町を彩る木々は黄土色に葉を染め、吹き抜ける風は体温を奪うように去っていく。上着がないと肌寒いと感じる、そんな10月の半ばのことだ。

「ギアッチョの服、そろそろ買わなきゃね」

 早くも暖炉が恋しくなるような涼しい朝に、目を覚ました私はなんとなくそう思ったのだ。タンスの中から覗くギアッチョの服はどれもこれも夏服で、私が買い足したものばかり。


私のタンスにもう春夏秋冬、どの季節の服もまとめて収納しているからだ。ギアッチョの服も同様に、同じタンスに一括してなおしているので衣替えを気にする必要もない。ただ、サイズが合わない服が多々あったため、買いにいかなければならない。ギアッチョはまだまだ、これからもっと大きく成長していく。小さめの服は思いきって処分してしまい、大きめの服を買ってしまおう。
そう思い至り、私たちは今大規模な服屋に来ていた。私も新しいトレンチコートが少し欲しいと思っていたし、ついでに寄ろう。ギアッチョと共にカートを押して店内のあらゆる服を見渡す。


そういえばピーナッツという作品の中で、こんな名言がある。
『人生はスーパーマーケットのカートみたいなものよ』
店内に並ぶどんな素敵な商品だって、自分のカートの中にいれることができる。自分でこれだと思った商品と共に、カートを押して前進するのだ。そして最終的には、レジにたどり着くのだろう。自分で選んだ商品のお金を払うのは、一体いつなんだろう。


そんなことを考えていると、ギアッチョがある服の前で歩みを止めた。青いダウンジャケットだ。ギアッチョには確か家にコートがあったはずだが、まだサイズは小さくなかったはずだ。だが手触りを確認したり材質や洗濯方法まで見るあたり、もしかしたら欲しいのかもしれない。

「ギアッチョ……それ、欲しいの?」
「……いや別にそういうわけじゃない」

ギアッチョも家にコートがあったことに気づいているのだろう。唇を尖らせながら目をそらした。ギアッチョは普段からあまり欲を顕著に現さないのだから、少しくらいわがまま言ってもいいのに。子どものわがままは物的な欲求だけでなく、それを聞いてくれる相手の愛情的な欲求でもあるのだ。特に5歳くらいまでの子どもは、後者が著しい。ありすぎるのも困ったものだが、なさすぎると心配してしまう。子どもにとってわがままは適度に必要なのだ。

「じゃ、それ買おっか」
「え」
「絶対今あるのよりこっちのほうがカッコイイって」
「…………」

そう言ってギアッチョのダウンジャケットをカートにいれた。私だってジーンズ腐るほどあるけどスキニーだって欲しいもん。ギアッチョは他人に甘える術を知ってから、自分に甘える術を知ってください。
私はカートを押して、また前へと動き始めた。沢山の服が並ぶなかから、自分が欲しいと思うものを探す。これらを買い終わったら、家路に着く前にレンタルビデオに寄って行こう。ちょうど借りたい映画もあったし、ギアッチョも気になる映画があるだろうし。私はそう思いながら、黄色いトレンチコートをカートの中へ放り込んだ。

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