も、こんな感じだったのかな」
「……」

昔、実休が三雲と呼ばれていた頃。
その頃はこうやって手合わせなどしないし、会うときは主君への目通りや軍議、年中儀礼の時だから刀は抜かない。そういう時の刀は武具よりも飾りや見栄に近い。

「刀だった時に手合わせなどしないだろう。使われている時は戦場だ」

三雲の方、――三好実休を気にしている暇など無かった。
人間を切る感覚に慣れなければいけないと、人間だったころを忘れようとした。
吐けもしないのに吐き気を耐えて、涙も出ないが枯れるまで泣いて、戦場では正気を保つのに精一杯だった。

「そうなんだけれど、どうしてかな、楽しいんだ」
「……喉を突かれて?」
「君も、分かっていてそうやって言っている、よね?」

問いかけに見えて断定している言い方だった。
避けないで自然に話をしてくれるようになったから、それも嬉しい。そうやって柔らかく笑いながら俺の肩に寄りかかって来る。
正直重いし柔らかい髪の毛が頬や耳元に当たってくすぐったいんだが。
見れば実休は心底嬉しそうで毒気が抜かれる。

「相変わらずだな……」
「……相変わらずなんだ?」
「少なくとも、俺にとっては」
「そう……そっか。君が、紅葉が僕の隣で息をくのも変わらないと嬉しいけれど」
「!」

流石に目敏い。
息を吐くといっても出陣中。のんびりなどしていない。本当に一瞬、詰めた息をいて仕切り直す程度の呼吸だ。

「貴方が、俺にとっては一番付き合いの長い刀だから」
「薬研くんや大般若じゃなかったんだ」
「貴方は忘れているが」
「…………ええと、謝らないほうが良いみたい」
「謝って来たら即刻投げ飛ばしていた」
「それは嫌かなぁ」

笑う彼はその懐かしさの中に、対峙した織田と松永の記憶があるからだとは気付いていないんだろう。
喉元でぐるぐると何とも言えない感覚が渦巻いた時、すとん!と木戸が開く。

「竜田生駒!実休!待たせたな!」
「すまない、先の遠征結果の確認で呼ばれていた」
「それほど待っていないよ、早かったね」
「お帰り、ありがとう太鼓鐘」
「……」
「どうかしたかな?」

大きく丸い瞳でこちらを見てくる。
疑似負傷は直っているし、おかしなところは無いはずだ。

「いーや?なんつーか、二振とも良い顔するようになったな!」
「良い、顔?」
「そうか?」

思わず実休と顔を見合わせる。
何も変わっていないと思うが。

「俺が出る幕じゃねーのは分かってた。けどさ、みっちゃんと伽羅の身内の事、気になんねえ訳ないだろ?……なんか上手くは言えねぇけど話ついたみたいだしな。んー、安心?てのが一番近いか」

思ってもよらない言葉を貰った。
大倶利伽羅を通じての交流がほとんどであるし、まさかそうやって気を配ってくれているとは。

「僕たちを気にかけてくれていたんだね」
「優しいな、太鼓鐘は」
「へへ、」

はにかむ様子を見るだけなら同じ体格の子供と同じように見えるのに、自分の身の振り方を心底分かっている老獪さがある。
不思議なものだ。

「じゃあ、始めようか」
「おう!」
「ああ」

俺たちの会話の内容が分かっていなさそうな表情の巴形に声を掛けて、感想戦を始める。
勝ちも負けも、ただの結果ではない。











午後。
遠征が終わって戻ってみれば何やら騒がしい。
一緒に出ていた笹貫と信濃を振り返るが、特に何も知らないらしかった。
資材を置いて賑やかな方に進む途中、大倶利伽羅が遠ざかろうとしていたので捕まえた。

「嫌に賑やかだな」
「……打刀が来たからな」
「!」
「えっ?!本当!?俺、さ、先行くね!」

聞いた途端に信濃は走り出してしまう。
なんとも微笑ましい。

「な〜るほどね、それは大騒ぎにもなるか」
「笹貫は行かないのか?」
「ん、まあ、急ぐことでもないから一旦着替えるのが先」

それもそうかと後ろ姿を見送る。
どうしようか。気になりはするが、鍛刀で来たのは下手をすれば数年振りのはずだから今行っても挨拶も出来ないほどだろう。

「生駒」
「なんだ?」
「お前が呼んだ緊急監査の詫び資材らしいが」
「…………それは、挨拶しなければ」
「っふ、程々にな」
「……ああ」

呼んだ訳では無いが原因とも言える。
少し重くなったような脚を引きずりながら向かえば、なんだか少し、先程よりは静かになっている気がした。
なんだろうか、嫌な予感がする。
例えば、誰にも非がないのに店に文句をつけてくる客が来たとか、納期が間に合わないだとか、ツケを払わずに客が夜逃げしただとか、そういう時の俺と番頭の空気感。

想像していたより人は多くない。
ちょうど扉のところにいる信濃に声をかければ、ぱ、と振り向いて俺の腕に縋るように引っ張って行く。

「信濃?どうしたんだ?何をそんなに急いで、」
「竜田生駒、」
「……長義?」
「どうかしたかな?」

怖い。
声も荒げずに微笑んでいるのに怖い。
怒っているというよりは憤っている。ただその最中に何故俺に声をかけてきたのか分からない。

「いや、その、新しい打刀が来たと聞いたから」
「……紹介しよう。おいで、」

見なくても信濃が焦っているのは分かる。
名残惜しそうに離す直前にぎゅ、っと握られて、もしかして俺は今から重傷にでもなるのか?今世の別れ?
一歩鍛冶場に入れば熱が目を焼く。
そこで思い当たった。
主殿が鍛冶場でそのまま顕現するのは珍しいはずだ。迎えの茶を用意して、別の間で行っている記録を読んだし、俺もそうだった。
特例、もしくは異例だ。
長義の気が立つのも分かる。
こちらへ手を伸ばす長義へ近付いて隣に立った。
何故か背中に長義の手のひらが触れているのを感じる。

「竜田生駒と名付けられた物だ。⋯⋯貴方の直前にここへ来ている。よろしく頼みます」
「山姥切国広だ。⋯⋯何だその目は。写しだというのが気になると?」
「⋯⋯いや。そうか、貴方が」

山姥切長義の写し。





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