たくさんの水を根から吸い上げて、太陽の下で逞しく生きている。そのルッコラをもぎ取って、ギアッチョに渡す。昔は惚れ薬の効果があると信じられたハーブだ。去年の冬から育てていたのを今日収穫するのだ。夏は特にアブラムシが比較的多くいたから、ギアッチョがいてくれて助かったのも良い思い出だ。

「このルッコラで今日は何作ろう!」
「サラダ」
「サラダは当たり前!うーん炒めようかなー」
「……」

浅いバスケットに収穫したルッコラを乗せる。付着した水分は葉脈にそって静かに流れる。ギアッチョはルッコラを視界に留めて言った。

「ルッコラは育てるほど苦くなる」

その苦味がまたアクセントになっていいのだが、ギアッチョはどうにも苦手なようだった。まあ今は苦手でも、ギアッチョならそのうち食べられるような気がする。

「加熱すれば消えるから大丈夫」

上機嫌でベランダから引き返しそのままキッチンへと向かう。ギアッチョにトマトをサラダ用に切り分けるようお願いし、私はルッコラを手早く洗う。こんな清々しい朝を毎日迎えるようになったのもギアッチョが来てからだ。やっぱ意識の問題なんだなあと常々思う。

「そういえばギアッチョ、ヴェネツィア行ったらどこに寄りたい?」
「サンマルコ大聖堂」

た、確かにヴェネツィアって言ったらサンマルコ大聖堂が有名だよね。そう相槌を打ってギアッチョにニンニクを細かく刻むように頼んだ。包丁を持たせてから1ヶ月。今ではリンゴの皮までスムーズに剥けるようになってしまった。子供はどんどん吸収してしまうから、あっという間に成長してしまう。それを見守るのが楽しくあり、これが子供を育てるということなんだと実感するのだ。

――まあ、まだ微塵切りは苦手なようだけどね。それもじきに克服しちゃうのか…

子供の成長とは、喜びと共に寂寂とした念が浮上してしまう。けれどこの寂然は愛情があるからこそ感じるのだろう。

「サンマルコ大聖堂っていったらビザンチン美術が有名だよね」
「ビザンチン美術?」
「うん。ビザンチン帝国って知ってる?」
「それは知ってる。美術は詳しく知らない」
「そっか。すごいよ!簡単に言えば、象牙を材料とした彫刻ってとこかな」
「牙彫(げぼり)?メソポタミアで盛行したあれか」
「く、詳しいのね……あ、玉ねぎもざく切りできる?」
「ん」

小学2年生にしてはやや博識すぎる気もするが、小説や私の教材を読んで得た知識なのだろう。子供はどんどん吸収してしまうから。私は切り終えたニンニクを鍋にいれてオリーブオイルと一緒に炒める。

――さっさとミネストローネも作ってしまお。昼からは映画返しに出掛けに行こうかな

さあ、何気ない朝の始まりだ。

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