夢だと分かる夢を明晰夢というらしい。
自由に動けると聞いたが、今まさに自由に動けないことを思うとこれはただの夢なんだろうか?
内容に覚えがあるから、記憶の黄泉還りか?
「おー、息災だったか?紅葉」
「薬研……そちらこそ。息吐く間も無いな」
「仕方無いさ、刀だからな」
夢の中の俺は松永に伴って織田に来ているらしかった。屋敷の中、薬研が居るなら客間からは近いだろう。
薬研に向き直れば今のとは装備が違う。
松永にあった頃でもない。
ああ、本当に、昔の記憶なんだろうな。
俺の着ている着物も赤が強く、見る限り季節は春頃だろうに紅葉の簪までしている。
季節感が全く無い。
今の着物は大倶利伽羅や火車切と揃いのようで嬉しいが、この頃は拵や号に全てが影響されるのでこうなんだろう。
呉服屋としては遺憾だ。
少しは春らしい色が着れないのか。
「松永のは挨拶か?」
「いや、茶席らしい」
「茶飲みに紅葉を佩いて来るのは、自慢したいのかねぇ……あの男」
目を眇める薬研は今よりも苛烈な雰囲気をしている。
当たり前か、忠義の懐刀は名実共に名高い。
「他の刀よりは少し小振りだからっていうのもあるんじゃないかな」
「……三雲、」
「また会えて嬉しいよ、紅葉」
「ああ、お前も一処に落ち着かないな」
確かに他の太刀などに比べると小さいから持ち歩きには良いのかも知れないな。
そう考えていると、三雲がゆったりとした動作で腰を抱くようにくっついてくる。
この時代にしても未来にしても距離感が異様に近いのがこの刀だった。
「今日は長く居られるの」
「ここは今日の内に辞去する予定だが」
「そっか。うーん……、茶席から宴にでもなれば泊まりになるかな」
「酒が飲みてえとでも耳打ちしてくるか?」
「そんなことできるのか?」
「出来る奴もいるだろ?やってみなきゃ分からないぜ」
ニヤリ。
夕飯にオムライスが食べたくて、主殿の周りで頻りにオムライスの話をしていた信濃と厚と同じような事をやろうとしているな。
こういうところを見ると可愛らしい。
「やってみようか。酒飲みの刀と思われない程度に」
「話が早いな実休さん」
「……実休?」
それは、もしかして、
「ああ……。つい最近だけれど、三好実休殿から貰って号を改めたらしいね」
「この間まで三雲だったからな、驚いたか?」
「お、驚いた、その、これからも三雲と呼んでしまいそうだ……」
「紅葉、」
呼ばれて横を伺えば、俺の長い髪を手で掬って梳きながら後ろに撫でる三雲がいる。とろりとした視線でこちらを真っ直ぐ見ていた。
「いいよ、紅葉の呼びやすいように呼んで」
「そういう訳には、」
「聞くのは僕たちくらいしかいないよ?」
「だが」
「紅葉には、呼んでほしい」
喉が詰まるかと思った。
静かに項と髪を撫でる手と相まって、女だったら恋にでも落ちていたのではないかと思う程に溶け込むような声をしている。
この刀、質が悪い。
「ま、良いんじゃないか?長谷部あたりは何か言うかもしれねえが」
「……」
「僕が良いって言ったのに?」
「紅葉の主の事を含んじまうんだろうさ」
「あ、あの刀は主に忠実な気質だ。それが正しい」
今の俺はへし切長谷部とまだ会話したことが無い。
演練や万屋で他の本丸の彼とすれ違うが、お互いに気安く雑談に花を咲かせる性質でも無かった。
向こうは俺をどう思っているのだろう。
この夢の中では会うことになるのか?
今までの口振りだと薬研が献上されていったすぐ後くらいの時期のはずだから、まだ織田に有るはず。
と言っても、この時代は他よりも怒涛の如く出来事が起こるが故に記憶が混乱しているから正直分からない。
「さあて、酒の耳打ちしてくるか」
「茶席の近くには他の客の刀剣も居るから賑やかだろうね」
それは、楽しみだ―――
声に出したはずの言葉は成らずに崩れた。
バン!!
襖が激しく開け放たれて柱にぶつかる音で気がついた。
襖絵には蔦と控えめな草花が広がっている。
この襖絵は松永の私室とその近くにしかない。
(苛立っているのか)
彼は数寄者だ。
好きな意匠の器物で身の回りを埋めたがる。
比例して所有欲が強くて、モノを大切にした。同時にそれを世渡りの道具ともした。
その男が家紋にもなっている植物の襖をあんなに乱暴に閉めたのだ、何かある。
奥の私室に行こうと手を伸ばしたところで、強く後ろに引かれた。
逆らえない。
刀本体が動いているのか?
……まさか!
織田信長へ反旗を翻した松永久秀、その最期。
あの男は天守に火を放ち自害する。
その延焼から、俺を、紅葉川広光を持ち出そうとしている人間がいる。
(やめろ!!主君の最期にすら伴ってもらえない刀など放っておけばいい!)
人間だった俺としては思う所もあるが、嫌いな主君ではない。
そして、紅葉川広光という刀をよく使った男だ。
大倶利伽羅のように神仏の加護も無い。
薬研のような忠義の刀でもない。
三雲のように華美で勇壮な造りでもない。
火車切のような特別な逸話も持たぬ刀だ。
一つ釦を掛け違えば戦場で朽ち果てていても何ら可笑しくない俺をも大切にして、着せ替えるように拵を見繕って頻繁に伴った。
(どうして)
他の見栄えのする太刀など沢山あったはず。
それでも俺を選んだのに、介錯にすら伴わないのだから。
お前の最期に、ここに有るのに。
「竜田生駒、」
「……?」
「ふふ、寝惚けているね」
「ちょうぎ、」
「手入れ部屋だよ」
そうだ、少し編成を変えて出陣した。それで確か、俺とにっかり青江が重傷を負った。
「長義……青江は、」
「まだ眠っている。彼も極てから出陣が多かったから、主が寝ているように言いつけたのもあってね」
「そうか……」
誰も折れていない。
焼けても、……いない。
良かった。
「長義、様子を見に来てくれたのか」
寝転がったまま見上げると、軽い頷きと共に長義の手が乱れた俺の髪を軽く梳いた。
…………長船の流れを組むと全てこういう質になるのか?
今しがた見た記憶と他の長船を思い出す。まだぼんやりした頭が起きていないらしい。
「今まで聞いていなかったけれど、聞きたい事がある」
「なんだ?」
「どうして、俺を"長義"と呼ぶようになったのかな」
脳裏にあの布を被った金髪の刀を思い出した。
二振に色々有るのは知っているが、どうして俺にそうやって聞くんだろうか。俺がどう呼んだって、何かが変わるかと言ったら否だ。
それに、その質問に対する俺の答えも変わらない。
「親しみを込めて。だが、山姥切と呼んだほうが
そんなに深い意味があって長義と呼び方を改めた訳では無かった。
「俺の中で、長義は一振だ。昔にも長義の刀には会ったことがない。だから、ただ、人間で言う友人のように呼びたかっただけだ」
「た、竜田生駒、」
「大倶利伽羅が燭台切を光忠と呼ぶだろう?……山姥切長義と竜田生駒にはあの刀のような縁は無いが、この本丸でこうやって会って、気を配って、気安く話してくれる。それが嬉しいと思う」
俺には気の置けない同じ年頃の友人など居ただろうか?まあ、覚えていないということはその程度だったんだろう。
人間だった頃は働き詰めだった。
奉公人には実家に帰る時間すらほぼ無い上、首は簡単に切られる。必死に働いて手前の食い扶持を得て、なんとか認められるまで何年かかったか。
だから、今になってだが、まるでもう一つの人生を過ごしているようで嬉しい。
博物館で硝子越しに見かけたような、学生とか、同級生とか。羨ましく思っていた。
ガクワリとか、エンソクとか、シュウガクリョコウとか。
「竜田生駒!」
「?」
「も、もう分かった。大丈夫。……変な理由ではないだろうとは思っていたが……」
ここからでは顔が見えないが、どこか脱力している。回答が気に触らなかったならそれでいいか。
時計を見るために少し身を捻ると、いつの間にかにっかり青江がうつ伏せになって頬杖をついたままこちらを見ている。
「青江……起こしたか?」
「フフ、大丈夫さ。元からそこまで熟睡していないよ。ただ、折角の逢瀬の邪魔をしてしまったみたいだねぇ?」
「にっかり青江!」
「……?」
「っフフ、何にも疑問に思っていない子に免じて、見逃してあげようか」
そうやって微笑むと、ころりと寝返りをうって再度寝入ってしまった。
斜め上から「ああもう!」という声が聞こえるが、長義は何を動揺しているんだろうか?青江はよくああいう言葉遊びをするのに。
「長義、俺はまだ少し時間がかかるから、もう少し寝ようと思うが」
「……ああ、そうだね、そうすると良い。昼餉の時間に起こしに来るよ」
「また後で……」
腕を軽く小突こうとしたが思ったより力が入らず、長義のストールをパフリと掠めるだけで終わった。
もういいか。
見舞の礼は言えたことだしな。
溶けるように意識を手放した俺は何にも気付かない。
安心したように姿勢を崩す長義と、やはり起きていて静かに優しく笑うにっかり青江にも気づかないで、ただ自分が直るのを待つだけだった。
continue.